手の甲のうつくしい葉脈

一葉 小沙雨

手の甲のうつくしい葉脈

 その植物の葉を覆うきれいな毛茸をはじめて間近で見たとき、私は彼の瞳を思い出した。

 いつだったか彼の瞳を覗き込んだときに見えた虹彩の表面のなめらかさを、私に想起させたのだ。


「――……この子、名前なんていうんだっけ? パキラ?」

 リビングの出窓にある観葉植物を指さしながら、私は自分でも呆れそうなほど適当なことを言った。

 そんな私にも彼は嫌な顔ひとつせず、いつものように穏やかに笑って訂正してくれた。

「それは『フィカス』だよ。『フィカス・アブチフォリア』。パキラはこれじゃなくて、玄関の床に置いてる大きいやつ」

 彼の丁寧な回答に、私は「そっか…。これはフィカスか…」といかにも真面目そうに繰り返した。

 ……ここは彼の部屋。狭くて古い賃貸アパートの一室。

 この小さな2DKの中に、観葉植物やら小さなサボテンやらがそこら中いっぱいに置かれている。

 一見住ずらそうに見えた部屋だけど、家賃の兼ね合いもあってここに決めたらしい。

 彼がこの部屋に住み始めて、だいたい一年半。すでにこの部屋は植物好きな彼の楽園と化している。

 私がこの部屋に招かれて、初めて名前を教えられたのがこの「パキラ」だ。

 さっきも本当は、出窓の植物が「パキラ」という名の植物ではないことは私もわかっていた。

 この部屋で彼に可愛がられている、いくつもの植物たちの中で唯一「パキラ」だけは覚えていたので、適当にその名前を出してみただけだ。

 植物の名前なんて、私は微塵も興味がない。

 名前どころか植物自体にすら興味が湧かないのだけれど、それでもこうやって私が植物のことを聞いたときに、いつも静かな彼が少しだけ自慢げに話してくれるのが面白くて、それを見ているのが私は好きなのだ。

 彼はそれから、聞いてもいないのに「フィカス・アブチフォリア」の話を続けてきた。

 なんでもこのフィカスは、フィカスのなかでも少しめずらしいフィカスらしい。話す彼の目がきらきらしている。

 きっと私はこれからも、彼のように植物を慈しむという趣味は持てないだろう。

 それでもこうやって今、私が「フィカス」の名を覚えてしまったように、私のなかの植物に関する知識は、私が彼を慈しんでしまう限りいつの間やら増えていってしまうのだろう。

 ……私のとなりで彼は、フィカスのことを楽しげに話しながら、その葉に優しく触れていた。

 そのとき私は、自分の興味がはやくも「フィカス」へと向いていないことを自覚した。

 私は彼が触れている薄い葉の方を見つめながら、まるでフィカスへ言うようにそっと言葉を零した。

「……このフィカスって、葉脈きれいだね」

 たくましいながらもどこか繊細なその葉脈の模様は、たしかにきれいだと感じた。

 でも同時に私の目には、彼の手の甲に奔っている血管の模様に、うつくしい葉脈を見た気がしたのだ。

 こんなことを思っている私を、彼が知ったらそれこそ呆れて、嫌われてしまうだろうか。

 そんな不安を自分のなかに潜ませながらも、私は部屋のなかにあふれている植物たちをチラリと横目で見た。

 そして今後、私が彼にこの植物たちのことを聞くであろうそのときのことを想像した。

 ……きっと私は、これまでと同じように、植物のなかに彼の魅力を見出すのだろう。

 今、私が彼の手の甲にうつくしい葉脈を見たように。葉の表面の毛茸に彼の虹彩を見つけたように。

 未来のそんなことを思うと、私はただただ嬉しくて楽しみでたまらなかった。

 私は彼を愛している。私は彼の魅力を実感できることが、なによりも幸せなのだ。

 この気持ちを感じる機会を、やすやすと手放せるほど私は人間ができていない。

 だから、こっそり。

 彼が植物たちを慈しむことを楽しみ続けるかぎり、私はそのとなりで、愛しい彼を慈しむことを楽しみ続けるのだ。

 私は彼に微笑んで見せてから、何気なく問うた。


「……ねえ、ほかにはお気に入りの植物とかあるの?」




〔了〕

 

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手の甲のうつくしい葉脈 一葉 小沙雨 @kosameichiyou

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