68 初雪

 厳かな雰囲気の真っ白な部屋。


 魔法陣が描かれた祈祷台の手前には、まだところどころに黒い瘴気の影が残っているハダニエル王国の地図がある。


 ネリクはきょろ、と不思議そうに部屋を見渡した。


「ここがルチアがお仕事していた場所?」


 ネリクの言い方が面白くて、くすりと笑いながら返す。


「うん、そうだよ。二年半、毎日ここで祈っては浄化してた」


 天上まで届く高い窓からは、眩い陽光が差し込んできていた。


「いい天気。これなら浄化も隅々まで届きそう――わっ」


 一瞬で背後からネリクに抱き寄せられ、驚いてネリクを振り返って見上げる。するとそこにあったのは、拗ねた顔をした恋人の姿だった。


 唇を尖らせながら、文句を言い始める。


「毎日毎日、ロザンナがべったり。俺だってルチアとくっついていたい」

「ネリクってば、ヤキモチ焼いてるの?」

「当たり前だろ」

「うは」


 こうも堂々とヤキモチを焼かれてしまうと、照れくさい。しかも張り合っている相手が赤ちゃんに近い幼い子供だから、余計に可愛かった。


「ようやく二人きりになれたから、くっつきたい」

「……ネリクの方を向きたいな」

「ん」


 ネリクの腕の中でくるりと反転すると、ネリクは我慢できないといった様子で私をぎゅうぎゅうに抱き締める。愛されてるなあ。


 あれからハダニエル王国国王陛下とアルベルト様に会った私は、これまでの数々の非礼に対して謝罪を受けた。「我が愚息との婚約をもう一度考え……」と陛下が言った途端ネリクがものすごい形相で睨みつけたので、その後の言葉は尻すぼみになって「……なくていいです、はい」となったのがおかしかった。


 あんなに偉そうだった人たちがこんなに殊勝になるなんて、変な感じだ。


 私たちが改めて全容を説明すると、陛下は魔人たちと今後は友好的な関係を築いていきたいと言ってくれた。黒の一族が、ロザンナ様の魅了から目覚めてしまった可能性は高い。お互いに協力して脅威から身を守る為、情報共有していくことになったのだ。


 いずれきちんとした不可侵条約を取り交わすことを条件に、エイダンさんはこの件を持ち帰り話を通すと伝えると、陛下はあからさまにほっとした顔になった。


「魅了されている期間は、もうひとりの自分に身体を乗っ取られ、徐々に精神を蝕まれていくような感覚だった」と青い顔をして言っていたので、相当な恐怖だったんだろう。


 私は陛下に「ロザンナに手を出さないこと」を提示した。交換条件は、祈祷台を使っての国土の全面浄化だ。


 ロザンナの存在は彼らにとっては恐ろしいものだけど、聖女と白の神獣が傍に居続けると分かり、少しは安心したらしい。


 陛下たちとの話し合いが終わってすぐ、私は街に降りて養父母の元を訪れた。


 彼らはみんな、無事だった。しかも驚くことに、魅了の影響を殆ど受けてなかったそうだ。私と関係が強かったからか、私の私物がいつ帰ってきてもいいようにそっくりそのまま家に残されていたからかは分からない。


 王都が荒れていく中、できる範囲で近隣の人に手を差し伸べていたそうだ。それを聞いた私は、彼らに育てられて本当によかったと心から思った。


 血は繋がってなくても人を慈しめる心を教えてくれたのは、間違いなく彼らだ。養父母たちに巡り会えてなければ、私はロザンナを助けたいと思える人間になれなかったかもしれないから。


 ずっと私の隣にいるネリクを恋人として紹介した時はさすがに驚いていたけど、「ルチアの選んだ人なら間違いないね」とすぐに受け入れてくれた。ネリクが感動して泣いちゃったのは、記憶に新しい。


 そんなこんなで、さすがに聖力を使いすぎたネリクの回復を待ってから浄化することにした、のだけれど。


 赤ちゃんロザンナが、とにかく私に懐いた。私の姿が見えないと泣くし、夜寝る時も一緒じゃないと泣く。可愛いなあと構っていたら、今度は構ってもらえなくなった大きな方の神獣がいじけてしまった。可愛いんだから。


 浄化に関しての心配な点は、ロザンナが浄化に巻き込まれないかだった。だから私たちはエイダンさんに頼み、ネリクの時の反省を生かして、言葉の反転が起こらないような術式を組み上げてもらった。


 出来上がった呪文は『反転の呪文』ならぬ『入れ替えの呪文』。黒の神獣の中には、常に一定量瘴気がないと具合が悪くなる。だけど量が増えるとまた覚醒してしまう。そこでエイダンさんが考えたのは、瘴気と聖力の体内量が均等に混ざり合うものだった。


 均等でなくなった部分だけ、体内で自動的に反転して均等になるようにする。これなら万が一、私とネリクが近くにいない時に聖力が足りなくなっても、暴走しなくなる。魔法陣を描く際にネリクの強力な聖力を練り込んで、無事『入れ替えの呪文』は成功した。


 ロザンナの処置が終わったのが今朝。まだ慣れるのに時間がかかりそうということで、朝からエイダンさんとニーニャさんが隣で様子を見ている。ロザンナは何故かエイダンさんに懐いたみたいなので、今のところはご機嫌だ。


 実はニーニャさんに、「今夜は預かるから久々に恋人同士でゆっくり過ごしなさいよ」と耳打ちされていた。ニーニャさんってば気が利くなあ、えへ。


 お互いの体温を確かめるようにしばらく抱き締め合っていたけど、私だってどうせならネリクともっとイチャイチャしたい。


 顔を上げると、ネリクに伝えた。


「ネリク。今夜は二人でいられるから、先に浄化しちゃおうよ」

「ほんと!?」


 滅茶苦茶嬉しそうだ。


「すぐにやろう、やり方教えて!」


 前のめり気味のネリクの勢いに笑いながら、二人で祈祷台に向かう。祈祷台の中心に立つと、魔法陣の上に膝を突いた。ネリクも真似て膝を突く。


「地図を見ながら、祈るの。みんなが笑顔で生活できますようにって」

「あは、ルチアらしいね」


 ネリクが優しい笑みを浮かべた。慈しむようなネリクのこの顔が、私は大好きだ。


「私が補助するから、やってみよう」

「ん」


 ネリクの手を取り、一緒に床に手を突く。聖力を魔法陣に注ぐと、ネリクも同じように注ぎ始めたのが分かった。私とは比べ物にならない量だけど。


 この間陛下から聞かされた話だと、人間に時折現れる聖人や聖女といった白髪の聖力の持ち主は、かつての白の神獣が人間と番った子孫なんだそうだ。隔世遺伝で神獣の血が濃く出ると、聖力を持つんだとか。


 白の神獣のネリクと白の神獣の子孫である私が惹かれ合ったのは、同族の血を引いているのが理由のひとつかもしれない。


 ネリクに伝えてみたところ、ネリクは「きっかけはそうかもしれないけど、俺はルチアのルチアなところが好きだから関係ない」と言ってくれた。私も同じ気持ちなことを伝えたら、またネリクの赤い瞳がじわりと濡れたのが安定的に可愛い。


 ふと目線を上げる。窓から差し込んでいる陽光に混じって、白く光る粒子が部屋中を舞っていることに気付いた。


「うわあ……!」


 国土の地図の黒い場所は、もう殆ど残っていない。私の時とは比べ物にならないくらいの勢いで浄化されていっている。


 きっとこの光は、余ってしまった聖力かな。余るなんていつも足りないとヒイヒイ言っていた私からしたらとんでもない話だけど、不思議と悔しさは全くなくて、ただ単に綺麗だなあと見惚れた。


「……雪みたいだね」


 ぽつりと呟くと、ネリクが応える。


「うん、初雪だ」

「初雪……は、初雪っ!?」


 焦ってネリクを振り向くと、ネリクが熱い眼差しで私を凝視していた。


 は、初雪って、降ったら結婚しようねと言ったらネリクが結婚したら交尾すると宣言していた、あの初雪……!


 ネリクの赤い垂れ目が、優しい弧を描く。

 

「愛してるルチア、結婚しよう。今すぐに」

「……うん、ネリク……! 私、ネリクの番になる……!」


 目頭が熱くなったと感じた瞬間、涙で視界が滲んだ。ネリクの情熱的な赤い目が、ゆっくりと近付いてくる。


 ネリクの目は、いつだって私を見つめていてくれる。愛されてるのが言われなくても分かるくらいに。


 だから私も、同じかもっとそれ以上の熱量でネリクを見つめ続けたい。たとえ言葉が反転してしまったとしても、気持ちを全く疑えないくらいに熱く、真っ直ぐに。


「ルチア、愛してる」

「私もネリクを愛してる」


 囁くように互いに愛を告げ合うと、唇同士がゆっくりと重なる。


 目を閉じる直前に見えた国土の地図は、曇りなく真っ白に輝いていた。


――完――

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偽聖女と言われて婚約破棄され国外追放の上崖から突き落とされましたが、嘘吐き魔人に懐かれたので幸せです ミドリ @M_I_D_O_R_I

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