第14話 体が弱ると優しさが滲みがち。

[予告通り『幕間 任命、当主の妻(トロイ視点)』は、第一章の末尾に移動しました]






(だるい。寒い。体の節々が痛い)



 ベッドの中でガタガタ震えながら、横たわっているというのに視界がまわり、おれは瞼をきつく閉じてやりすごした。

 この症状が出るということは、解毒薬が効いているという証拠だ。

 分かっていても、心の持ちようで寒気や痛みがどこかに行くわけでもない。


「……旦那様、お加減は? 」


 ベッド脇で車いすに乗ったトロイが、手を伸ばして額をぬぐう。こんなに甲斐甲斐しい看病は何年ぶりだろう。

 彼女の背後にあるカーテンの隙間から陽の帯が射し、まだ昼間なのだと知った。


「今日は別の部屋で眠るように」

 そう言ったと思うが、ちゃんと言葉になっていただろうか。夢の中で口にしたつもりになっているかもしれない。


(ヘマしちまったなぁ)


 こうなったわけを説明するには、昨晩まで時間をさかのぼる。




 ==============




 秒針が時間を刻む。

 レンガ造りの地下室の壁は、外の音を通さない。

 壁時計の駆動音のほかには、この手が紙をめくる音と、自分の息遣いだけが聞こえていた。


 隠し部屋での『引き継ぎ業務』は、佳境に差し掛かっていた。

 『寝ずに読め』の箱は空になり、『すぐに読め』の箱も、あと少し。残るは『ぼちぼち読め』と『暇なら読め』の箱だ。


 どうやらこの『すぐに読めボックス』までをすべて履修すること、いや、が、この家を負って立つ当主としての最初の試練らしかった。


(暗号解読の成績が良くてよかった)

 おかげで、作業机の上はメモでいっぱいになっている。


 このペースならば、今夜にでも終えられるだろう。

 そう見越して、報告が終わると、おれはこの部屋に籠ることにしたのである。



 おれは戦闘能力が低い。


 影武者業務のため、訓練して鍛えすぎてもいけなかったっていう事情もあるし、そもそも格闘技の適性があまり無かった。

 そのかわりに、語学や教養、話術、そして暗号解読、その他いろいろの、運動神経が響かない分野をコツコツやって、課題の平均点を上げていたという過去がある。


 引き取ってくれた先代『覆面マスクマン』のじいさんは、そのあたりの事情をくんで、『若犬』で叩き込まれた基礎以上の知識と技巧を授けてくれた。


 だから、最後のページを読み終わって本を閉じたその瞬間。

 背表紙を支えていたその手から力が抜けて、持っていたものが床に落ちたとき、とつぜん襲った自分の体の不具合の原因となったものが何か、すぐに特定できたのだ。


(毒―――――)


 ふらついて机に手を付き、寄りかかりながら、ようやくおれは自分の手が震えていることに気が付いた。

 感覚が鈍く、それは体の末端に行くほど顕著であった。

 脚は、なんとか立って歩くことはできているが、それができなくなるのも時間の問題だろう。


 さて問題は、どこで毒を得たのかということだ。


 まず疑わしいのは、この空間すべてである。

 ここは地下室で、空気の入れ替えが簡単ではないからだ。

 天井近くに格子があり、猫程度しか通れないダクトが繋がっていて、外気が入ってくるつくりになっている。


 においは無かった。そういう毒は多い。空気に含まれているので、相手は気づかずいつのまにか昏倒する。

 薬品を使う方法もあるが、あれは扱いが難しいので、専門の知識と腕がいる。

 おれなら、そんな足がつきそうな殺し方はしない。


 空気には比率があり、その比率が崩れれば体に毒になる。比率は火から出る煙や、人間の呼吸でも変わる。

 おれの不調は、そのときの症状にとてもよく似ていた。部屋を出て新鮮な空気を取り込めば、改善する可能性はあった。


 しかし、それこそが罠である可能性もあった。

 部屋から出てきたところを、暗殺者が待ち構えているというパターンだ。



 おれは、部屋の中を見渡した。

 暗色の調度品と石造りの壁。正方形に近い、それなりに広い部屋だ。

 上への階段へ続くドア部分以外、ほとんどの壁を本棚に囲まれている。

 火気厳禁だとして、照明は火を使わないものを採用している。

 これは数十年前に隣国で発明された技術で、我が家ではふんだんに採用されていた。


 机を押し、通気口の下へと近づける。

 机の上に立って手をかざすと、空気の流れがあるのがわかった。風が当たると、わずかに残った肌感触が、右手の人差し指の先を冷たく刺す。


 おれは、高いところから再度、室内を見渡した。

 絨毯がすこし皺がよってしまっている。

 その上に、先ほど落とした本が、机を動かしたぶん、ぽつんとその場に置き去りにされている。


 おれはその本を、感覚を失くし始めた両手で持ち上げ、硬い革表紙をいろんな角度から観察した。



(……だ)



 その間にもおれの指先からは、とめどなく血が流れていた。

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