小旅行
奈那美
第1話
(ジリリリリ・・・)
ベッドサイドにおいた目覚まし時計が響く。
手を伸ばしてベルを止め、そのまま持ち上げて時間を確認する。
七時半。
設定したとおりの時間だ。
時計をベッドサイドに戻す。
目覚まし時計なんて、何年ぶりに使うだろう。
もう、ずっとスマホのアラームで起きているからなぁ。
───スマホに替える前はフィーチャーフォンのアラームだったから、中学校卒業以来使っていないことに思い至った。
ひさしぶりに使ったけれど、アナログな目覚まし時計というのも、案外悪くないかもしれない。
そう思いながら枕元をごそごそと探しかける。
「あ。そうだった。スマホは」
思わずつぶやく。
そして窓際にある机に目を向けた。
ベッドから起き上がり、机に向かう。
机の上のスマホは、ゆうべ寝る前においたときのままだった。
お気に入りのキャラクターがデザインされている、シリコーン製のスマホケースに入っている愛用のスマホ。
その画面は、無残にもヒビだらけになっていた。
サイドスイッチを押して、電源をいれる。
画面が明るさを帯びる。
だけど、画面は見られた状態ではない。
指で触れても、反応してくれない。
(修理かなあ。それとも機種変しちゃうかな?)
wifi環境下でだったら簡単にデータ移行ができるらしいけれど、ウチは違う。
だからバックアップにパソコンが必要だけど持ってないし。
たとえパソコンがあったとしても、画面がこんな状態でデータ移行なんてできるのだろうか?
スマホの電源を切って机に戻す。
修理にせよ機種変にせよ、ショップには今日は行かれない。
(今日一日、スマホなしか。不便だな)
トーストとカフェオレの朝食を食べ、大学に行くために家を出た。
駅への道をとぼとぼと歩く。
いつもだったら、イヤホンで好きな音楽聴きながら歩いているから、無音で歩くのに違和感を感じる。
行きかう車の音や周囲の人のざわめきが、いつも以上にうるさく感じる。
(なんか、学校行くのダルいかも。さぼっちゃおうかな)
今日の講義の時間割を確認しようと、ジーンズの尻ポケットに手をのばす。
と、同時にスマホは家に置いてきたことを思い出す。
(すぐにスマホ見るのが、クセになっちゃってるな)
仕方がないので、頭の中で時間割を思い出し、単位に必要な出席数を数える。
今日の授業は、今のところ一度も欠席していないし休講もないものばっかりだ。
(よし……さぼっちゃおう)
そう考えた私は、目的地を決めないまま入場券を買って駅の改札を抜け、いつもとは反対側のホームへと足を向けた。
ホームで電車を待つ。
いつも利用している駅なのに見える風景が違う。
こちら側のホームは、電車から降りたらすぐに改札口へと向かうから、立ち止まって周りを見ることもないのだ。
次の電車までの時間を調べようと、ジーンズのポケットに手をのばしかけて、私は苦笑した。
(どれだけスマホ頼りにしてるんだよ。今日は持ってないっていうのに)
天井から吊り下げられている電光表示板を見て、次の列車を確認する。
前駅と当駅の間を走行中となっていた。
しばらく待つと電車到着のアナウンスが流れ、電車がホームに滑り込んできた。
平日の午前中だというのに、郊外へとむかう電車の車内は案外混んでいた。
乗り込んだのとは反対側のドアの前に立つ。
走り出した電車の車窓を流れていく風景が、新鮮なものに感じられた。
初めて見る風景ではないけれど、いつもはスマホ九割で風景一割くらいしか見ていないからかもしれない。
(あ、あそこのお店変わっちゃってる)
(わあ、花が咲いてる。きれいだな)
いくつかの駅が過ぎ、いつの間にか電車は隣の市を走っていた。
車内もさっきよりずっと空いてきていた。
私は座席に座り、ぼんやりと窓の外を見続けていた。
(あ~あ。ヒマ。いつもだったら動画観てるはずなのに。こんなことなら小説でも持ってくればよかった。というか昨日、なんであんなことしちゃったんだろう)
私は昨日のことを思い出していた。
あんなことしなければ、今ごろは電車に揺られながら動画観たり、SNSでイイネできてるのに。
一昨日までだったら、あんなに画面が割れることもなかった。
もし割れたとしても、もっと被害は少なかったと思う。
一昨日までは、スマホの画面には保護用のガラスシートを貼っていた。
そそっかしい私が、よくスマホを落としかけるのを見ていた友人が勧めてくれていたのだ。
そのおかげで、何度か落としたもののシートの端が欠けたり、ひびが入ったりするくらいで、本体の画面は無傷のままだった。
機種変まで使い続けるつもりだったけれど、さすがに傷が増えてきたのでシートだけでも買い替えようと、昨日携帯用アクセサリーショップでガラスシートを買った。
張り替えてから帰ろうと考えた私は、コーヒーショップのテラス席でスマホをケースから取り出してシートをはがし、テーブルに置いた。
そして買ったシートを取りだしたバッグを隣の椅子に置こうとした時に、肩ひもがスマホに当たり、画面を下にして落下したのだ。
「!!!!!」
叫びたいのを必死でこらえて、私はスマホを拾い上げ、おそるおそる表をかえした。
無事であってほしいとの願いむなしく、画面には見事なまでにひびが入っていた。
(そんなぁ)
めっちゃ泣きたくなる。
さいわい?ひびは入っているけれど、かけらが飛び散ったりする心配はなさそうだった。
だけど念のため、買ったガラスシートが入っていた袋にスマホを入れ、バッグに入れた。
それが、昨日あったこと。
全部自分のせい。
『あんなこと、しなければよかった』『あのとき、ああしておけば』なんて、いくら悔やんでも元には戻らない
結局のところ自業自得なんだよね。
ふと腕時計をみると、電車に乗ってから二時間近くが経っていた。
(ここ、どこなんだろう?ちょっと、降りてみようかな)
来たことがない場所だったけれど、いつもの沿線だから駅の場所さえ覚えていれば、帰り道に迷うことはない。
そう思って、次の駅で私はホームへと降り立った。
降りたのは私と、数人。
改札口で精算を済ませて、まずは時刻表を確認する。
一時間に三本停まるのを確認して、駅の外に出た。
駅前には、見事なまでに何もなかった。
(もしかして、コンビニもなし?)
一瞬あっけにとられた私は、とりあえず駅の自販機でペットボトルのお茶を買った。
つくづく、普段から現金払いも併用しててよかったと気がついた。
スマホ決済オンリーだったら、駅で精算するのも、自販機でお茶買うのにもスマホを持ってきてない今日みたいな状況だったら、きっと途方に暮れてたと思う。
お茶を飲みながら駅前のロータリーを歩く。
右側から走ってきた乗用車が駅に横づけし、誰かを下ろした後にUターンして来た方向へと戻っていった。
(あっちに道路があるみたいね。だったらコンビニくらいあるよね?きっと)
そう考えた私は、車が去っていった方向へ歩いた。
数分歩くと、それなりに通行量がある道路に出た。
左右を確認すると、右側にコンビニの看板が見えた。
コンビニまで歩き、おにぎりを買った。
(知らない町を散歩してみるのも、おもしろいかもしれない)
コンビニを出て右へむかって歩き始めた。
しばらく歩いていると、道の反対側に『白川通り商店街』と書かれた看板が見えた。
こういう商店街にはときおり結構面白いお店がある、というのは、おばあちゃんちの近くのこんな感じの商店街で経験ずみだ。
(ちょっと、寄ってみよう)
そう思った私は横断歩道を渡り、商店街の中へ足を踏み入れた。
商店街は、はっきりいってさびれていた。
ほぼシャッター通りで、タバコ屋だったり、青果店だったりがぽつぽつと店を開けているだけだった。
期待はずれのショボさだなと思いつつ、商店街の中を歩いた。
でも、よく見ると木の壁の上にトタンが貼ってあったり、何十年も経っていそうな木の看板を出してたりと、レトロでいい雰囲気の店が並んでいるのに気がついた。
(こういうとこ、あいつだったら喜びそう)
風景の写真を撮るのが大好きな男友達のことを、ふと思い出した。
スマホ持ってたら、写メって『いいだろ~』って自慢しちゃうんだけど、残念だな。
(そうだ。修理か機種変したら、またここに来ればいいんだよ。なんだったら、誘って一緒に来てもいいし)
そう考えると、ちょっとわくわくしてきた。
商店街を抜けたところに、小さな公園があった。
狭いけれど、緑が多くて居心地がよさそうな公園だった。
木陰にあるベンチに座って、お茶を飲みながらおにぎりを食べた。
そういえば屋外で、何かをゆっくり食べるのなんて久しぶりな気がする。
周りの風景を見るのも久しぶり。
歩きスマホは危ないからやってないけれど、座ったと同時にスマホの画面に目をやるのが常になっているから。
公園にはいろんな人が、ぽつりぽつりと来ては去っていった。
犬の散歩中のおじいさん。
買い物帰りらしい中年の女性。
学校帰りの小学生。
彼らを見るともなしに見ていたら、いつの間にか結構時間が経ってしまっていた。
(そろそろ、帰ろうかな)
ベンチから立ち上がり、駅への道を歩く。
駅から来た道をそのまま戻るのだから、風景も建物もついさっきとまったく同じものだけど、なんだか気分が違っていた。
数百メートルの景色を、ちゃんと見て歩くことが楽しいのだ。
まるで、ちょっとした旅を楽しんでいるみたいに。
そして道に迷うこともなく、駅に着いた。
今度はちゃんと駅までの切符を買う。
電車を待っている間も、最寄り駅まで揺られている間も、胸の中がほっこりとしているのを感じていた。
(スマホなくても、案外楽しい時間がすごせたな。でもやっぱりないと不便だし)
最寄り駅で降りた私は、駅の公衆電話に向かった。
『プルルル……プルルル……プルルル』
数コール待つとプッと音がして電話がつながった。
「もしもし」
「もしもし、私。ねえ、おにいが使わなくなったパソコンって、まだあるよね?スマホのバックアップしたいから、借りていい?あ、ううん。今からそっちに行く」
そうして私は改札口を抜け、兄のアパートへとむかった。
小旅行 奈那美 @mike7691
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