第24話 私の世界

 私自身、目覚めることはないと思っていた。だが、幸か不幸か下に人がいたらしい。その人も重体を負い入院中。最後に感じたは、下に人がいるからこそのあの痛みなのだろう。人がいなかったらもっと苦しい最期を迎えていたかもしれない。


「おにぃ、何か食べたいものはある?」


 時雨はここ数日、毎日学校を休んで私の看病をしに来てくれている。気持ちはありがたいのだが、学校面の心配が勝ってしまう。勉強についていけるのかとか、学校の友達は大丈夫なのかとか。そういう心配が、どうしても頭の片隅にあってうまく会話ができない。


「ないよ。それより、再三言ってるけど学校は行ったほうがいいよ。出席日数足りなくなったり、友達と疎遠になったりしたら嫌でしょ?」


「おにぃがいれば大丈夫。最悪留年しても卒業はする。バイトだってして、お金も私が出す」


 こうやって、時雨は私の元を離れようとしない。義理とはいえ、兄が二度も飛び降りをしたら、こうやって心配になるのが普通なのかもしれないが、時雨は少し度が過ぎている。


「おにぃ。氷雨さんもいないから。私一人だけだから。安心してね」


 独占。その二文字の感情に身体が支配されているのだろう。時雨と杏子以外認識できないという状況も、まさに時雨の独占欲のために作られたようなものだった。

 思えば、最初から時雨は独占欲が激しいほうだった。優芽さんが家の前に来た時も、敵意がむき出しだったし、好きだからと言ってその場でキスをする。自分が欲しいと思ったものには、積極的に行動し、敵対生物には牙をむく。時雨の想いは、私を手に入れるまで止まらないのだろう。


 今もその独占欲を発揮して、私を抱擁している。強く、それでいて優しい力加減は、私の心を溶かすのには十分だった。




 それから私は、時雨に染まっていった。時雨にとって最大の敵だった杏子は、今はもういない。敵をなくした支配人は、元の私の生活を壊していった。

 病院生活、あの日が懐かしい。まだ時雨が悲しみに満ちていた頃であり、私の自由意思がはっきりと存在していた頃でもあった。


 だが、今はもう違う。私の私生活はたった一人の少女に侵され、彼女なしでは生きていけない体になってしまいつつある。朝起きるのも、ご飯を用意するのも、勉強を教えてくれるのも、娯楽を一緒に探すのも、出かけることも、全部彼女なしではだめになってしまった。

 いや、むしろこれが正常なのかもしれない。昔の時雨と杏子に頼りつつ、人並みの生活を送れていたと思っていたのが大きな間違いなのだ。私の症状は普通じゃない。それなら、私の生活だって普通じゃなくなるのが摂理だ。


「おにぃ、ご飯できたよ」


 扉が開く音とともに、声がかけられる。一階に降りるとそこには三人分の食事。もちろん、あと一人は氷雨さんの分だし、基本的に家にいる。しかし、会話は愚か、認識すらできないのなら、本当に存在するといえるのだろうか。時雨が一言「氷雨さん出かけちゃったよ」と放つだけで、私はそれを信じざる負えない。それなら、時雨の発言だけが氷雨さんの存在証明ということになる。これは、氷雨さんに限らず、認識できないすべての人間に通用するだろう。

 時雨の言葉一つで、人が存在しない世界になる。そんな世界に足を踏み入れてしまったのだ。




 時雨に黙って学校へ来た。さすがに授業中に行くわけにはいかないので、放課後の時間になってからだが、相変わらず閑散とした校舎だった。これだけ広いのに、声一つない。何度も経験しているはずなのに、忍び込んでいるという気持ちもあってか、少しわくわくしていた。


 自分の教室に入っても、わくわくは止まらなかった。何もない教室。そのはずなのに、すぐそばにいるであろう生徒のことを想像するだけで、私の心は少し満たされていた。

 そうして、私は自分の席に座り、声をかけた。


「ねぇ。いるならさ、私の前に手紙おいてみてよ。指輪、渡せたのか気になるしさ」


 当然、返事は帰ってこない。だけど、私はいるという希望にすがって、少しの間待ってみた。そして、いつの間にか私の机の上に一枚のルーズリーフが置かれていた。そしてその内容は……




 少し落胆しながら帰路へ着く。ある意味、私の希望が断たれたようなものだった。

 それでも、玄関を開けた私に待っていたのは、私にとって希望といえる存在だった。


「おかえりおにぃ。学校はどうだった?」


 私がどこに行ったか知っていることに、もう驚きはしない。私は、もう彼女のものなのだ。


「わくわくしてたけど、案外微妙だったよ」


 嘘ではない、けれども真実ではないことを告げる。少し怪しんでいたが、最終的には信じたのか私のことを迎え入れてくれる。


「時雨」


「ん?なに?」


 もう、私の世界には彼女しかいないんだ。


 恋心とも、諦観ともいえる感情を持ち私は彼女へ囁く。


「あの時の返事だけど、好きだよ。今も、これからも、ずっと」


 やっと伝えた私の想い。彼女の想いからしたら弱いものかもしれないけど、それでも愛し続けられる自信がある。


 灰色の世界に、彼女だけが色づいていた。

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TS美少女は学校の美少女を呼び寄せる 雨館 @Amelia1722

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