アルミホイルの恋心

 数万年後、地球は爆発する事になった。

 それは月が大気に覆われ、重力が月面から一メートル上空まで掛かった頃。

 月人つきびとと呼ばれる兎耳うさぎみみの住民には、大気が無かろうが問題なかった。

 だが地球人にとっては、ありがたい環境だ。『子供達を月に逃がしたい』と懇願、月人は同情から了承した。

 地球に残った大人達は、悲しみや苦しみを〝感情の塊〟にして宇宙に飛ばした。心を軽くする為だ。

 まさか月に落ちているとは夢にも思わずに。月人も真似をしたが、塊は月空に浮かぶだけだった。

 そして二十年後。

「今日は悲しみが多いな」

 ヒラは金平糖型の塊をトングで掴むと、アルミホイルに包んだ。

「休み明けのせいだよ。ほら〝宿題〟の嘆き」

 ユキはアルミホイルでしか消せない塊を、ゴミ袋に捨てた。

 月人の見た目は、兎耳を除けば地球人と差異は無い。長い耳は立派な月人――月兎のあかしなのだ。

 黒髪をかき上げたヒラは、背高で迫力あるが、温厚な性格だった。

 白髪の癖毛がコンプレックスなユキは、背が低く大人しく見えるが、辛辣な性格だった。

『黒白凸凹コンビ』とは言い得て妙である。

 パン屋の帰り、橋を渡りながら、白耳のユキは文句を垂れた。

「地球人は不満が多すぎだ」

「爆発からの不安だろう。ユキも人参パンの完売に激怒したじゃないか」

 ヒラは怒りの塊を見せつけた。

「ちょっ、人の感情を拾うな! 大体、沢山作らない地球人が悪い」

「パン屋の彼女は謝って、割引してくれただろ。ユキは、いつまで地球人を差別するんだ?」

「だって、あの鉄女てつおんなはヒラを……。さ、先に帰るっ」

 女性の好意的な視線に、何故気付かないのか。

 ユキはパンと胸の痛みを抱き締めると、会社の寮に駆け込んだ。

 月兎は多産だ。ゆえに成人したとたん家を追い出される。ユキは仕方ないと、惰性で感情屋になった。

「ヒラはいいよ。家が感情屋だし」

「そういう親に当たっただけだ。文句を言うなら、焼き芋は無しにする」

 ある日、地球から〝アルミホイルに包んだ焼き芋〟が飛んで来た。そそっかし屋が誤って飛ばしたのだろう。

 熱々の焼き芋はユキの兎耳を掠め、痛みに呻き苦しんだ。そのユキは、焼き芋の美味しさにやられ、食べたいと強請るようになった。そんな馬鹿な経緯から、ヒラは台所に立っている。

「ヒラはさ。パン屋の女みたいなのが好みなの?」

 ユキはテーブルに突っ伏し、ぽそりと呟いた。

「料理が上手ければいい」

「人参パン作ろうかな……」

「まず包丁を持つ所からだな」

 二階建ての寮には、台所と冷蔵庫が完備されている。しかし、料理の出来ないユキは、ヒラに頼り切っていた。

「じゃあ見た目」

「……髪を結んでる子」

 ユキの髪はサイドテールだった。自分を指してはいないのに口元が緩む。

「せ、性格は」

「地球人を差別しない奴」

「……焼き芋は部屋で食べる」

 ヒラの含み笑いに、からかわれていると気付いたユキは皿を奪おうと――。

『地球の爆発は回避されました。地球人は速やかに帰還願います。繰り返します。地球の爆発は――』

「……」

 緊急放送は、地球が隕石の破壊に成功したと、全域に告げた。

「地球人が帰還……?」

「……」

 ヒラは皿を置くと、椅子に掛かったコートを掴んだ。ただならぬ様子に、ユキは顔を強張らせると後を追った。

「待って、ヒラ、どこに行くの」

「里親の家だ」

「い、嫌、嫌だ!」

 青ざめたユキは、素早くヒラの前に回り込み、通すまいと立ち塞がった。

「ユキ。鉄男てつおとこは帰還だ」

 ヒラはズボンの裾を上げ、足首に着けられた鉄の重しを見せた。

 重力により大気は下りたが、月面から一メートルで止まってしまった。重力が半分になろうが人は浮き、月面に降りれば百度の気温で死んでしまう。

 なら、月面一メートル上空に作った、の道や家を重しで歩くしかない。

「だから地球は嫌いだ。変な塊を月に投げて、勝手に地球人を寄越してきて、今度は、じ……自分からヒラを奪うなんて!」

 わあっと、しゃくり上げるユキの恋心は塊となり、空中に浮遊する。

「ユキ……」

 泣き崩れるユキを支えたヒラは、白い耳に顔を埋めた。

「地球人でごめんな」

 ユキの頬に唇が触れ、驚く間もなくヒラは部屋を出ていった。後に残ったのは、ユキから発露された悲しみの塊だけだった。

 ──一年後。

 ユキは、ふわりと空に飛び、感情の塊を掴むとアルミホイルに包んだ。

 仕事の初日、名も知らぬヒラに向かって『飛べない地球人が』と罵った。重しを外せば空を跳べると知っての意地悪だ。

 彼はユキの雑言を流し、下らない我儘すら気前良く聞いてくれた。大らかで温かな人柄に惹かれた想いは、焦がれるまでに育ったのに。

 ユキの身体から、諦めた恋心の塊がポンッと飛び出した。何度包んでも消えない想い。ユキは、しょんぼりと、長い耳を垂れながら塊に手を伸ばし──。

「覇気の無い先輩だな」

 声の主が、大きな手で桃色の塊を奪う。一瞬、一年前に戻ったのかと錯覚したユキのまなこは見開いた。

「ヒラ……なんで……」

「感情屋に戻りたいからさ」

 ユキの体から、驚きと喜びの塊がポポンと弾けた。

「というのは建前だ。ユキに逢いたかった」

 照れ臭そうに腕を広げるヒラに、涙を溜めて走り出す。抱き締め合った二人の周りは、桃色の塊で溢れ返った。

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アルミホイルの恋心 庭畑 @masabell

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