剣狼の誓い

 幼い少年の腕に抱かれ、幼いオオカミは森から遠ざかって行く。

 少年は赤い頭巾の下に獣を隠し、小さな足で家まで歩いた。

 最初は怯え、暴れたオオカミも、少年に敵意が無いとわかったのか今は大人しくしている。


 家に着いた少年は辺りをうかがうと、オオカミを抱いたまま自分の部屋へと滑り込んだ。

 傷ついたオオカミの仔をベッドの上に降ろし、小さな手でその頭を撫でる。

「ちょっと待ってろよ」

 そう囁いて少年は部屋から出て行った。


 未知の世界に取り残された動けないオオカミは綺麗に整頓された小さな室内を見渡し、不安そうに鼻を鳴らしたが、少年は腕に何かを抱えてすぐに戻って来た。

「お腹減ってるだろ?」

 少年に差し出された大きなソーセージを見つめ、オオカミは眼を丸くした。

 肉の匂いのする見たこともない形状のそれは、食べ物であるのか定かではなかった。

 しばらく匂いを嗅いでいた仔オオカミは空腹に負け、恐る恐る未知の物体に齧り付いた。

 途端に今まで味わったことのない感触と肉の味が口の中で弾け、オオカミは顔を輝かせた。

 黒くて可愛らしい尻尾を振り振りソーセージをむさぼる小さなオオカミを見て少年は微笑み、少し元気になった獣を撫でた。

「おまえ、おでこに剣みたいな模様があるな……」

 額の白い十字模様を指でなぞられ、オオカミはソーセージを咥えたまま首を傾げた。

「じゃあ、おまえの名前は【ツルギ】だ…!」


 赤い頭巾の少年に【ツルギ】と名付けられた小さなオオカミ。

 その傷付いた脚は、不器用で乱暴ながら温かい少年の看護のおかげでみるみる良くなり、再び走ることができるまでになった。

 自由に動けるようになったオオカミは少年の後を付いて回り、少年はそんなオオカミと毎日遊んで暮らした。


 しかし、幼い少年の技量では小さなオオカミの存在を隠し通すのは難しく、室内で一緒に遊んでいるところをとうとう母親に見つかってしまった。

 ツルギを見た少年の母親は初めは息子が仔犬でも拾って来たのかとも思ったが、猟師である少年の父親が確認するとオオカミであることが発覚した。


 人間とオオカミが共存するのは難しい。

 オオカミが犬とは違い、危険な生き物であることを両親から諭され、少年は渋々オオカミを森へ帰した。

 別れ際。

 何度も振り返り、寂しそうに首を傾げるツルギに向かって少年は微笑み、囁いた。

「また遊ぼうな…!」


 少年とオオカミは密かに森で会って遊ぶ、秘密の友達となった。

 少年の両親には気付かれることはなかったが、ツルギの身体に付いた人間の匂いをオオカミ達が見逃すはずがなかった。

 いつものように一人と一匹が遊んでいる際、ツルギの父親は現れた。

 ツルギは父親の姿を見て嬉しそうに吠えたが、銀狼の残酷な瞳は忌々しい人間の子供を捕らえていた。

 突然現れた大きな銀色のオオカミに見惚れた少年は、その場から動くことができなかった。

 猛然と迫る銀色。

 鳴り響く銃声。

 銃弾は銀狼の肩を掠め、銀色の毛皮に鮮血が滲む。

 銀狼が振り向くと、そこには自分を追っていた猟師が立っていた。

 猟師は自分の息子に向かって「逃げろ」と絶叫したが、それが彼の最期の言葉となった。

 向き直った銀狼が飛び掛かり、前脚で猟銃をへし折り、猟師の腹から上を食い千切った。

 銀狼は内臓を咥えたまま大きく首を振り、おびただしい血が呆然と立ち尽くす少年に降りかかる。

 銀狼の子は何が起きているのか理解できず、ただただその場で震えるばかり。


 ほとんどの内臓を身体の外へと引き摺り出し、猟師が完全に動かなくなったことを確認した銀狼の首に、突然鈍い衝撃が走った。

 赤く染まりぐらつく視線を向けると、いつの間にか赤い頭巾の少年が側に立っていた。

 少年の手には、猟師が落としたであろう血の付着した手斧。

 少年は目を見開き、おぞましい笑みを浮かべ、再び得物を振り下ろす。

 ぐちゃり。

 咄嗟に避けようとするも、首の傷が思った以上に深く、かの銀狼もまともに動くことができない。

 ぐちゃり。

 何度も振り下ろされる幼い斧が、オオカミの形と命を奪ってゆく。

 ぐちゃり。

 近くで震えているであろう息子に【逃げろ】と伝えようとするも、喉から出るのは血と無力で僅かな吐息のみ。


 やがて動かなくなった銀狼に覆い被さるように少年はしゃがみ込み、まだ温かいオオカミの血肉に喰らい付いた。

 咥えた臓器の一部を首を振って引き千切り、口から血を滴らせ、狂ったように笑い出す。

 その凄惨な光景を見ていた幼いオオカミは、記憶と共に意識を失った。






 ***






 ……そして、現在。

 今目の前にいるのは、命の恩人であり、大切な友であり、父親の仇でもある人間の少年。

 互いの父親が死んだのも、少年が狂ってしまったのも…、その全ての原因を作ったのは、あの日崖から落ちた自分自身であるのも理解できている。


 ツルギは岩から飛び降り、赤ずきんの側に寄った。

 赤ずきんの首元に付いている動物の牙は、銀狼のものであることが今ではわかる。

 銀狼の子は、状況が理解できず首を傾げる愛しくも恐ろしい少年に向かってもう一度吠えた。


 自分が死ぬまで、この少年の剣になることを誓って。

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