第3話 決意の日曜日

 数日後、春男は、一人で家族連れで賑わう日曜日の上野公園へと出かけた。

 公園内では、何組もの大道芸人が、即興で様々なパフォーマンスを披露していた。

 その中で、ひときわ多くの観客を集めていたのが「Ryutaro」という立て札の前でパフォーマンスを披露していた青年であった。

 大きな中国ゴマを、二本の紐を使って器用に操るその男……紛れもなく、末っ子の劉太郎であった。

 演技が終わると、盛大な拍手が沸き起こり、その輪の中で劉太郎は満面の笑顔を浮かべていた。

 人の波が引いた後、春男は劉太郎に近づいた。


「久しぶりだな、元気か?」

「あ、親父! 来てくれたんだね。ありがとう」


 劉太郎は道具を片付ける手を止めると、実父との久し振りの再会を喜んでいる様子だった。


「お前にはあの時、何度も怒鳴り散らしてしまって、本当にすまなかった」

「まあな、俺にも匠兄貴みたいに一流国立大に入れってしつこく言うからさ。俺は勉強嫌いだったから、耐えられなかったんだよね。それに匠兄貴、大学に入った直後から様子がおかしかったし、俺もこうなったらマズイって、直感で思ったんだよ」

「それは、匠や劉太郎には良い大学に入ることが幸せにつながると思ったうえでのことだよ。俺は良い大学、良い会社に入り、こうして、社会人生活を無事にゴールできたからな」

「無事にゴール? 本当に?」

「ん? 本当にって……俺はそう信じて疑わないけど」

「その結果、俺たち家族のことは無いがしろにしてきたよな?」

「……」

「自分は無事ゴールしたつもりかもしれないけど、自分以外の家族は誰も幸せになってないだろ? 俺は親父のそういう所がすごく嫌で、反発して家を出て、この仕事に就いたんだ。この仕事のゴールは、ハッキリ言って無いに等しいよ。けどな、俺の演技を見た人たちは皆幸せそうな顔をして帰って行くんだ。俺、その顔を見るたびに嬉しくてたまらなくてさ、もっと頑張ろうって思うんだ」

「……」


 何も言わず考え込んでしまった春男を見て、劉太郎は片づけたはずの中国ゴマを取り出し、春男に手渡した。


「親父、退職して暇なんだろ? 俺と一緒にやってみるか? 大道芸」

「バ、バカ言うなよ! 俺になんか出来るわけないだろ?」

「確かに大変だけど、一度覚えると面白いんだぜ。そして、俺たちの芸で見ているお客さんに幸せなひと時を過ごしてもらえる喜びを、親父にも味わってもらいたいんだ」


 春男はしばらく無言を貫いたが、深く頷くと、中国ゴマを細い紐の上に載せてみた。


「ありゃりゃ、駄目だ。上手く載らないじゃないか!」

「ハハハ、一ヶ月位みっちりやれば、大丈夫だよ」

「本当に? こんな俺でも、出来るのか?」

「出来るよ。だって、親父に『この出来損ない』って見離されたこの俺だって出来たんだぞ」

「うぐっ……」


劉太郎は腰に手を当てながら、自信満々に答えていた。常に兄や姉と比べられては、勉強が出来ないとしょっちゅう怒られていた劉太郎にここまで言われたら、春男も立つ瀬がなかった。その時、春男の頭の中に突如答えが浮かんだ。何の前触れもなく、深く考えることもないままに。


「わかった……じゃあ一ヶ月お前の所に通うから、とことんまで付き合ってくれるか?」


春男は、とっさにそう答えた。


「ああ、とことんまで付き合うよ」


 劉太郎は笑いながら片手を差し伸べた。その手を、春男はしっかりと握りしめた。

 温かい劉太郎の手は大きくて太いけれど、まだ幼かった頃に握った時と感触が同じように感じた。どんなに大人になっても、離れて暮らしていても、そこにいるのは「出来損ない」の末っ子の劉太郎に違いなかった。


「とりあえず、ゴールデンウイークにはデビューできるようにがんばろうぜ。多分大勢のお客さんが見に来てすごく緊張するけど、技を決めた時の嬉しさは何物にも代えがたいからな」


 劉太郎は目配せしながら、繋いでいない方の手の親指を立てた。

 これまで積み上げてきた仕事の実績は全く役に立たないかもしれないが、これまで失ったものを取り戻すきっかけにはなるかもしれない……そう考えた春男は、劉太郎と目を合わせながら、繋いだ手を強く握りしめていた。

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