あなたが落としたのは金のハイボール缶ですか、それとも銀のハイボール缶ですか?

灰冠

第1話 金のハイボール缶、銀のハイボール缶

 どう答えればいい......?


 池から現れた女神を前に俺は悩んでいた。


 仕事を終えて満身創痍の俺は自分へのご褒美にコンビニでハイボール缶を買って後は家に帰る......その途中だった。


 3に日付を超える前に帰れた事もあって上機嫌だった俺はハイボール缶の入っていたコンビニ袋を誤って池に放り投げてしまった……そこまではいい。


 慌てて袋を拾おうと池の前にたどり着くも突如目の前が光を放ち始めた。


 そして池の中から女神様が現れた。


 言葉を失っている俺とは裏腹に目の前の女神は俺を見るなり開口一番こう言った。


「あなたが落としたのは金のハイボール缶ですか、それとも銀のハイボール缶ですか?」


 何故池の中から女神が現れたのか、何故女神が俺の落とした物を知っているのか、何故女神がハイボールという単語を知っているのか、そもそもこの状況は一体何なのか、何一つ分からなかった。


 頬をつねっても視界は変わらない。夢ではないらしい。


「夢ではありませんよ」


 女神様が微笑みながら話す。幻聴ではないようだ。


「もう一度聞きます。あなたが落としたのは金のハイボール缶ですか、それとも銀のハイボール缶ですか?」


「............」


 俺は考える。あまり本を読まない俺でも分かる。この状況は「金の斧、銀の斧」だった。


 斧を池に落とした木こりが「落とした斧は普通の斧です」と正直に答えると女神様は正直者の木こりに金と銀の斧両方をプレゼントしてくれる。


 このお話には続きがある。金と銀の斧を貰った木こりを陰から見ていた別の木こりは自分も2つの斧を貰おうとわざと池に斧を入れる。


 すると女神様が再び現れて同じ質問をしてくる。


「あなたが落としたのは金の斧ですか、銀の斧ですか?」


 金の斧と銀の斧が欲しかったもう1人の木こりは嘘をついて「その両方です」と答えてしまう。女神様は嘘をついた木こりには落とした斧を返さず、そのまま池の中に帰っていく。


 嘘をついてはいけませんという教訓を学べる御伽話である。


「どうされたのですか......?」


 女神様が首を傾げる。何も答えない俺に疑問を持ったらしい。


 どうして俺が答えないのか、それは俺が落としたハイボールは金と銀の両方だからである。


 コンビニで買ったハイボール缶のアルコール度数は7%と9%の2種類。金色と銀色の350ml缶を一つずつ買ったのである。


「金と銀、両方です」と言うのが正解のはずだった。


 しかし、「金の斧、銀の斧」のお話では二つを望んだ木こりは嘘つきと言われて斧を失った。


 もしも俺が正直に答えた場合、目の前の女神様が何と答えるのか......正直に答えるのが正解なのか、それを欲張りと捉えられてしまい、せっかく買った角ハイボールを両方共失ってしまうのか、分からなかった。


「女神様......もしよろしければ実物を見せてもらえませんか?」


 池から現れた女神様は質問をしてくるだけで実際に俺が落とした物を見せていなかった。


 これでコンビニの袋でも取り出してくれたのなら迷わずにその袋を指名する。


「これは失礼しました......」


 女神様はそう言うと池の中に手を入れる。そして金と銀のハイボールを取り出して見せてくれた。


「改めてもう一度聞きます。あなたが落としたのは金のハイボール缶ですか、それとも銀のハイボール缶ですか?」


「............」


「どうして何も答えないのですか?」


 実物を見せてくれたと言うのにそれでも言葉を発さない俺に女神様は疑問の目を向けてくる。


 俺が言葉に詰まってしまったのはコンビニの袋がなかったから......ではない。


 池の中から取り出したのにも関わらずハイボール缶が綺麗な状態のまま......だったからでもない。


 俺が言葉を失ってしまった理由、それは…………


「500ml缶......だと?」


 女神様が手に取っていたのは500ml入っている金と銀のハイボール缶、通称ロング缶だった。


 俺が落としたのはショート缶(350ml)である。

 目の前の女神様が提示してくれているロング缶(500ml)ではない。


 俺は決してお酒に強いわけではない。だから俺は350ml缶、通称ショート缶2本程度で十分だった。もしもロング缶2本も飲んでしまえば次の日の仕事に支障が出かねない。


 良かれと思い発言した事によって女神様に対する回答が今までよりもより難解になってしまった。


「あなたが落としたのは金のハイボール缶ですか、銀のハイボール缶ですか?」


 女神様が同じ質問を繰り返す。心なしかいつまでも何も答えない俺に早く答えろと言われているような気がした。


 彼女の問いは俺が落としたのは金のハイボールなのか、それとも銀のハイボールなのかである。


 そこに量は指定されていない。


「金の斧、銀の斧」のお話の中で斧の状態など書かれていた記憶はない。


 正解は何なのか、今の俺は分からなかった。



「......いい加減はやく答えてくれないかしら?」


「......え?」


 聞き間違いかと耳を疑った。つい先程まで聖母のような慈愛に満ちた笑顔を浮かべていた女神様はおでこに怒りマークを付けていた。


「いつまでも待たせるんじゃないわよ」


「申し訳ございません......」


 俺は会社で上司に謝る時と同じように深々と頭を下げた。


 元はと言えば目の前の女神様がハイボールのロング缶を取り出した事が原因なのにと心の中で愚痴を溢す。


「あなたがここにハイボール缶を落としたのが原因でしょ?」


 女神様はため息を吐きながら話した。どうやら俺の心は読まれていたらしい。


「全く......私だって好きでこの仕事やってるわけじゃないのよ」


「カシュッ」と爽快な音が鳴り響いた。女神様の方を向くといつの間にか銀のハイボールの蓋を空けていた。


 そしてそのまま口をつけて飲み始めた。


「......は?」


 目を疑った。女神様はゴクゴクと見事な喉越し音を立て終えると口を離して笑顔を浮かべる。


「ッハァ〜......」


 とても幸せそうな笑顔だった。あまりにも気持ちの良い飲みっぷりに思わず俺も唾を飲んでしまう。


「それで......あなたが落としたのは金と銀どっちよ?」


 先程までよりも雑に質問してくる。


「......金の方です」


 既に片方は女神様が飲み始めてしまった。元々はショート缶(350ml)2本を落としたのだが、どうでもよくなった俺は女神様が手にしていた金のロング缶を指さす。


「はい、どうぞ」


 今までの長考は何だったのかと思えてしまうほど簡単に女神様は普通に金のロング缶を渡してくれた。


「ありがとうございます」


 女神様から金のハイボール缶を受け取る。


 金額と量、共に損をしたことにはなるが、もはやどうでもよくなっていた。



「……何で帰ろうとしているの?」


「え?」


 金のハイボール缶を女神様から受け取った俺は彼女に背を向けるとすぐに呼び止められた。


「何でって、家に帰って晩酌を……」


「女神様を置いて一人で飲むなんて良い度胸ね」


 女神様はまるで子供のように頬を膨らませた。手にした銀色の缶を軽く揺らしながら視線をこちらの金のハイボール缶に向けている。女神様の言いたい事はなんとなく察した。


「カシュッ」と気持ちの良い音が俺の手にしていた金のハイボール缶からも聞こえてくる。女神様は俺の行動を見るなり笑顔になって銀色の缶をこちらに向けてくる。


「乾杯」


 彼女の銀色の缶と俺が手にしていた金色の缶を軽くぶつけ合った。ゴクゴクゴクと喉を鳴らしてやがて缶から口を離す。互いに視線が合うと思わず笑ってしまう。


「あなた、良い飲みっぷりね」


「女神様もな」


 普段一人でしかお酒を飲まない俺にとって誰かと会話をしながら一献交えるのは新鮮だった。


「お察しの通り、私は「金の斧、銀の斧」で語られる女神様よ」


 銀色のハイボール缶を持ちながら女神様は自己紹介をしてくる。

 返しに俺の名前を名乗ると女神様は「人間の名前は覚えられない」と一蹴された。


「本当に実在するんだな」


 御伽噺の存在に俺は感嘆の声を上げる。


「あなたっておつまみとか買わないのかしら?」


 女神様が俺に尋ねてくる。彼女の言う通り、俺はコンビニでお酒以外何も買っていなかった。


「空きっ腹にお酒を入れて気絶するように寝るのが早起きのコツだからな」


「どうしてそんな事するのよ」


「毎日朝6時には家を出て家に帰るのは日付を越えてからだからな……強制的に睡眠をとる手段としてお酒は良いんだ」


 職場までは徒歩で30分もかからない。普段の業務は事務職が中心で運転をしない俺は毎日お酒を飲んで寝るのが日課になっていた。


「多忙な私が言うのもあれだけど……あなたいつか早死するわよ」


 女神様は呆れたといわんばかりに深いため息を吐いた。目の前の女神様が本物の「金の斧、銀の斧」の女神様ならこんな田舎の池だけでなく、世界中の池から現れるのかもしれない。そう考えると多忙なのも納得だった。


「今日は0時前に帰る事が出来て嬉しかったんだ……それで嬉しくなって手を滑らせて袋を放ってしまって……迷惑をかけてしまって申し訳ない」


「…………別にいいわよ、私も勝手にお酒を飲んだわけだし」


 女神様は飲み終えて空になった銀のハイボール缶を手渡してくる。そこで俺は違和感を覚えた。


「俺が落としたのはショート缶……小さいサイズの金と銀のハイボール缶だ」


「え゛…………」


 女神様の動きがピタリと止まって固まった。どうやら彼女は気づいていなかったらしい。


 池の中がどうなっているのかは分からない。もしかしたらドラ〇もんの四次元ポケットのようになっているのかもしれない。


「……わわわ私、間違えてしまったのね」


 動揺した女神様は顔を紅潮させて恥ずかしがっていた。人のものを勝手に飲み始めていた女神様にも恥ずかしがるような一面もあるらしい。


「ちょ、ちょっと待ってなさい。今あなたが落としたものを探すから……」


「いや、これで十分だよ」


 すでに十分お酒は回っていた。女神様が池の中に手を入れて俺が落とした袋を探し始めようとしていたので声をかけて制した。


「で、でも女神としての役割を怠るわけにはいかないわ……」


「それなら、次に来た時にでも渡してくれ」


 俺はそれだけ言うと彼女から受け取った空になった銀色の缶と手にしていた金色の缶を持って家に向かって帰り始めた。背後からは俺に何かを言っている女神様の声が聞こえていた。


 俺は既にだいぶ酔っていた。おぼつかない足取りで家までたどり着くとそのまま玄関の前で倒れるようにして眠ってしまう。



 もしかしたら今日の出来事は帰り道に一人でお酒を飲んだ俺の夢幻かもしれない。


 池から出てきた女神様が本当にいたのかは分からない。それでも分かった事はある。


「金の斧、銀の斧」の女神様はお酒が好きだという事。

 ショート缶と間違えてロング缶を取り出す程度にはもしかしたら彼女は常にお酒を常備しているのかもしれない。



    ◇


 次の日の朝、俺はアラームの音によって玄関で目を覚ました。


「…………これは?」


 手元には見覚えのない金色と銀色のハイボールのロング缶が転がっていた。



    ◇◇



「疲れた……」


 仕事を終えて満身創痍の俺は自分へのご褒美にコンビニでハイボール缶を買って後は家に帰る......その途中だった。


 5に日付を超える前に帰れた事もあって上機嫌だった俺はハイボール缶の入っていたコンビニ袋を誤って池に放り投げてしまった……そこまではいい。


「……なんか既視感が」


 昔、同じような事があったような気がする。何かを思い出しかけた、その時だった。


 突然目の前の池が輝きを放ち始めた。


 そして池の中から女神様が現れた。


「あ…………」


 俺はようやく5年前の出来事を思い出し始めた。なぜ忘れてしまっていたのか、夢や幻だと、記憶のかなたに追いやっていたのかもしれない。


 女神様は俺と視線が合うとゆっくりと口を開く。

「金の斧、銀の斧」の女神が言うセリフを俺は知って……


「遅い!!!」


「え……?」


 女神様の開口一番に放たれた台詞は俺の想定外の言葉だった。思わず呆然となって聞き返してしまう。


「次の日には来てくれるのかなって、今日は残業で帰れなかったのかなって、毎日色々理由を考えていたけれど……5年はいくらなんでも遅すぎるわよ!」


 女神様は指をさして俺を叱ってくる。


「俺を……待ってたのか?」


「違っ……私はただ女神様としての役割を果たそうと……!」


 女神様の顔が急激に赤くなる。似たような会話のやり取りを5年前にもしていたなと以前の記憶が鮮明に蘇り始めた。


「すまなかった」


 俺は女神様に頭を下げた。人と女神様の時間の感覚は違うかもしれない。それでも、5年間も待たせていたのならそれは決して許されるものではない。


「……別にもういいわよ。それじゃ恒例のやつをやりましょうか?」


 女神様は俺に顔を上げるように促すと池の手元で何かを取り出し始めた。


「あなたが落としたのは金のハイボール缶ですが、それとも銀のハイボール缶ですか?」


 両手に金色と銀色のハイボール缶を持ちながら女神様は質問を投げかけてくる。


「…………」


 俺は無言のままだった。


「何よ、やっぱりこういうのはもういいのかしら?」


 女神様はそう言うとあの日と同じように銀色の缶の蓋に指をつける。


「カシュッ」という、いつ聞いても気持ちの良い音と共に蓋が開けられる。そのまま飲み始めるのかと思いきや無言のまま金色の缶を俺の方に差し出した。


「……乾杯」


 同じように蓋を開けた俺は彼女の手にしていたハイボール缶と音を立てて交わした。


 二人同時に缶に口をつけるとそのまま一気に飲み干した。


「あれから5年間、私は忙しくて大変だったのよ!」


 彼女の愚痴が始まった。俺は笑いながら同じようにこの5年間で何があったのかを女神様と語り始めた。



    ◇


「明日も仕事なんでしょ、気を付けて帰りなさい」


 女神様はそう言うと手にしていた銀色の缶を渡してくる。


「…………」


「何よ、何か言いたいことあるの?」


 無言のまま彼女からハイボール缶を受け取った俺が気になったのか、女神様は質問する。


「女神様は昔と変わらないんだなって」


「急に改まって何よ……べ、別に、これからは暇なときに来てくれれば一緒にお酒を飲んであげてもいいわよ」


 その提案はとても魅力的だった。きっと俺は明日から時間があればこの場所に訪れるかもしれない。もう目の前の女神様を完全に忘れることはないだろう。


「実を言うとな……俺……」


「な、何……?」


 女神様が俺の眼をまっすぐに見つめていた。言おうか躊躇っていたが、彼女の事を思うのであれば言うべきであると俺は決意を決めて口を開く。





「今日落としたのは金と銀のなんだ」


「…………え゛」


 女神様は5年前と同じようなリアクションをした。


 そう、今日俺がコンビニで買っていたのは女神様が先ほど渡してきたではなかった。3年前のあの日から俺はロング缶を買うようになっていた。


 記憶をなくしても、彼女とはお酒によって繋がっていたらしい。


 あの日の約束という点で見ればショート缶を渡すのが正しい。ただ、彼女の女神としての役割に対するプライドを考慮するのであれば、真実は告げるべきだと思い、話したのだった。


「だから、俺が今日受け取るのは本当はロング缶のほ……」


「ばかぁ!!」


 女神様の怒号と共に池から取り出された金色と銀色のハイボール缶(500ml)が俺の顔面に直撃した。俺が何か言うよりも先に女神様は池の中に帰っていった。



 正直者が手にしたのは金のハイボール缶と銀のハイボール缶、そして女神様という飲み友達でした。


 めでたしめでたし

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