第40話 終幕と普通の高校生
七希と同じくらいの大きさなのに、目を引き付けられるような細く、彫刻美術品のような白い手。美咲の手は暖房のない教室で冷えていたが、すぐに体温が伝わってくる。
「私、ちゃんと言ったよ。行く先がどこでも私は七希くんの隣にいたいって。もしも七希くんがみんなのために本当に人殺しの汚名を背負うなら、私も一緒に背負うから。今度は逃げない。七希くんの隣にいるためならどんなことからも逃げない」
七希の両手にしっかりと重ねられた手は、簡単には振りほどけそうにない。白烏は美咲がいることに何も言わなかった。覚悟を決めていたのは七希だけではない。美咲も同じくらいの決意と覚悟を固めていたのだ。
「わかったよ。でも僕に任せて。持っているだけでいいから」
真正面に立った白烏の姿を射抜くように見つめる。何度もシミュレーションはしていたが、七希も人を刺すのは初めてだった。その頃に思い描いていたのは美咲だったから、白烏の細身の体がやけに大きく見える。
人を殺すときの刺し方は今でも脳の中にこびりつくように記憶されていて、まるで急所が光って見えるようだった。狙いをつける。白烏は逃げようとも自分を守ろうともしていない。完全に七希に自分の命を任せているようだった。
両手に力を込め、ナイフの刃先を向けたまま少しずつ近づく。下腹部の辺りに狙いを定め、刃の角度を精密に決める。
「もう一度言います。僕は先生を恨んでいない。だから、これが答えです」
白烏は何も答えなかった。美咲の手はわずかに震えていたが、放してくれるつもりはないようだった。
脚の付け根に思い切ってナイフを伸ばす。想像よりも手ごたえは軽く、寒天ゼリーにスプーンを入れるようにすんなりと体に刺さっていく。赤い血がグレーのスラックスに少しずつ広がって、床に赤い血だまりが広がっていく。七希と美咲が手を離すと、支えを失ったように白烏は仰向けに倒れ込んだ。
その瞬間にけたたましい音が教室に鳴り響く。防犯ブザーのような警戒音に思わず両手で耳を塞いだ。
「みんな、逃げるんだ! きっと先生を殺したことが上の人間に伝わってる! 僕たちがここで捕まるわけにはいかない!」
七希が叫ぶと、両耳を押さえたまま、我先にと蜘蛛の子を散らすように参加者だった生徒たちが逃げ出す。無人のC棟に廊下を叩きつけるように逃げる音だけが響く。教室から左右に分かれて逃げ出したようで、七希と美咲が階段を下りて一階に辿りつくと、もう他の生徒の姿は見えなかった。
「どこまで逃げればいい?」
息を整えながら美咲が聞くと、七希は周囲を見ながらそっけなく言った。
「たぶん大丈夫だよ。追っ手なんて来てないんだ。さっきのは嘘だから」
「え、嘘? どこから?」
「先生を刺したのは本当だよ。でも殺したっていうのは嘘なんだ」
七希は壁にもたれかかって大きく息をついた。まだ意味が分かっていない美咲は大きな瞳をさらに丸くして七希の落ち着いた顔を見つめている。
「白烏先生、死んでないの? でもナイフが刺さって、血も出てて」
「刺されたからってすぐに死ぬわけじゃないよ。刺した場所は確かに太い血管があるから血はたくさん出るけど、重要な内臓があるわけじゃないからすぐには死なないんだ。あのブザーみたいな音が鳴ったのだって、たぶん白烏先生が自分の危機を知らせるために鳴らしたんだ。今頃きっと助けが来てると思う」
「どうして、そんなことがわかるの? なんだか七希くんが違う人みたい」
驚く美咲に、七希も自分の両手を見つめながら答える。
「白烏先生の考えてることがわかったような気がするんだ。ちょっとだけ僕たちは似ているんだと思う。誰かを殺すと言いながら殺したくないとも思っている人間なんだ。だからさっき僕に自分を刺すように言ったときだって、僕には殺したと思っていてほしいけど、実際には殺させたくないんだろうな、って。いろんな人のことを考えていたからかな? 考えが読めたっていうか。これがこの試験で得た成果だって思うと嫌だけど」
七希はまだ刺した瞬間の感触が残る両手を擦り合わせる。摩擦で温かくなっても感触が零れ落ちていくことはない。
七希の言ったことが本当なのか、戻って確認する気分にはなれなかった。二人ともそれ以上何かを話すこともなく、夕暮れから夜になり始めた校門を抜けていく。
「じゃあ先生も誰かの言いなりでこんなデスゲームをやっているって言うのも嘘だったの?」
「それはわからないけど、たぶんそうだと思う。先生も僕が嘘をついているのを見抜いているってわかってるみたいだった。だから僕がすぐには死なない場所を刺すだろうと思って警報を鳴らすことにしたんじゃないかな。そうすれば僕がみんなを教室からなんとかして出す、って」
美咲は少し納得できないというように口元に手を当てて考えていたが、しばらくするとすっきりとした表情で七希を見つめた。
「じゃあ信じる。それに私にとっては白烏先生がどうなっていてもいい。七希くんが生きてここにいてくれるだけでいいから」
それからは分厚い
「ねぇ、七希くんは来年からどうするの?」
「どうする、って言っても何も決まってないよ。当然大学も受けてないし就活もしてなかったし。アルバイトするしかないかなぁ」
「だったら勉強しながらアルバイトして、来年は受験してみない? やればできると思うよ」
「大学かぁ。何かやりたいことがあるわけじゃないけど」
「そう? 私は七希くんと同じ大学に通ってみたいと思ってるんだけど」
そう言って美咲は一歩、七希の方へと体を寄せる。大学で研究したいことやなりたい職業がないという意味で言ったつもりだったのだが、美咲はそうは思っていないようで、不満そうなじとりとした視線が七希の頬に刺さっている。
「わかったよ。でも合格するとは限らないからね」
「大丈夫、私がしっかり教えてあげるから」
そんな普通の会話をかわしながら下校する時間を七希は不思議な気持ちで楽しんでいた。
もう二度と存在するはずがないと思っていた、普通の高校生の吉岡七希がそこにいる。
遠くで下校時刻を告げるチャイムの鐘の音が、やたらと大きく鳴り響いていた。
告白デスゲーム 神坂 理樹人 @rikito_kohsaka
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