第38話 あの日の再現と答え

 背の低い中型バスからは前方の状況はよく見えない。だが、信号が青に変わってまた赤に変わるまでに四、五台の車しか向こう側に進めていないようだった。


「このままでは間に合いそうにないですね?」


 他人事のように、実際他人事ではあるが、白烏はニヤリとして七希の方を向いた。品定めするように七希の顔を見つめ、これから出てくる言葉を待ちわびている。


 七希に迷いはなかった。


 ポケットに入っているナイフを取り出すと、また白烏の目の前に掲げる。まだ鞘に入ったままとはいえ、普通ならそれだけで少しくらいは身を反らしそうなものだが、白烏は微動だにせず七希の次の言葉を待っている。


「降りてください。走れば間に合います」

「二度目ですか。もう少し決意を見せていただきたいですね」


 白烏が言い終わるが早いか、ナイフを抜き放って白烏の眼前にその切先を向けた。


「言ったはずです。僕が死んでも仲間があなたを運んでくれる。それじゃ時間がかかるから今すぐ降りて走ってください」


 七希の行動はもう誰が見てもルールで禁止された脅迫だった。張り詰めていた空気がさらに凍るように冷たく緊張が走っていく。


「いいでしょう。しかし、私はみなさんほど若くはありませんから、少しは考慮してくださいよ」


 白烏は七希の構えたナイフなど存在しないかのごとく、平常な声でそう言った。それを聞いて、バスのドアが開き、何も言わなくても誰もがバスから飛び降りた。


 七希の決意は自分の死までを見ている。


 今の一瞬でそれが車内の全員に伝わった。歩道を歩く人々を押しのけながら走る。迷惑そうに振り返られても誰も見向きもしなかった。


「はぁ、文科系に、全力ダッシュは、キツイな」

「まったく根性が足りないな。明日から俺が鍛えてやろう」


 一人疲れた様子もない麗が全員の背中を押している。七希は白烏の真後ろについて、ポケットの中に隠した抜身のナイフを握り続けていた。


「何か変な行動を起こしたら、まず太ももにこのナイフを刺して動きを止める。それから前腕や腹の下側の重要な内臓がないところを刺す」


 自分のやるべきことをぶつぶつと呟く。走っていても不思議と息苦しくなかった。ルールは破った。もう生き残れないことは覚悟している。まだ毒が撃ち込まれた感覚はない。でもいつ罰則が執行されるのかはわからない。最後に美咲に謝って、言えなかった言葉を伝える。それまではたとえ血を吐こうが何をしようが生き続けるつもりだ。


 校門はまだ生徒たちのために開いていた。下校時間にはまだ早いので当たり前なのだが、七希たちは自分たちが迎え入れられたような喜びを感じる。そのまま放課後の誰もいないC棟を登って、たった一ヶ月の間何度か通っただけで通い慣れたように錯覚する多目的教室に向かった。階段でペースの落ちた集団の中で、七希は少し速度を上げた。ここまでくれば、もう白烏を脅す必要はない。それよりも全員で向かうとしても最初に美咲を見つけるのは自分でありたかった。


 廊下を曲がると、二年前に見た美咲の後ろ姿が廊下の中央に見えるような気がする。あの日のことを七希は何度後悔したかわからない。だが、今もう一度あの日に戻れたとしても、やっぱり七希は美咲を助けに行くのだろうと思う。教室のドアをぶつけるほど力いっぱい開けると、美咲は窓際の席に座って夕暮れで赤く染まった空を見つめていた。


「美咲!」

「やっぱり来てくれた。七希くんならそうだと思った」


「なんで何も言わずに消えたんだよ。おかげでここまで大変で」

「もう一度、助けに来てほしかったから。今度は七希くんが助けに来てくれたときに絶対に逃げ出さないって自分自身に証明したかったから」


 七希はそれ以上言わせないように美咲を強く抱きしめる。そんな証明なんてしなくても、七希はこうして美咲を助けに来る。逃げ出そうと目を逸らそうと、それは変わらないのに。


「おやおや、まだ喜ぶのは早いんじゃありませんか?」

「そうそう。こうして全員揃ったんだ。早くこのゲームを終わらせよう」


 星夜がやれやれというようにわざとらしく咳払いすると、七希は美咲と手を繋いで、白烏に向き直った。


 教室には生き残った十二人と白烏がいる。


 あの日、この忌々しいデスゲームが始まった日、教室にいた者ばかりだった。


「先生はゲームが始まるときに、こう言いましたよね? このゲームで生き残るには『この場にいる誰かに告白させてください』って。僕たちはずっとそれを連れてこられた四十人の生徒のことだと思っていた。でも、本当はそうじゃない。先生が言った時、あの場には四十一人の人間がいたんです。

 だから、先生。ここで教えてください。先生は、僕たちのことをどう思っていますか?」


 七希の問いかけに、白烏は今まで見たことのない満面の笑みを浮かべた。それは少しずつ組み上げていたジグソーパズルの最後の一ピースをはめるときのような、達成感と開放感に満ち溢れた笑顔だった。


「もちろん。私は、みなさんのことを心から愛していますよ」


 その言葉が全員の耳に入ると同時に、無機質な電子音が十二。夕暮れの教室に鳴り響いた。

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