戀心

エコシス

1話完結

若者の呻き声か、喘ぎ声かすらわからない何かが耳に入るが考える余裕がない。自身は何も考えられないのだが、対向人の肩が自分の顔にぶつかる度に背丈による情けなさが心臓を抉り、鼓動が速くなる。

都会の波に揺られていく。正確には、飲まれている。自分が思っていた以上に思い通りにはならなく、厳しい世界なのだと神経にまで伝わる。

ここは何処なのか、先程まで何をしていたか。本当に頭が回らない。血が昇っているのか。目が覚めると留置所のような場所だった。

どうやら自分は酔い潰れていたようで、複数人の長身の警察官に囲まれて、職務質問を受けていたらしい。想像としては、スクランブル交差点に飲まれた感じだったのだが全然違っていた。ただ、自身が小さな存在であることは決定的な事実として裏付けられていた。

ある程度の事情聴取、調査が終わった後、自分の責任者に連絡された。また親に何したのか聞かれるかと思うと、鳥肌がたった。

昔から親に虐待を受けており、恐怖心が16になった今でも心の中に在り続けている。

逃げるようにして東京に駆け込んできたのだが、此処でも親に使えない奴だという認識をされてしまうと思うと、益々実家に帰る気にならない。

まぁ、グタグタ考えるより、そろそろ家に向かって歩こうとしよう。

歩いているとまた何かにぶつかる。温もりが微かにあるので人間だろう。今度は頭ではなく、肩と肩が接触した感じだった。

「すみません」と細い声が耳を透き通る。完璧に自分をリラックスさせてくれる声だったので、「これだ」と思い、顔を見る前から、「飲みにいきませんか!?」と懇願したのだった。

相手は少し引き攣った笑顔で用事があるという事をにつたえようとしている。お構いなしに俺は、行きましょう!と、手を引っ張ったのだった。

外れの雑居ビルの2階、確かお洒落なカフェがある。そこで一緒に互いの趣味について話し合いながらお茶したいと思ったが、店に着いた途端、財布の中が55円だったことに気がついた。奢られるのは流石に恥ずかしいので、「ここ、大学の知り合いいるから折り返そや」といって、自分の家で飲むことにした。

相手の女は少し不安そうにしながら、僕の後ろをついてくる。

約10分ほど歩いた所に、俺の家がある。扉を開けると、まるでジャングルのように混沌としていて、落ち着けない場所が広がっていた。俺は赤っ面をかいたが、「まぁまぁ、ここに」と、部屋の隅にある座布団を雑に置いた。女をそこに座らせて、自分は壁に背中を掛けて、あぐらをかいた。

「まず、迷惑をかけました。何故あなたを連れてきたのか、恥ずかしくて言えないことなのですが、下心はありません」女が不思議そうな顔をしながら名前を聞いてくる

女が不思議そうな顔をしながら名前を聞いてくる

「山下豊梓。豊に、梓と書いて、豊梓。」

「豊梓さんで良いですか?」

「私もバイト帰りで、暇してた所に豊梓さんが現れたので、少し怖かったのですが、暇を埋める為ならと思い、」

「そんなん危ないで」

自分から誘っておきながら、何を上から言っているのだろうと馬鹿馬鹿しく感じた。

「ていうか、お前の名前なんやの?」

「荒木菜々緒です。」

「ほんなら荒木って呼ぶわ」

自分達はなにを話せば良いのか分からず、取り敢えず乾杯する事にした。

ここから時間はすぐに過ぎて行った。互いの芸術や文学の趣味の話など、共有して語り合い、俺は過去の悲惨な出来事で笑いを取ったりもした。荒木は嬉しそうな面持ちでこちらを見つめながら相槌を打っているように見えた。連絡先は交換して、次またいつか。と言うと荒木は家に帰って行った。

一連の流れを振り返り、俺は恥ずかしさでこの世から消えてしまいたくなった。そういえば、女と接した事がないのだった。。。

 月日が流れ、荒木は美容の専門学校に進学し、俺は創作に携わるようになった。小説を書いている時が一番孤独を感じない。いつもは人を自ら敬遠している癖に、孤独を感じない時が楽だというのは矛盾ではないのか。おそらく孤独を感じないのではなく、安全な場所に来たかのような安心感を味わっていたのだと考え直した。

 荒木は一応学生なので、親から仕送りを貰っている。俺は当然のこと小説だけで食って行けない。また、荒木の住んでいるアパートが、五畳半の激安アパートだったこともあり、荒木が2年生になった頃から住まわせてもらうことになった。

俺は大家さんに今までの礼を言いに行き、支えてくれる人ができたのだとは恥ずかしさのあまり言えず、実家で働くことになったと嘘をついた。家に帰って荷物をまとめ、いらなくなったものは全て捨てた。整理しているときは、懐かしいものが出てきたりなど、なにか悲しい気持ちになった。母親から貰ったオルゴールは内心いらないけど、申し訳なく思って学生時代に修学旅行用で買ったキャリーケースに詰め込んだ。夜になったら荒木に手伝って貰って荷物を運ぼうと思った。まだ夕方の5時なので、体を動かしたい衝動に駆られ、散歩することにした。吉祥寺まで歩くと、高校時代の同級生がいた。彼の名前は粟野で、彼も同じく小説を書いている。彼とは2ヶ月前ほどに三鷹のバーで会い、酒を交わしていた。丁度いい機会だし、荒木と運ぼうと思っていた荷物を、粟野の車で運んでもらえないかと懇願した。粟野は少し不満気だったが、受け入れてくれた。「最近元気?」喋りたい訳でもないけど、気まずさを紛らわすためにたわいも無い言葉を口にした。「まぁぼちぼちかな」粟野はなんでも『ぼちぼち』と言って括る癖がある。予想はしていたが、懐かしさがあり笑ってしまった。「どんなん書いてるの?」「小説って言っても、漫画の原作だよ、」「そんなん聞いてるんやないねん、ジャンル聞いてんねん」「恋愛やな。最初からジャンルって言えや」「まぁええけど、お前には負けへんからな」「こっちのセリフじゃ」

その後にも文学について語り合い、終わった頃には空一面が黒色になっていた。正確にいうと、紺色なのだが。そう言えば青信号も緑だよなと脳をよぎったけれど、考えてもキリがないと思い、粟野の尻を叩いて「車出してや」と言い、粟野のアパートの駐車場まで二人歩いて向かった。車を走らせて助手席で粟野に荷物を運んでもらえることになったと荒木に連絡し、一旦俺の家に荷物を取りに行く。粟野のトランクの中はパンパンに詰まっている。お世話になった205号室に礼をして、三鷹にある荒木のアパートに向かった。

 荒木は嬉しそうな顔をして出迎えてくれた。「これからお世話になります」と、子供を幼稚園に授ける時の親のような挨拶をして、「お世話します」と荒木が微笑みながら言った。この日から、同棲生活といったら少し恥ずかしいけれど、一緒に暮らすと言う事にした。荒木は毎日当たり前の様に手料理を作ってくれ、それも美味しかった。母の味が1番だと聞いたことがあるが、母には申し訳ないが、荒木の手料理が上回っていた。俺の好物は寿司だけだったのだけれど、荒木のおかげでカレー、ハンバーグなど、洋食の美味しさにも気づけた。それに荒木は俺がゲームをしたり、本を読んでいる間も家事を率先して行ってくれた。俺はようやくやる気が出てきて、小説を書く事にした。週に2回ほど行きつけのバーで粟野に会い、酒を飲みながら世間話をしていた。粟野はたまに小説の案をくれたりもした。

 粟野と話していて少し驚いたことがあった。突然粟野が「荒木について書けば?」と言ってきた。粟野には家事をしてくれる荒木と言う友達がいると前もって言っていた。それにしても彼女について小説を書けと言われても、気恥ずかしくて到底かけない。でもその方がネタが毎日できるのでいいと思う気持ちもあった。 色々考えた末、粟野の意見を尊重する事にした。「なぁ荒木」

「ん?」「お前ネタにして小説書きたいねん」「いいよ」彼女は適当に返事をした様な感じだったが、あっさり了解をくれた。下北沢を舞台にして日常を書き続けようと思う。

 「ねぇ」荒木が言う。「何?」

「私達さ、もう出会ってからかれこれ2年じゃん?」「そうだけど」「付き合ってもいいと思わないの?」「思わないなぁ俺は。このままでええんちゃう?」「いや、将来のことを考えてさ」「将来結婚すんの?笑俺ら」「そうだよね笑笑」荒木には酷いことを言ったと思った。俺は小説には今の荒木を書きたかったから。変化してほしくなかったから。そんな気持ちだった。 書き始めてから2年が経つ。荒木が親からの仕送りが止まり、就活に励む様になった。荒木は基本外にいるようになったので、1人の時間が増え、なかなか終わらない小説も、あと少しで終わりそうな気がする。粟野は地元に帰って就活をしている。1人になった俺は孤独を感じつつも小説に打ち込むことができた。小説の中では荒木を美化したり、ダメな女にしてみたりと、書いていて嫌になる部分もあったが、好きな人のことを書いているとなんだか楽になれる。

 荒木のことを好きになったのはいつからだったか。荒木が3年の時か。いや2年の時か。昔は毎日嫌なことばかりで、思い出に浸らない癖があるから分からない。小説もラストスパート。荒木に対しての好意はどんどん増して行く。会えないからこそ、尊く感じる。

俺の手は止まらなかった。恐らく人生で1番やる気が出ている時間だと思う。12月、苦しい思いをしながら書き終わった。書いた小説はネットに応募して、受賞されるのを待つしか無い。

荒木は明日から車の免許をとりに行くらしいので、これから二週間家を空ける事になった。粟野は、面接に落ち、東京に帰ってきて、二週間だけ俺の家に住まわせてやる事にした。粟野と、朝から行きつけのバーに行った。「荒木と最近話してんの?」「まぁ」「あいつ、来月地元帰るんだろ?」衝撃の一言だった。俺の心臓は動いているかも分からない。急に寒気がする。「あー、らしいな、てかなんでやったっけ」これで知らないと粟野に伝えても、同居人として何か恥ずかしいので知っているふりで誤魔化した。「何忘れてんねん笑」「俺もゲームしてたから聞き流しとってんやん」「でもお前の問題やったやん」は?と口に出しそうになった。「そうやっけ笑」平静を装う。「お前の食費と、家賃で荒木のお母さんがもうやってけんくなったらしいわ。なんで人の子供にこんなにって、打ちひしがられたらしい。」「あー、確かそうやったな。もうそろそろ物件探そかな」

俺は何も考えられなくなった。粟野にトイレに行くと伝え、店から逃亡した。俺は訳も分からず、どこに行くのかも分からず走っていいる。車の音、電車の音、大学生の会話の音、小学生の笑い声、自転車を漕ぐ音、俺の横を通って行くその全ての音が雑音に聞こえた。寝ている時に隣でエレキギターを爆音で弾かれるくらい心地悪かった。二週間後、家に荒木が帰ってきた。「荒木、お前さ、引っ越すんやろ?粟野から聞いたで。なんで言わんかったん?同居人として言ってくれてもええやん。しかも、1ヶ月後やろ?急に物件探せって言われても、俺無理やで。理由がお母さんの都合なのは仕方ないけど、報告はしてほしいわ。人に迷惑かけてる事自覚してくれ。」そう言いながら1番迷惑かけてるのは俺だと思った。「豊梓、私は豊梓のことまだ好きなんだよ。だから、なんで言われるか怖くて、なかなか言い出せなかった。ごめんね。豊梓はいつも優しくてね、作ったご飯も美味しく食べてくれて嬉しかったの。あとさ、」「辞めてくれや、もう1ヶ月後は他人やて」俺は荒木の事が好きだ。一生大切にしたい。いきなり引っ越されたら、今までが何もなかったかの様になってしまう。それだけは嫌なんだ。でも、行ってしまうんだ。だからわざと素っ気ない態度を取った。自分の為にも、荒木のためにも。 荒木がいなくなってから2年が経つ。今、荒木が何しているか全くわからない。就活すると言っていたから、恐らく地元で働くのだろう。免許も取っていたし、車で通ってるのかな。もうどうでも良くなってきた。小説もあの作品を描き終わって以来、何も書いていない。居酒屋のバイトを毎日10時間。なんとか生活していけている。

生きがいというものが、無くなってきて、自分では怖いから、誰かに殺してもらいたいと思った。

誰もいなくなったこのアパートで、俺はクローゼットに入って、首を吊ろうとした。無意識に体がそうしたから、自殺と言って良いのだろうか。死にかけの時、俺の体は拒否反応を起こした。死ぬのは怖いと改めて感じた。次、俺の体は川に向かう。両端の桜が満開なこの川で、俺は一刻も早く死にたいと思った。「幼稚園児の頃は海軍に憧れたなぁ」一回くらいは綺麗に飛び込んでみたいと思った。綺麗に飛び込んで死ねるわけがない、と思い、ヤクザの事務所に足を運んだ。「金出せやこらおい」と俺は脅すが、怯えているのはこっちの方だった。失禁して、大丈夫かと心配されるくらいだった。とても恥ずかしかった。俺の人生は恥ずかしいことばかり。羞恥心には慣れているが、慣れ過ぎると我に帰った時に壊れやすい。いつ死ねるか、分からないまま、俺は東京の街で途方に暮れた。

東京タワーの登れるところまで登って、街を見下ろしてみた。ここにいる人間の一人一人が自分中心で生きているとなんだか世界が小さい様に感じた。「俺に見下されたら終わりやでお前ら」と独り言呟く。高さでマウントを取るのは幼稚園以来だ。情けない。自分中心で生きる事は当たり前だし、人の事を気にし過ぎて変な気の使い方をして引かれた俺が悪いんだ。この世界は自分中心でいいんだ。荒木もお母さんが原因だとはいい、自分がしたい事をしに地元へ帰った。バスの運転手も、子供も、大人も、自分の行きたいところに思うがままに行く。肉体に任せている俺は世の中全てが他人事なんだ。「俺なんて必要ないんだ。自殺なんてするなとか言うけど、知るもんか。卑屈になって考えても別にいいだろ、俺はこう言う人間なんだよ。少なからずこの世の中には俺みたいな奴がごまんといる。それを理解できずにそっち側の価値観を押し付けてくるな。白は白、黒は黒。同じ『色』として見ろと言われても到底できない。何がご冥福をお祈りします、だ。心の中ではこれっぽっちも思ってない癖に。偉そうに嘘吐きやがって、俺の嘘よりも腐ってるな。あぁ、美しいな。大好きだよ、菜々緒」俺は飛び降りた。体は全ての関節がよく分からない方向に向いた感覚があって、呼吸できず、死んだのだと思った。目が覚めてしまったんだよな、なんでだよ。「死ねや俺の体」俺は死にたいのに、死なせてくれない体に暴言を吐いた。病院だった。関節はプロの医者に戻してもらい、臓器は何も破裂する事なく、全身打撲、60本の骨が折れ、心臓はいつ止まってもおかしくないらしかった。横には菜々緒がいた。飛行機で1時間かけて来たらしい。今日も可愛いなと思った。「結婚してください」菜々緒が泣きながら言った。菜々緒の嗚咽が聞こえる。「お前が死んだらしたるわ、焦らんと80年後くらいでええんちゃう?」声は細く、小さくなっていた。「分かったよ。ありがとう」

「本、昔一緒に住んだアパートのクローゼットにあるから読んでくれ、じゃあな」心臓が破裂しそうになったので、別れを急いで告げた。

    荒木菜々緒 26歳

 

 クローゼットに来て、彼の本を手に取った。一つは「濃い心」といった題で、もう一つは「生き恥」という題だった。「生き恥」は遺書の様なもので、こう書かれていた。


 余命、俺はどう過ごそうか。菜々緒がいなくなって、俺は何もやる気が起きない。人に依存する事は気持ちがいいけれど、いなくなった時の喪失感と孤独感が大きい。菜々緒のせいにする訳にはいかないが、俺がもっと菜々緒を幸せにする気があれば、そうでなかったと思う。快く地元に送り出せたと思う。人間は愚かだ。でも、それでも世界に80億人が生きているここでリタイヤするのはメンタルの問題ではなく、自分が社会不適合者だと理解したから。生きて行く意味がない、年収2兆でも少しの喜びも感じないだろう。1人で死ぬのが人生最後に味わう快感だろうな。じゃあな、俺。



 私は泣きながら、豊梓が好きだった、女に言われる「ばか」を口にした。もう一つ、「濃い心」と言う本を手にした。その本は私について書かれている本らしかった。


 人の事を蔑むのが趣味で、人の不幸を笑い、俺にめっちゃ不味い飯を用意してくる菜々緒と言う最低の女がいる。でも、俺は彼女が大好きだ。味は不味くても、飯は美味しい。あんなにも心が籠った飯をくったことがなかった。本当は生きているうちに結婚したいと思ったけど、俺が死んだら悲しむと思い、ことごとく断ってきた。俺が全部悪いんだ、それだけの事だ。



 と、巻頭に書いてあった。巻頭から飛ばしすぎではないかと思った。悲しみは一つも感じれなかった。前向きに生きようと思った。

 豊梓とは、私が死んだら結婚する。それまで私は豊梓が生きれなかった分を全力で生きる。「なんや、味不味いって、美味いやろがい」豊梓の口調を真似して言ってみる。アパートとはお別れして、一礼した。私に取っては博物館に飾っても良いアパートのレベルだが、世間からすると、その気になるわけがない。私は肉体に身を任せ、渋谷の街をただひたすら、歩き回った。

 若者の呻き声か、喘ぎ声かすら分からない何かが耳に入るが考える余裕がない。


       完

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戀心 エコシス @yun5

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