第1話-2 留意事項

 昼休みになりました。わたしは成り行きで『いきもの係』になりましたが、正直にいって生き物の世話をする自信はありませんでした。


「昼休みと放課後に一回ずつ見に行って、餌やりと掃除をするんだよ。こうやってね」


 と、健也くんはわたしに仕事の仕方を教えてくれます。彼が取り出した餌の缶の形状はどこかで見たことがあり、キャップを外し、グッピーの水槽へ餌を振る仕草は何かに似ていました。フライパンの上に乗った目玉焼きに調味料を振りかける姉の姿が目に浮かんだのでした。


「それ、塩コショウを振ってるみたいだね」


「……え、違うよ。巴さん給食の後もお腹を空かしてるんだね? でも確かに粗挽きコショウの缶だと出が良さそうだよね。今度試してみようかな」


 教室のロッカーの上にはカメ、グッピー、ザリガニのケージがそれぞれあり、蓋を開けると湿った土と糞の混じった水辺の独特な臭いが立ち昇りました。カメやザリガニは特に食欲旺盛で、パンやキャベツなど何でも食べるようです。給食を残した生徒のコッペパンを一欠片拝借して、頭大のサイズにちぎって渡すと、カメはもくもくと噛みつき、ザリガニはたどたどしくも両手を使って一生懸命に食べ始めました。


 まだ直に生き物に触れたりするのは怖いですが、食べる姿はなんとなくまったりと見ていられます。昆虫や魚など、意思疎通のできない生き物は、何を考えているのかわからない機械のような不気味さを感じていたのですが、好物を前にした彼らに無機質さは感じませんでした。むしろその懸命さは、人に通ずる意思の固まりのようにも見えました。


「あっ……」


 不意に両の手のひらにずしりと冷たい重たさを感じました。わたしは生き物なんて育てて良いのでしょうか?


 その日は陽が落ちようとしていて、照明も点けない暗い部屋のなかで、わたしは飼っていたハムスターが手の上で冷たくなっているのをただ見ていました。わたしは自分の悩みとか、悲しみとか、これからどう生きていけばよいのだろうといった不安とか、『自分自身のこと』ばかりを考えていて、わたしより外側の世界に目が向いていなかったのです。たすけを求めていた生き物の声を聞き取ることができなかったのです。


 空気の抜けた風船のような胃、カラカラに干からびた身体のことを思うと、喉がつかえたように苦しくなってしまいます。当時誰も世話をすることのできなかった家のなかで、わたしはハムスターを餓死させてしまったのです。


「ねえ。せっかくだから、ウサギ小屋も見に行こう」


 健也くんが不自然にも突き出していた私の手に触れました。どうしてか今にも泣きそうなわたしを不思議そうに見て、ただ彼なりに元気づけようと思って声を掛けてくれたような様子でした。


====


「わぁ……あったかくて、ふわふわだぁ」


 ウサギ小屋は初等部の校舎の裏手、体育館の隣にあります。職員室から鍵を借りて、用務員さんから餌のキャベツをもらって、健也くんは手慣れた手付きでウサギ小屋の網戸を開けました。


 ウサギは六匹ほどがひんやりとした土間に寝そべっており、それぞれが異なる模様をしています。私はそのうちの人懐っこい茶ぶちの一匹を抱っこさせてもらったり、手ずから彼らにキャベツを渡したりしました。

 

 生き物の体温というのは不思議です。生きているというのは体内で炉を燃やしているようなもので、耳を当てるとふさふさした毛皮の内側から、心臓が稼働している拍動音が聞こえます。特にウサギは温かくて、あんまり臭いがしなくて、安心する温度を保っています。抱きしめると不思議な感慨に満たされました。


「――あいた、いたたた!」


 わたしがウサギをキュッと抱きしめすぎてしまったせいか、強力な三連蹴りをお見舞いされて、腕のなかから飛び出していきました


「ぷっ。巴さん、ウサギも巴さんくらい人見知りだから、優しくしてあげてね」


「ごめんね、つい」


 わたしはウサギに謝りました。それを見て健也くんはもっとケラケラ笑いました。


 わたしたちは小屋のフンを箒(ほうき)でまとめて回収して、小屋の戸締まりをしました。昼休みもあと少ししかないので、急いで鍵を返しにいかなければなりません。


 職員室に着くと、「鍵のボードに戻しておいて」と言われました。わたしがそれを承ると、学年主任の先生が健也くんに言いました。


「あ、潤杉くん。そのプリントを持って行って皆に配っておいて」


「はい、わかりました」


 なかなか、生き物係の一日は忙しいなと思いました。プリントの束を抱えた健也くんと一緒に教室に戻ります。今日の午後は授業もなく、このまま帰りの会を行って下校の予定です。


 皆に配られたプリントは、普段わたしたちが目にするより遥かに難しい文体で様々なことが書かれていました。そのなかで箇条書きで記された一節を読んで、わたしの血液は凍ったようになり、また喉は乾いてきゅうと締まりました。


====

【留意事項】

・不審者に声をかけられる事案が増えています。担当クラスへの声かけの徹底、縦割り下校の検討。

・E組北上巴のフォローアップについて。昨年冬に両親が自殺し、精神的外傷のため半年間休学していた当人の健全な復学支援の検討。

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3 Angels Piracy ~変態に変態を売る三姉妹の生活~ うずしお丸 @uzusio1030

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