第26話『追跡』

「……ふ…ぅ」


 俺は木にぶら下がったままの状態で腕を伸ばして、調子を確認する。

 ワイヤーを使って傷口を閉じた状態で固定したおかげで、傷は二日で完全に治癒した。

 治癒の早さは気を纏った状態で生活していたのも関係あるかもしれない。


 焼いた〈兎〉肉を葉に包んだ保存食を手に持つと、俺は新拠点から移動を開始した。


 目的は今も初期地点を根城にしている子供達を偵察するためだ。




 ◆◆◆◆




「変わりはない、か」


 出来るだけ遠く、罠の壁のさらに向こうから子供たちの様子を覗く。

 竜人娘を襲った者たちも何食わぬ顔で生活している。


 裏切り者は嫌われると思っていたが、どうやら彼らは全ての責をこちらに負わせたらしい。


 そして、肝心の拠点は初日よりも、加えて言えばこちらの現拠点よりも立派に仕上がっている。

 あそこには俺よりも手の器用な子供が何人もいる上にそもそもマンパワーが違うので驚きは少ない。


 拠点の地面にはポツリと草が黒く枯れている部分があった。

 おそらく、蛇人族の少女の死体が放つった瘴気が草を枯らしたのだろう。


「……」


 子供達が襲撃者を追い出す様子は無いことが確認できた。

 つまり、拠点の子供達にとって俺たちは敵、ということだ。



 俺は入念に痕跡を消す。

 近くまで来たことが知られると警戒されてしまうからだ。


 さらに、拠点まで出来るだけ遠回りしながら帰る。

 ここで気をつけなければならないのが、遠回りしすぎて元の場所に戻れなくなってしまうことだ。森の中は見通しが悪く、気を抜くと簡単に迷ってしまう。気の探知の限界距離を超えない程度のギリギリを攻める。


 回り込む途中で、川を見つけた。

 この水が飲めるものかは分からないが、そこにいる魚には興味がある。


「冷っ」


 緑が生い茂っていることで、油断していたが周辺はかなり気温が低い。

 この訓練が始まってから段々と冷え込んできているのだ。

 もしかすると、季節は冬に向かっているのかもしれない。


 足元を鮭のような物体が潜り抜けたのを狙って、手を伸ばす。


 指先が触れたと思った瞬間に〈鮭〉は強烈な勢いで水を噴射しながら川の水面を爆走して逃げていった。まるで横に向けたペットボトルロケットだ。


「やっぱりかあ」


 この森の〈獣〉たちは全く油断させてくれない。

 師範たちの元では肉はあっても魚を食べることはなかったので、久しぶりに見る魚に気を抜いていた。

 この世界の生物が普通な訳が無いのだ。


 そして、俺も普通の子供では無い。

 水の中だと、水流の温度が邪魔してピット器官は役に立たないが、気を探れば位置は掴める。


「来い」


 俺はずぶ濡れになったまま、指先を水面に入れる。

 そして限界まで気を抑える。


 周りと同化するように俺が纏う気はゼロへと限りなく近づいた。


 そうすると、水流の中を体をくねらせて進む気の塊が見えるようになった。


 それらは流れに逆らうように川上へと泳ぎ、時折石に体をぶつける。


 俺は虚な目で水面を見つめ続け、足首に鱗が触れた瞬間、気を限界まで高めながら指で眼球を引っ掛けて岸辺に打ち付けた。


 衝撃で気絶した〈鮭〉に木の枝を刺して持ち帰る準備をしていると、遠吠えが聞こえた。


 弾かれたように空を見上げると、既に太陽は落ちかけている。


「……まずい」


 夜目の効く〈狼〉たちにとって夜の森は絶好の狩場だ。


 これまでは遠くをうろついているだけだったが、遂に動き出したようだ。

 森を包む気配が重くなる。


 俺は拠点へ向かうペースを上げる。

 背後に〈獣〉の気配が張り付く。それも一つや二つでは無い。


 さらに、それらの中で小さな一つの気配が、群れから飛び出して、俺を追い越して正面を塞いだ。


「グルルルルル」


 現れた〈狼〉から風が流れてくる。

 おそらく、風を纏うタイプの〈狼〉だ。


 退路を塞がれた。

 こいつら、もしかして俺が一人になるのを待っていたのか。

 そう思う位に〈狼〉達の行動は、俺の動きを先回りしている。


 俺は鋭さ強化を施しただけの頼りないナイフだけで、この場を切り抜けなければならなかった。


「こっちは病み上がりだぞ」


 悪態を吐きながら、奥の手を懐から取り出す。

 それは一枚の鱗だ。

 竜人娘が脱皮したときに手に入れた一枚。

 俺はそれに仙器化を施していた。


 現在の俺の技術では元からある性質を強化する仙器化しか出来ない。

 針であれば貫通力。木片であれば固さ。ナイフであれば切断力。

 そして、竜人の鱗には気を溜め込む性質があった。


 俺は鱗を握りつぶした。


 これまで俺が込めた気が溢れ出てくる。

 俺が込めたものなら、俺が操れても良いだろう。


 ぶっつけ本番で溢れ出た気を体の周りに纏う。


「グルル」


 警戒した正面の〈風狼〉が小さく唸る。

 そして他の〈狼〉も遂に追い付く。

 前後が〈狼〉に挟まれる形だ。


 それらを視界に入れながら俺は……横に飛んだ。【瞬歩】も同時に使用して、一歩目からトップスピードに乗る。


 俺の姿を捉え切れたのは正面の〈風狼〉のみ。

〈風狼〉はつられて、俺と同じ方向へ走り出す。


 かかった。


 俺は〈風狼〉が走り出した途端に、尻尾を木の幹に引っ掛けて垂直に曲がると〈風狼〉の眼前に潜り込んだ。


「——キャン」


 首から胴まで、袈裟懸けにナイフを入れてクルリと地面で受け身を取ると、そのまま逃走を開始した。



 気を脚へと集中的に纏いながら走るが、追いかける〈狼〉の群れも速度を上げてくる。時折思い出したように罠を壁にするが、狼たちは見えているかのようにそれらを避けて追いかけてくる。


 大きな木の枝の上に立つと、背後から高速で気の塊が迫ってくる。


「ッッ!!」


 月明かりで黒い棘が地面から伸びるのが見えた。


 慌ててその場から身を翻すと、黒い棘は胴ほどの太さがある木の枝を簡単に切断する。


「ウ”ウ”ウ”ウウ」


 明かりがあるにも関わらず、その姿を捉えることは出来ない。

 気の感知と低い唸り声によって、やっとそこにいることが認識できる。


 心の中で〈影狼〉と名付けた個体は、もう一度こちらへ向かって影を伸ばしてくる。

 大きな顎のように夥しい量の黒い棘を伸ばして俺の退路を塞ごうとする。


 視覚では棘に見えるが実際は刃のように切断能力を持っているのは、木の枝を切断したことで分かっている。それに真っ黒な見た目のせいで距離感も掴みづらい。


「まず」


 飛び移ろうとした木に、もう一匹の〈狼〉がタックルして叩き折る。

 異常に盛り上がった筋肉が純粋な力によってなされた現象であることを伝えてくる。


 万事休すか、と思ったが黒い棘は俺のすぐ目の前で止まる。


「っ影か」


 月明かりによって照らされた部分は黒い棘が伸びていなかった。

 おそらく光のある場所では〈影狼〉の力は使えないのだ。


 図らずも筋肉の〈狼〉、〈肉狼〉によって助けられた形だ。


 そして、〈肉狼〉は見た目の通り走る速度はそこまで速くないようだ。

 俺は月明かりの中を進んで、〈狼〉たちから距離を離していく。




 ウォオオオオオオオオオオン!!!!



 もう一度、〈狼〉の遠吠えが響く。

 今度は肌がビリビリと痺れる程に殺気を感じた。


「はぁっ、くそ」


 完全に目を付けられた。

〈影狼〉は能力と同じくその性格もきっと陰湿で粘着質なのだ。


 俺は竜人娘と彼らをどうやってぶつけるか、算段しながら拠点に戻った。


「〈鮭〉も捨ててしまったし……はぁ、最悪だ」


 もしかすると、最もショックだったのはこれかもしれない。

 ナイフを鞘に収めて、俺はもう一度溜め息を吐いた。


「ックシュ」


 濡れた体が夜風で冷えてくしゃみが出た。




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第26話『追跡』

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アサシンの卵に転生した @R2D2

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