第23話 狂気の子

「え、それって……」


 何かを言いたそうに口を挟まれたが、それを無視して私は話を続ける。


「私は、確かに杏子のことが好き……いや、正確に言えば、好きだったが正解かな」


「それってやっぱり……」


「ううん。あの心中は原因じゃない。それよりももっと大事なこと」


 すぅ、と息を吸う。こういうことを言うのは全く慣れていない。それどころか、緊張に弱すぎて、今にも逃げ出したくなる。けど、ここで言わないと


「私は、それより時雨が好きなんだ。その愛は、杏子に向けられるものより大きい。それが理由」


 杏子に向けられるのは、ある種の哀れみなのに対し、時雨は完全に愛を向けている。だからこそ、優芽さんや麻音さんが消えても何の悲しさもなかった。時雨がいれば、それだけで生きていけるから。


「なっ……」


 驚きを通り越して、混乱しているのがよくわかる。こんな昼休みに突然こんな告白をされたら驚くだろう。しかも、私には見えないが、本来は多くのクラスメイトがいる中なはず。公衆の面前で好きな人を告白するなんて、簡単にできる行為ではない。


「だから杏子」


 一歩。また一歩と近寄りつつ、声をかける。今、私はどんな顔をしているだろうか。今、周りはどんな様子だろうか。

 何もわからないが、目の前の羊が、恐怖し、涙をこらえているのはわかる。


「また、一緒に逝こ?」


 手を引く。これも、全て時雨のためだから。




 多分、杏子は相手の思考を鈍らせることができる。現に、私は白黒の世界へ旅立ち、その全てを杏子に染められていた。

 しかし、今は関係ない。なぜなら、既に私の視界は二色で染まっており、もう思考力が低下している状態だからだ。


 だから、前みたいな失態はしない。


 扉を開けると、一度見た光景が広がる。後ろから来られたら困るので、事前に用意しておいた重りを扉の前に置く。この学校の屋上が鍵がかかってなくて、本当に助かった。もしかかっていたら、別の案を考えなければならなかった。


「あ、えと、せんぱい?」


 振り向くと、明らかに不安そうな杏子の顔が見える。あの日のような豪快さはなく、むしろ少女らしい。これから起こる出来事に恐怖しているかのようにも感じる。


「どうしたの杏子。もしかして怖いの?」


「えっと、前はもうどうでもよかったのでやったと言いますか、勢いでやったといいますか……」


 こういう、勇気を出せないところが、昔と変わらないと思う。私が杏子の親にけられた日も、すぐに氷雨さんや時雨を呼びに行ってくれれば、もう少し軽傷で済んだかもしれないのに。

 せっかくあの日の続きをしようと提案しているのだから、二つ返事で引き受ければいいのに。


「ほら、行くよ」


 手を引くと、簡単にこちらへ向かってくる。これは、杏子の意思の表れなのだろうか。とにかく、あの日と全く同じ位置へ向かっていく。徐々に足取りが重くなるのは、気のせいだ。

 柵を越えると、足の踏み場が少なくなる。踏み外したら、そのまま死に向かうだろう。


「せんぱい、やっぱりやめましょう」


 さっきとは打って変わって、意志を持った言葉を放ってくる。その言葉に私の意志も揺らぎそうになる。本当にこのまま落ちていいのだろうか。時雨が悲しむんじゃないんだろうか。でも、私が生きていることで、間違いなく負担になる。そのほうが、私が耐え難い。

 悶々としている中、杏子はうっすらと笑みを浮かべる。それは、私を試していたかのような笑みだった。


「せんぱいは、案外臆病なんです。いくら時雨ちゃんのためとはいえ、簡単に自殺できるほどタフじゃない。それが、私との違いなんです」


 さっきまでの様子は演技だといわんばかりに、私に妖艶な言葉を投げかける。怖く、鋭く、それでいて溶かすような。そんな雰囲気を醸し出している。


 これが、狂気の子か。


「だからせんぱい。もし、自殺すると一言おっしゃってくれれば、私が手を汚しましょう。せんぱいは、ただ眼を閉じているだけで大丈夫です。それで、全て終わります」


 魅惑的な選択に見える破滅する選択を、私に投げかけてきている。独りよがりを貫き通すか、臆病なままでいるか。

 その答えは、不思議と私の中で簡単に出た。


「杏子。私の意思は変わらない。一緒に……」


 最後の言葉を遮るように、身体が押される。

 想定外の浮遊感に困惑しながら、振り返ると、そこにはしっかりと地に足をつけた杏子がいた。


「何を勘違いしているんですか?私は、ただと言っただけです。一緒に死んであげるなんて言ってませんよ」


 私は杏子を過信していたのだろうか。杏子ならいっしょに死んでくれると。あの日と同じことをしてくれると。


 前みたいに、杏子がクッションになってくれることはない。真下には、アスファルトしか見えない。

 助かる余地はなかった。


「時雨」


 最愛の人の名を口にする。落ちていく瞬間、窓から時雨の姿が見えた。偶然だろうが、最後に一目見れただけでも、私は幸せだった。


 そして、前と似たような痛みが私を襲い、暗闇の中に沈んでいった。

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