第32話 交差する想い


建国際二日目の剣術大会は午前中から予選が行われ、午後から上位八名の本選が行われる。

大会に出場する者達は帝国騎士か貴族が持つ騎士団の者が多く、稀に剣術に自身のある庶民も参加すると聞く。この剣術大会は建国際の余興のようなものなので、帝国騎士団長といった肩書を持つ者、過去の大会で上位二名に入ったことがある者などは出場が出来ないようになっているらしい。

会場となる場所は帝都にある野外ホール。

普段このホールでは、大陸中を移動し曲芸等を披露する見世物や、音楽家が演奏を行っているのだけれど、十分な広さと二階席があるという理由で建国際のときは剣術大会の会場をして利用されている。

予選を観覧するのは下級貴族や庶民がほとんどなので大層盛り上がるらしく、皇族や上級貴族が加わった本選とは空気が全く異なるのだと、予選をこっそりと観覧していたヒューが教えてくれた。


その剣術大会に、ブラッドは今年初めて出場する。

何故今迄出なかったのかと訊ねたら、「無駄に目立つ必要がなかったので」と返ってきた。

それならどうして出場するのだろうか?と私が疑問に思ったのも当然のことで、目立つのが嫌いで、剣術大会というものに関心がなかったブラッドが出場を決めた理由を訊き驚いた。


『優勝者はヴィオラ様から花冠を被せられるのでしょう?』


だから出場するのだと、まるでその辺を散歩するかのように口にしたブラッドに呆れつつも、嬉しく思う自身に戸惑いもした。


本選の時刻となり、お母様を除く皇族と隣国の王太子であるジスランが二階席に座る。

眼下にある広い壇上には予選を勝ち抜いた上位八名が立ち、その中にはブラッドの姿が。昨夜あのような気まずい別れかたをしたというのに、私の姿を見つけた彼はいつものように微笑んでくれた。

大会を取り仕切っている者に先導され端へ向かうブラッドの姿を目で追い、何とも言えない気持ちになっている私の左隣では、シンシアの隣に陣取ったジスランがグイグイと自身を売り込んでいる。


「あのシンシアが劣勢とは、ジスランは凄いですね」


右隣に座るヒューからそっと耳打ちされ苦笑しながらお似合いだと口にすれば、それがシンシアにも聞こえたらしく睨まれてしまった。


上位八名となれば直ぐに優劣はつかず、どちらかが降参するまで試合は終わらない。

一試合が長く、緊張感あふれるものが多いというのに、それがブラッドの試合となると全く異なったものになると言うのだから興味深い。

此処に居る半数近くの者達は予選から見ているからか、彼が壇上に立つだけで会場は沸き、貴族席に座る令嬢達からは甲高い声が上がる。

壇上に立つブラッドが剣を構え相手を見据え、合図と共に試合が始まった。


「レンフィードの跡取りが相手です。数分もてばよいほうです」


椅子から腰を浮かせ前のめりで話すヒューの言った通り、他の試合とは違い数分程度で決着がついてしまう。


「ブラッドは強いのね……」

「当然ですよ!レンフィードが持つ領地は他国との国境に近く、長年帝国の防壁を担ってきた家ですから」

「そのような重要な役割を担っている侯爵を、お父様はどうして帝都に留めているのよ」

「昔とは違って国境を接する国々とは友好的な関係を築いていますし、レンフィードの次代があれですよ?安心して領地を任せられるのでしょう」


静かに壇上に立つブラッドの背後に陽が差し込み、どこか神聖で神々しく見える姿に惹き付けられる。まるで絵物語に描かれている英雄のようだとジッと見つめていたら、顔を上げたブラッドと目が合った。


「……っ」


驚き目を逸らしてしまい、これでは駄目だと慌ててブラッドを見るも間に合わず、彼は私に背を向け壇上を下りていってしまった。


その後もブラッドは着々と勝ち進み、遂に決勝戦の壇上へ上がった。

大きな歓声が聞こえる中、隣で椅子を動かしていたシンシアが私の腕にしがみついてきたので眉を寄せる。


「……シンシア?」

「少しだけいいでしょう?もう、あの男の相手は疲れたの」


あの男と、とうとう名前すら呼ばれなくなったジスランは、シンシアに睨まれても微笑みを浮かべている。露骨に拒絶されてもまだまだジスランには余裕がありそうなので、この攻防は建国際が終わったあとも続くのだろう。


「ブラッド様のこと、心配ではないの?」

「心配?先程までの試合を見ていたら、心配など不要だと分かるでしょう?」

「それでも、恋人じゃない。怪我などしないようにと心配になるものよ」


壇上に立つブラッドへ熱い視線を送るシンシアの言葉を聞き一瞬考えるも、やはり心配する必要などないと首を横に振る。回帰前の剣術大会では彼が優勝するのをこの目で見たし、怪我などしていなかったと思う。喜ぶどころか、どこか不服そうに頭に花冠を乗せていた彼の姿はとても印象に乗っている。


「あのブラッド・レンフィードよ?」

「お姉様って……」

「何よ」

「相変わらずですね。人に興味がないというか、どうでもいいというか」

「彼の強さを見たでしょう?怪我をするのではなく、させるほうだと思うわ」

「予期しないことが起こるかもしれないでしょう?」

「私の騎士が負けないと言ったのだから、信用してあげるべきだわ」

「へぇ……私の騎士と言うくらいなのだから、それなりに気にはしているのね」


何か呟いたシンシアが不貞腐れたように「はいはい」と口にしながら、ジスランに聞こえるように声量を上げた。


「お姉様の騎士はお強いですものね。私に求婚した人はひ弱そうですが」

「僕もその辺の騎士になら負けませんよ?」

「そうなのですね。ブラッド様と比べるとどうも見劣りするので、剣も振れないのかと」

「あの方は規格外ですよ。あれと戦わされる者達は可愛そうですよね」


シンシアの言葉にジスランは笑いながら反論して見せ、私の腕にしがみつきながら吠えるシンシアよりもジスランのほうが大人だと感心する。


「彼がヴィオラ様の恋人なのですね」

「そうよ、凄い人なんだから」

「でも、ヴィオラ様の恋人ですよね?」

「だから何よ……」

「いえ、良かったと安心しただけです。もし彼がシンシア様の恋人であったなら、暗殺するしかなかったので」

「暗殺だなんて、冗談だとしても面白くないわ」


さらっと暗殺などと口にして微笑んでいるジスランにシンシアが尚も噛みついているが、彼の目は笑っていないのできっと冗談ではなく本気なのだと思う。

そんな規格外の代表のようなジスランがブラッドを規格外だと言うのだから、それはどれほどのものだろう。


剣術大会の結果は、勿論ブラッドが優勝をあっさりともぎ取っていった。

女神役である私が壇上に上がり、床に片膝を突いて待つ出場者達の前に立つと、試合のときよりも大きな歓声が上がり、沢山の紙の花が降ってくる。

騎士役であるブラッドが優勝したこともそうだが、彼が女神役である私の恋人だというのだから、皆の興奮は凄まじい。


「優勝、おめでとう」


そう口にし、顔を伏せているブラッドの頭に花冠を乗せた。


「ありがとうございます」


私のドレスの裾を持ち上げ、そのまま顔を近付けたブラッドが口付けた。

騎士や恋人ではなく、これでは従属のようだと驚く私を余所に、そっと顔を上げた彼は花冠を指先で触れ破顔する。

一層湧きたつ会場で、お父様から小さな金の盾を受け取ったブラッドが剣を掲げた。

耳を押さえながら一足先に壇上から下り、そのまま周囲の興奮が冷めないうちに静かに立ち去ろうとしたのだけれど、それを見逃すほど私の恋人は甘くはなかったらしい。


「ヴィオラ様。失礼します」


事前に打ち合わせしていたかのように流れるようにブラッドに手を掴まれ、鳴り止まない拍手の中、野外ホールの中へと誘導される。

ホールの中にある狭い通路を足早に進むと扉があり、その扉から外へ出るのかと思えば、更に奥へと進み階段を上がっていく。階段を上がった先には二階席があるのでそこで座って話すのかと思えば、階段を上がりきる前にブラッドは足を止め振り返った。


「ブラッド。手を退けてもらえないかしら?」


少し暗く狭い階段。二階席には誰も居らず、今此処には私とブラッドの二人だけ。背中には壁、前にはブラッド、そして私を囲うように彼の両腕が壁についている。

獲物を見つけた獣のように紫の瞳を光らせたブラッドを前に、内心焦りながら退いてほしいとお願いするが、退いてくれる気配は微塵もない。


「昨日は、何故逃げるように帰ってしまわれたのですか?」

「……」

「その件が気掛かりで今朝皇女宮を訪ねたのですが、取り次いでもらえませんでした」

「……」

「先程も目が合ったというのに、逸らしてしまわれた……」


沈痛な面持ちで私に語りかけるブラッドを見つめながら、どうして彼が傷ついたかのような顔をしているのかと、何だか色々な感情が急速に冷めていく。


「あれは、何?」

「……あれ、とは?」

「あの棚に置かれていた物のことよ」


感情のこもっていない声で淡々と問う私に目を見開いたブラッドが、「棚?」と首を傾げている。

私は棚に飾ってあったあれらが衝撃的過ぎて眠れなかったというのに……。

もしや恋人同士であればあれは普通のことなのでは?いやいや、まさかそんなことは……と若干混乱しながら、よく分かっていなさそうなブラッドに私室にあった棚のことだと告げる。


「あの棚が何か……?」

「何かって、それは本気で言っているの?あの棚に置かれていた物は全て私に関連する物だったわ。幼い頃から最近のものまで描かれた絵姿やあの人形を見て、私がどう思うか分からないの?」

「異常だと、ヴィオラ様もそう思われたのでしょうか……?」

「私もと言うことは、誰かにそう言われたことがあるのね」

「友人が、あの棚にある物を見せたら嫌われると言っていました。だから秘密にするようにと」


急に勢いが衰えたブラッドはシュンとしてしまい、肉食獣から小動物へと変化する。彼の頭の上に耳があったらペタンと垂れていることだろう。


「どうしてあんな物を飾って……」


途中で言葉を切り、大人しく私を窺っているブラッドに眉を顰めた。

幼い頃から最近のものまであった絵姿や、私に似せて作らせた人形のことで頭がいっぱいで忘失していたのだけれど、あれらはいつから集めていたものなの?


「訊きたいことは多いのだけれど、ひとつずつ片付けていきましょうか」

「……」

「私の絵姿をどうやって手に入れたの?皇族の絵姿は、祝祭のときに稀に帝都内で配られることもあるけれど、あれは配られたものではないわ」

「絵姿を描かせている画家が同じ者だったので、頼んで描いてもらいました」

「あれを、全て?」

「はい」


棚に飾れるくらい小さな物とはいえ、一枚描くだけでもかなりの時間を要する。

しかもそれがあの量ともなれば、随分前から描かせていなければ……とそこまで考え首を軽く横に振った。


「宝飾品は私の誕生日に合わせて用意した物だと、そう言っていたわよね?」

「そうです」

「棚に置かれていた宝飾品は一つや二つではなかったわ」

「はい」

「貴方と親しくなったのは今年の社交シーズンが始まったくらいの頃で、恋人になったのは最近のことよね?それなのに、どうしてあれだけの数があるの?」


形や細工もそうだが、全ての宝飾品に彼の瞳と同じ色の宝石が使われていた。あれだけの大きさの宝石はそう出回っておらず、既製品ではなく誂えた物だと直ぐに分かる。


「宝飾品は、もう数年も前から作らせていた物ですから」

「……数年?」


私の声が震えたことに気付いたのか、瞬きすらせずジッと私を見つめているブラッドの瞳が揺れた。意識的に避けていた話しになりそうなことに気付き、咄嗟に違う話題を口にする。


「に、人形は……!」

「……」

「あの人形は侯爵夫人もご存知なのよね?」

「はい。父も母の人形を持っていますから」

「侯爵も……そうなのね」


それならおかしなことではないのだろうか?とほっと息をつくが、安堵するべきことではないのだと身体に力を入れる。

ブラッドの友人が異常なことだから秘密にするよう言っていたと言うのであれば、あれは彼の友人が注意するほどのことなのだから。


「ヴィオラ様」


頭の中で様々なことを考え葛藤していたら、ブラッドの声が耳元で聞こえ肩が跳ねた。


「他に何か、もっと重要な話が残っていませんか?」

「……」

「私がヴィオラ様を意識し始めたのは、まだ成人前のことです。まだ幼かった貴方の肖像画に目を奪われ、きっとそのときには心も奪われていたのでしょう」

「……ブラッド?」

「肖像画の少女は大人になり性悪皇女と呼ばれるようになっていましたが、宮殿の通路で侍女の肩を借り泣く姿を目にして、噂は全てでたらめなのだと知りました」


宮殿で泣いたことなど一度しかない。

否定するのも疲れるほど、私の良くない噂が誇張されて広まり続けていた頃だと思う。そのような時期にお父様から婚約者を勧められ、精神的に疲弊していた私は癇癪を起し泣き喚いた記憶がある。


「それから何年も、ヴィオラ様だけを見つめ続けてきました」

「何年も……」

「はい。宮殿で見かけたときから、或いは肖像画を見たときから、貴方にずっと恋をしています」

「貴方が、恋を?」

「無駄だと思っている社交活動を私が行っているのは、そこにヴィオラ様が居るからです。煩わしさしか感じられなかった舞踏会や夜会は、そこに貴方が居るだけで光り輝いて見え、ただ見つめ続けるだけだとしても幸せでした」

「待って、少し混乱していて……」

「ですが、あのテラスで貴方に初めて認識され、見つめられ、話し、欲が出ました。もっと側に、誰よりも近くに、貴方の一番になりたいと」

「……」

「ですから、恋をしたいと言っていたヴィオラ様に付け込み、こうして恋人にまでなりました」


壁についていた手を離し、私をそっと抱き締めたブラッドは、声を震わせながら「ずっと」と囁いた。


「お慕いしてきました」


彼が口にしていたように、昔から私のことを想ってきたのだとしたら、それは回帰前も?


「もし、あのときブラッドの提案を断って恋人にならなかったとしたら、貴方はどうしていたの?」


回帰前のブラッド・レンフィードは、誰とも恋をせず、結婚もせず、生涯を終えた人。


「きっと諦めきれず、ヴィオラ様を想いながら一人で生きていくのでしょう」

「侯爵家の跡継ぎなのに?」

「養子をとればいいことです」


ブラッドに抱き締められながら目を閉じ、彼の早鐘のような胸の鼓動に耳を澄ます。

彼が口にした言葉は嘘でも取り繕ったわけでもなく、本当にその通りに生きていくのだと私は知っている。


「……」


回帰前の私は、ただ嘆き苦しみ皇女宮に引きこもった。

今の私は……。


「ごめんなさい、ブラッド。少しだけ考えさせてちょうだい」


胸元から顔を上げそう告げれば、私を見下ろす彼の表情が絶望と悲しみに染まった。





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