第二章 フィンレイ診療所 ⑥
「いや、どれもこれも君には無理そうだと思って……」
「できます」
「どっちにしても僕が考えたのなんて、ごく軽いものでも君はえげつなさで倒れる可能性あるから……君ができる範囲で自分で考えたほうがいいと思うよ」
そう言われてリゼルカは数秒考え込む。そうしてぱっと顔を上げ口を開いた。
「では……抱擁を」
「抱擁?」
「ご存じですか。その……ぎゅっと、抱きしめ……」
「存じてる。どうぞ」
そう言ってシャノンが立ち上がる。リゼルカはその前まで行った。
しかし、そこでリゼルカは固まってしまった。その顔は見る間に赤くなっていく。
「……あ、あなたからお願いできますか?」
「え、べつにいいけど……」
シャノンが一歩前に出ると、リゼルカはビクッと揺れて、一歩後ずさった。
シャノンがもう一歩進むと、リゼルカも一歩下がる。
「…………君って、心は積極的なわりに体は素直だよね……」
「いかがわしい言い方はやめてください」
「……どこがいかがわしいんだよ。体が嫌がってるってのに……」
「何か怖いんで……やっぱり、動かないでもらえますか」
「はぁ……いーよ。僕が君に危害を加えない存在であることを、身をもって知って?」
シャノンはその場で軽く両手を広げてみせる。
リゼルカは、治療で男性の体にもためらいなく触れてきた。今、目の前にいる男性は、聖女の治癒を必要としている患者だと自分に言い聞かせる。
言い聞かせ過ぎて脳が混乱したのか、リゼルカはすっと伸ばした手のひらをシャノンの胸に向けてそっと当てた。彼の胸は思ったより鼓動が速く波打っていた。
「…………」
「……何してんの? 変わった抱擁だね」
「え? あっ! その……」
これでは完全に聖女の治癒だ。急いで両手を前に出したが、抱擁には程遠い距離感で、リゼルカはそのままシャノンをぐいぐいと押し、余計に距離が空いていく有様だった。
シャノンが遠い目をして言う。
「僕の知ってる抱擁とだいぶ違う……」
「体が正直ですみません……」
「だーからさー……そこまで拒否反応出るなら無理しなくていいのに……」
シャノンがだいぶげんなりした顔でそう言った時、天井から吊るされている鐘がガラガラと音を立てて鳴った。
「寝室にも同じものがありましたけど……これは一体なんです?」
「これ? これは『ギアドの鐘』っていう代物で……昔は魔法士間の連携に使われてたらしいんだけど、僕が魔眼石を使って片方に魔力がなくても使えるように改造したんだ。最近ずっと僕は王都を離れてここにいるから、緊急で呼び出したいときに王都にある鐘を鳴らすと、連動してこっちも鳴るようになっている」
「ただの変な飾りだと思ってました……」
そして、じっとそれを見てからシャノンに向き直る。
「もしかして……これをいろんな女性のところに配ってあるんですか?」
「君……僕をなんだと思ってるんだよ……こんな古臭いもん使ってまで女遊びするとかどんだけ好色なんだよ。これの片割れを持ってるのは一人だけだし……言っとくけど男」
「そうなんですか……」
「そこまで意外な顔をされるとさすがに落ち込むんだけど……」
「……すみません」
「というわけで……悪い、これから行かなきゃいけなくなった。明日の朝までにはちゃんと戻って君を診療所に連れていくから、今日はもう休んだら?」
「わかりました」
リゼルカは素直に頷いて、浴室を使い部屋へと戻った。
シャノンには少し慣れてきたような気がするのに、抱擁はできなかった。まだどこか、得体の知れない感じに臆してしまっているのかもしれない。
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