王子殿下に「僕は君に相応しくない」と言われて婚約破棄されたので
悠井すみれ
第1話
「僕は君に相応しくない」
王太子にして
なんだかおかしな拗らせ方をなさっているようですわね。
「そのようなことはございませんわ」
「誰もが言っていることだ。ミレーヌ──君は美しく気高く賢く、しかも強い。君と会った者は誰でも、跪き崇拝せずにはいられないだろう」
「もったいない御言葉です」
フェルナン様が何を
口に出すのは感じが悪いでしょうから心の中で思うだけですが、殿下の評価にいっさいの誤りも誇張もございません。
銀糸の髪に宝石の青の目、夜空に輝く月と
公爵家の令嬢として礼儀作法や教養を修めるのは当然のこと、法制にも古今の故事にも通じ、最新の学説に触れることも怠っておりません。護衛騎士を煩わせぬよう、剣や魔術の腕も鍛えております。なるほど、女神と崇められても当然でしょう。
「僕なんかが君を独占するのは間違っていると思う。だから、君を自由にしてあげたいんだ」
「
「君は、そうかもしれない。だが、僕が耐えられない」
ここは、王宮の広間のひとつ。フェルナン様を始めとした若い王族や貴族が集うサロンです。もちろん、
フェルナン様が
「僕たちの婚約は解消しよう。君は、自分の人生を歩むべきだ」
ほら、大きなどよめきが上がってしまっています。慌ただしく退出する方もいらっしゃいましたから、噂になってしまうでしょう。もう遅いでしょうが──念のため、忠告して差し上げます。
「……王国の将来に関わる非常に重大な事案かと存じます。王太子たる御方が軽々しく口に出すべきことではないかと。ご自身が何を
「無論。すべて承知している」
大きく頷いたフェルナン様の、瑞々しい新緑を思わせる碧の目は真剣そのものです。
見開かれた目、引き結んだ唇、緊張を帯びた頬。どこをとっても、
では、本当に分かっていらっしゃるのでしょうか。
さらに念押しをするか考えていると、横から軽やかな笑い声が響きました。
「殿下を睨んではいけませんわ、ミレーヌ様」
「睨んでなどおりません、ポレット様」
フェルナン様の傍らに、栗色の髪の令嬢がいることにようやく気付いて、
ご実家──そう、ランジュレ家は、我がエルヴェシウス家と同格の公爵家、歴史上も何かと競った経緯がございます。もちろん我が家が遅れを取った覚えはまったくないのですが、ポレット様はどういう訳か得意げに豊かなお胸を反らしていらっしゃいます。
となると、事情が分かってきたかもしれません。
「きっと、陛下もすでにご承知のことなのでしょうね、フェルナン様?」
「ああ。お父上には追って重々詫びを入れよう」
「お心遣いに感謝申し上げます。ですが、まずは娘の
優雅に一礼すると、周囲から感嘆の溜息が漏れたのが聞こえました。いついかなる時も美しく、は
たとえこれからとても忙しくなると、分かっていたとしても。
*
公爵家の紋章を掲げた馬車は、王都を出てエルヴェシウス公爵領へと向かいます。
「お嬢様には何の非もございませんのに」
「王太子があの有り様では国の未来が思い遣られます!」
侍女たちは
「公爵家への報告を少しでも遅らせたいのでしょうね」
速度を上げて駆け抜けようとした御者を制して、
「王太子殿下は、お嬢様のお力をご存知ないのでしょうか……!?」
「さあ、すべてご承知ということだったけれど」
呆れ顔の侍女に苦笑してから、指先で下がるように命じます。同時に、口は魔術の詠唱を。
追い詰めたと思ってくれたのでしょうか。襲撃者たちがじわじわと包囲を狭めてくれているのも好都合です。
(きっと何も知らされていないのでしょうし、一瞬で終わらせて差し上げましょう)
と、思ったのですけれど。
「ミレーヌを守れ! 誰ひとり逃すな!」
不意に響いた凛々しい声と、馬のいななきに、
襲撃者たちは、新たに現れた騎馬の一団に次々と討ち取られていきます。軍服をまとったその一団を率いるのは、美しい白馬にまたがった騎士。彼は、乱戦を切り抜けると馬車の窓に馬を寄せます。
「ミレーヌ、無事か!?」
「ええ……ありがとうございます、セルジュ」
白馬の騎士が兜を脱ぐと、赤い髪が陽光に燃えるように零れ落ちました。もっとも、見事な髪の色を見ずとも、彼の名は見事な指揮と馬術からも明らかでした。騎士団長セルジュの名を呼んで、
彼には、一緒に剣術を習ったご縁があります。最初は女が剣など、と笑われたものですが、後には本気で打ち合えるようになりました。フェルナン様についても色々と話を聞いてもらったこともある、大切な友人です。
「どうして、ここに?」
車外の戦闘も落ち着いたころで、
馬の
「父君は貴女への無礼を許さない。王宮からの使者は、公爵家の軍に取り囲まれることだろう。──それを避けるために、貴女を捕らえて人質にしたうえで出向く。バカどもの考えそうなことだ」
バカども、の内訳は国王陛下とランジュレ公爵家のことでしょう。フェルナン様も含まれているかもしれません。無礼な発言ですが、今は
「そこではありませんのよ。何があったかはご存知でしょう?」
「ああ。情報源があってね」
「では、今の
フェルナン様は、ご自身は
(もちろん、フェルナン様はそれもご承知なのですわよね?)
つまり、セルジュの行動そのものが反逆に問われかねないのですが──
「もちろんだ。何なら次の王に立候補しても良い。そして貴女を妃にしよう」
「まあ、大胆なことを
手の甲にセルジュの
彼も名家の出身ですから、辿れば王家の血も入っていたはずです。王位を主張することも、不可能ではないかもしれません。セルジュがそんなことを考えるとは思えませんけれど。
「冗談はさておき──では、頼って良いのかしら。父のもとまでの護衛も?」
「喜んで。手勢を率いて王都を出たからな。敵も迂闊に近づけまい」
「そう願いますわ」
頷き合うと、
騎士団の護衛のもと、
*
懐かしい実家の、当主の執務室にて。
「陛下は我が家を切り捨てようとのお考えか」
「
フェルナン様の婚約破棄は、唐突かつ理不尽に過ぎました。
そして、その方々は、フェルナン様よりも優れているこの
「お前が王妃になれば、夫君を傀儡にすると恐れたのだろうな。杞憂だというのに……!」
「すべての方に理解していただくことはできませんわ。残念ですけれど」
「殿下の御言葉も
「本当に。でも、殿下のご気性はお父様もご存知でしょう?」
フェルナン様には優柔不断なところがおありだと、お父様は常々ご不満なご様子でした。
「それは、そうだが……」
「それよりも、お父様。愚痴をこぼす
馬車の襲撃の手際の良さからして、エルヴェシウス公爵家はもちろん、セルジュと騎士団もすでに反逆者として扱われているかもしれません。
間もなく、当地には反逆者討伐の大義を掲げた軍が押し寄せるでしょう。
「もちろん、黙って断罪を待ったりはしませんわよね、お父様?」
「我が家の忠誠とお前の努力を踏みつける者を許しはしない」
お父様がお怒りになるのもごもっともです。
陛下には猜疑心が、ランジュレ公爵家にも権勢欲があるのでしょうし、ポレット様を王妃にしたいという思惑もあるのでしょうが、許し
「幸いに、あちらの思惑に先んじて動くことができている。セルジュ殿の騎士団も味方してくださるとか。こちらから打って出る」
「さすがはお父様、頼もしいですわ」
「お前も先頭に立て。やり返したいだろう」
「恐れ入ります。微力ながら尽くさせていただきます」
お父様は
「出陣する前に、何通かお手紙を出したいのですが、よろしいでしょうか?」
*
エルヴェシウス公爵家がこうも早く、かつ思い切りよく反撃に打って出るとは思ってもいなかったのでしょう、我が家を討伐するために差し向けられた軍は一瞬にして
逃げ散る敗残の兵には見向きもせず、
お父様に言われた通り、
戦ってくださる皆様に声を掛けるのも忘れませんし、怪我をした方は癒して差し上げたりもします。
「その姿も魅力的だな、ミレーヌ嬢。
「過分な御言葉ですわね。光栄ですけれど」
それに、行軍中にもお客様がいらっしゃることもございます。
もちろん、他国の内乱に関わって良い御方ではないのですが、
「できることなら、王都を攻め落とすまで助力したかった。そうして、この国を持参金に貴女が嫁いできてくださったなら」
それに、レオンシオ殿下は何も隣国の帝都からいらっしゃった訳ではございません。レオンシオ殿下のお国と、それから幾つかの周辺国が、息を合わせたように国境付近で軍事演習を行っているのです。
現状、我が国と緊張関係にある国はございませんが、王都の陛下たちは警戒しない訳にはいかないでしょう。我が公爵家の兵が障害なく進撃できるのもそのお陰です。
「もう十分にご協力いただいておりますわ。心から感謝申し上げます」
馬上で恭しく目を伏せ頭を下げ、謝意を示してから──
「それにしても、物騒な冗談ですわね。祖国を売り飛ばすなんて、できませんわ」
セルジュだけでなく、レオンシオ殿下まで。もちろんご冗談に過ぎないのでしょうが、未婚の令嬢に対して、それも身分も立場もある方が言うには少々迂闊に思えます。レオンシオ殿下は、楽しそうに笑っておられるだけなのですが。
「では、貴女を女王に据えて同盟を結ぶ、とか? 同盟の証そしての結婚もあるだろう」
「
繰り返しますが、
「父と
レオンシオ殿下も、もちろん
「ご武運を。そして、貴女の幸せを祈っている」
「ありがとうございます。もちろん
レオンシオ殿下を見送った後、
*
いつもは優雅な舞踏会や荘厳な式典が催される王宮に、今日は楽の音の代わりに悲鳴と怒号が響いています。とはいえ、内乱の最中にしてはずいぶん穏やかなものではないでしょうか。
多くの方は、抵抗の愚を悟ってくださいました。
精緻な装飾の石畳の上を、
令嬢らしい華奢な靴で歩いた時とはまったく違う響きに、初めて訪れる場所のように感じます。何度となく通った、フェルナン様のお気に入り庭園に続く通路ですのに。
滴る緑と花が彩る庭園に、果たしてフェルナン様はいらっしゃいました。おひとりきりなのは、
「ミレーヌ──久しぶりだね」
「お会いできて嬉しゅうございますわ、フェルナン様」
「陛下はご退位を了承してくださいました。ランジュレ公爵の甘言に耳を傾けた不明を、恥じてくださるそうですの」
ランジュレ公爵の首を目の前に転がされた陛下が何を喚いていらっしゃったのかは、正直なところよく分からなかったのですが。人間の言葉に翻訳したなら、きっとそうなるだろうと思います。
フェルナン様も異存はないのでしょう、整った唇が、強張った微笑を浮かべました。
「先ほど聞こえた悲鳴はポレット嬢かな?」
「ええ。父君のご遺体をご覧になってしまいましたの。配慮が行き届かず、申し訳ないことでした」
「お気の毒に。それに、君の悪意だと思われなければ良いが」
「今さら、ですわ。すべての方に理解していただくことはできません」
「これで何もかも貴方の思い通り、でしょうか? フェルナン様?」
「ああ。僕からのささやかな贈り物だ。喜んでくれたら良いが」
あっさりと頷いたフェルナン様は、やはりなんだかおかしな拗らせ方をなさっているようでした。
贈り物だというのなら、もっと誇らしげに得意げになさっていただかないといけません。どうしてこうも自信なさげな、弱々しいご様子なのでしょう。
「何を贈ってくださったおつもりなのか、教えてくださいませ。それを伺ってから喜ぶかどうか決めたいと思います」
ですので、
「ミレーヌ──君が心置きなく権力を振るえる状況、政敵のいない国を」
さすが、
無理な婚約破棄を切っ掛けにエルヴェシウス公爵とその派閥を一掃しよう、という思惑を、フェルナン様はさらに逆手に取ったのです。
「無論、君ならば独力でも同じ状況に持ち込んだだろうが。それでも何年かは時間を短縮できたし、王家の失態が切っ掛けになったほうが何かとやりやすいだろう」
「ごもっともです。その点は、心から感謝申し上げます」
さすがは
「僕を傀儡の王に据えて、そして、ころ合いを見て病死ということにすれば。そうすれば、君は晴れて相応しい男と結婚できる。女王にだってなれ──」
「どなたが
これ以上聞いてはいられません。愛する方に、ほかの殿方との結婚を勧められるなんて!
我慢できずに遮ると、フェルナン様はぽかんと間の抜けた表情をなさいました。
「ミレーヌ……?」
「レオンシオ殿下もセルジュも、似たような冗談を仰っていましたけれど。でも、あくまでも冗談として、でしたのよ? フェルナン様までそんなことを言われるなんて、心外ですわ。悲しいですわ」
本当は、悲しいというよりはとても怒っているのですけれど。フェルナン様にはこのほうが効くでしょう。
この方はいつもそうなのです。
だってこの方、決してご自身が考えるような非才無能ではないのですもの。
「ランジュレ公爵が
「あ、ああ……万が一にも君が怪我をしないように……」
ここまでの暗躍と気遣いを見せておいて、
実家へと戻る
その上、念押しとばかりにセルジュを差し向けてくれたのですから、どれだけ
「国外のお友だちも、皆様、既にフェルナン様からもお手紙をいただいていたとのことでしたわ!」
「君は、彼らにも人気だから……! きっと協力してくれるだろうと思ったんだ」
フェルナン様もたいへん人気だということに、ご本人は気づいていないようです。
見目麗しい上に才にも恵まれた御方もは、誰もが一目置くものです。このご気性ですから侮る方もいらっしゃいましたけれど、この
この
何を隠そう、レオンシオ殿下もそのおひとりです。今では
「ミレーヌ……その、すまなかった。だ、大丈夫か……?」
掌で顔を覆って泣き真似をしていると、フェルナン様がおろおろと近づいて来られます。
すぐには答えず、十分に距離が縮まるまで待ってから──
「たいへんな心痛ですわ。
フェルナン様が、
フェルナン様に縋りつく、
「フェルナン様のお顔が好きです。お優しいところも。でも、何より素敵なのは、
「いや、そんなことは……それこそセルジュや、レオンシオ殿下だって──」
「フェルナン様」
これ以上の拗らせを聞きたくなくて、
女神と
「
この笑顔とこの言葉で、心動かない方はいらっしゃらないでしょう。強情なフェルナン様だって同じこと──やがて、ようやく逞しい腕が
「こんな不甲斐ない男が良いなんて。君の唯一の欠点ではないかな……?」
「いいえ。
*
王宮から血の臭いが消えるのを待って、
純白のドレスに身を包んだ
その絵が後世に伝えられるとしたら、国を乗っ取った悪女の笑みとでも言われるかもしれません。でも、それが何だというのでしょう?
すべての方に理解されようなんて無理なことです。祝福してくださる両親やお友だちがいればそれで十分。
何より、
王子殿下に「僕は君に相応しくない」と言われて婚約破棄されたので 悠井すみれ @Veilchen
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