勇者王子の旅立ち事情

加藤伊織

勇者王子の旅立ち事情

 この世界には、殺戮と破壊を司る暗黒神・ディノートを崇める教団がある。

 あまりにも人間の秩序からかけ離れた暗黒教団は、世界中から排斥されて長きにわたり地下に潜っていた。


 その暗黒教団が突如世界の表舞台に現れ、魔物の軍勢を率いて一国を滅ぼし、ディノートの降臨と帝国の樹立を宣言して1年。

 各国は、最初の大規模な侵攻以降は不気味に沈黙を保つ教団……いや、ディノート帝国に対し、危機感を募らせてきた。



 そして、かつて暗黒神を封印した勇者の血を引く者が、今まさに世界の平和のために旅立とうとしていた。



「父上、これは一体どういうことでしょう」



 リリエンブルク国の王子であるマクシミリアンは、父王に呼び出され玉座の間で立ち尽くしていた。

 金髪の美丈夫である王子は不満を表すように精悍な顔を歪めており、恵まれた体格の持ち主である彼が腕を組んでいる様は威圧感すら周囲に与えている。


 国王としての威儀を正し、玉座から息子を見下ろす父は、重々しく言葉を紡いだ。


「ディノート帝国についてはそなたも聞き及んでおろう。我がリリエンブルク国は遥か昔に暗黒神を退けし勇者ローイ様が興した国。つまり、我らは救世の勇者の末裔である」

「それは幼き頃より常に胸に刻んで参りました。ですが、突然ひとりで暗黒神討伐の旅に出よとはいかなることでしょうか! かの帝国を攻めるならば、各国で同盟を組み大軍を動かさねばその勢力をそぐことはまず不可能! 私ひとりで何ができると!」

「大軍を動かせば、すぐに気取られる。故に、勇者の末裔である我らが隠れて起つのだ。

 そなたの剣の腕は天賦のもの。道々腕を磨き、暗黒神をも封じる力を身につけるのだ。――おまえならば、必ずできる。いや、おまえ以外にかようなことを成し遂げられる者はこの世界におらぬ!」

「父上……そこまでに私のことを認めて頂いていたとは」


 思わぬ父の熱い言葉に、マクシミリアンは言葉を詰まらせた。


「わかりました! 勇者ローイも大軍を率いたのではなく、少人数で暗黒神を討ち果たしたのです。ローイの再来とも言われる私が、必ずしや成し遂げてみせましょう!

 つきましては……」

「うむ! ついては、旅立ちの準備としてこれを取らす! 例のものをここへ!」


 マクシミリアンの言葉を遮り、国王が手を上げるとふたりの侍従が静々と宝箱を持ってきて、王子の前へと置いた。


「え?」

「これを取らす。さあ、開けるが良い!」


 威厳たっぷりにマントをさばきながら、国王はまるで国の宝を与えるかのように宣言した。

 マクシミリアンはひとつ目の宝箱を開け、小さな袋を手にするとそれを覗き込む。


「砂金、ですか」

「うむ」

「ほんの僅かですね」

「1万ゴールド相当の砂金じゃ。この金を売り払い、路銀や装備の足しにすると良い」

「1万ゴールドぽっちで何を買えというのです!? 確か城下の庶民向け宿屋の相場は、1泊で5000ゴールドほどですよ!?」

「ほう……城下の物価にも通じておるか。さすがマクシミリアン!

 この金は、つまりは『元手』じゃ。如何様に使うかはそなたの采配次第、経済を深く学ぶことにも繋がろう。

 歴史あるリリエンブルク国の次期国王であるからには、つまらぬ使い方などはしないと信頼しておるぞ。そなたの王としての資質、見事万民に示して見せよ!!」

「なんという深きお考え……不肖マクシミリアン、父上の真意を誤解するところでありました」


 そうか、これは次期国王である自分の資質を世に知らしめる旅でもあるのか。――そうマクシミリアンは呟きながら、自分がどれだけ深い期待を掛けられているかを思い、涙した。


 そして、ふたつ目の宝箱を開け、中身を取り上げることもせずに真顔で父に尋ねる。


「棍棒が、丁重に入れられておりますが」

「そうじゃ! 勇者ローイも棍棒1本を手に旅立ったと伝えられておる! そなたの旅は勇者の足跡を追う旅になろう! ならば相応しきはこの武器ひとつである!!」

「お戯れにも程があります! 棍棒1本とは街の衛兵にも劣る武装ではありませんか! 宝物庫には勇者が纏いし伝説の鎧と、魔竜を切り裂きし剣があるはずでは!?」

「あれは、錆びて朽ちておる。一体何百年前の話だと思っておるのだ?」

「伝説の鎧と剣を錆びさせる方がどうかしておりますぞ!? せめて、王宮内にある最高の武具をご用意ください!」

「ならぬ! それでは目立ちすぎる! そんな物を纏って旅立ってみよ、リリエンブルク国の誇る勇者の再来・マクシミリアンが暗黒神討伐のために旅立ったと瞬く間に世界中に広がるに決まっておる!

 そなたのことを思えばこそ、さような物は持たせられぬ! 我が身を余計危険に晒すことだと、そなたほどの者が何故気づかぬ」


 苦渋の決断だと嘆きを全身で表しながら、国王は玉座を降りて息子の元に歩み寄った。

 常に剣を振り続けたためにまめのできた息子の手を握り、父はその手を愛おしそうに撫でながら涙を流した。


「我が息子マクシミリアンよ。勇者ローイの再来よ。そなたが今日まで積んできた研鑽を皆が信じておる。

 ――さあ、その血の源であるローイに倣い、旅立つが良い。そなたは必ずや大事を成し遂げて無事に帰ると信じて、父は待っておるぞ。その時こそが、新たな英雄にして王の誕生だと全ての民が知るときになろう!」

「私が……新たな英雄にして王……。確かに、この身ひとつで暗黒神を討ち果たせばこれ以上はない誉れとなりましょう。

 わかりました! 父上は心安らかに吉報をお待ちください! 行って参ります!!」


 マクシミリアンは己の頬に流れた涙を手の甲でぐいと拭うと、僅かな砂金と棍棒を手にして意気軒昂に玉座の間を辞した。




「行ったか」

「はい、城門を出る王子を確認いたしました」


 王の問いかけに侍従が答える。

 リリエンブルク国王は、長いため息をつくと固い玉座に身を沈めた。


「なんとか、追い出すことができたのう……あれが単純な男で良かったわい」


 国王の額には、年齢にそぐわぬ皺が刻み混まれている。

 それらは全て、第1王子であるマクシミリアンの行いの悪さから刻み混まれたものだった。


 マクシミリアンはよく言えば単純。悪く言えば視野が狭く考えが浅すぎる。

 更に、顔と剣の腕だけは良いが他に良いところはあまりない。

 腕に自信を持つあまり、稽古と称して再起不能なまでに騎士を叩きのめしたことは片手で数えられぬほど。

 城内に彼を支持する者などおらず、将来の王妃の座を狙う不心得者の令嬢だけが、彼に見せかけだけの好意を送っていた。


 なんとか廃嫡の方法を考えたが、過去に例がないことでそれはとても難しい。リリエンブルク国は血の濃さを重んじて、長子相続が法で決められている国である。


 あれが次期国王になったらまずい。

 それはリリエンブルク国内だけに止まらず、同盟諸国の統一見解だった。

 なにせ、馬鹿なのだ。腕っ節に自信のある馬鹿なのだ。

 王座に就いた暁には、建国の由来を笠に着て、周囲の国を侵略しかねないとまで言われていた。


 15歳でマクシミリアンが王太子の座に正式に就いてから数年、国王と同盟各国の首脳部たちは策を巡らせ続けてきた。


 それが、ありもしない暗黒神と暗黒教団の復活である。攻め込まれたと伝えられている国はここから遠く、実情まではマクシミリアンが掴めるものではない。周囲の者たちの語る話を聞いて、王子は表情だけは深刻そうに頷いていた。――それが、自分を陥れる罠だと知らず。


 腕っ節は強いが、身なりが良く世間知らずの王子である。棍棒1本でなにができるわけでもなく、その棍棒すら強い衝撃が加わればすぐに割れるよう細工がされている。

 早々に野盗に狙われ、命を落とすことになるだろう。

 運良くそこを切り抜けても、彼は有りもしない暗黒帝国を探してさまようのだ。各国に潜む間者から、偽りの情報を流し込まれながら。



「3年したら、マクシミリアンの死亡を公表することにしよう。そして、アーデルハイトを次代の女王とする」


 マクシミリアンの異母妹であるアーデルハイトは、兄とは正反対で思慮深く、王の器を持った王女である。

 この王女が先に生まれていればと、この国の全ての民が思っていると言っても過言ではなかった。




 さて、砂金と棍棒を持って旅立った王子はどうなったのであろうか。

 救世の勇者となるべく旅立った彼の足跡は、王城を出てから僅か4日ほどのところで途切れている……。

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