からあげ

美澄 そら

からあげは勇者を救う。


 マルセル歴967年。

 夏の異様な暑さと降雨量が少なかったために、農作物は不作。山々にも実りが少なかったのか、野生の動物たちが人里へ降りてくるという事態になっていた。

 それだけであるならば、不幸な一年なのだと誰もが諦められたのかもしれない。我慢は強いられるだろうが、蓄えを削りながらなんとか乗り越えられたはずだ。

 しかし、その不幸はさらに不幸を喚び、人々を恐怖の渦へ貶めた。

 動物たちを餌としていた、大型の怪物モンスターまで、餌を追うようにして、城下町の近くを闊歩するようになってしまったのだ。

 食餌だけでなく、いたずらに生命いのちを蹂躙していく怪物達に、第十七代目マルセル王も人々の安寧のためにと立ち上がり、皆が一致団結して町を護ろうとしている――のを尻目に、この状況を愉しんでいる者もいた。



 城下町から北東部に広がる森、ジャンガール。

 鬱蒼と青葉が繁るなか、大型怪物が周囲の大木を巻き込み、地響きを起こしながら倒れた。

 その様子を傍目に、砂煙から現れた男はフンッと鼻を鳴らした。

 あーあ、クッソつまんなかったな。

 図体ばかりでかくて、能力も火を吹くだけのド三流。

 怪物の自慢の、成人男性二人分はある逞しい腕を切り落としてしまえば、あとは吠えるばかりだった。

 途端に男は興味を無くし、背に負っていた大剣で怪物の脳天を呆気なくかち割った。

 どこかにいないものか。俺を興奮させてくれる、もっと素晴らしい怪物が。

 今年は僻地まで行かずとも怪物が湧くように出てくるのが有り難い。そう感じていた。

 

 勇者、レメディオスはひどく退屈していた。

 生まれつき頑強な身体と、類稀なる戦闘のセンスを持ち合わせていた彼は、幼少期にすでに完成されていて、人間を相手にするとうっかり殺しかねないということで、師から怪物退治モンスターハントを勧められた。

 はじめから、本人は怪物退治するということに使命感は持っていなかった。

 己の力を、限界を知りたくて戦っていただけだ。

 そうして人々に仇なす怪物を退治する度に、不本意ながら、褒められ、崇められ、勇者という称号まで与えられた。

 人々に勇者として崇められることに嫌な気はしないが、勇者になったからとはいえ、この渇望が癒えるわけでもない。



 ――もっと、もっと強い敵を。



 休息を終え、ジャンガールの森のさらに深みへ行こうと、レメディオスが巨木から腰を上げた瞬間、鳥達が奇声を上げて飛び立っていった。

 一羽二羽どころではない。羽ばたく音で他の音がかき消され、視界は一瞬闇に覆われた。

 レメディオスは、本能的に後ろに下がると、背に負った大剣の柄へと手を伸ばした。五感全てが危険を察知して、背筋が震える。

 これは僥倖だ。レメディオスの頬が上がっていく。

 大剣を構えると同時に、上空から巨躯の怪物が降ってきた。

 燃えているような赤い皮膚。頭部には枝のように幾重にも分かれた大きな角。白く濁った瞳。先程の怪物とは違い、筋肉質ではないが、腕や脚は異様に長くリーチもある。

 降ってきた衝撃で周辺の木々がなぎ倒されて、大剣を盾にしていたレメディオスも暴風に吹き飛ばされた。強かに大木の幹に背を打ち付けて、息が詰まったあと、それを吐き出すように笑い声を上げた。

「いいぜ、こいよ。俺を愉しませてくれ!」 



 レメディオスと赤膚あかはだの怪物との戦いは、広大なジャンガールの森の三分の一の木々を失うほど壮絶だった。

 レメディオスは多少傷を受けたものの、赤膚の怪物を倒し、久しぶりの強敵を早々に失ってしまったことに、空虚感を抱いていた。

 もっと、死地にある生命の奪い合い、あのひりつく感じに身を投じていたかった。逝ってしまった怪物を見下ろし、溜め息を吐く。

 そうしてしばらく項垂れていると、香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。

 そういえば、と空腹に気付いて、レメディオスは匂いのする方へふらふらと歩き出した。


 なんだ、この匂いは。

 食欲をそそる油の香りの中に、微かにスパイシーさを感じる。

 草根を掻き分けて行くと、匂いの元に辿り着いた。

 人型をしているが、光り輝く金の髪と、背にある蝶を思わせるはねが見える。

 何度もこの森を探索していたが、妖精フェアリーを見たのは初めてだ。

 レメディオスの足音に気付いて、妖精が振り向いた。

「あ」

 オーロラのように色が変わる瞳が丸く開かれる。

 幼さの残る顔立ちと肩の線の華奢さ。妖精の年の取り方はわからないが、レメディオスより一回り年齢は下なのかもしれない。

 傷だらけのレメディオスを見て怯えているのかもしれない、と判断して、慌てて笑顔を貼り付けた。

「待て、襲ったりしない。俺は勇者、レメディオス。君は?」

 長い沈黙と、レメディオスを詮索する視線のあと、やっと妖精が口を開いた。

「……俺はトリニダード。勇者様が妖精になんの用?」

「いい匂いに釣られてね」

「ふぅん」

 トリニダードがちらっと後ろを確認する素振りを見せた。

 どうも、例の匂いのものは彼の後ろにありそうだ。

「よかったら、すこし分けて貰えないか。実は今朝から何も食べていないんだ」

 レメディオスは小さな嘘をつきながら、にっこりと微笑んだ。

 食に関して拘りがないレメディオスは、今日のように探索する日は必ず乾燥した実や種を持ち歩いている。

 食事なんて、空腹が満たされればそれでよかった。

「断る」

 一刀両断されて、思わず背にある大剣へと手が伸びた。

 いやいや、ここで短気を起こせば、この匂いを醸し出している何かを知ることが出来ない。ぐっと堪えて、咳払いを一つ。

 先程の、怪物を倒してしまったあとの虚脱感が嘘のように、空腹と好奇心に駆られていた。

 トリニダードは真っ直ぐにレメディオスを見詰めてくる。その瞳の力強さにぶれてくれるような隙が見つらない。

 説得するのに難航しそうだな。レメディオスが考えを巡らせると、小さな溜め息が聞こえた。

「……これから話す、途方もない夢物語を信じてくれたら差し上げますよ」

「ふむ?」

 トリニダードの話は、本当に夢物語のようで、鵜呑みにするのは難しかった。

 要約すれば、トリニダードには前世の記憶があり、こことは違う世界の人間だったらしい。

 そこで食べていた『からあげ』という料理を再現するべく、ジャンガールの森にて一人研究をしていたとのことだった。

「……んで、これがその『からあげ』の試作品」

 差し出された皿の上には、拳より二周りほど小さい、ころんとした茶色の木の実のような物体が十個近くある。

 この見た目であの香ばしい匂いを出していたのか、と思うと、疑問しかない。

「一応ケッコーの肉とショーコの実、イソースで下味を付けてある。小麦粉の代わりは――」

 正直、話しの半分は理解出来なかったが、頷いておいた。

「……どうぞ」

 トリニダードもレメディオスが理解していないであろうことは、察していたのだろう。それ以上は何も語らなかった。

 お互い、食べればわかるという認識に落ち着いたとも言える。

「いただきます」

 皿の一番上に乗っていた『からあげ』を、親指と人差し指で摘む。持った感じ、外側は固く薄い衣を纏っているが、中は温かくて柔らかそうだ。身がぎゅっと詰まっているのもわかる。

 恐る恐る前歯で半分ほどを噛み切ると、衣がカリッと音を上げて、中のケッコーの肉から汁が溢れ、唇に纏わりついた。

 舌先に乗せ、奥歯で噛むと、肉汁のまろやかさにパンチとしてショーコの実がピリッと鼻腔まで弾ける。

 噛む度に衣のカリッとした食感と身の柔らかさを感じ、まだ熱を持った肉汁が喉まで伝っていく。食欲が止まらない。


 ――なんだ、これ。


 レメディオスは、ボロボロと涙をこぼしながら、皿へと手を伸ばす。

 ずっと、戦うこと以外に心を震わせるものなんてないと思っていた。こんなにうまいものが、この世界にあったなんて知らなかった。

「うまい。うまいよ、トリニダード」

 トリニダードは目を丸くし、そして頬を弛めた。

「そうか。よかったな」

 泣きながら、無心に食べるレメディオスは幼子のようだ。

 ぺろりと平らげると、レメディオスはトリニダードの分も全部食べてしまったことを詫びた。

「いや、いいんだ。この『からあげ』はまだ完成形じゃない」

「完成形じゃない?」

「……俺、前世ではめちゃくちゃヤンチャしててさ。今のアンタみたいに。そんで、事故で死んだんだ。

 死んだことに後悔はないけど、死ぬ前にさ、彼女に『からあげ』作ってあげる約束しちゃってさ。

 前世の世界にあるものが、この世界にあるとは限らないけど、もし俺みたいに彼女が転生してくることがあったら、今度こそ約束を叶えたいから」

 トリニダードは照れ臭そうに肩をすくめて笑った。

「幸い、妖精って人間より寿命長いらしいしな」


 トリニダードと別れて半月後。

 レメディオスはいつものようにジャンガールを探索し、先程倒した怪物モンスターの前で腰を下ろすと、思いを巡らせていた。

 ここ最近、レメディオスの目覚ましい活躍により、怪物が城下町まで下りてくることはなくなっていた。

 ――うまかったなぁ、『からあげ』。

 指先を見下ろして、トリニダードの内に秘めた熱を思い出す。

 タイミングよく、香ばしい匂いがレメディオスの元へと届いてきた。

 レメディオスは立ち上がると、匂いを辿り歩き出す。

 トリニダードに会えたら告げるつもりだ。


「俺にも、『からあげ』作り手伝わせてもらえないか」




 終


 


 



  

 

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