第15話 息は絶え絶え。胸はどくどく。

 手袋をはめ、背表紙の尻部分をなぞった。

 刃を黒く塗り、黒い表紙に隠してある。

 ほんの爪先ほどしか飛び出していないが、この本はそれなりの重さがある。背表紙を支えるようにして手を添えると、肉に食い込むという仕掛けだ。


 でもこれに塗られている毒は、いや、毒が塗られていたとしたらだが、それは麻痺の原因じゃあない。……はず。


(症状は、手足のしびれ。傷からの出血。進行のぐあいは、いつ毒を受けたのかによるから分からない)


 さて考える。


 まず、即効性があり、これら症状すべてを引き起こすことができる神経毒は、動物由来のものが多い。これは管理が大変で、劣化もめちゃくちゃ早い。実用するとしたら毒蛇を飼いならして、直接噛んでもらうのが一番現実的だ。

 入れるとしたらダクトだが……対象に見つけられ、実行前に動物が殺されるリスクをはじめ、そもそも蛇というものは『暗殺対象だけを選んで攻撃する』という訓練が難しい。

 とにかく使い勝手が悪すぎるので、それならナイフで襲い掛かったほうがマシである。


 次に、傷口から毒を混入されたのなら、最初にまず痛みがあるはずだ。

 傷ができる前におれの体には毒が回っていて、傷の痛みに気が付かなかった。ここには、血が止まるのを防ぐだけの効果がある薬が塗られていたと仮定すると、この罠の『狙い』が見えてくる。


 ――――毒は複数だ。



 『寝ずに読め』の箱を探る。

 目当てのものは、安全のために一番下に置いたから覚えていた。


 これ一冊だけが、単体で木箱に収まっている。中にはさらに油紙が巻かれており、それを手袋をはめて取りあげる。

 幾重にも保護された中にあるのは、暗褐色の表紙が付いた薄いページの本だ。内容はありふれた経典だが、これが木箱に入っている理由もまた表紙にある。


 革表紙を仕立てる過程に、劇薬といえる毒物が使用されているのである。

 その知識を持ち、素手で触らないなど扱いに気を付けていれば大丈夫。これが作られた時代は、この薬剤はただの防腐剤として使用されていた。

 そのため、皮肉にも教会が主導で製作して流布されたという経緯いきさつがある。

 摂取すれば人が死ぬような毒なので、もちろん防虫にも効果があり、現代でもそうと知られずに綺麗なまま本棚に眠っていることも多々あるという。


 『寝ずに読め』の箱は、暗号なしの本がほとんどだった。この経典のように、内容をはじめから知っているものも混ざっている。

 これは『すぐに読め』の箱にある本を読むために必要な『鍵』だ。

 暗号にはいくつかパターンがあるが、文章の置き換えに別の文章を使用するのは、基本パターンのひとつのジャンルといえる。


 『毒』と考えたとき浮かんだのが、この『死の経典』だった。

 経典の横に刃入りの本を開き、対応できる文を探す。おあつらえむきに経典の中には、『毒殺された王』の逸話が載っていた。


(うーん。解読できちゃうな……)



 おれは悩んだ。

 刻一刻と自分の体が動きづらくなっていく中、この暗号を解読するべきか否か。解毒剤の居場所が隠されていたらいいんだけど。


 けれどおれは、前述の通り戦闘力が低い。

 そりゃ、そこらへんのチンピラには負けたりはしないが、子供のころから暗殺の専門授業をみっちりしているような奴らを相手にするのは無理難題といっていい。つまり、この屋敷にいるほとんどの人間に、おれは勝てないことになる。


 ここは、当主だけが立ち入ることができる隠し部屋。

 そんなところに罠を仕掛けるとしたら、それは先代当主本人しかいない。


 しかし、この麻痺毒は違う。

 おれは経口摂取でこの毒を含んだとしか考えられない。

 ここに来る前、夕食を食べた。部屋に入る前にお茶も頼んだ。

 そしてそれを飲み干したのは三時間以上も前だ。

 消化は終わっているから、今さら吐いても効果は薄い。むしろ体力が減って衰弱する可能性が高い。

 解毒できなければ、どちらにしろ座して死を待つだけになる。


(他は? なにか口にしたものは? )



 拳を口にあてて考え―――――はっとした。だ。

 手袋は常備しているが、今日はさっきつけたのが最初。

 だとしたら、あとは……。


(ジャケットの袖か? いや)


 机の上を見る。

 ペンとインクがあった。ペンは今日おろしたばかりで、おれはこれを用意した人物を特定している。




 ――――『門番ガーディアン』の役割は、当主の補佐と後見人で、唯一例の『当主決定バトルロワイヤル』を免除された家である。


 彼らは運営として戦いの結果を見守り、新当主決定の後は、その生活を支えるためにこの屋敷のいっさいの家事を担う。

 ここの使用人は、全員が『門番ガーディアン』に所属する人々だった。

 当主が使うものは、もちろん彼らがすべて用意している。


 『門番』は特殊な家だ。

 そんな『門番』から試されているのだとしたら、このピンチから脱却する方法も限られることになるわけで。



(あ~もう! めんどくせェ~! )



 活路はここにしかない。つまり目の前にある正当法である。

 おれは目ん玉をカッ開いて毒付きペンを握ると、猛然と暗号の解読をはじめた。



 解読しながら、考えていた。

 並列思考は得意だ。それが、論理の問題とパズルの問題なら、なおさら思考を切り離しやすい。



 この部屋を出たら、おれは誰を頼り、誰を頼らないのかを、改めて考え直さなければならない。

 仕事には領分というものがある。この貴族社会では面子がすべてといっていい。

 忘れがちだが、この特殊な我が家においても、それは通ずる。


 ――――おれは『召使』さんを頼りすぎた。


 『門番』の裏切りを招いたのは、当主としてのおれの落ち度だから。


 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

暗躍貴族の中継ぎ当主になったので、ポンコツ王子の影武者業務は引退したい。 陸一 じゅん @rikuiti-june

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画