王子殿下に「僕は君に相応しくない」と言われて婚約破棄されたので

悠井すみれ

第1話

「僕は君に相応しくない」


 王太子にしてわたくしの婚約者でいらっしゃるフェルナン様は、麗しいお顔を憂いで歪めておっしゃいました。


 なんだかおかしな拗らせ方をなさっているようですわね。


「そのようなことはございませんわ」


 わたくしが否定しても、フェルナン様は激しく首を振るだけです。金色の御髪おぐしが乱れて辺りに眩い光を振りまく様は、まるで天使のようです。幼いころから数えきれないほど見ていても見飽きるということがありません。


「誰もが言っていることだ。ミレーヌ──君は美しく気高く賢く、しかも強い。君と会った者は誰でも、跪き崇拝せずにはいられないだろう」

「もったいない御言葉です」


 フェルナン様が何をおっしゃりたいのかはよく分かりませんが、柔らかく優しい響きの賛辞は耳に心地良いものです。謙遜しながらも、口元が緩んでしまいます。


 口に出すのは感じが悪いでしょうから心の中で思うだけですが、殿下の評価にいっさいの誤りも誇張もございません。


 銀糸の髪に宝石の青の目、夜空に輝く月とたたえられる美貌。あらゆる所作は優美を極めて、舞踏のようだと見る人の溜息を誘います。


 公爵家の令嬢として礼儀作法や教養を修めるのは当然のこと、法制にも古今の故事にも通じ、最新の学説に触れることも怠っておりません。護衛騎士を煩わせぬよう、剣や魔術の腕も鍛えております。なるほど、女神と崇められても当然でしょう。


 わたくしはそのように自らを磨き上げ、鍛え上げてきました。これもすべて、王太子妃──ひいては王妃になるためです。


「僕が君を独占するのは間違っていると思う。だから、君を自由にしてあげたいんだ」

わたくしは何ものにも囚われておりませんけれど?」

「君は、そうかもしれない。だが、僕が耐えられない」


 わたくしには珍しいことなのですが、嫌な予感がいたしました。


 ここは、王宮の広間のひとつ。フェルナン様を始めとした若い王族や貴族が集うサロンです。もちろん、わたくしたちのほかにも人がいて、わたくしたちのやり取りに注目しています。


 フェルナン様がわたくしに気後れなさるのは、まあ分からないでもないですが、ふたりきりの時に甘えるのではなく、おおやけの場で切り出すには、少々不穏な内容ではないでしょうか。


「僕たちの婚約は解消しよう。君は、自分の人生を歩むべきだ」


 ほら、大きなどよめきが上がってしまっています。慌ただしく退出する方もいらっしゃいましたから、噂になってしまうでしょう。もう遅いでしょうが──念のため、忠告して差し上げます。


「……王国の将来に関わる非常に重大な事案かと存じます。王太子たる御方が軽々しく口に出すべきことではないかと。ご自身が何をおっしゃっているか、お分かりになっておられますか」

「無論。すべて承知している」


 大きく頷いたフェルナン様の、瑞々しい新緑を思わせる碧の目は真剣そのものです。わたくしの目を真っ直ぐに見つめて、逸らすこともございません。

 見開かれた目、引き結んだ唇、緊張を帯びた頬。どこをとっても、真摯しんし、という題の偶像を造らせたらかくや、といった隙のない端正さです。


 では、本当に分かっていらっしゃるのでしょうか。

 さらに念押しをするか考えていると、横から軽やかな笑い声が響きました。


「殿下を睨んではいけませんわ、ミレーヌ様」

「睨んでなどおりません、ポレット様」


 フェルナン様の傍らに、栗色の髪の令嬢がいることにようやく気付いて、わたくしは眉をひそめました。ランジュレ公爵家のポレット様。容姿の愛らしさはわたくしの美しさと同じくらい、知識や教養の面でも、ご実家の名を貶めないくらいのご見識はお持ちのはずなのですが。


 ご実家──そう、ランジュレ家は、我がエルヴェシウス家と同格の公爵家、歴史上も何かと競った経緯がございます。もちろん我が家が遅れを取った覚えはまったくないのですが、ポレット様はどういう訳か得意げに豊かなお胸を反らしていらっしゃいます。


 となると、事情が分かってきたかもしれません。


 わたくしは、フェルナン様に微笑みかけました。


「きっと、陛下もすでにご承知のことなのでしょうね、フェルナン様?」

「ああ。お父上には追って重々詫びを入れよう」

「お心遣いに感謝申し上げます。ですが、まずは娘のわたくしから一報を入れたほうがよろしいかと存じますので、失礼させていただきますわね」


 優雅に一礼すると、周囲から感嘆の溜息が漏れたのが聞こえました。いついかなる時も美しく、はわたくしの信条とするところです。婚約破棄を申し出られたくらいで崩すわけにはいかないのです。


 たとえこれからとても忙しくなると、分かっていたとしても。


      *


 公爵家の紋章を掲げた馬車は、王都を出てエルヴェシウス公爵領へと向かいます。

 わたくしを信じて送り出してくれた父には寝耳の水の報せになってしまいますが、いたし方ありません。


「お嬢様には何の非もございませんのに」

「王太子があの有り様では国の未来が思い遣られます!」


 侍女たちはいきどおってくれますし、何よりも嘆いている暇はございません。


 わたくしたちが乗る馬車は、いつの間にか並走する不審な騎影に取り囲まれています。何人いるかは分かりませんが、各々、武装しているのが不穏です。公爵家の紋章を知らない盗賊はいないでしょうし──


「公爵家への報告を少しでも遅らせたいのでしょうね」


 速度を上げて駆け抜けようとした御者を制して、わたくしは馬車を止めさせました。人目を避けたのでしょう、あたりに民家もないのはちょうど良いことでした。わたくしの魔術ならば、跡形もなく吹き飛ばせるでしょう。


「王太子殿下は、お嬢様のお力をご存知ないのでしょうか……!?」

「さあ、すべてご承知ということだったけれど」


 呆れ顔の侍女に苦笑してから、指先で下がるように命じます。同時に、口は魔術の詠唱を。

 追い詰めたと思ってくれたのでしょうか。襲撃者たちがじわじわと包囲を狭めてくれているのも好都合です。


(きっと何も知らされていないのでしょうし、一瞬で終わらせて差し上げましょう)


 と、思ったのですけれど。


「ミレーヌを守れ! 誰ひとり逃すな!」


 不意に響いた凛々しい声と、馬のいななきに、わたくしは詠唱を中断してしまいました。馬車の外からは、襲撃者のうろたえる声と悲鳴が聞こえてきます。どうやら、への警戒を怠っていたようですね。


 襲撃者たちは、新たに現れた騎馬の一団に次々と討ち取られていきます。軍服をまとったその一団を率いるのは、美しい白馬にまたがった騎士。彼は、乱戦を切り抜けると馬車の窓に馬を寄せます。


「ミレーヌ、無事か!?」

「ええ……ありがとうございます、セルジュ」


 白馬の騎士が兜を脱ぐと、赤い髪が陽光に燃えるように零れ落ちました。もっとも、見事な髪の色を見ずとも、彼の名は見事な指揮と馬術からも明らかでした。騎士団長セルジュの名を呼んで、わたくしは礼を述べます。


 彼には、一緒に剣術を習ったご縁があります。最初は女が剣など、と笑われたものですが、後には本気で打ち合えるようになりました。フェルナン様についても話を聞いてもらったこともある、大切な友人です。


「どうして、ここに?」


 車外の戦闘も落ち着いたころで、わたくしは馬車を下りてセルジュと対面しました。

 馬のひづめによって土埃が舞い、血の臭いも濃く漂っていますが、気にするわたくしたちではございません。わたくしは王宮と変わらず凛と立ち、セルジュも滑らかに地に膝をつきます。


「父君は貴女への無礼を許さない。王宮からの使者は、公爵家の軍に取り囲まれることだろう。──それを避けるために、貴女を捕らえて人質にしたうえで出向く。バカどもの考えそうなことだ」


 バカども、の内訳は国王陛下とランジュレ公爵家のことでしょう。フェルナン様も含まれているかもしれません。無礼な発言ですが、今はたしなめる時間はございません。


「そこではありませんのよ。何があったかはご存知でしょう?」

「ああ。があってね」

「では、今のわたくしと関わることの意味は、お分かりになりますわね?」


 フェルナン様は、ご自身はわたくしに相応しくないとおっしゃいました。裏を返せば、わたくしに手を差し伸べる殿方は、自身はフェルナン様よりも優れていると宣言したも同然です。婚約破棄以上に、王太子の権威に関わるご発言でした。


(もちろん、フェルナン様はそれもご承知なのですわよね?)


 つまり、セルジュの行動そのものが反逆に問われかねないのですが──


「もちろんだ。何なら次の王に立候補しても良い。そして貴女を妃にしよう」

「まあ、大胆なことをおっしゃいますのね」


 手の甲にセルジュの接吻せっぷんを受けながら、わたくしはくすくすと笑います。

 彼も名家の出身ですから、辿れば王家の血も入っていたはずです。王位を主張することも、不可能ではないかもしれません。セルジュがそんなことを考えるとは思えませんけれど。


「冗談はさておき──では、頼って良いのかしら。父のもとまでの護衛も?」

「喜んで。手勢を率いて王都を出たからな。敵も迂闊に近づけまい」

「そう願いますわ」


 頷き合うと、わたくしは馬車の中へ、セルジュは馬上へと戻りました。


 騎士団の護衛のもと、わたくしたちは間もなくエルヴェシウス領へ無事に到着いたしました。


      *


 懐かしい実家の、当主の執務室にて。わたくしの報告を聞いたお父様が難しい顔でうなっておられます。


「陛下は我が家を切り捨てようとのお考えか」

然様さように存じます」


 フェルナン様の婚約破棄は、唐突かつ理不尽に過ぎました。わたくしやお義父様に同情する方も多いでしょう。

 そして、その方々は、このわたくしくみしたことになり、すなわち王子殿下に叛意を見せたことになります。少なくとも、国王陛下やランジュレ公家はそのような理屈を通す計画なのでしょう。


「お前が王妃になれば、夫君を傀儡にすると恐れたのだろうな。杞憂だというのに……!」

「すべての方に理解していただくことはできませんわ。残念ですけれど」

「殿下の御言葉も遺憾いかん極まりない!」

「本当に。でも、殿下のご気性はお父様もご存知でしょう?」


 フェルナン様には優柔不断なところがおありだと、お父様は常々ご不満なご様子でした。わたくしとしては、その辺りも踏まえてあの御方の伴侶になる覚悟はできていたのですが。


「それは、そうだが……」

「それよりも、お父様。愚痴をこぼすいとまはないかと存じます」


 馬車の襲撃の手際の良さからして、エルヴェシウス公爵家はもちろん、セルジュと騎士団もすでに反逆者として扱われているかもしれません。

 間もなく、当地にはの大義を掲げた軍が押し寄せるでしょう。


「もちろん、黙って断罪を待ったりはしませんわよね、お父様?」

「我が家の忠誠とお前の努力を踏みつける者を許しはしない」


 お父様がお怒りになるのもごもっともです。わたくしの努力は、好き好んでのことですからさておくとして、我が家には王家に長年仕えた誇らしい伝統がございます。

 陛下には猜疑心が、ランジュレ公爵家にも権勢欲があるのでしょうし、ポレット様を王妃にしたいという思惑もあるのでしょうが、許しがたいことです。


「幸いに、の思惑に先んじて動くことができている。セルジュ殿の騎士団も味方してくださるとか。こちらから打って出る」

「さすがはお父様、頼もしいですわ」

「お前も先頭に立て。やり返したいだろう」

「恐れ入ります。微力ながら尽くさせていただきます」


 お父様はわたくしの性格も実力もよく分かってくださっています。喜びが胸に満ちるのを感じながら、わたくしは深く頭を垂れ──顔を上げながら、悪戯っぽく微笑みました。


「出陣する前に、何通かお手紙を出したいのですが、よろしいでしょうか?」


      *


 エルヴェシウス公爵家がこうも早く、かつ思い切りよく反撃に打って出るとは思ってもいなかったのでしょう、我が家をするために差し向けられた軍は一瞬にして潰走かいそうしました。

 逃げ散る敗残の兵には見向きもせず、わたくしたちは一路、陛下やランジュレ公爵──そしてフェルナン様が待つ王都を目指します。


 お父様に言われた通り、わたくし自身も、馬にまたがり雄姿を見せつけています。軍服をまとったわたくしは、名画さながらに凛々しく美しく、銀の髪は遠目にもよく目立ちます。味方を鼓舞し、敵を恐れさせるのには最適でした。

 戦ってくださる皆様に声を掛けるのも忘れませんし、怪我をした方は癒して差し上げたりもします。


「その姿も魅力的だな、ミレーヌ嬢。戦女神いくさめがみもかくやといったところか」

「過分な御言葉ですわね。光栄ですけれど」


 それに、行軍中にもお客様がいらっしゃることもございます。


 わたくしの隣で黒馬を御している、馬と同じく神秘的な黒髪の貴公子。夜の色の瞳を蠱惑こわく的に笑ませるこの御方は、隣国の帝国の皇子、レオンシオ殿下とおっしゃいます。


 もちろん、他国の内乱に関わって良い御方ではないのですが、わたくしの窮地とあって、祖国にを残して駆けつけてくださったのです。外交で何度かお会いした折に、フェルナン様とのことを話題にすることもあったから、気に懸けてくださったのでしょうね。


「できることなら、王都を攻め落とすまで助力したかった。そうして、この国を持参金に貴女が嫁いできてくださったなら」


 それに、レオンシオ殿下は何も隣国の帝都からいらっしゃった訳ではございません。レオンシオ殿下のお国と、それから幾つかの周辺国が、国境付近で軍事演習を行っているのです。


 現状、我が国と緊張関係にある国はございませんが、王都の陛下たちは警戒しない訳にはいかないでしょう。我が公爵家の兵が障害なく進撃できるのもそのお陰です。

 わたくしが各国のお友だちに出した手紙が無事に届いたようで、そして、皆さま快くに応じてくださって、たいへん喜ばしいことです。


「もう十分にご協力いただいておりますわ。心から感謝申し上げます」


 馬上で恭しく目を伏せ頭を下げ、謝意を示してから──わたくしはふと首を傾げました。銀色の髪がふわりと揺れて、真昼に月光の輝きをこぼれさせます。


「それにしても、物騒な冗談ですわね。祖国を売り飛ばすなんて、できませんわ」


 セルジュだけでなく、レオンシオ殿下まで。もちろんご冗談に過ぎないのでしょうが、未婚の令嬢に対して、それも身分も立場もある方が言うには少々迂闊に思えます。レオンシオ殿下は、楽しそうに笑っておられるだけなのですが。


「では、貴女を女王に据えて同盟を結ぶ、とか? 同盟の証そしての結婚もあるだろう」

わたくしも父も、簒奪者さんだつしゃではございませんのよ。陛下は、ランジュレ公爵に騙されているだけですもの」


 わたくしたちは、陛下の誤解を正して差し上げるだけなのです。

 繰り返しますが、わたくしとフェルナン様の婚約破棄は明らかに理不尽なのですから、周辺国も後世の歴史家も、誰もが無理もないことと思ってくださるでしょう。


「父とわたくしは上手くやりますわ。ご心配なく」


 レオンシオ殿下も、もちろんわたくしのことをよくご存じですから、それ以上を引きずったりはなさいませんでした。


「ご武運を。そして、貴女の幸せを祈っている」

「ありがとうございます。もちろんわたくしは手に入れますわ。勝利も、幸福も」


 レオンシオ殿下を見送った後、わたくしは改めて前を向き、進軍を命じます。王都は、もう目と鼻の先です。


      *


 いつもは優雅な舞踏会や荘厳な式典が催される王宮に、今日は楽の音の代わりに悲鳴と怒号が響いています。とはいえ、内乱の最中にしてはずいぶん穏やかなものではないでしょうか。

 多くの方は、抵抗の愚を悟ってくださいました。わたくしたちの進撃の速さと勢いを、それに、レオンシオ殿下をはじめとした周辺国の動向を、陛下たちは予想できていなかったようですから。


 精緻な装飾の石畳の上を、わたくし軍靴ぐんかかかとを鳴らして進みます。

 令嬢らしい華奢な靴で歩いた時とはまったく違う響きに、初めて訪れる場所のように感じます。何度となく通った、フェルナン様のお気に入り庭園に続く通路ですのに。


 滴る緑と花が彩る庭園に、果たしてフェルナン様はいらっしゃいました。おひとりきりなのは、わたくしを待ってくださっていたからに違いありません。わたくしから隠れるなど不可能なのを、誰よりご存知の方ですもの。


「ミレーヌ──久しぶりだね」

「お会いできて嬉しゅうございますわ、フェルナン様」


 わたくしは胸に手を当てる軍式の礼をしました。この間に何度も繰り返した所作ですから、さぞ洗練されていることでしょう。このような時でもフェルナン様の碧の目に感嘆の色が宿るのを見て満足しながら、切り出します。


「陛下はご退位を了承してくださいました。ランジュレ公爵の甘言に耳を傾けた不明を、恥じてくださるそうですの」


 ランジュレ公爵の首を目の前に転がされた陛下が何を喚いていらっしゃったのかは、正直なところよく分からなかったのですが。人間の言葉に翻訳したなら、きっとそうなるだろうと思います。


 フェルナン様も異存はないのでしょう、整った唇が、強張った微笑を浮かべました。


「先ほど聞こえた悲鳴はポレット嬢かな?」

「ええ。父君のご遺体をご覧になってしまいましたの。配慮が行き届かず、申し訳ないことでした」

「お気の毒に。それに、君の悪意だと思われなければ良いが」

「今さら、ですわ。すべての方に理解していただくことはできません」


 わたくしが、わざとポレット様を悲しませた、と噂する方もきっといらっしゃるのでしょうね。父君に利用されただけの方を気の毒に思いこそすれ、憎むなんてあり得ないことですのに。嫉妬は──なおさらあり得ない感情です。だって──


? フェルナン様?」

「ああ。僕からのささやかな贈り物だ。喜んでくれたら良いが」


 あっさりと頷いたフェルナン様は、やはりなんだかおかしな拗らせ方をなさっているようでした。

 贈り物だというのなら、もっと誇らしげに得意げになさっていただかないといけません。どうしてこうも自信なさげな、弱々しいご様子なのでしょう。


「何を贈ってくださったおつもりなのか、教えてくださいませ。それを伺ってから喜ぶかどうか決めたいと思います」


 ですので、わたくしは鋭く追及します。だというお言葉を信じて、ここまで参りましたのに。双方にすれ違いがあってはいけません。


「ミレーヌ──君が心置きなく権力を振るえる状況、政敵のいない国を」


 さすが、わたくしの婚約者でいらっしゃるだけのことはあります。当然のことではありますが、陛下やランジュレ公爵の思惑はご承知だったのでしょう。


 無理な婚約破棄を切っ掛けにエルヴェシウス公爵とその派閥を一掃しよう、という思惑を、フェルナン様はさらに逆手に取ったのです。わたくしが自由に反撃できるように解き放つことで。


「無論、君ならば独力でも同じ状況に持ち込んだだろうが。それでも何年かは時間を短縮できたし、王家の失態が切っ掛けになったほうが何かとやりやすいだろう」

「ごもっともです。その点は、心から感謝申し上げます」


 さすがはわたくしの婚約者、と。もう一度申し上げましょう。けれどまだ安心はできません。フェルナン様の表情は、まだままでしたから。どこか引き攣った卑屈な笑みは、わたくしが見たいものではございません。


「僕を傀儡の王に据えて、そして、ころ合いを見て病死ということにすれば。そうすれば、君は晴れて男と結婚できる。女王にだってなれ──」

「どなたがわたくしに相応しいかは、わたくしが決めます」


 これ以上聞いてはいられません。に、ほかの殿方との結婚を勧められるなんて!

 我慢できずに遮ると、フェルナン様はぽかんと間の抜けた表情をなさいました。


「ミレーヌ……?」

「レオンシオ殿下もセルジュも、似たようなを仰っていましたけれど。でも、あくまでも冗談として、でしたのよ? フェルナン様までそんなことを言われるなんて、心外ですわ。悲しいですわ」


 本当は、悲しいというよりはとても怒っているのですけれど。フェルナン様にはこのほうがでしょう。


 この方はいつもそうなのです。わたくしから一歩退いて、ふたこと目には僕なんか、と。お父様が苛立たれるのも、無理はございません。


 だってこの方、決してご自身が考えるような非才無能ではないのですもの。


「ランジュレ公爵がわたくしの能力をだいぶ低く見積もってくださったのは、フェルナン様のお陰でしょう? 我が家との対立を考慮して、情報を渡さないでくださっていたのでしょう? セルジュにも、いち早くの情報を流してくださいましたわね?」

「あ、ああ……万が一にも君が怪我をしないように……」


 ここまでの暗躍と気遣いを見せておいて、わたくしに相応しくない、だなんて。いったいどの口がおっしゃっているのでしょう。


 実家へと戻るわたくしを襲った者たちの力量不足は、ただの令嬢が相手だと信じ込んでいたからこそ。剣や魔術の評判など、しょせん小娘の気まぐれ、王太子の婚約者を称えるためにものだと嗤っていたに違いありません。


 その上、念押しとばかりにセルジュを差し向けてくれたのですから、どれだけわたくしを思ってくださったかが分かるというものです。


「国外のお友だちも、皆様、既にフェルナン様からお手紙をいただいていたとのことでしたわ!」

「君は、彼らにも人気だから……! きっと協力してくれるだろうと思ったんだ」


 フェルナン様もたいへん人気だということに、ご本人は気づいていないようです。


 見目麗しい上に才にも恵まれた御方もは、誰もが一目置くものです。このご気性ですから侮る方もいらっしゃいましたけれど、このわたくしが傍にいるということを、ご理解いただきました。具体的には、わたくしがどれだけフェルナン様を想っているか、心の丈を語ることで。


 このわたくしの語彙を尽くして、この美声で語り上げた想いは、もはや一種の詩であり劇のようですらあったでしょう。だからこそ、皆様、わたくしとフェルナン様の仲を後押ししてくださるようになりました。


 何を隠そう、レオンシオ殿下もそのおひとりです。今ではわたくしの想いも分かっていただき、心から応援していただけるようになったからこその先のご協力でした。セルジュだって似たようなものです。


「ミレーヌ……その、すまなかった。だ、大丈夫か……?」


 掌で顔を覆ってをしていると、フェルナン様がおろおろと近づいて来られます。


 すぐには答えず、十分に距離が縮まるまで待ってから──わたくしは、思い切りフェルナン様に抱き着きました。首に腕を回して、瞬時に紅く染まった耳元に切々と訴えます。


「たいへんな心痛ですわ。わたくし、心置きなくフェルナン様をために参りましたのに。この期に及んでわたくしから逃げるおつもりですの……!?」


 フェルナン様が、わたくしと結ばれるためにこそ今回のことを仕組んだのだとしたら、これ以上ない贈り物でした。

 わたくしは、王妃として──実質上の王として──君臨します。フェルナン様は王に向いたご気性ではないですし、適材適所というものでしょう。


 フェルナン様に縋りつく、わたくしの顔も真っ赤に染まっていることでしょう。


「フェルナン様のお顔が好きです。お優しいところも。でも、何より素敵なのは、わたくしのすべてを理解して、信じてくださることですわ。わたくしがここまでのことをやってのけるとは、フェルナン様以外は誰も考えていなかったでしょう!」

「いや、そんなことは……それこそセルジュや、レオンシオ殿下だって──」

「フェルナン様」


 これ以上のを聞きたくなくて、わたくしはフェルナン様の唇に指を押し当てました。次に告げる言葉を言うためにこそ、わたくしはこの乱を戦い抜いたのです。


 女神とたたえらえる美貌に、ここ一番の愛らしくも恥じらう微笑みを浮かべて、わたくしは囁きます。


わたくし、フェルナン様を守りたいのですわ。そして、疲れた時には癒していただきたいです。それができるのは貴方様だけと──ほかならぬ、わたくしが申しておりますのよ?」


 この笑顔とこの言葉で、心動かない方はいらっしゃらないでしょう。強情なフェルナン様だって同じこと──やがて、ようやく逞しい腕がわたくしを抱き締めてくださいました。


「こんな不甲斐ない男が良いなんて。君の唯一の欠点ではないかな……?」

「いいえ。わたくし、相応しい殿方を選んだと自負しておりますわ……!」


 わたくしたちは間近に目を合わせて笑い合うと、どちらからともなく顔を寄せ、唇を重ねました。


      *


 王宮から血の臭いが消えるのを待って、わたくしとフェルナン様は婚礼を挙げました。宰相として国政を預かることになった父はもちろん、周辺国からも大勢の賓客が来てくださっています。


 純白のドレスに身を包んだわたくしはこの上なく美しく、この上なく幸せそうに笑っていることでしょう。

 その絵が後世に伝えられるとしたら、国を乗っ取った悪女の笑みとでも言われるかもしれません。でも、それが何だというのでしょう?


 すべての方に理解されようなんて無理なことです。祝福してくださる両親やお友だちがいればそれで十分。


 何より、わたくしは愛する人を手に入れたのです。何をしても、何があっても支えてくれる伴侶を得たのです。誇らかに笑むのも当然というものでしょう。


 わたくしは──わたくしたちは、幸せなのですから。

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