「愛さない」と告げるあなたへ。奇遇ですね? 私もです。

みこと。

全一話

「お前を愛することはない」


 寝室を訪れた新妻に対し、ヨハネスは冷たい声で告げた。

 言われた意味がわかっていないのか、ユーリアはきょとんとした顔でヨハネスを見ている。


(愚鈍な女め……!)


 これだから!

 親が決めた結婚相手なんて嫌なのだ。


 嫌と言っても貴族たるもの、政略での結びつきが当たり前。

 ヨハネス・ヘリングはうんざりする思いで伯爵家から嫁いで来た娘を見る。


 先代ヘリング公爵がのこした縁談は、花嫁が十八になるのを待ち、今日が結婚式だった。親ばかりではなく、もともとは国王からの声がかり。つまりは王命。


 披露宴は名だたる貴族家が揃う盛大なものだったが、ヨハネスは"退屈な茶番が早く終われば良い"とばかり願って過ごした。


 彼は、妻となったユーリアのことが気に入らない。 

 会うたびに冴えないドレスに身を包んでいた、地味でつまらない女。


 さすがに披露宴だけあって、彼女はこれまでになく自身を手入れをしてきたようだ。

 爪を整え、肌を磨き、髪をつややかに櫛梳くしといて、上等な香油を使っている。


 だが、おそらく結婚式である、今日だけだ。

 明日からまた、お洒落も知らない女に戻るだろう。


 色気の欠片もなく、自分の気を引こうともしないユーリアを、婚約時代からずっと放置してきた。

 自分にはそう。流行の最先端を行く、あでやかな女性こそが似合っている。


 ちょうど恋人を思い浮かべていると、ユーリアから相手の名前が出た。


「それは、ヴァネサ様がいらっしゃるからですか?」


「っ! お前、いつヴァネサのことを調べた!!」


 ヨハネスも婚約中に、ユーリアの過去や男女関係を調べている。

 周りに男の影はなく、パーティーの付き添いは父親か義弟のみで、いっそあわれだとさげすんでいた。


 であるにも関わらず、自分のことを言われ苛立ったヨハネスは、威嚇するように声を荒げる。


 ゆっくりとした口調で、ユーリアが返した。


「ヴァネサ様とのことは別に構いませんけれど……。困りましたわね、これでは契約不履行となってしまいます」


「……は?」


 ヴァネサの存在を知られたら、非難くらいはしてくると思っていた。

 あまりにも平然と受け流されたことに、ヨハネスは戸惑いを覚える。


(こんな女だったか?)


 もっと無難で、おどおどして、常に人の後ろに隠れているような印象があったが……。


 自分の記憶と、目の前のユーリアをすり合わせながら、ヨハネスは聞き返す。


「契約とは、婚姻関係のことを言っているのか」


「婚姻もですが、子をはらむことを言っております。勇者の血を汲むヘリング公爵家と、聖女の血を引く我がアレンス伯爵家。両家の血を受け継ぐ騎士を産み、予言された魔王の復活に備えることは王命でもあり、父から強く言いつけられていたことですので」


 思案げに頬に手を当てた彼女は、次にあっさりと前言をひるがえした。


「まあ、子どもは簡単に授かるものではありません。父も、明日にも子が出来るとは思っていないでしょう。けれどわたくし、今日は疲れましたので、もうこちらで休みたいです。いただきましたお部屋には明日から戻りますので、貴方様はどうぞ、ヴァネサ様を慰めて差し上げて。わたくしたちの結婚で、不安になられているはずですわ」


 ユーリアはそう言うと、さっさとベッドに潜り込み、ヨハネスに背を向けて横になった。布団を引き上げ、ヨハネスには一瞥も寄こさない。


(生意気な……!)


 そう思ったが、"この女なりの、精一杯の強がりだ"と割り切る。


(ここは俺が、寛容さを見せやろう)


「……物わかりが良くて助かったぞ」


 自分の言葉が負け惜しみに聞こえるとは気づかず、ヨハネスは踵を返す。


 ユーリアの指示に従うようで気分は悪いが、興味ない女の相手を続けるのも面倒。

 そして確かにヴァネサは、今日の式で相当気を揉んでいるはず。


あいつヴァネサは俺に惚れ切ってるからな)


 彼女ヴァネサへのケアが必要だし、初夜に夫が外泊して、この女ユーリアに恥をかかせるのも一興だ。


 ヨハネスは寝室を後にした。

 布団の中でユーリアが、薄く笑っていることにも気づかずに。





 ユーリアの変化は、初日だけのことではなかった。


 装いは日々女性らしく気を配り、その振舞いや言動は公爵家の女主人にふさわしいもので、いつしか周りはすっかり彼女のことを認めている。


 初夜に捨てられた花嫁、とは屋敷の誰もが思っている様子はない。


 もしそうであるならば、先代から仕える執事あたりから苦言を呈されるはずだが、誰も何も言わないところを見ると、事が終わってから愛人宅へ向かった、と受け取っていたようだった。


 事実、いまのユーリアには無視出来ない魅力があった。


 "やっと自分に見合う女になってきたか"と思うものの、あんな宣言をした手前、ヨハネスから声を掛けるなど彼のプライドが許さない。

 ユーリアから「寝屋ねやを共にして欲しい」とうて来るまで、捨て置く。


 そう誓った。


 けれども一向に、彼女から誘って来る気配はない。


 時が経つうち、ヨハネスはユーリアの一挙一動にドギマギしている自分に気づいた。

 いつの間にか彼女の姿を探し、目で追ってしまっている。


 そんな気持ちを振り払うようにヴァネサの元に向かうのだが、どうしたことか以前ほど盛り上がらない。

 

 そのうちに、ヴァネサが自分ではなく、明らかにヨハネスの財力だけに惚れていたと判明した。

 約束していない時間に訪れた際、彼女が引き入れた別の男との会話が聞こえたからだ。



 ヨハネスは、その場でヴァネサを捨てた。


 

 

「ヴァネサはアバズレ過ぎた。お前で良い」

 

 公爵邸の一室でそう告げたヨハネスに、今度はユーリアが冷ややかな視線を投げかける。

 が、彼女はニヤリと口元を引き上げた。


「やっとお分かりになりましたか? さあ、では子作りをしましょう」


「!?」


 あまりに即物的な物言いに、ヨハネスはギョッとする。

 選ばれたことを喜ぶでもなく、自分への愛を囁いてくるわけでもなく、いきなり"子作り"とは?


「ま、まだ昼間だぞ、ユーリア」


「それが何か? わたくしが嫁いで数か月。そろそろ実家でも懐妊の報告を楽しみにしていることでしょう。契約期間内に仕事をこなさなくては、わたくしも困ったことになります」


「夫婦間の、男女の機微をそんな事務的に……! 以前も言っていたようだが、その契約という言い方は──」


「契約は、契約でございます。わたくしが旦那様の子を作ること。それが、に課せられた使命なれば」


「待て、ちょっと待て! "呼び出された"とは、なんだ?」


 改めて、ヨハネスはユーリアを見る。

 彼女は何を言っているのだ。


 ユーリアはそんなヨハネスに視線を定めたまま、コテンと首を傾げる。


「──おかしいと、思われませんでしたか、旦那様。わたくしが、貴方様の知るユーリア・アレンスと違うと、お感じになったことは? ああ、現在いまはユーリア・ヘリングですが」


「確かにお前は……、俺が知るユーリアとは違っていたが……」


 ヨハネスが知るユーリアは、こんなに余裕ある態度で男と話すようなタイプではなかった。


 満足そうに目を細めて、ユーリアが頷く。


「本物のユーリアの魂は、すでにこの世を離れております」


「なっ──!」


(ではいま。俺の目の前にいるのは、誰だというのだ?! この女、頭でも打ったか? だが……)


 どう見てもユーリアにしか見えない相手を凝視しながら、終わらない迷宮の中に投げ出されたように、ヨハネスは自問自答する。

 けれどもその答えをっているのは自分ではなく、目の前のユーリアでしかない。


 おそるおそる、ヨハネスは尋ねた。


「お、お前が。本物のユーリアでないとしたら、お前は一体何者なんだ?」


 クスリと微笑んだ美女に、ゾクリと悪寒が走る。


「契約に縛られた、しがない悪魔、とでも申しましょうか?」


「────!!」


「訳が分からない、というお顔をされていますね? どういうことかご説明いたしましょう」


 一歩ずつ近づいてくるユーリアから身を引きたいのに、硬直した身体が動かない。


「婚姻前……。貴方様がユーリアに何をしたか、覚えていらっしゃいます? エスコートに、デートに贈り物に、およそ婚約者としてすべき義務を完全に怠っていた貴方様は、ある日、こんな暴言まで吐かれました」


 "屋敷に入るからと言って、妻になったと勘違いするなよ"、と。


「はっきり言って意味がわかりませんわ。戸籍上は間違いなく"妻"でしょうに。それからユーリアは貴方様を調べ、ヴァネサ様との関係を知り、深く絶望した。結婚に夢見る十八の乙女には、耐えきれなかったのでしょう。彼女は愛のない結婚を嘆き、挙式前に自ら命を絶った──」


「なんっ!!」


「けれどもそこで困ったのが、アレンス伯爵です。この結婚は王命のもとに決まったもの。どんな事情があれ、王命に逆らうことになってしまうことを恐れた伯爵は、家に伝わる特別な"宝瓶"。そこに込められた"初代聖女の血"を捧げて陣を敷き、悪魔を呼び出した」


「?!?」


「清らかな血の香りに、うっかり呼び出されてしまったのが、わたくしです」


 ユーリアの周りに、ヴァッと青紫の炎が燃え上がった。

 炎に照らし出され、青く見える肌で"ユーリア"が言う。


「おかしな話ではなくって? 魔王に備えるために、悪魔を呼び出すなんて」


 クスクスとユーリアの皮を被ったモノ・・が笑う。


「ユーリアがのこした身体を使って、貴方様との子を産むことで契約は完遂となります。それでやっと、悪魔の世界に戻れますの。ですから、さあ。わたくしをはらませてくださいませ」


 ヨハネスは、己に近づいてくる白い指。

 自身の首にまわされていく細い腕を、振り払えないでいた。


 華奢なそれらなのに、まるで大鎌を当てられているような恐怖を感じる。


 膝が震えた。


 青紫の炎は熱を感じさせることなく、いつしか消えていて、目の前には、整い過ぎるほど整ったユーリアの顔がある。


「ひっ……、あ……」


「そうそう。契約金なのですが、アレンス伯爵の魂だけでは足りませんので、上乗せしていただくことにしました。だってこの身体、聖女の血を引いてますのよ? 悪魔のわたくしが滞在するには、居心地が悪すぎて。なので、事が成就したあかつきには、貴方様の魂も……。わたくしのものになります」


「な……なんだって……?」


「結婚前にいくつか書類にサインなさいましたでしょう? その中に、あったはずです。それとも"ユーリア"に興味がないから、よく見てらっしゃらなかった?」


(俺はそんな書類、見ていない……。だがたくさんのサインをしたことは確か。まさか、その中に紛れていた?)


 ヨハネスは必死で当時の記憶を遡るが、思い当たるものはない。

 けれども"興味がなかったから、よく見てなかっただけだろう"と言われると、否定出来ない。


 面倒臭い手続きだと、おざなりに対応してしまったことを今更ながらに後悔する。


(この女と子をせば──、俺が死ぬ??!)


「あと、ご忠告ですが、貴方様が"ユーリアの身体"を害しようとした場合や、拘束しようとした場合。その時は即座に魂をいただきます」


(!!)


「ゆめゆめ、おかしなお考えはいだかれませぬよう──」


 唇が触れそうなくらい"ユーリア"の顔が近づき、神秘的な蒼い瞳が、先の炎のように揺れた。


「ひあっ、あっ……」


 外れない腕から逃れるように、ヨハネスの長身は尻から床に落ちた。


「さ、旦那様?」


 ユーリアが羽織っていたショールを開く。


 ほんの小一時間前まで、欲しくてたまらなかった豊満な胸が。手を這わせたいと願った細腰が。どんな弾力だろうと気になっていた尻が。


 そのすべてが自分を襲い来る食虫植物のように、恐ろしく映った。


「お、俺は絶対に、お前を抱かない!!」


 そのまま。這うように床を逃げ、ヨハネスは大慌てで部屋から出て行った。

 ユーリアを振り返ることもなく、ほうほうのていで去った彼を、ユーリアは黙って見送った。





 充分に、時間が経ってから。


「はあ……っ」


 ぽすん、と力が抜けたように、ユーリアが崩れ落ちた。


(これで、いい。これでいいわ……!)


 これでヨハネスが自分を抱いてくることは、なくなったはず。

 おそらくは離縁と称して、実家に送り返されるだろう。


 王命による結婚の、一方的な破棄。

 ヨハネス・ヘリング公爵は王から咎められることになる。


 もし、即座の離縁はなくも、男女のちぎりがない限り。

 数年も経てば"石女うまずめ"として、実家に送り返されるはず。


(……あんなに怯えていたひとが、何年もわたくしを留めおくとは思えないけど)



 出戻りでも、不名誉でも、なんでもいい。

 あの男に肌を許すことに比べたら、大抵の陰口は耐えられる。

 自由になった際には、他の国へ行くことだって出来る。

 


 悪魔だと言ったのは、自衛のための狂言だった。

 ユーリアは生まれた時から、今も変わらずユーリアだ。


 この演技のためだけに、毎日必死で虚勢を張った。

 以前の自分とは違う自分を、演出した。


 書類の存在も、もちろん嘘だ。

 あの男ならろくに見もせず、サインだけを繰り返しただろうと予想したが、上手くいった。



 ユーリアの言葉を信じ切ったヨハネスが、もし"彼女の正体は悪魔だ"と周りに話したら?

 

 その時はヨハネスが正気を疑われ、誰かに家督を譲ることになるだろう。

 そうなればユーリアも、実家に帰るべく動く。

 

(わたくしが疑われることはない)


 なぜなら、父であるアレンス伯爵が"初代聖女の血"を使って悪魔を呼び出した事実はなく、その証拠に、"初代聖女の血"は先代伯爵の頃よりずっと、王家に預けられたままなのだ。


 ユーリア自身が「知らない」ととぼければ、先ほどの出来事は、ヨハネスの頭の中だけで繰り広げられた寸劇となる。

 自分と娘の名誉を汚された父は激怒し、きっと国王に申し立てる。


 どの道を選んでも、ヨハネスは不利益ペナルティこうむるだろう。



 王や父の決定に、逆らえるはずもない一介の貴族娘。


 先祖返りで、自分の"目"が"聖女"の力を持っていることは、誰にも話したことがない。


 ただの、平凡な自分。


 だからと言って、あんな不誠実で自分本位な男に、人生を捧げたくはない。


 初夜の彼の態度で、完全に見限った。

 大人しい女なら泣いて従うと思ったなら、大間違いだ。

 わたくしだって、わたくしなりに、抵抗くらいさせて貰う。



 

 ユーリアはそっと、指輪を撫でた。


 義弟から渡されていた、魔法を秘めた指輪。


 効果はつたなく、幻の炎を出現させるだけ。

 魔術師である義弟が造った世間に知られてないオリジナルの魔具で、先ほどユーリアが発生させた"悪魔の炎"の正体はこれだ。

 義弟は"手品用に"と、プレゼントしてくれたが。



 実家にいる義弟おとうとを思い出し、ユーリアの目は優しく緩む。

 娘しかいないアレンス家が、跡継ぎにと迎えた遠縁の子。



 ヨハネスはどうして、想い人がいるのが自分だけだと思っていたのか。

 貴族の結婚は政略が常。


 男女どちらともに、心を捧げる相手がいてもおかしくはないのに。



 辛い結婚を前に、自死を望むほど打ちひしがれていた自分。勇気をくれたのは、実家に残る義弟の存在。


 この恋がどうなるかはわからない。


 魔王復活を阻止するため、心を殺して尽力しなかったユーリアを、人々は非難するだろうか?




(でも、魔王は──)

 



 刺激さえしなければ、手品の魔具を作って平和に笑う十代の青年だと。

 聖女の目を持つ、ユーリアだけが知っていた──。

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