アルミホイルの恋心

庭畑

寿命二百年の兎

 ──振り返ると、月が爆発していた。 

 カノンとハゼは地面にしゃがみ、棺に横たわる女性を眺めた。硬直した女性の頬を、カノンは愛おしそうに何度も撫でる。

「十億年前の人には〝老化〟があったんだって。なら四十五歳のママは、どんな感じだったのかしら」

 棺に眠る女性は二十代にしか見えない。

「……カノン、棺を閉じるぞ」

「……」

 背の高い男──ハゼは棺を閉じると、の長いスコップで、ザクザクと乾いた土を棺に被せた。

「ハゼ。ママの最期に付き合ってくれてありがとう」

「……」

 カノンの長い髪が、嗚咽で小刻みに揺れても、ハゼは何も言わなかった。

 月は見事に粉砕されており、生存者がいるのかも怪しい。

「人を短命者扱いして、長命者が先に逝くなんて皮肉だわ」

 マンションの一室。

 カノンは不機嫌に任せて、スプーンを上下に振った。母がいたら、『もう二十歳はたちなのに行儀が悪いわよ』と窘められている所だ。

「彼らも好きで逝った訳じゃないだろ」

「だってせいを望んだのに、馬鹿みたい」

 ハゼは静かにスープを啜りながら、聞き飽きたカノンの愚痴を流した。

 地球に隕石が落ちると発表されたのは、五年前。

 世界は混乱に混乱を極め、最終的に月への移住を決めた。

『寿命三十年以下の者は、宇宙船に乗れません』

 船が不足なら、短命者を切ればいい。非情な宣告に人類は反発した。だが、病院で長命だと判定された者は、即座に口を噤んだ。

 そうして短命者のカノンとハゼは、地球に取り残されたのだ。

 日本の短命者は、一万人弱である。しかし誰一人すれ違う事無く、街は二人の所有物となった。

「ハゼまで短命だなんて、偶然にも程があるわ」

「俺が看護師で良かったな。風邪を引こうが安心だ。ラッキーだと思え」

「はぁ。ママと二人で過ごす予定だったのに」

 カノンはからの皿にスプーンを投げると、椅子から大きなソファに身を投げた。母手製の、白いブランケットに頬を寄せる。

 十億年後、人類の寿命は二百歳となった。更に肉体の成長は、二十歳で止まる。なら、いにしえの姥捨山などナンセンス。若い働き手はいくらでも歓迎だ。

 寿命が二百年あれば、の話だが。

 カノンの母は長命者だったが、病で余命一年と宣告された。そんな人間は使い物にならない。世界は母を捨てた。

 そんな身勝手さに、天罰でもくだったのだろうか。隕石の軌道は地球を逸れ、月に落ちた。

 これらの経緯を思えば、カノンの暴言は否定出来ない。

「確かに寿命検査に対してなら、馬鹿だと言える」

 看護師だったハゼは、当時押し掛ける人々の寿命検査に従事していた。

 二百歳、二百歳、三十歳、二百歳、二百歳──。

 検査結果に、ある者は発狂し、ある者は飛び降りた。

 ハゼの脳裏に浮かぶのは、二百歳と判定され、喜びに笑う顔、顔、顔……。

 ダンッと、ハゼはテーブルを叩いた。

「長命者だと喜んだ子供の顔は忘れたいね!」

 乱暴に立ち上がると、テーブルの皿やスプーンをガシャガシャと回収する。

「ハゼの髪、肩まであるわ。通りの美容院で切ってあげる」

 カノンは耳障りな食器の音にも億さず、ハゼの髪を指差した。シャギーがかった黒髪は伸びきり、彼の怒りをも隠している。

「ついでに、くらぁーい黒髪も赤にしてみる?」

 あははっ、と屈託なく笑うカノンを、ハゼは鬱々とした面持ちで見返した。

「お前に任せたら後悔しそうだ」

「じゃあ後悔させたいから、結婚して」

 ハゼの手から、木製の皿がカランと落ちた。

「お前、高校の卒業式に何て言ったか覚えてるのか? 『ハゼに愛はない』と俺を振っただろ」

「気が変わったのよ」

 カノンは白いブランケットを引っ張ると、自分の肩に羽織った。

「ね、ウェディングドレスみたいでしょ。どうする?」

 一回転して気取ろうが、ジーンズにTシャツだ。

 蛍光灯はチカチカと明滅し、床にはタライが転がって、浪漫の欠片も無い。

「三十歳で死ぬ新郎新婦か……」

 ハゼは乾いた声で笑うと、首に手を当て、目を逸らした。

「まだ十年もあるわ」

 白いブランケットをなびかせた花嫁は、タライを蹴飛ばし、新郎に抱き着いた。

 まるで昨日の様な、十年前の出来事。

 今や、水道、電気のライフラインは使い物にならない。

 ハゼはタライを手にマンションに帰ると、個室のドアを開けた。

 部屋の中には幼児が二人。ベッドの前で膝を突き、布団に顔をうずめながら泣きじゃくっている。

 地球人の成長は二十歳まで。二百歳の長命者は、命が尽きるまで若いままだ。無論、寿命三十年の短命者にも、それは当て嵌まる。

 三十歳となったカノンは、十年前と変わらぬ容姿でベッドに伏せっていた。

 ハゼは川から汲んだ水をコップに注ぎ、カノンの口に含ませる。

「お前……俺の寿命が二百年だと、気付いていただろ」

 しゃくり上げる子供達に釣られないよう、ハゼは目頭を押さえた。

「ハゼこそ隠すなんて卑怯だわ」

 穏やかな優しい声がハゼを責める。

「何時、知った」

 弱々しい片手を握り締めて問うと、カノンは笑みを零した。

「ママを病院に連れて行った時にね、耳にしたの。あなたは看護師に、長命者で良かったわねと言われていたわ。なのに患者ママを送ると言い訳してまで、船を降りるだなんて。私が逝った後、独りで二百年間どうするつもりだったの? いくら私の事が好きでも、無計画だわ」

「だからって俺が、俺が孤独にならないよう、子供を産むなんてあるか……っ!」

 ハゼは握った手を震わせて叫ぶと、祈るように額に当てた。

「ね、知ってる? ハゼ……Hasハーゼeってね。ドイツ語だと兎なんだって。月には兎がいるって言うわ。なら、あなたの仲間は沢山居たでしょう。けど──」

 カノンは、頬を伝うハゼの涙に、そっと触れた。

「ハゼが月に行かなくて良かったと思ってる」

 三十年と判定された命は、手が滑り落ちた瞬間、正確に潰えた。

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