適当なコップに適量の水を汲むくらいの知恵を僕は持っていた
どうして友達を作らないの。
人は一人で生きていけるほど強い人間じゃないわ。
辛い時、苦しい時、それを乗り越えられるのは人がいるからよ。
その日の寝覚めの悪さは酷いものだった。途中で面白くないと気づいた映画を前に、シートの上でポップコーンを頬張るのに必死な僕に、冗長で味気もなく何の教訓も生み出さない説教を聞かされている気分だった。
隣で女が寝ていた。僕は回らない頭を掻きむしってから、水を探してキッチンへ向かう。知らない女の家のキッチンだったが、適当なコップに適量の水を汲むくらいの知恵を僕は持っていた。
外は雨が続いていた。昨日の夕方から降り出した雨は止まないまま、街を濡らし続けていた。換気扇の鉄板に落ちる重い水滴の音がキッチンにリズムを刻んでいる。知らない誰かが無意味にボールペンのノックを繰り返すように、不規則で心地の悪いリズムだった。
女が起きてきて、キッチンで水を飲む僕を一瞥してからトイレへ向かった。トイレットペーパーをカラカラと回す音の後、水道管に水が吸い込まれる音が聞こえた。
「逃げたかと思ったわ」
女が冷蔵庫から缶コーヒーを取りだし、栓を開けて飲み出す。
「これから逃げるよ」
「それは良かったわ。すぐに出て行って」
女は分かりやすく不機嫌な態度を僕にぶつけ、続けざまに空き缶の底をテーブルに叩きつけた。
僕は寝室に戻り、どこかに旅立ってしまった記憶を頼りに自分の服をかき集め、早々と玄関へ向かった。
「ねえ」
女が呼びかけた。
「あなたって最低の人間よ」
僕は頷く。
「そんな気はしてたよ」
女のアパートを出て、直感に従って大通りへ出る。バス停を探す気もなく、ため息が漏れるほどの雨の中で、ジャケットから煙草を一本取り出して火をつける。味はしなかった。火もすぐに消えた。地面に転がっていた空き缶を思い切り蹴飛ばすと、音の無い世界に甲高い音が鳴り始めた。
それは君が、誰かに依存しない生き方を知らないからそう言いたいだけだよ。
僕にそう教える君の愚かさを、これまで誰も教えてくれなかったのはとても残念だと思ってる。
鏡映の道化師と反転の僕 八岐ロードショー @seimei_ki
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