第33話 恋とは?


建国際三日目。

宮殿で行われる大規模な舞踏会、日付が変わる時間に打ち上げられる花火によって、建国際は終幕となる。

この三日目だけは全ての帝国貴族が集まる為、帝都の門は早朝から開かれ貴族の馬車が続々と入ってきているらしい。

まだ社交シーズン中ではあるが、既に目的を終え領地に戻っていた者、領主だけが帝都へ赴き領地に残されていた家族等、貴族であっても各自様々な理由で社交や建国際に出席していない者達も一定数いるからだ。



「はぁ……」


もう何度目かの深い溜息を吐き、グラスに入った冷たい紅茶を飲み干す。

私は現在、日が沈む前から始まる舞踏会の準備もそこそこに、皇女宮にある庭園のガゼボで軽食を取っている。

今朝からどうも気分が落ち着かず、舞踏会の準備をしている最中に皇女宮の門が見える窓を頻りに気にしていた所為か、アンナに少し気晴らしをするよう言われ庭園に追い出されてしまったのだ。


「今日は、来ないわよね……?」


ブラッドと恋人になり、当初の目的を達成したことで社交活動を控えるようになった。

その代わり、毎日皇女宮を訪ねて来る彼と二人で演劇や歌劇に繰り出すこともあれば、皇女宮で和やかにお茶を飲みながら会話を楽しんでいる。

訪れる時間は私の都合に合わせ、贈り物だと言い花やお菓子を必ず持参するブラッド。

彼と一緒に過ごす時間はとても穏やかで、無理に話題を探す必要はなく、ただ黙って静かに座っていたときもあれば、些細なことで笑い合ったこともあった。

これが恋人との逢瀬なのだろうかと自然と緩む頬を手で隠せば、それに気付いたブラッドが優しく微笑む。

彼の側は居心地がよく、楽で、安心できるのだと、いつの間にかそう思うようになっていた。


『お慕いしてきました』


あのとき、ブラッドの眼差しが、声が、言葉が、私を切望して止まないのだと語っていた。


回帰前のことを踏まえ同士である彼にも恋を経験してほしいとは思っていた。だから恋人になろうと提案されたときに、後腐れなくとかお試しでと軽い気持ちで受け入れてしまったのだ。


「自分自身に呆れるわね」


ブラッドが異性を寄せ付けなかったのは、恋や愛といったものに興味がなかったわけではなく、ただ一途にずっと片思いをしてきただけで私の勝手な憶測だった。

夜会やそれ以外の場所で彼をよく見かけるとは思っていたが、まさか彼が私に合わせて社交場を選んでいるなんてよもや想像すらもしていなかった。

舞踏会で初めて顔を合わせて話した日も、私をずっと見ていたからああしてテラスに現れたのだろう。


もし私が回帰前と同じような行動をしていたら、恐らくブラッドもまた回帰前と同じ末路を辿っていた筈。一途と言えば聞こえは良いが、彼の行いは執着に近いと思う。

ブラッドに告白され考えさせてほしいとは言ったが、時間が経っても何も決められず、どうしたいのかも分からない。

彼は私に恋をしているのかもしれないが、私は彼に恋をしているのか分からないのだから。


『わかりました。明日は、騎士役として隣に立たせていただきます』


力なく微笑み声を震わせ同意したブラッドの姿が頭から離れない。

あれほど真剣に私を想ってくれている人にどう対応するべきなのか、自身の気持ちさえ分からない私にはお手上げで、こうして溜息ばかり吐いている。


「……っ、もう、どうしたら」


今此処にジェマが居てくれたら相談できたのに、建国際の最終日であり準備に時間のかける舞踏会前に彼女を皇女宮に呼び寄せるわけにはいかなかった。

軽食に手を付けることもせず、何もよい考えが浮かばないまま、椅子の背に凭れ目を閉じたときだった。


「お姉様……?」


酷く不快そうな声が聞こえゆっくりと目を開くと、花を両手に抱えたシンシアが私の顔を上から覗き込んでいた。


「シンシア……どうして貴方が此処に?」

「そっくりそのままお姉様にお返しします」

「私は気分転換よ。舞踏会の準備は終わったの?」

「まだですけれど、先に皇女宮に飾るお花を摘みにきました。私はお姉様と違って人任せにはしませんから」

「それはご立派なことね」

「……」


シンシアの相手をする気力がなかったのでそっけなく返せば、それが気に入らなかったのか、私を睨んだシンシアが正面の椅子に音を立てて座ってしまう。


「シンシア。悪いのだけれど、一人に」

「何かあったのですか……?」

「……え?」

「ですから、何かあったのかと訊いているのです」


また泣かれて騒がれる前に追い払おうとした私は自身の耳を疑い、横を向きツンとしているシンシアをまじまじと見つめた。

顔を合わる度に私を貶め、取り巻きを使って私の嘘塗れの噂を流させた子が、私の心配をしているの……?


「何を企んでいるのよ」


それだけはないと即座に判断しそう訊けば、バッと顔を勢いよく正面に戻したシンシアが吠え始めた。


「何も企んでなどいません……!ただ訊ねただけで、どうしてそうなるのですか!?」

「今迄貴方がしてきたことを思い出しなさい」

「私は、何もしていませんもの」

「周囲の者達を扇動することも罪になるの。お父様から叱られたのでしょう?」

「……っ」

「その反応からして、相当きつく叱られたみたいね。残念だけれど、最終日だけ女神役を代わることなど出来ないわ。諦めなさい」


だから何か企んでいても無駄なのだと微笑んで見せ、ぞんざいに手で追い払う仕草をすれば、顔を歪めたシンシアが唇をギュッと噛んだあと口を開いた。


「女神役はもう必要ありません。ただ……」

「何?」

「いつも冷めた眼差しと不遜な態度をとるお姉様が腑抜けていらしたので、訊いただけです」

「……喧嘩を売っているの?」


低い声で凄めば、シンシアが顔を左右に振り「だから」と慌てて言葉を続ける。


「様子がおかしかったので、話しくらいなら聞いてあげようと思っただけです!」

「話って、貴方が?」

「ジスランから助けてもらったので、その借りを返そうと思っただけです」

「あぁ、あの晩餐のときのことね」

「あとで恩を売られては困りますから」


だからさっさと話せと言わんばかりの態度に驚く私に、シンシアが「早く」と急かしてくる。

要は、相談に乗ってあげると、そういうことなのだろうか?


「……遠慮しておくわ」

「何ですか、その目は。まだ疑っているのですか?」

「全く信用できないもの」

「なっ……っ、私はもうすぐ隣国に向かうのですから、お姉様にはもう何もしません」

「隣国?」

「求婚を承諾しましたから」

「誰からの……?」

「誰って、一人しかいませんでしょう?ジスランです」


初日からあれほど嫌がり、昨日も剣術大会中ずっと側に寄るな、話しかけるなと、ジスランを散々邪険に扱っていたというのに、求婚を受け入れたの……?


「まさか、何か弱みでも握られてジスランに脅されているの?」

「脅されてなんていません」

「だとしたら、我慢出来ずに彼に危害を加え、傷を負わせた責任を取らされるとか」

「隣国の王太子に危害を加える筈がないでしょう!」

「そうよね。やるなら誰かを使って、自身は安全な場所から高みの見物をするような子だもの」

「お姉様……私のことを凄くお嫌いでしょう?」


頬を引き攣らせるシンシアに訊かれたが、肯定せずにただ微笑むだけに留める。


「たった数時間で何があったのか……ジスランのどこが良かったの?」

「私を必要としているところでしょうか?帝国の皇女という身分以上に、実の姉すら貶める私のこの性格や周囲を操る演技力が欲しいのだと、ジスランがそう言っていました」

「それでいいの?」

「はい。身分の高い女性なら他にもいるのに、私が良いと言ってくれたのですから」


凄いことを口にしながらも罪悪感など微塵も見られず、悪気などないのだというように朗らかに笑うシンシア。この子はこれからもこうして生きていくのだろうと、肩を竦める。


「隣国の情勢について、知ってはいるのよね?」

「ジスランが長々と説明してくれましたので」

「それなら彼の横に立てばどれほど面倒なことに巻き込まれるか、十分に理解しているのよね?」

「お姉様。私がたかが侯爵家の小娘に負けるとお思いですか?帝国の皇女であり、王妃となった私が、自国の貴族に地位を脅かされるとでも?」

「大変ね、これから貴方と対峙することになる隣国の貴族達は」

「私がジスランも隣国も手のひらで転がせるようになったら、是非遊びに来てくださいね」


無垢で可憐な風貌のシンシアに騙され破滅していく者達を憂いながらも、今迄見たことがないほど生き生きとしているシンシアの姿に密かに驚いていた。


「本当に、結婚するの?ジスランと夫婦になるのよ……?」


この子がこれほど楽しげに笑い、話すのを見たのはいつぶりだろう。

まだ幼く仲の良かった頃は、こうして二人で楽しかったことや悲しかったことなどを話していた気がする。


「ブラッド様を想う気持ちとは異なりますが、これもまた恋だと思っています」

「まだ、出会ってたった三日よ……?」


恋愛小説にあるような運命的な出会いではなく、思惑や打算がふんだんに盛り込まれた突然の求婚。一目惚れでもなく、幼馴染でもなく、三日前までは顔も知らない他人。

昨日まではジスランにあれほど敵意を剥き出しにしていたシンシアが、今日は彼に恋をしていると言う。


「日数や時間は関係ないと思いますけど。お姉様だってブラッド様と親しくしていたわけではないのでしょう?」

「それはそうだけれど」

「ずっと心の重しとなっていたものを取り除いてくれる人です。顔や身体が好みだというだけの男性よりも、もっとずっと貴重な存在なのです」


教会で司教が説くようなことを口にし始めたかと思えば、突然手を叩き「では!」と声を弾ませた。


「これで疑いは晴れたと思いますので、次はお姉様の番ですよね?」

「私が何か悩んでいたとしても、それをシンシアに話す必要はないわ」

「どうせブラッド様とのことでしょう?」

「……」

「他人だけではなく家族であっても無関心。純粋な好意であっても近付くことを許さず、人と距離を取り、冷めた目で周囲を眺めていたお姉様が、初めて側にいることを許した人ですものね?彼以外にお姉様にそのような顔をさせることが出来る者はいませんわ」


相手にせず口を閉じたままガゼボを出ても良かったのに、恋をしていると話していたシンシアの姿が頭から離れず躊躇ってしまった。

ブラッドと踊ることになっている舞踏会までそう時間も余裕もなく、だったらもう覚悟を決めるしかない。


「この場で話したことを吹聴したら、お父様に叱られるくらいでは済まさないわよ?」

「分かっています」


報復すると忠告したあとどこから話すべきかと悩み、どうせ話すのであれば最初からにしようと、ブラッドと初めて話した日から昨日までにあったことを話し始めた。



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