第29話 ちょっとした仕返しだったとしても、許されない



 救急車に運ばれていった智子と付き添いの将司を見送ってから源次郎たちはどうするかと困ったふうに相談していた。こうなってしまっては食事会を続けるわけにもいかず、中止にするかと話がまとまる。


 片付けようとする香織と汐里に隼が「一つ聞きたいのだが」とそれを止めた。



「料理に蜂蜜が含まれるまたは、使用したものはあるのだろうか?」

「え? 無かったと思うけど……」

「あれ、そう言えばそうよね……」



 香織と汐里がそういえばと顔を見合わせてから、隼が「あれはアレルギーによるアナフィラキシーショックの症状だ」と話した。


 重度のアレルギーによるアナフィラキシーショックの症状は意識が朦朧とし、呼吸困難に陥る。全身が痙攣し、最悪の場合には死に至るものだ。それが含まれるような料理を智子が用意したというのは考えにくいのではないか。隼の疑問にその場にいた全員が確かにと疑問に思う、どうしてアナフィラキシーショックを起こしたのだろうかと。


 琉唯は智子が座っていた席を見遣る。茶碗蒸しと取り皿が置かれているのだが、料理にはあまり手が付けられていなかった。唯一、食べたのは茶碗蒸しのようで、一口ほど減っている。


 茶碗蒸しに蜂蜜が入っていたのだろうかと琉唯は手に取ってみた。鶴と亀の絵柄が綺麗な茶碗に入っている具材は他の茶碗蒸しと変わらないように見える。変なところはないように見えるけれどとじっと観察してみれば、うっすらととろみがあるのに気づいた。



「これ、なんか薄く塗ってないか?」

「……茶碗蒸しに蜂蜜を塗ったか」



 琉唯の指摘に隼がそれを確認してなるほどと頷く。薄く塗ればぱっと見では分からないかもしれないと。


 もし、これが本当に塗られていたとするならば誰かが故意に行ったということになる。智子がアレルギーだと知っての行動であるのはそれだけで分かることだ。重度のアレルギー持ちの人間にそんなことをすれば、どうなるのか。



「蜂蜜アレルギーというのは珍しいものだ。知っている人も限られてくる。もしこれが仕込まれたものだとしたら、殺人未遂の可能性がある」


「はぁ? なんで、そうなるのよ」



 殺人未遂という言葉に恵美子が驚いたように問う。たかがアレルギーじゃないといったふうの彼女に「アレルギーを甘く見てはいけない」と隼は冷静に説明した。


 アレルギーと聞くと全身の発疹や気分を悪くさせるなど軽度な症状を思い浮かべる人間は多い。けれど、それは軽い症状なだけであり、重度のアレルギーを持っている人間が服用すれば、そうはならない。


 血圧の低下や意識障害、呼吸困難な症状を引き起こし、場合によっては死に至るのがアナフィラキシーショックだ。少しでも治療が間に合わなければ簡単に人を殺すことができる。


 アレルギーだと知っていて仕込んだというのならば、アナフィラキシーショックを引き起こすことも考えられている可能性がある。死んだかもしれないのだから、殺す気で仕込んだと認識されてもおかしくはない行動だ。


 隼は静かに「これは悪戯でやっていい行為ではない」と指摘する。



「ちょっとした出来心でなどといった甘い考えでやったのならば、考えを改めなければならない。下手をすれば殺してしまうことになったかもしれないのだから」



 隼の言葉に皆が黙る。彼の言う通り、これは悪戯でやるべきことではない。人一人を死なせるところだったのだから。



「誰がこんなことをしたんだ」



 哲也がぽつりと呟く。それに源次郎と渉も確かにと顔を見合わせて、香織と汐里は不安げに周囲を見渡した。高雄も恵美子も葵も誰だと言ったふうに皆を観察している。



「料理を準備したのは智子さん以外に誰がいるだろうか?」

「えっと、私と恵美子さんと香織さんよ」

「源次郎さんたちはずっとこの居間にいたと」

「あぁ、おれらはずっとここだ。男衆はみんなここにいたさ」



 葵が「男性陣はみんな広間にいたよ」と証言する。自分が広間にいたこともあってか、覚えていたようだ。では、混入させられる可能性があるのは料理を準備した三人となる。



「三人とも智子さんがアレルギー持ちなのは知っていただろうか?」

「えぇ。蜂蜜は駄目だからって言われてて、お土産とか選ぶ時は気をつけていたわ。そうよね、汐里ちゃん」

「はい。絶対に蜂蜜はやめてくれって言われてたから……」

「あたしは母親だし、知ってるけど……」



 三人とも智子にアレルギーがあることを知っていた。隼が「茶碗蒸しを準備したのは誰か」と問えば、「あたしと汐里とお母さん」と恵美子が答える。香織は別の料理を準備していたらしい。


 智子を除く恵美子と汐里の二人が仕込むことができるということになって、二人が「そんなことしてないわよ!」と反発した。誰だって疑われればそういう反応はするだろうと隼は落ち着いている。



「大体、どうやって一つだけに仕込むのよ。誰が食べるかなんて予測できないのに。それにテーブルに茶碗蒸しを並べたのは汐里よ。疑うなら彼女でしょ」


「ちょっと待ってください。私は恵美子さんに運ぶようにトレーを渡されただけで……。そもそも、私は智子おばさんと席を交換しているんですよ?」


「あんたが交換したのだから、誘導したって考え方もあるじゃない!」



 あんたでしょと恵美子が声強めに指摘すれば、汐里は違うと首を振る。二人の証言に琉唯はうーんと首を傾げた。言い分は両者とも分かるのだが、何かが引っかかる。蜂蜜が仕込まれていた茶碗蒸しを眺めて数秒、あれと琉唯は気づいた。


 どうしてこの茶碗だけ鶴と亀のデザインなのだろうか。他の茶碗を確認してみるも、花や蝶々のデザインで鶴と亀のものは一つもない。そこで智子が縁起物が好きなことを思い出す。



「あ、だから智子おばさんは汐里さんと席を変えたんだ」

「え?」



 琉唯の呟きに皆が何をと疑問符を浮かべる。琉唯は自分の気づいたことを話した、これだけデザインが違うのはおかしいのではないかと。それに汐里が「確かに」と頷いてから、「茶碗を準備したのは恵美子さんよ」と証言する。


 それに恵美子が「それがどうしたっていうのよ」と反論した。それだけであたしを犯人にしたいのかと。確かにそれだけでは確証にはならないよなと琉唯が思っていれば、隼が「君は」と口を開いた。



「どうして君は茶碗蒸しの一つだけに蜂蜜が仕込まれていると言ったのだろうか。全ての茶碗蒸しに仕掛けられていたとは思わなかったのか?」


「え、だって、あんたの言い方だと……」

「俺や琉唯は一言もこの茶碗蒸しにしか仕掛けていないとは言っていない」



 全ての茶碗蒸しに仕掛ければ済むわけなのだからと隼が指摘すれば、恵美子は「あんたの言い方の問題よ!」と言い返す。そうだろうかと隼は「智子さんが縁起物などが好きなのを皆さんはご存じのはずだ」と問いかける。


 智子が縁起物が好きなのを皆が知っていたので頷けば、「縁起物を好むならば一つにしか仕掛けなくて済むのではないか」と隼は言う。鶴と亀は縁起が良い組み合わせだ、彼女がそれを知らないわけがない。


 縁起物を選ぶ趣向にあるのならば一つに仕込むだけいい。隼は「キッチンに一人になったのは君だけではなかっただろうか」と問う。恵美子は智子に嫌味を言われて一人キッチンへと向かっている。



「十分に仕掛けられる時間はあるはずだ」

「それは……い、言いがかりにもほどがあるわよ!」

「香織さんや汐里さんは蜂蜜を置いてある場所を覚えているだろうか?」

「え? えっと瓶に入ったやつなら戸棚に……」



 汐里から聞いて隼はキッチンへと向かう。それに皆が着いていけば、隼は言われた戸棚を開けてみせた。そこには蜂蜜の入った瓶はなくて、汐里が驚いたふうに目を瞬かせている。


 ここにと言いかけた汐里に隼が何の躊躇いもなく、冷蔵庫を開けて皆に見えるように指をさした。冷蔵庫の分かりやすい位置、二段目に蜂蜜の入った瓶が置かれている。なんでと汐里が首を傾げれば、隼は「おそらく蜂蜜の保存方法を知らなかったのだろう」と話す。


 蜂蜜は開封後も常温保存が基本だ。直射日光が当たらない場所に保存し、冷蔵保存はしてはいけない。蜂蜜は温度変化に弱く、冷蔵庫で保存すると結晶化する場合があるからだ。



「蜂蜜をよく使う人ならば常識的なことだ。汐里さんは知っていましたよね?」

「えぇ。だから戸棚に仕舞っていたのだけれど……どうしてこんなところに……」

「蜂蜜を使わない人間が仕舞ったからということになる」



 蜂蜜を滅多に使わない、あるいはまともに買ったこともない人間が保存方法を知らずに仕舞ったということになる。「君は知らなかったのではなかっただろうか? 母親がアレルギーなのだから」と隼は恵美子に目を向ける。


 皆が皆、恵美子を見つめる。彼女はその視線に耐え切れなかったようで、「ちょっとした仕返しだったのよ」と自白した。



「恵美子、お前マジでやったんか」

「う、うっさい! ちょっとした仕返しよ!」



 浩也に言われて恵美子は「あいつ、いっつも汐里とあたしを比べるんだもん」と顔を顰める。母親はいつも汐里を褒めた、よくできた娘だと。本当の娘である自分のことなど殆ど褒めたことも無いというのに。


 ずっとずっと比べられて、今日も人前で貶されて苛立った。そんな時に見つけた蜂蜜の瓶にちょっとした仕返しを思いついた。母は蜂蜜アレルギーであるのを知っていたので、少し苦しめばいいと。


 だから別に殺すつもりはなかったと恵美子は悪びれる様子もなく言うと、隼が「君は馬鹿なのか」と呆れたように溜息を吐いた。



「君はアレルギーをよく理解していない。人を簡単に死に追いやることができるのが、アレルギーだ。ちょっとした仕返しだったとしても、許される行為ではない」



 これでもし処置が遅れて智子が死亡していたいたらどうするつもりだったのだ。隼は冷静に「君は親を殺していたかもしれないんだぞ」と現実を突きつける。


 仕返しであってもそれは言い訳にはならない。恵美子は言い返すことができなかった、自分が母親を殺してしまう可能性があったことを理解して。黙って俯いてしまった彼女に浩也が「親父に連絡してくるわ」と声をかけてキッチンから出て行き、それに続くように一人また一人と広間へと戻っていく。


 残された恵美子は何も言わず。琉唯は彼女に声をかける言葉が見つからなかった。


   ***


「ごめんね、隼くん。せっかく来てもらったのに」

「いえ、気にしないでください」



 あの後、智子は病院で一命を取り留めたと連絡が入り、後のことは家族でとなって食事会はお開きになった。汐里の家の玄関先で渉と香織が申し訳ないと隼に謝っている。隼は特に気にしてはいないようで、なんでもないといったふうだ。


 これぐらいの騒ぎならば彼にとっては些細なことなのだろう。琉唯はまぁ殺人事件を経験すればそうなるかと。



「琉唯の恋人だと聞いてもう少し話がしたかったのだが……」

「そのことなのですが一つ誤解を解かなければいけません」

「誤解?」



 隼の言葉に二人は首を傾げる、誤解とはなんだろうかと。琉唯も何だと思っていれば、彼は「恋人の件ですが」と口を開いた。



「俺と琉唯は〝まだ恋人ではない〟です」



 俺自身は琉唯の事を愛していますし、恋人にもなりたいと思っているけれど、今はまだそういった関係ではないと隼ははっきりと言った。これには渉も香織もまぁと目を丸くさせる。



「俺が琉唯を愛しているのは事実ですが、恋人ではまだないということになります」

「えっと、るーくんが好きなのは確かなのよね?」

「はい。まだ琉唯から返事はいただけていませんが、もし正式な恋人となった時はよろしくお願いします」



 俺は諦めるつもりはないのでと、隼はにこやかに笑みを浮かべる。すっと細まる猛禽類の眼に獲物は逃さないという意思を感じた。あ、これは逃げられないと琉唯だけでなく、両親も思ったのだろう。「息子をよろしくね」と二人の仲を認めてしまった。


 渉は「隠し事もせずに誠実な子だね」と隼に好感を持ってしまっている。香織は琉唯を見遣りながら「諦めなさいな」と、彼から逃げられないわよと遠まわしに言ってきた。一連の流れをこっそり見ていただろう葵にも「るーくん、どんまい」と同情されてしまう。


 じろりと隼を見れば彼は普段と変わらない表情で。こいつ、最初っからこれを狙っていただろうと気づいたのもすでに遅く。父からの好感度爆上がりと母からの諦めなさいというアドバイスに逃げ場を失っていた。



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鳴神隼のただ一人の為の推理 巴 雪夜 @tomoe_yuya

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