第34話 性悪皇女は恋をした
強い日差しはガゼボに遮られ、吹き抜けていく風が心地よい。
大方話し終えた私はグラスに冷たい紅茶を注ぎ、真っ青な顔をしているシンシアへ差し出す。
「何かの、間違いでは……?」
声を震わせて訊ねたシンシアに向かって、ゆっくりと顔を左右に振って見せる。
舞踏会のテラスや、訓練を見学しに侯爵家の別宅を訪問したときの話には楽しそうに相槌を打ち、花のアーチの下で交際を申し込まれた話しのときには瞳を輝かせていた。
けれど、昨夜のブラッドの私室であったことを話すと顔色がサッと変わり今に至っている。
「もしかしたら、お姉様の夢だったのかも……」
「本人の口から聞いたことよ」
「嘘、だって、誰もが羨むような出会い方も、恋人になるまでの経緯も、それら全てがつきまとい行為の延長だったということでしょう?」
「つきまとい行為……」
「家族ではないのですから、彼がやっていることは重罪です」
低い声で呟いたシンシアがグラスの中身を一気にぐいっと飲み干す。空になったグラスを戻されたのでそれに紅茶を注げば、差し出す前に奪われまた空になってグラスが戻ってくる。
「いいわ。あの顔に免じて、つきまとい行為は許してあげましょう。寧ろあの顔じゃなければお父様に言って捕まえているところですが」
「あの顔で悲しそうにされると責められないのよね」
「籠絡されている場合じゃありません。別宅の私室には……お、お人形があるのでしょう?」
眉を顰め嫌そうに口にしたシンシアに頷く。
伝手を使って皇女の絵姿を大量に描かせ、本人の同意なしに渡す予定のない宝飾品を用意する。それだけでも十分おかしいというのに、私に似せて作らせた人形という衝撃的な物まであるのだから、もうどう対処すればいいのか分からない。
「ニ、三年前のときに私が夜会で着ていたドレスを、人形が着ていたわ」
「一体だけじゃなく、何体もあるなんて……あっ!」
「何?」
「社交シーズン中にしか使用しない部屋にそれらがあるということは、領地の本邸には何があるのでしょうか?」
「……何もない筈よ」
「そうですよね。あれ以上の物など、ありませんよね……?」
二人でコクリと喉を鳴らし、ふふ、ふ……と乾いた笑いを零す。
あの棚に置かれている物を持って本邸と別宅を行き来するわけがないのだから、本邸にも絶対に何か置かれている……。
「そんな物があると聞いただけでも怖いのに、それをお姉様本人に見せるなんて……。嫌われない自信があったのかしら?」
「嫌うも何も、宝物を自慢する子供のようだったから」
「ブラッド様にとっては宝物かもしれませんけれど、そんな物を見せられたら気持ちがわる……っ」
慌てて口を両手で押さえ私を窺うシンシアに苦笑する。
大丈夫。恐らく誰がこの話を聞いても貴方と同じ反応をすると思うから。
「でも、そのことが切っ掛けで色々と考えることになったわ」
「何も考えず今迄通り過ごしていたら、お姉様の頭がどうかしているのではないかと疑いますよ?」
「そうよね……」
「お姉様はブラッド様の執着が怖くはないのですか?」
「驚いたし、少しだけ怖くもあったわ」
「それなのに別れないのですね?」
「別れる……?」
ブラッドの想いに答えられず、彼に恋をしていないのであれば、恋人関係を解消すればいい。
シンシアに訊かれるまで、そのようなことすら考えつかなかった……。
「なんだ、別れる気はないのですね」
どうやら私は、彼と離れるという選択を初めから除外していたらしい。
「ずっとお姉様だけを一途に想ってきた人に、お姉様が恋をしたのであれば、何を悩むことがあるのですか?」
「恋……?私はただ、彼にどう返せばと……」
「好意を同じだけ返せと言われたのですか?」
「言われてはいないわ」
「そうですよね。そのようなことを言う人であれば今頃監禁くらいはしていそうですし」
「……か、監禁?」
「お姉様って根は真面目で良い子ですよね。ただ人に関心がなく執着しないだけで」
「それは褒められているのかしら?」
「まさか!」
ほくそ笑むシンシアに目を細めると、「怖いです、お姉様」とシンシアが怯えて見せる。
急にどうしたのかと思えば、丁度庭園の入り口からこの子の侍女が入って来たところだった。
この子の、私を貶め自身は良く見せようとする行動は、もう習慣にでもなっているのだろうか……?
「お姉様は、どうしたいのですか?」
本当に抜け目のない子だと呆れる私に、花を抱え直したシンシアが首を傾げる。
「側にいるか、離れるか、選択しないといけませんよね」
「……」
「ねぇ、お姉様」
椅子から立ち上がったシンシアは私の横に立ち、ゆっくりと身体を屈め私の耳元に唇を近付けた。
「そろそろ恋をしていると認めたほうが良いですよ」
ふっと冷笑したシンシアは私から離れ、迎えに来た侍女と共に皇女宮へ戻って行く。
呆然と見送る私の耳には、シンシアが離れる瞬間に口にした言葉が残っている。
『舞踏会が楽しみですね』
重い腰を上げそろそろ私も皇女宮へ戻らなくてはいけない。
「……楽しくないわよ」
深く溜息を吐き、そろそろ迎えに来るであろうパートナーを思い立ち上がった。
※※
舞踏会の支度を終え、騎士役として女神役である私をエスコートするブラッドを待つ。
「そろそろ時間ね」
庭園に向かうまでは色々考え憂鬱な気分だったのに、今はただ落ち着かず、時折胸が苦しくなるだけ。気晴らしになって良かったと喜ぶアンナに、それはシンシアと話したからだと言っても信じてはもらえないだろう。
「ブラッド・レンフィード様がお見えです」
「通してちょうだい」
姿見でもう一度ドレスや髪を確認したあと、ソワソワする心を落ち着かせ振り返った。
「お待たせいたしました」
今夜はレンフィードではなく騎士役だからか、扉から入って来たブラッドは普段以上に華やかで人目を引くような装いをしている。まるで恋愛小説に登場する騎士のようだと彼の姿に言葉なく見惚れ、宝石のように美しい紫の瞳が私を捉えたことに気付きハッとした。
「時間通りよ」
「では、宮殿までエスコートさせていただきます」
顔を見ただけで嬉しくなり、彼が目を逸らさず私を見つめていることに痛いくらい胸が苦しくなる。
「ヴィオラ様……?」
差し出された腕に手を添えない私に眉を下げたブラッドが、優しく私の名前を呼ぶ。
それだけで頬が熱くなるのだから、これはそういうことなのだ。
恋を自覚したのはいつかと訊かれたら、迷いなく今だと答えられるだろう。
「どうかされましたか?」
「大丈夫よ。少し緊張しているだけだから」
「女神役として踊るといっても、いつもと変わりはありませんから安心してください」
「そっ……そうね」
そういうことではないのだと口にしそうになり、咄嗟に口を噤みブラッドの腕に手を添えた。
「本当に大丈夫ですか?」
「……えぇ」
「顔色が……」
「お父様やヒューが待っているから、早く向かいましょう」
心配そうに私の顔を覗き込むブラッドがいつもと違って見え、恥ずかしくて顔を逸らしたくなるのをぐっと堪えながら不自然思われないよう歩みを促す。
既に舞踏会は始まっているのだが、建国際の主役である女神役と騎士役、それと皇族は少し時間が経ってから宮殿の広間へ入ることになっている。
建国際三日目は全ての帝国貴族に招待状が送られ召集されるので、普段接点がない貴族が顔を合わせるよい機会となる為、交渉や相談といった領地に関する談話をお酒や軽食を楽しみながら行えるようにとの配慮で後から登場するのだ。
皇女宮から宮殿までの距離は短く、いつもなら少し話しているだけで着いてしまうというのに、今日は何故だかとても距離が長く感じてしまう。
隣にいるブラッドを意識し過ぎて無駄に緊張し、彼の腕に添えている手は微かに震えている。平常心が保てず、彼に相槌を打つのが精一杯。
今夜の私のドレスは女神に相応しい装いということで、柔らかくふんわりとした生地で裾が長く、ヒールが引っ掛からないよう注意しなくてはならないのに、ブラッドにばかり意識が向いてしまい裾など気にしている余裕もない。
「先程言いそびれてしまったのですが、今夜のヴィオラ様も凄くお綺麗ですね」
「貴方も、とても似合っているわ」
「そうですか?騎士役ということもありますが、ヴィオラ様の横に立つのだからと張り切り過ぎて少し華美になってしまったので、そう言っていただけると嬉しいです」
心の底から嬉しそうに笑うブラッドが可愛く見え、胸がギュッと苦しくなる。
今の私と同じような描写が恋愛小説にも書かれていたことを思い出し、凄い……これが!と感動している最中に添えている手を握られ、大袈裟に肩が跳ねてしまった。
「……っ」
「手ぐらいはと、少し調子に乗ってしまったようです」
直ぐに手を離したブラッドを恐る恐る見上げると、彼は「すみません」と気弱な笑みを浮かべる。そんなことはないのだと言いたいのに、言葉が上手く口から出ない。
「……昨日、騎士役として隣に立つと言っておきながら欲を出したのですから、嫌がられても仕方がありません」
「嫌では、なくて」
「では、触れても構いませんか?」
「ふ、れ……」
「貴方に触れ、愛を囁く程度の許可はいただけますか?」
「……」
「ヴィオラ様」
ブラッドに甘い声で懇願され断れる女性などいない。
考える間もなく頷けば、空いている方の手で腕に添えている私の手を大切そうに握り締めた。
恋人として努力しているのだと思っていた彼の言動も、恋人の演技だと思っていた近過ぎる距離も、その全てに本物の好意が含まれていたのだと改めて思うと、顔を覆って蹲りたくなる。
平静を装ってはいるけれど、つい先程恋を自覚した初心者にブラッドは扱えない……。
「今日で騎士役は終わりますが……」
どこか寂しそうに呟いたブラッドは、そのまま言葉を止め無言で足を進めて行く。
何を言うつもりだったのかと「続きは?」と訊ねてみたが、「秘密です」と誤魔化されてしまった。
宮殿内に入り二階に上がった先には広間の壇上へ出る扉がある。
その扉の前には既に家族とその婚約者が待機していて、私達が最後だと知り足を早めようとした瞬間、ドレスの長い裾を踏み体勢を崩してしまう。
あっと思ったときには遅く、転ぶのを覚悟し目を瞑ったのだが……。
「……っ」
「そのままで、失礼いたします」
身体がふわっと浮く感覚に驚き目を開け、自身の状況を理解するのと同時に顔が熱くなる。
「足をくじいてはいませんか?」
「……はい」
「どこか、足以外におかしなところは?」
「大丈夫だと……」
「では、また転ぶと危ないのでこのまま向かいましょうか」
「え、このまま……?」
「このままです」
あの一瞬で横向きに抱きかかえられた私は、為す術もなくお父様達が居る場所まで子供のように運ばれてしまう。
私は目の前にあるブラッドの顔が直視できず、手の位置や呼吸まで止めるほど動揺しているというのに、彼は平然と扉の前まで歩き何事もなかったかのように私をそっと下ろした。
「ヴィオラはどこか怪我をしたのか……?」
眉を顰めたお父様に訊かれ、私の代わりにブラッドが「いえ」と返事をする。
「その心配はなさそうです」
「そうか、それなら……何故抱きかかえたままだったんだ?」
「騎士役ですので」
「それがどう関係ある?」
「女神の身の安全を守り、慈しみ、大切にすることが使命ですので」
「口が回るのは父親そっくりだな」
「そのような父を気に入り側に置かれているのでは?」
「優秀だからだ」
「では、私のことも気に入られる筈かと」
「気に入らん。私の娘から離れろ」
「お断りいたします」
怪我の心配から始まった口論を止めようと、お父様の袖を引っ張った。侍女や侍従といった人目もそうだが、ヒューやシンシアからの視線が凄く痛い。
「お父様」
「……こんな男のどこがいいんだ?私に似た男がいいと言っていなかったか?」
「容姿が優れているところはそっくりです」
「容姿……?」
お父様は驚いた顔をしているが、容姿が及ぼす影響は多大なのだと私はにっこりと微笑む。
「それよりも、そろそろ時間なのではありませんか?」
「後で詳しく訊くからな?」
「分かりました」
「今夜の舞踏会では、私が挨拶をする前に女神役と騎士役が躍ることになっている。二人は扉から入ったらそのまま壇上を下り、中央で向かい合う形で立てばいい」
「はい」
「ヴィオラ」
先頭に立ち扉が開くのを待っていた私の頭を、お父様が優しくそっと撫でる。
「いずれ皇女宮に閉じこもるのではないかと、そう心配していたが」
「お父様……」
「諫めることしかできない父を許してくれ」
お父様はシンシアのことを言っているだと気付き、小さく頷く。
私もシンシアも、どちらもお父様にとっては大切な娘なのだから、処罰した貴族と同じようにシンシアに罰を与えることはできないと、恐らくそういった意味が込められた謝罪なのだろう。
「入るぞ」
お父様の言葉で扉が開かれ、私をブラッドが先頭に立ち広間の壇上へ歩き出す。
皇族が入って来たことによって騒がしかった広間は瞬時に静まり、皆の視線を集めながら階段を下り、広間の中央でブラッドと向かい合って立つ。
私達の準備が整えば、音楽が流れだす。
ゆったりとした美しい曲に合わせて踊りだし、ブラッドのリードに身を任せながらダンスを楽しむ。先程までの緊張や気まずさなどはなく、軽やかにステップを踏み続ける。
回帰前は、広間の中央で踊るシンシアを壇上から眺めていただけ。
鳴り止まない拍手、賞賛、女神役を務めたシンシアが微笑めば皆が幸せそうな顔をする。
嘲りや中傷しかない私とは正反対の妹を羨ましく思いながら、そんなものは要らないのだと必死に耐えてきた。
全てが色褪せて見え、何もかもがどうでもよくなり、お父様が挨拶を終えて直ぐに舞踏会から逃げ出したことをよく覚えている。
「引きこもらないで良かったわ」
「何か仰いましたか?」
「いいえ……!」
繋いでいた右手をパッと離しくるりと回転すれば、わっと歓声が起こる。
あははと口を大きく開けて笑う私に驚いているブラッドを見て、彼の胸の中に勢いをつけて飛び込んだ。
「ヴィオラ様……!?」
「楽しいわね!」
形を無視して自由に踊る私に嫌な顔をせず、「楽しいですね」と笑うブラッドに胸が高鳴る。
彼を知れば知るほど好意が増していくと、そう思ったのはいつだっただろうか……。
今思えば、私はあのときから彼に恋をしていたのかもしれない。
「ねぇ、ブラッド」
だんだん音が大きく激しくなり、音楽の終わりが近付いてくる。
吐息が触れるほどの距離で見つめ合いながら彼を呼ぶと、それに答えるかのように優しく微笑み首を傾げる。私を見下ろすブラッドへより近付くように背伸びをし。
「私も、貴方に恋をしているみたい」
彼の耳元でそう囁いた。
音楽が終わって余韻が残るなか、観衆から盛大な拍手が送られる。
「良かった、聞こえたみたいね」
口元を片手で覆いながら目を見開くブラッドに向かって、いつまでも翻弄されてばかりではないのだと口角を上げた。
この後は、お父様の挨拶から本格的に舞踏会が始まる。
日付が変わるまで行われる舞踏会が終われば、此処に集まっている者達は二度目の宴へと繰り出す。朝方までずっと続けられる帝都のお祭りに行く者もいれば、知人を招き別宅で飲み明かす者と、他にも様々な趣向を凝らし楽しむらしい。
これが恋だと自覚したのだから、舞踏会が終わった後にブラッドと話さなくてはと壇上を見上げると、急に拍手や喝采がピタリと止む。
壇上に立つお父様が私の背後を見て表情を歪ませたことに気付き、何事かと振り返った私は息を呑んだ。
レンフィードの別宅を訪れた日、花のアーチの下で告白されたように、ブラッドは床に片膝を突いて私を見上げていた。
「愛しています」
その一言には、彼の想いの全てが詰まっている。
「ずっと昔から、ヴィオラ様だけをお慕いしてきました」
私が何か口にする余裕を与えずに、彼は言葉を続けていく。
「私と、結婚していただけますか?」
紫の瞳を鈍く光らせ、獲物を狙うような目で私をジッと見つめるブラッド。
弱気な笑みを浮かべていた彼とはまるで別人のように感じる。
私に願い懇願しているように見せているが、彼の眼差しは私を絶対に逃がさないと語っていて、それを嬉しく思ってしまうのだから恋とは恐ろしい。
「婚約ではなく、もう結婚なのですか?」
「婚約期間中に、私より容姿の優れた男が現れたら困りますから」
そう言いながら凄く綺麗に微笑むブラッドを軽く睨み、意趣返しのように深く溜息を吐き、私の返事を待つ彼に問いかけた。
「私と生涯を共に過ごしてくださいますか?」
与えられた機会で望んだものは、たったそれだけ。
ヒューやシンシア、他の誰もが手にしていたそれを切に望み、こうして回帰までしてしまった。
「ヴィオラ様だけを愛し、慈しみ、生涯を共にすることを誓います」
まるで結婚式での誓いの言葉のようだと苦笑し、微動だにせずジッと私を窺うブラッドに向かって腕を伸ばし、抱きついた。
広間は騒めき、壇上から駆け下りてくる足音まで聞こえるが、そんなものは関係ないと二人でぎゅっと抱き締め合う。
『私と、恋をしてみませんか?』
恋ができない同士だと思っていた人は、私に恋をしていた。
貴方が勇気を出して行動してくれたから、今がある。
この人なら絶対に裏切らないと、ずっと一緒にいてくれると信じることができる。
「私も、ブラッドを愛しています」
「……っは、っ」
瞳を潤ませ、言葉を詰まらせたブラッドの頬にそっと口付ける。
ビクッと肩を震わせ、顔を真っ赤にし、これ以上ないほどの驚きを見せた彼の頬を両手で持ち上げた。
「私に、恋をしてくれてありがとう」
「……反則です」
そう呟き私の肩口に顔を伏せ、少し痛いくらいに私を抱き締めるブラッドの背中を撫でてあげながら、「それと」と優しく囁いた。
「あの棚に置かれていた人形は全て捨ててくださいね?」
「……ぇ」
ゆっくりと顔を上げたブラッドは、今にも泣きそうな顔をしながら緩く首を左右に振る。
ただ人形を捨ててほしいとお願いしただけなのに、それほど絶望するようなことなのだろうか……。
「捨ててください」
「ですが……」
「これからはずっと本物が側にいるのだから、あれはもう必要ないでしょう?」
「ヴィオラ様を模して作らせた物を、捨てろと仰るのですか……?」
「待って、泣かないで!」
ブラッドの宝石のような瞳からぽろぽろと涙が零れ、頬を伝って流れていく。
あのブラッド・レンフィードが泣く姿など想像すらしたことのない者達からは、小さな悲鳴が上がった。
「捨てることなどできません」
「それほど大切な物なのですか……?」
「……はい」
ここで妥協したら、この先もずっとこの泣き顔で押し切られてしまう。
ブラッドに主導権を渡してはいけない気がして、彼の涙を指で拭い、私も負けずと悲しげに眉を下げた。
「あら、あとニ、三年もすれば人形よりもっと大切な存在ができるというのに、貴方は人形を優先するのですね」
「大切な存在、ですか?」
「男の子ならブラッドに似た子、女の子なら私に似た子がいいわね」
ブラッドを説得する為に言ったことだが、想像すると何だか楽しくなってくる。
あの閉じこもっていた皇女宮ではなく、ブラッドが案内してくれた別宅のような屋敷で家族と共に暮らしていけるのだから。
「そうですね」
真顔になり何か考え込んでいたブラッドが艶然と微笑み、それを間近で見た私の肌が粟立つ。
「ブラッド……?」
「とても大切な物ですが、優先順位というものがありますからね」
「そうよね、分かってくれてよかったわ」
「ですが先程も言ったように、あれはヴィオラ様を模した物です。それを捨てるようなことは不敬罪となるかもしれません」
「それは」
「妥協案として、人の目に触れることのない場所に保管しておいてもよろしいでしょうか?」
「保管……」
「いけませんか?」
「……」
「ヴィオラ様」
「仕方がないわね。それなら許してあげるわっ……ブラッド!」
結局妥協してしまったと反省する間もなく、ブラッドに高く持ち上げられ悲鳴のような声で彼の名を叫ぶ。
「嫌だと言われても絶対に離しませんから」
仄暗い声でそう口にしたブラッドに、うっそりと笑う。
恋をしたいと望んだ私が手にしたのは、回帰前も今も、ずっと私に恋をしていた人だった。
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