賽銭
加藤大樹
賽銭
ちゃりん。ちゃりん。
重さ五グラムにも満たない小さな穴あき硬貨が二枚、賽銭箱の隙間の闇に吸い込まれていった。
「つぼみちゃんのおねがい、かなうといいね」
「はなちゃんのおねがいも、かなうといいね」
「つぼみちゃんは、なにをおねがいしたの?」
「ひみつ」
「えー、けち!」
「じゃあ、はなちゃんからいってよ」
「わたしは、いつまでもたのしくいられますように、って」
「へえー」
「つぼみちゃんは?」
「いわなーい」
「ずるーい!」
その時の私は、気持ちを正直に伝えることがなんだか気恥ずかしくて、花に腕を引っ張られようが頭を小突かれようが、彼女に教えることはなかった。
今思えば、あの瞬間が私の人生で一番満たされていた。
真剣にお願いをすれば神様が願い事を叶えてくれるなんて、本気で信じていたのが私の過ちだったのだろうか。いや違う。私の本当の過ち、後悔は――。
ちゃりん。ちゃりん。
隅々まで磨かれてピカピカになった五円玉が夏の陽を反射して煌めき、ほんの一瞬、私の目を焼いたことを今でも鮮明に覚えている。
一方で、私が投げた五百円玉は、その辺のコンビニのお釣りで貰えるような、ごくありふれた、寝る前にあまり触りたくないようなものだった。
「……あー! 志望校落ちたらどうしよー? もうやんなっちゃうよー!」
「花なら余裕で受かるでしょ。あんたクラスでトップじゃん」
「だからって、肝心の試験で落とされたら意味ないでしょーが」
「落ちない。落ちない。大丈夫よ」
私は心からの笑顔で、激励のつもりで、親友のはずの花の背中を思いっきり叩いた。
大丈夫。花はここまでずっと頑張ってきた。冬の山場で転げ落ちるなんて、絶対にない。きっと志望校に合格して、それから――。それから?
ちゃりん。
社会人になって忙しくなると、自然と友人との距離が開いていく。私と花の関係も例外ではなく、互いの就職をきっかけに、疎遠になってしまった。
……しかし、いついかなる時も互いに寄り添い、永遠に変わらぬ関係で結ばれてこそ、真の友人たる「親友」と呼べるのではなかろうか。
結局、私と花の関係は、その程度のものだったのか? ……ああ、その程度のものだったのだ。
そして、こんなものが、世間で言うところの「親友」という関係だったのだ。
ちゃりん。ちゃりん。ちゃりん。
どこにでもある五円玉が二枚と何の変哲もない五百円玉が一枚、いくら賽銭を食らっても満たされることのない欲深な木箱の口の中に落ちていった。
花は職場の同僚と意気投合して、そのまま結婚した。その知らせは、彼女の両親に次いで私に伝えられた、そうだ。
今の私の立場は、世間からは、何と呼ばれるのだろうか。親友? 馬鹿馬鹿しい……。
結婚式の招待は辞退した――と言いたかったが、それはどうしても出来なかった。どうやら、私は彼女の幸せを願わずにはいられないらしい。この気持ちだけは、どうか、皆の言う「親友」に当てはまっていてほしい。
今日は、珍しく、私と花の予定が合う日だった。なら久しぶりに、と花は幼い子どもを連れながら、私と一緒に食事や昔話に花を咲かせるなどをして、共に一日を過ごした。
数年越しの再会となる彼女の姿は別人のようで、私が大事にしていた記憶の中の「花」をぐちゃぐちゃに壊してしまった。
……が、後で、ほんのちょっとだけ子どもを待たせて二人で撮った写真と昔の写真を見比べてみたら、私も花も、見た目はあまり変わっていなかった。
「ほら、バイバイしましょうね~」
花の言葉で、彼女の子どもが頭にハテナを浮かべながら、とりあえずといった具合に、手を振ってきた。
憎らしいやら愛らしいやら、複雑な感情を抱いてしまうその子の仕草に、私の意思とは無関係に、思わず頬が緩んでしまう。
楽しかったのか、何だったのか、よくわからない時間はあっという間に過ぎてしまった。
そろそろ別れの時間……というところで、私は、最後の用事を済ませることに決めた。
「先に行ってて! ちょっとだけ、見て回ってくるから!」
「今から? あんまり遅くならないでよ?」
「わかってる!」
先に――遥か先に行ってしまった花の背中をじっと見つめると、突然私の目の奥が熱くなって、何かが溢れそうになってしまった。
私は振り返って、奇妙な熱から逃れるように、賽銭箱を強く睨みつける。堂々と鎮座したそれは、一人の女の恨み程度では動じない。
「全然、叶わないじゃん」
私は財布を取り出すと、中に入っていた数枚の万札を引っ掴んで、賽銭箱の中に突っ込んだ。
手切れ金だ。もう二度と、ここに来ることはないだろう。
花を追いかけ、足早に立ち去る私に向かって、一陣の風が起こった。
木々のざわめきは、どこか私を嗤っているように聞こえた。
(完)
賽銭 加藤大樹 @KatoNovel
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