第4話 プライドをかけて

 ゴールデンウイークの上野公園。

 動物園へと続く広場には、大勢の客達を目当てに各地からたくさんの大道芸人が集まってきていた。園内至る場所で、軽やかなBGMに乗って派手なパフォーマンスが披露されていた。

 劉太郎と春男は、お揃いの黒いTシャツと、袴のような太いズボンを着こみ、公園の一角に陣取って準備を始めた。劉太郎はキャリーケースを開くと、手慣れた手つきで準備を進めていたが、傍に立つ春男は緊張のあまり、何もできず棒立ちのままだった。


「おい、本当に大丈夫なんだろうな」

「大丈夫だって。ここまで一ヶ月、俺とみっちり練習したじゃないか。少しはましにになってきたんだから、あとは気合で何とかなるって」

「ば、バカ言うな。いきなりこんなに客がいる前でやれるわけないだろ?」

「ハハハハ、まあ俺も、最初は疑心暗鬼だったよ。『こんなに多くの人達の前でできるのかなぁ、ミスしたら恥ずかしくて、二度とここではやれなくなるよなぁ……』って」


 そう言うと劉太郎は広場の片隅で道具を入れたキャリーケースを開き、手慣れた様子で全ての準備を整えていた。「Ryutaro」の看板を最前列に立てかけると、近くにいた大きなリュックを背負った少年が看板を目指して駆け寄ってきた。


「こんにちは、劉太郎さん。今日も見に来ちゃいましたよ」

「ありがとう。君、いつも来てるよね? 顔を覚えちゃったよ」

「だって、劉太郎さんがすごくカッコイイんだもん」

「そうかな? まだまだだよ」


 すると今度は、女子高生ぐらいの少女たちが「劉太郎さ~ん!」と可愛い声を上げながら手を振ってこちらへ近づいてきた。


「こんにちは。こないだここで劉太郎さんのコマ見て感動しちゃって、今日は友達も連れてきたんだけど、いいかな?」

「いいよ」

「やったあ! 今日はまだお客さんもそれほど来てないし、かぶりつきに座ってじっくり見ようかな」

「や、やめてくれよ。あまりジロジロ見られると緊張しちゃうからさ」


 劉太郎は、若者を中心になかなか人気のある大道芸人のようだ。まだ演技していないのに、二人の周りには、いつの間にかぐるりと取り囲むかのように客が立ち並んでいた。真正面には、三脚に立派なカメラを備え付けている男性もいた。それだけ注目度も高いのだろう。


「何キョロキョロ見てるんだよ、親父」

「いや、な、何でもないよ」

「お、今日は連休中だから、いつも以上にお客さんが見に来てるよね。やりがいがあると思わないか?」

「お、おう……上等じゃないか」


 春男は武者震いを見せながら、親指を立てた。

 劉太郎はマイクを取り付けると、大勢の客に向かってアナウンスを始めた。


「御集りの皆さん、よーうこそ! 中国ゴマのRyutaroです。僕が始める前に、今日は愛弟子を紹介します。『春之助はるのすけ』といいます。さ、こっちに来て」

「は、春男、いや、春之助……です。新参者の私ですが、今後ともお引き立てのほど、よろしくお願い申し上げます」


 春男はつい、仕事で使っていた挨拶の言葉が出てしまった。あれほど賑やかだった客は急に黙り込み、春男に冷めた視線を投げかけていた。


「おい、ちゃんと練習した通りに言わなくちゃダメだろ。『春之助だぴょーん』って」


 劉太郎は春男の耳元でささやきながら、肘で春男の腰を小突いた。春男は顔を赤らめつつ「わ、わかったよ……」と小声で言うと、息を吸い、思い切り吐き出すかのように叫び散らした。


「は、は、春之助……だっぴょーん!」


 すると、静まり返っていた客席からは、何かが爆発したかのように一斉に笑いが沸き起こった。


「アハハハ、だっぴょーんだってさ」「のっけからオヤジギャグ炸裂かよ。あー腹痛い…‥」


 春男は観客の笑い声や、蔑むような声を聞くたびに、全身が震えだした。観客には一応受けてはいたが、春男にとってはプライドを叩き潰されたかのような気分になった。


「はいはい、つかみはOK。さ、春之助、ここからが本番だよ。鍛えた技の数々を、早速披露しておくれ」

「あ、ああ……」


 春男は冷静さを失った今の状態で演技が出来るか、不安で目前が真っ暗になった。しかし、劉太郎から教わってきた中国ゴマの技の数々をここで見せずに帰ってしまうのは、春男のプライドが許さなかった。


「見てろよ、自分をあざ笑った連中を、俺の技の数々で黙らせてやるからな」


 春男は両手で糸を持つと、その上に大きな駒をゆっくりと載せた。親指と人差し指で駒を回すと、糸を左右に引っ張り、駒を糸の上で操ろうとした。しかし、駒は二、三回だけ回転すると、バランスを失ってそのまま落下した。


「あれ? 練習ではうまく行ったのに……」

 

 春男は首をひねりながら、再び駒を糸の上に載せた。しかし、駒は糸の上を這うや否や落下してしまった。何度も乗せては落とすを繰り返しているうちに、次第に客が春男に向ける視線が厳しくなってきた。


「何だよあのおじさん。面白いのは『だぴょーん』だけかよ?」

「いくら初心者とは言え、酷過ぎない? 人に見せられるレベルじゃないよね」


 春男の耳に、客からの陰口が次々と聞こえてきた。仕事では会社で高い評価を受け、順調に出世してきた春男にとって、もはやこれ以上無い屈辱であった。


「おいおい、大企業で部長まで昇りつめたこの俺が、ここで一体何やってるんだ? お前はここでこんな恥ずかしいことをするような人間じゃないだろ? もっと他にやれることがあるんじゃないのか?」


 春男は自問自答していた。やはりここは自分の居る場所ではない。劉太郎の気持ちは嬉しかったけど、出来ないものを無理にやる必要はない。潔く諦めて、ここから一刻も早く立ち去りたいという気持ちが次第に春男を支配し始めた。


「どうする親父? 今日はもうやめておくか?」


 すぐ傍から、劉太郎の声が聞こえてきた。しばらく立ち止まり、どうしようかと思案していたが、やがて劉太郎に向かって大きく頷くと、糸を畳み、駒を手のひらに載せ、演技を終わる準備を始めた。

 その時突然、よどんだ空気を切り裂くかのような叫び声が聞こえてきた。


「ちょっと何やってんのよっ! わざわざ見に来てやったのに、このまま終わるつもりなの?」


 観客は一斉に声のする方向へ視線を向けた。春男は、その声に聴き覚えがあった。


「……成美?」


 目を皿のように丸くし、観客の目線の先を見ると、観客の輪の一番隅に、妻の成美の姿があった。その隣には、長女の桃菜の姿もあった。

 春男から心が離れたはずの二人が、なぜここに……?

 

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