第37話 消えた美咲と七希の武器

 自分の部屋に戻った七希は、カバンのサイドポケットからあの薄く研ぎ澄ました小刀を取り出して、その刀身にキズがないことを確かめた。できれば使いたくないが、もしも白烏が動かなければ使うしかない。


 脅迫すればルール違反で罰則。そんなことは七希自身よくわかっている。だが、死ぬことになったとしても美咲を助けに行く。その気持ちだけは二年前と寸分の違いもなかった。


 白烏の泊まっている部屋の前まで行くと、正司と星夜が壁にもたれかかりながらじっと部屋のドアを見つめていた。


「戻ったか。不二はいたのか?」

「ううん。でもたぶん美咲は学校に戻ったんだと思う。連絡もつかないけど」


「おい、だったらこの計画は破綻するじゃないか」

「わかってる。だけど、今から呼び戻すのは難しいよ。だから、逆なんだ。先生を連れていく」


 そう言いながら、七希は部屋のドアの隣についているチャイムを鳴らす。十秒と経たず、ドアが開かれ、白烏が眠そうな顔を出した。


「どうしました? まだタイムリミットまでは少しありますよ。それとも命乞いに来たんですか?」


「違います。ただ、お願いを聞いてほしいだけです。僕たちと学校に戻ってください」


「それは急ですね。どうしてでしょう?」


「僕にはこのゲームをみんなで生き残るための考えがあります。でも美咲は一足先に帰ってしまっている。だから、一緒に来てください」


 真剣な表情は、七希の考えが嘘やはったりではないことを示していた。白烏は新種の動物を見つけたように興味深そうに七希の全身を頭から足元までじっくりと観察した。


「お断りしたらどうなるのでしょう?」

「その時は、これを使って連れていきます」


 七希は後ろ手に隠していた右手に持った小刀を見せつける。今は鞘に入っているが、抜き放てば本来の使い方には不釣り合いなほどの切れ味の刃が顔を出す。


「おや、最後の最後でルールをお忘れですか? 暴力や脅迫は違反ですよ」

「たとえ違反で罰則を受けたとしても、毒を注射するんでしょ? だったら、数分は何とか動ける。その間に先生を満足に動けないくらいにすれば、他のみんなが学校まで運んでくれますよ」


 痛みが強く、命に関わらない場所。復讐のために動画で何度も勉強したが、実際に人を刺したことはない。自分にできるのか、紫苑の腕の傷を見ただけで少し怖気づいた自分に。心臓が張り裂けるほどに脈打つのを堪えながら、七希は白烏を睨む。白烏はそれを見てにんまりと笑顔を浮かべた。


「そういう命を懸けた取引こそ、この試験で学ぶべきものです。吉岡くん、君はとても優秀です。私がこの短期卒業試験の試験官になってから一番優秀な生徒かもしれません。いいでしょう。あなたの言う通りにします。バスはすぐに用意しますから、帰り支度を済ませてロビーに集合してください。私の指示ですから守らない人は罰則です」


「さぁ、二人も準備してロビーに。みんなには伝えてあるから」


 白烏の顔には毎週の朝礼の時のような淡々としながらも生気に満ちた微笑みがまた浮かんでいた。ホテルに着いた時の失望したような顔はどこにもない。


 七希は、やったことが間違いだったのかもしれないと頭の端に思いながらも、星夜と正司を促して荷物を抱えてロビーへと急いだ。


 この事態を予期していたのか、七希がロビーに着くころには、帰りのバスはエントランス前でエンジンをふかしていて、白烏は全員分のチェックアウトをまとめて済ませていた。


「早くしてください。あなたが帰ると言い出したんですよ」


 白烏に急かされてバスに乗り込むと、点呼の後にバスは速度を上げながら走り出した。


 流れる景色がひどく遅く感じる。秒針がいつもの二倍の速さで進んでいるように見える。タイムリミットに設定された五時まではあと二時間半。行きのことを考えれば何とか間に合うはずだ。それでも高速道路を一〇〇キロ近い速度で走っていく車たちさえも牛歩のように思えた。


「そろそろ話してはくれませんか。あなたの計画とやらを」


 白烏は半分も席が埋まっていないバスの中で七希の隣に座ってそう問いかけた。今から妨害でもするつもりか、と一瞬身構えたが、そんな様子などまったく感じられない。推理小説の結末のページをめくるような高揚感すら具現化しているようだ。


「ある人に告白させるんです。そのためにはこのゲームの参加者を全員一か所に集める必要があるんです」


「そのために不二さんを探しているんですか」


「えぇ、全員が助からないと意味がないですから。先生が修学旅行に来てあんなにつまらなさそうにしていたのは、このゲームをクリアされる可能性がほとんどなくなったからでしょう?」


「どういう意味でしょうか?」


「これは命を懸けたデスゲームに見えるけど、最初から言っていたように卒業試験でもあるんです。だからちゃんと解答は用意されていた。その答えがあっているか確かめるには、全員が揃う必要がある」


「なるほど。学校に着くのは四時過ぎあたりでしょうか。あなたの用意した答えを楽しみにしていますよ。あなたの優秀でおもしろい行動に期待してせっかくこうしてついてきたんですから、私を失望させないでくださいね」


 高速道路を下りて下道に入ると、少しずつ見慣れた風景に変わってくる。だいたい頭の中で道順を想像し、時計を見る。予定通り四時過ぎには校門に着く。七希の願望が現実なら、そこで美咲が待っているはずだ。


 一秒でも早く、そう思っているのに、バスは停止を繰り返すようになり、薄暗くなり始めた道路は急にライトが混み始める。さっきまで高速道路を一〇〇キロ近い速度で走っていたのに、今は隣の歩道寄りを走る自転車にすら追い抜かれていく。


「そういえば、この辺りは梅の木が見頃の公園が多くあるんですよね。なにかイベントでもあるのでしょうか」


 ぼんやりと外を眺めながら、白烏が独り言のようにつぶやいた。

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