第31話 ヒガン地区④ ――ファタールの覚醒
そこからは、逃げの一手。
ヒガンの外れで待っているであろう暗殺大群の輩は、あらかじめ濫枒が手配したメ組の組員たちががっちり応戦して一歩も足を踏み入れさせない。
ウイもジオも勝手があまりよくわからないヒガンの中を、火の手を避けながら疾走する。
ヒガンの隅から隅まで知り尽くしたメ組の組員たちがいたるところに潜んでいて、捕らえにかかってくるのを薙ぎ払い、また逃げて、逃げて、逃げて――。
その辺で見つけた鉄の棒で追っ手を振り払いながら、ウイが叫ぶ。
「ジオ、先に行け! 私が囮になる! ここまで来たら、バリケードまでは近いっ!」
そう言って四つ辻を反対方向へ向かおうとしたウイを、ジオが腕を掴んで引き留めた。
「ダメです! 僕から離れることは許さない……っ!」
「そんなことを言っている場合か!」
追っ手の手が触れるくらい間近に迫る中、ふたりが揉み合うように縺れる。
そこへ、濫枒の太刀が振り下ろされる。
鞘を抜き、月光を反射して氷のように煌めく刀身がウイに向けられているのを見て取って、ジオは咄嗟に動いた。
全身の力をこめて、ウイの身体を放り出す。
たたらを踏んで転倒するのをこらえたウイの左足首が、一瞬、力を失ってバランスを崩す。
すべては一瞬の間だった。
「ジオ!?」
片膝を地面につきながら振り返ったウイが、悲鳴を上げる。
ジオはウイを背後に庇ったまま、仰け反るように立ち尽くしていた。
次の刹那、首筋から腰にかけて盛大に血しぶきが上がる。
濫枒の刃が、ジオの身体を袈裟懸けに斬ったのだ。
凍りついたようにすべての行動を停止した身体で、ジオはゆっくりと、名残を惜しむように夜空を見上げる。
そして視線はそのまま下がり、足から力が抜けていく。
ウイは拘束しようとするメ組の男たちの手を必死に振りほどき、ジオに縋りついた。
「ジオ、しっかりしろ!」
夜の暗闇の中、炎の影がちらちら揺れる。
ジオの身体からは、血が溢れてとまらない。
四肢から血の気が引き、意識が遠のいていく。
仰向けになったジオの心臓の上を、ウイは、あっというまに血に染まった長袍の上から懸命に押さえる。
致命傷であることは間違いなかったけれど、そうせずにはいられなかった。
どくどくとジオの血が、命が、流れていく。
「ジオ、ジオ…………!」
なおもウイを取り押さえようとするメ組の男たちを、血に濡れた太刀を下げた濫枒が片手で制した。
「こいつひとりで逃げやしねえよ。半分は、消火に回れ。あとは俺がやる」
「うす」
ウイとジオを捕らえるためだけに火を放ったから、一見派手に見える火柱も、瞬間的に大きく見せかけただけだ。
本質的には、ぼやどころか花火とたいして変わらない。
火の匂いが薄れ、ジオの命も、ウイの腕の中で燃え尽きようとしていた。
いつも誇り高く身を持していた青年が、こんなふうに道端で切られ、土にまみれて倒れているなんて――そんなことがあっていいものか。
「嘘だろう……私はジオの護衛だ。私が先に逝きこそすれ、ジオが先に逝ってしまうなんて絶対に間違っているっ!」
「ウイ……よくお聞きなさい」
ジオはすでに虫の息だ。
か細く絶え入りそうな声で、最期の力を振り絞って語りかける。
「僕たちは双子だったんですよ……生まれてすぐに捨てられて、メインミーに引き取られた……」
「――え……?」
幻覚香の効き目が薄れてしまっているのが、ジオとしては心残りだった。
あの効能が切れた状態で、今までウイに暗示をかけたことはない。
けれど自身の死と引き換えにかける呪術だ――効力は、最大限に強いものになるだろうと、うっとりとした勝利の笑みを刻む。
青ざめ、血の気の引いた顔で。
凄絶に美しい死相を浮かび上がらせて。
「きみは僕のかわいい妹でした……愛していましたよ、ウイ。僕の
「いやだジオ、逝かないでくれ」
別れを覚悟した言葉に、ウイが取り縋る。
「泣かないでください…………僕の、愛しい半身」
ジオの声がかすれたかと思うと、形の良い唇から血が大量に溢れ出た。命の終わりが近い。
「ダメだ、私を置いていくな!」
断末魔の叫びの代わりに、最後の呪いを。
「――ねえ、ウイ。僕の、仇を…………」
サファイア色の双眸が最期にウイを見つめ、そっと微笑む。
そして瞳を見開いたまま、ジオの身体からかくりと力が抜け、息絶える。
「ジオ……………………っ!」
ウイの声にならない絶叫が、ヒガンの夜空を震わせた。
※
つきんとした痛みを感じて、リー・タオロンは温室の天井を見上げた。
硝子の空の向こうに、本物の夜空が広がって星が強く瞬いて目に痛いほどだ。
リー・タオロンは車椅子に乗ったまま、ほんの少しだけ身を屈める。
すぐに、忠実な僕が異変に気づいた。
「ドウシマシタカ」
「ん……痛い」
Qが車椅子の前で跪き、リー・タオロンの顔を覗きこむ。
「ドコデスカ。イシャヲヨビマス」
「いいよ、要らない」
「デスガ」
「Q」
リー・タオロンが腕を伸ばす。
細すぎる身体が、車椅子を滑り落ちてもたれかかってくるのを、Qは危なげのない力でしっかりと受け止めた。
アンドロイドのQにとっては、リー・タオロンの体重など、子猫と同じようなものだ。
腕に潜りこんでくる少年の肢体を抱き留める。
リー・タオロンはQの胸に頬を寄せ、小さく言った。
「Q……ジオが死んだよ」
Qが動きを止める。
脆弱すぎる身体の代償なのか、リー・タオロンには不思議な能力がある。
死に瀕した人生を過ごしてきたせいか、他人の死にも敏感で、こうして離れた場所にいても、ジオの命が費えたことが感覚でわかってしまう。
「準備をして。僕はジオのお願いを、叶えてあげなくちゃいけない。急がないと間に合わなくなってしまうよ」
Qが黙ったままリー・タオロンの身体を抱き上げて温室の奥へと進む。
この楽園で育てたミルラの木の分泌物、没薬と乳香、そのほか数種類の香を合わせて焚くと、異物に慣れていないリー・タオロンはたちまちのうちに呼吸が苦しくなって胸を喘がせる。
けれど、香を焚くことをやめさせない。必要なことだからだ。
少年が数年間命をかけて研究してきた叡智のすべてを傾けた、秘術が始まる。
秘術。
またの名を、禁術と呼ぶ。
※
ウイが絶叫していた。
「ジオ! ジオ――……!」
物言わぬ骸と成り果てた青年にしがみつき、叫ぶ。
「嘘だ、嘘だ嘘だ、嘘だ……!」
何もかもがわからない。
ジオが死んだ。
大恩ある人だった。
その人が、実は双子の兄だったとは。
身寄りがないと思っていたというのに、実はこんなに身近に、血縁者が――それも、もっとも血の繋がりの濃い人がいたのか。
それが事実だったのなら、納得がいく。
似ているとは、常々思っていた。
あきらかに贔屓としか思えないようなレベルの好待遇を与えられる理由がわからなくて、けれどジオは何も教えてくれなかった。
妹だったから。
双子の兄妹だったから、ジオはウイのことをずっと側に置き、見守ってくれていたのか。
その人が死んだ。
殺された。
「ふん、双子だったとはね。道理で、よく似ているわけだ」
冷笑が聞こえる。
死者に手向けるにはあまりに冷ややかなその響きに、ウイは、ジオの胸から顔を上げた。
守り切れなかったのは自分。
けれど、殺したのは誰だ。
「……っ」
濫枒が手にした大太刀には、まだ血が濡れ光っている。
ジオの血だ。
そう気づいた瞬間、ウイは、全身に流れる血が沸騰するかと思った。
「お前が、ジオを殺した……っ」
喉が裂けんばかりの悲痛な叫びに、濫枒はまったく反応しなかった。
それどころか、ぞっと底冷えのするような双眸でウイを見下ろし、静かに口を開く。
「ああ、殺した。暗殺大群には、ヒガンを焼かれた恨みがあるからな。俺には、その仇を討つ役目がある」
そんなことは知らない、とウイは唇を切れるほど噛み締める。
「ジオの仇は私が討つ……お前を、殺す……っ!」
ウイの身体はメ組の組員たちに拘束されていて、抵抗もままならない。
それでも暴れて暴れて、ウイは濫枒に向かってまっすぐに敵意を叩きつけた。
「覚えていろ! この命にかえても、お前を殺してやる……!」
濫枒は冷酷そのものの表情でそれを見下ろし、やがて、ゆっくりと右手を上げた。
「お前ら、しっかり押さえつけてろ。こいつは人質だ。逃げられないように、足の腱を切る」
「うっす!」
ジオの命を奪った大太刀が、何の躊躇いもなく振り下ろされ左足の腱を断ち切られる。
激痛に呻き声ひとつ上げず、ウイはひたすらに歯を食いしばって濫枒を睨み続ける。
ジオの血、ウイの血。
血の匂いに酔いそうだった。
視界が真っ赤に染まって、濫枒を殺すことしか考えられなくなる。
ファタールの因縁で結ばれた者は。
なにがあっても、お互いを殺す運命をたどることになる。
殺しあうふたりの宿命が、大きく決定づけられた瞬間だった――
/了
陰陽(いんやん)のペルトゥルバーティオー 河合ゆうみ @mohumohu-innko
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