第39話 勝利と清算

 ゴロリ、と重い音を立てて、七希たちの腕にまとわりついていた忌々しい腕輪が床に落ちる。長く腕についていたせいで、離れると急に腕のバランスが悪くなったような錯覚がする。何が起こったのか理解できなかった仲間たちも数秒の沈黙の後、恐怖に抑圧されていた感情が弾けるように歓喜の声を上げた。


「助かったんか? 俺、まだ生きていられるんか?」


 膝を床について足にすがりつく正司を見て、七希も少しずつ実感が湧いてくる。自分の考えは正しかった。このデスゲームは終わったのだ。


「初めてですよ。この答えまで辿り着いた参加者が現れたのは。人間は誰もが追い詰められれば自分が生き残ることだけを考え、他人の命を守ろうなどとは考えない。他の参加者ごと助ければ助かる、というところに思考を導くことができない。この極限下においてもそれができる人間がいるとは。しかもそれがかつて他人の命を奪おうとした吉岡くんから出てくるとは、最初は思ってもみませんでしたよ」


 白烏は笑みを浮かべながら両手を叩く。その顔からは悔しさのようなものはやはり感じられない。白烏がデスゲームの主催者として参加者を殺すことを考えているのなら、やはりこんな顔はできないはずだ。ゲームのルールに従ったとはいえ、クリアされたのならもっと違う感情があってもいいはずなのに、手放しに七希をたたえているように見える。


 それが、やけに不気味だった。


 七希は喜ぶ正司や麗にもみくちゃにされながらも、視線はずっと白烏を追いかけている。歓喜の輪から距離をとるように数歩歩いた白烏は、落ちていた腕輪を一つ拾い上げ、ぽつりと独り言のように言った。


「そういえば、ルール違反をした吉岡くんへの罰則をし損ねてしまいましたね」


 心臓が跳ねる。はしゃいでいた仲間たちの声が時が止まったように消えた。


 七希はここに来る前にナイフで白烏を脅している。その時は間違いなくゲームの最中で、誰がどう見ても脅迫や暴力を禁じたルールに反していた。そして、その代償は間違いなく死だった。


「もうゲームは終わった。吉岡に何もしなかったのはそちらの不手際だろう。見逃してくれないか?」


 誰よりも先に口を開いたのは、麗だった。堂々とした声で七希を守るように前に出てくる。こういうシーンを仕事で何度も経験しているのだろう。腕輪さえなければ体格のいいプロレスラー志望の麗に、白烏が勝てるようには見えない。


「ふむ、そうですねぇ。そう言われると、私のミスには違いないです。ですが、何もなしというのもおもしろくありません。何か罰を受けていただかないと私の立場も怪しくなりますからね」


「往生際が悪いぞ」


「いいよ、加賀美くん。僕は死ぬ覚悟で白烏先生にナイフを突きつけたんだ。本当なら今頃ここで苦しみに顔をゆがめながらのたうち回っていたかもしれない」


「なるほど。あなたにとってはまだ試験は終わっていないのですね。ゲームの解法を見つけたことに加えて、その決意の固さ。やはり殺してしまうのは惜しいですね」


 乾いた音を立てながら、白烏は両手を軽く叩くと、床に手を伸ばす。喜んだ時に七希が落とした大振りのナイフを拾い上げ、それを窓から差し込む今にも消え入りそうな夕日に当てて赤く染めた。


「うん、これにしましょう。吉岡くんが命を懸けたナイフなら納得ができるでしょう」


 夕日を見上げたまま、呟く。七希と麗は意味も分からず、演劇じみた白烏の一人語りを聞いていた。


 七希の胸にナイフが突きつけられる。しかし、向けられたのは刃先ではなく柄の方だ。


「これで私を殺してください」


 ためらいも恐怖もなく、白烏は七希を褒め称えているときとまったく同じ表情でそう言った。


「僕は先生を恨んでいます。いつ死ぬともわからない目に遭わされて、桂木さんを殺されて。でも殺そうとは思ってない。もし今もあの日に美咲を殺しておけば、と後悔していたら、刺せるかもしれない。でも僕は知ってしまった。あの日美咲を殺さなかったから、僕は今こうして生き残らせるためにどんなことでもすると思えたんです。

 僕はもう、あの時の無力で考えなしの僕じゃない。このナイフはもう必要ないんです」


「理由ならありますよ。私がみなさんに告白したからです。ゲームのルールは守られる必要がある。そこに私の意思は存在しません。あなたには殺す権利も生かす権利もない。この意味が、今の吉岡くんには分かるでしょう?」


「先生も、誰かの命令で動いているってことですか」


 七希の問いかけに白烏は黙ったまま、肯定も否定もしなかった。ただナイフの柄を七希に向けて差し出したまま、じっと受け取るのを待っている。


「さぁ、早くしてください。手遅れにならないうちに」


 わずかに白烏の顔に焦りの色が帯びた。それを見て七希は決心を固める。ここに長くはいられないのだ、そう直感で理解した。


 白烏から受け取ったナイフの柄をしっかりと両手で握る。正確に狙いを定める。不思議と震えはなかった。その七希の手に柔らかな手がそっと添えられる。

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