エピローグ

 ***



 カーテンから差し込む陽射しで、目を覚ます。

 昨日がどんな一日だったのか覚えるために、真新しい手帳を開いた。


 この北の領土は長い冬が続くものの、私と姉の《果実姫》がいることで、飢えによる死者はだいぶ減ったそうだ。姉サクラは北の領主であるエドモンド様と結婚し、幸せそうだ。

 深い眠りについた姉を目覚めさせることに成功したが、その代償として姉は記憶の大半は失っていた。もっとも私もこの北の領地に来てからの記憶しか無い。

 それでもエドモンド様の溺愛に、姉は幸せそうだ。


(それが少しだけ、羨ましい)


 姉とエドモンド様には本当によくして貰っている。私にできるのは一日の眠りにつく前にこの土地の植物に実を付けることだけ。

 冬の土地ではキャベツやカブ、人参、ブロッコリー、ジャガイモに似たものが取れると聞いたのでそれらを生み出す。


 ふと昨日は特別なことがあったと手帳には書かれていた。


(ああ、そうだわ。昨日は王都から騎士達が魔物の討伐に遠征に来て……。王都では王太子が無事に即位したとか)


 ここ二年ほどで王都が落ち着いたからこそ、北の領地の魔物討伐に騎士を派遣してくれたのだとか。昨日のパーティー会場はとても賑やかで「姉のサクラのドレスはとても綺麗だった」と二ページに渡って書かれていた。


 騎士の一人に声をかけられたが、よくわからない気持ちになってパーティー会場を飛び出してしまったと書かれているのが引っかかる。


(何か酷いことでも言われてしまったのだろうか。この辺りの描写が支離滅裂なのは……混乱していた? それとも?)


 モヤモヤした気持ちを落ち着かせるため、顔を洗って庭園を散策することにした。寒いので毛皮のコートを羽織るのも忘れない。



 静かな廊下を歩いていると、雪の上でひたすら素振りをしている人影が見えた。

 昨日、派遣された騎士様の一人だ。

 いつから素振りをしているのか不明だったが、この寒空の下、シャツとズボン、革靴と薄手だということに驚く。

 吐く息は白く、その集中力のすさまじさに思わず見惚れてしまう。

 金髪碧眼の見目麗しい男性は、長身で骨格もしっかりしている。一振りする度に空気が揺らぎ、自分の心臓がバクバクと煩い。


 ひたむきで、常に努力してきたのだろう。その集中力と、鍛錬を積み重ねた姿は一朝一夕で身につくものではない。記憶を翌日に引き継げない自分にとって日頃の鍛錬という、普通の人にとっての行動ルーティンが酷く眩しく見えた。


「――っ」


 そんな人に声をかけるなんて普段ならできないのだが、何故か足が動いた。上手く言葉にできないが何かが、私の心を動かす。


「あの、寒くありませんか? その良ければ温かな飲み物でも用意しますが」

「!?」


 親しくも無い騎士様に、何故かそんな提案をしてしまった。

 声をかけられた騎士様は、素振りをやめて固まっているではないか。

 練習中に声をかけて邪魔したのを怒るだろうか、それとも失望するだろうか。なぜかこの人に拒絶されるのがとても怖く思えた。


(――何故?)

「――っ、あ、ええっと……。私が貴女様と、ご一緒しても?」


 男の人は声が震えて、何処か今にも泣き出しそうな顔で微笑んだ。

 それを見た瞬間、なぜか頬から涙が零れ落ちた。


「え、あれ? すみませ」


 ボロボロと涙が零れて止まらない。そんな私に彼はどこか嬉しそうな顔で涙を拭ってくれた。距離感が近いのに、嫌な感じはなかった。

 無骨な指だけれど、これは彼の研鑽の証だ。そう思うとなぜだか愛おしさがこみ上げてくる。


「あの……、初対面の方にこんなことを頼むのは不躾かもしれないのですが、手に触れてみても良いですか?」

「構いませんが」


 触れた手は、とても温かい。

 微かにシトラスの香りがした。


「どこにでもいる騎士の手ですよ」

「そんなことはありません! この手は努力したものです。昨日まで積み重ねて頑張った証なのですから」

「――っ」


 息を呑んだ騎士様の手は震えていた。

 この人は私を知っているのだろうか。


「騎士様、お名前を伺っても?」

「……オグリット。オグリット・です。……アリサ


 その言葉に胸が熱くなる。

 もし、この思いに言葉を付けるなら――恋だろうか?

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今日記憶を失っても、明日また貴方に恋をする~とある令嬢と騎士見習いの恋物語~ あさぎ かな@電子書籍二作目 @honran05

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