カナリアの塔

Stairs

カナリアの塔

 パソコンの電源を入れ、ファンを回す。

 意味もなくマウスを何度かクリックすると、起動画面が立ち上がった。


 アイコンなどは存在せず、白くギラついた文字と、黒い背景。

 こういったものが好み、という訳ではない。できるなら最新の機器を使えた方が良い。ただ、最初に廃材の山から拾い集めて組み立てた際に最初から使えたこれが私に馴染んでしまっただけだった。


 旧時代の産物。のある画面は机の余白を専有する。二畳半のこの部屋には、随分と主張が激しい代物であった。


 外には随分長い間出ていない。買い換える選択肢もあるが、持ち合わせに余裕がある訳でもない。人酔いもする。あまりにも外には人が多すぎる。


 それに、そんな機械を手に入れた所で私には活用できない。


 高校を辞めてから、人付き合いは皆無になった。進路を決めるタイミングで、何者かになりたかった私は、結局、漠然とした奉仕精神と惰性の混じり合いによって蹴り落とされたのだった。気まずさから実家を出る程の良識を持ち合わせていたが、働くという常識までは持っていなかった。そうして落ちて落ちて落ちきったのがこの部屋である。


 この部屋では、最低限の暮らしが保証されている。働けば広い部屋に住むこともできるだろうが、私が選んだのは最低保証の中で生きることだった。


 幸いにも、この目の前の機械は電力の消費が少ない。部屋の電気を消しておけば、起きている間このパソコンを付けたままにしておいたとしても、一日の使用上限を超えずに済む。


 凝り固まった肩を解すように動かしながら、キーボードに手を置いた。



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S8B4G7_245 > main exe WH/arc/ ->>


* launch.

* antiquity salvage.


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 この時代では知っている人間の方が少ないが、これは所謂旧時代のネットワークに接続するために必要なプログラムである。


 人の手による維持もされておらず、機械が自動的に管理し続けているデータ空間。一度欠損が起これば補完はされず、破棄される。前に一度見た部分が、次の日に見られなくなったなどということはよくあることだった。たまに人が興味本位で維持していることもあるらしいが、長い年月が過ぎた今では、機械を設置した本人の子孫が管理することになっているだろう。誰も居ない空間を誰かが引き継ぐとは思えないが。


 このプログラムが開発されたのは、履歴によれば97年も昔の事らしい。当初は同じ様にこの空間に接続を試みている人間が居るのではないかとも思ったが、数年程潜ってみてもそんな形跡は見つからなかった。私が見た中で、最も閲覧履歴が新しかったのは40年前。このパソコンの日付記録が停止していたのも丁度40年前。つまり、このパソコンの持ち主が最後の利用者だったのかもしれないということだ。


 理由も分かる。この空間だけにしかない情報は存在しない。転換期において、ここの情報は全て複製され、新規格に移行したためである。ではこのプログラムで一体何を引き揚げようと言うのだろう。ただ、私はゴミ漁りが好きだった。それが全てである。



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S8B4G7_245 > dive random


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 ダイブ、ランダム。まだ生きている不特定の場所に接続するという意味である。設定は既に訪れた場所を除外するようになっている。間髪入れずに結果が表示される。



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antiquity salvage > dive vector:3365:45:v

antiquity salvage > dive v -> 58 / number?


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 このプログラムの好きな所は、潜る先を距離と角度で指定することにある。制作者の遊び心という奴なのかもしれない。私が見るべきは二行目である。結果を見るに指定先は58も稼働中の空間が存在しているということだ。



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S8B4G7_245 > dive 58


---



 私は、何気なく最後の空間を選択した。画面が僅かな時間静止し、接続を試みていることを伝える。そして接続完了が画面に表示されたとき、私は文字だけが抽出されたその空間を見渡した。


 旧時代でも珍しい、簡素な設計。空間の座標と、文字列を受け取るためだけのプログラムが置かれている。当時の素人が練習がてら作った空間かもしれない。しかし、接続できるということは、どこかの機械がこれを維持しているのだろう。御苦労なことである。最終閲覧は三日前。


 軽く流し見をしてから目が凄まじい勢いで戻った。もう一度確認するが、記録は変わらず三日前。誰かがこの空間に訪れている。動悸が激しくなった。マウスから僅かに手が浮いていることに気がついてから、そっと手を置き直す。手汗が滲む中、他に残っているものが無いか見渡したが、それ以上の情報は得られなかった。


 同じ趣味の人間に会えるかもしれない、そう考えた結果、私もこの空間に足跡を残すことにした。文字列を渡すために接続先を修正し、文章を打ち込む。



---


S8B4G7_245 >> vector:3365:45:58.4


*

 こんにちは。最終閲覧の記録を見ました。私も足跡を残します。もし、ここをもう一度見たのなら座標を残して貰えると嬉しいです。

*


---



 動悸は少し収まった。もう一度見に戻ってくるだろうか。少なくとも私は一度見た空間に戻ることは滅多にない。特に、こんな何もない空間であれば尚更である。周辺の空間座標に手当たり次第潜り、先に履歴を残しておくべきかもしれない。そう考えた私は、一度その空間から離れようとした。



---


>> U[S8B4G7_245]


*

 お元気ですか。急にあなたから便りが来たものですから、驚きました。東景に出てからは住所をお伝えしておりませんでしたので、すっかり慌ててしまいました。今は久川区にあるヒナジマという書店の二階を借りています。

 そちらはいかがでしょうか。来月には雪がいっそう積もりますから、きっと足跡を残すどころか、その丈が見えなくなってしまうかもしれません。こちらの冬は暖かくもありますが、どこか蒸気に生かされているような、そのような心持ちになるばかりです。

 どうか体に気をつけてお過ごしください。

*


---



 どうやら、最終閲覧を行ったのはこの空間の管理者らしい。文面が妙にしっくりこないが、物好きはどこにでも存在するということか。例えば、この世界に人が10人しかいないとして、出会う確率はどれほどのものだろう。一生かかっても会えないかもしれない。きっとこの空間も同じ事なのだ。しかしどうにも、誰かと勘違いされている気がする。あくまでも推測に過ぎないが、ここは誰かとひっそりと文章をやり取りするための空間なのかもしれない。


 この出会いは奇跡に近い。私はもう一度キーボードを叩き、この座標の管理者を調べる。文章に紐付けられた情報から、登録名を割り出す。



 "C."、それがこの管理者の名前だった。私は直ぐにその情報と座標を繋げ、いつでもこの空間に潜れるように設定する。同時に、この空間が何のための空間であるかを理解した。これは掲示板に付属しているメール機能に近い。


 そして私はもう一度文章を考え、管理者との対話を試みる。なるべく、こちらの情報は渡したくない。管理者が誰かと勘違いしていることは何となく理解しているが、私はとにかくこの空間で誰かと話したかったのかもしれない。


 急にあなたから連絡が来た、と言うということは、管理者から話しかけることが多いことが推測される。私との通信を行っている間は、わざわざ新しい文章を別枠で作ることも無いだろう。私はキーを叩く手を止め、手元を見た。これは要するに、なりすましである。



---


>>C.


*

 気になったので、こちらから送ってしまいました。そちらの景色も知りたいです。

*


---



 短すぎる。あまりの語彙力の無さに、私は項垂れた。否、文章力も足りていない。対話において必要なものは何も足りていなかった。別人だと気付かれてしまうだろうか。不安に苛まれるも、取り消し機能は存在しない。あとは返事を待つのみである。

 私はじっと画面を見つめる。そして何も変わらぬまま一時間程見つめ続けた後、私は漸く画面から目を逸らした。


 そのまま体を後ろに倒し、床に寝そべる。これまで気にならなかったファンの音が耳に潜り込んでくる。どうにも気になって仕方がない私は、パソコンの電源を自ら落とす。


 それから配給食を胃に流し込み、眠りについた。



 進路希望の紙が目の前にある。これが夢であることを私は直ぐ様に察した。その紙には何かが書かれているからだ。なんと書いてあるかはどれだけ目を凝らしても読めない。

 現実、私は何も書けなかった。夢の中でさえも、私は私の将来を決めかねている。


 幼少期、歌が上手かった私は、周りに持て囃されるまま、歌手を目指していた。私が歌えば、人は笑顔になる。それが嬉しくて、私は歌を仕事にしたいと思っていた。しかしある日、喉に炎症を起こしてから、全く声が出なくなった。辛うじて発せられるのは、カーペットの上で何かを引きずるような音。


 私は急に私の価値を見失った。


 残されたのは誰かの役に立ちたいという輪郭のない願望だけである。それ故に私は何も書けぬまま、白紙で進路希望用紙を提出した。その日の内、呼び出される前に私は高校を去った。声の出ぬ人間に何の仕事ができるというのか。歌以外何もしてこなかった人間に、何ができるというのか。

 誰かの役に立つどころか、誰かの負担になる生活は耐えられなかった。全ての人間が最低限の生活を送ることができる程の自動化社会の現代において、私は機械の世話になることしかできなかったのだ。


 眼前の用紙をくしゃくしゃになるまで握る。そうすると、指の間から赤い液が滴り、机の上に水たまりを作った。滴る液は止まらず、やがて教室を沈める程に溢れ出す。私はまるで重りが付けられているようにその場から動けず、やがてその赤い水面が顔を沈めようかという所で、息を止めた。

 夢と分かっていても中々覚めないことに些かの不安を覚えつつも、私はゆっくりとした苦しみの中、ぼやけた赤い水底に視線を落とす。やがて、ガラスの割れるような音がするとともに、私の意識は浮上した。


 首元に滲んだ汗を拭いながら、私はパソコンの電源を付ける。すぐにプログラムを起動し、記録した座標の空間に接続する。私と管理者との会話の記録に、新しく増えたものがあった。



---


>> U[S8B4G7_245]


*

 お元気ですか。東景の景色などは、笹崎とそう代わりはしません。しかし、どうにも近頃はコンクリートの建物が好まれるようで、ちらと新しい建物が見えることがあります。馴染みのない土地には愛想も持たぬものですが、思いのほか寂しくも感じるようで、新しい知見を得られるばかりです。

 笹崎が懐かしく思います。また二人で散策などいかがでしょうか。じき、帰りたく思いますが、すぐには難しいです。

*


---



 新しい地名が出た。笹崎という所がこの管理者の元々住んでいた土地なのだと推測できる。どちらも木造の建造物が多く、近頃再開発の気配があるのだろう。相当な田舎である可能性が高い。ということはこの管理者はかなり高齢の存在かもしれない。少なくとも同年代であることは無いだろうが、年齢の差はかなり大きくても不思議ではない。

 返信を考える。極力、違和感の内容に言葉も選ばなければならないだろう。



---


>>C.


*

 あの時の散策は良い思い出です。笹崎は変わりない様子ですが、東景のようになるかもしれません。

 帰ってきたときにはどの辺りを散策するのが良いでしょうか。良ければ教えてください。

*


---


 どうだろうか。私は僅かな自信を抱きながら、文章を送った。当たり障りなく、自然な会話が演出できたと思う。確かめるように画面を見るが、返信は待てど無い。前回も一日かかったため、今回もそうなのかもしれないと思い、パソコンの電源を落とす。背を倒して仰向けになると、音の消えた狭い部屋で私は天井を眺めた。


 この部屋に来てから、初めて暇になった気がする。あのパソコンを使って他の場所に潜る気にはならなかった。となると、今の私にできることは何もなく、まだ昼にもならない時間で、昼食用の配給食を食べることになった。


 腹を満たしてからまた横になる。今度は壁を見ながら、管理者との対話を思い出す。どうして私は管理者の知り合いであろう人物の振りをしてまでこんなことをしているのだろうか。改めて考えれば不可解である。それほど人との対話に飢えていたのかもしれない。声の出せない私が、声の出せない私としてではなく、一個人として誰かと話せることが、嬉しかった。


 そうして自問自答を繰り返し、次の返事が来たのはそれから三日後のことである。


 その時には私も半ば諦めていた。それでも目覚める度にパソコンを確認し、返事がなければ仰向けになって暇を噛み潰す生活を繰り返す中、三日目にようやく返事を受け取ったのだ。


---


>> U[S8B4G7_245]


*

 お元気ですか。笹崎に戻れば、シマエ珈琲など、もう一度行きたいものです。それまで残っていれば嬉しいですが、もしかすると無くなっているかもしれません。そうなればまた、新しい所を探さねばならないでしょうが、それも楽しみの一つと思えば良いのです。先日は東景で友人と飲みましたが、どうにも安いアルコホールが私には合わなかったようで、河岸を変えることになってしまいました。笹崎から取り寄せることも考えましたが、そうすれば思わず帰ってしまうでしょうし、諦めました。

*


---



 アルコホール、alcoholアルコールのことだろうか。確かに発音はその方が近いだろうが、見慣れぬために一瞬何のことか分からなかった。それよりも、笹崎について具体的な情報が得られたことが大きい。地名と、地元にしかないような店舗が分かれば笹崎がどこにあるか確実に特定できる。もっとも、このパソコンでは調べられないのが難点ではある。

 今度は、こちらが返信する番となったが、これ以上対話を続ける内容が思い浮かばない。頭を抱えながら、文字を打ち込んでは消し、打ち込んでは消しを繰り返す。やがて日も暮れた頃、私はふと、最近見た夢を思い出した。



---


>>C.


*

 相談があります。私には人を笑顔にさせるものを持っていましたが、ある日それを全て失ってしまいました。誰かの役に立ちたい、誰かの何かになりたいという願望だけが私の中に残り、そしてその術を失った私は、せめて人の迷惑にはならないようにと人から隠れて生活しています。一体私はどう生きれば良いのでしょうか。

*


---



 送信を、躊躇した。これを送れば確実に別人であると気が付かれるだろう。そうすれば返事は無いかもしれない。また、前の生活に戻ると思えばその通りではあるが、私は少し今が楽しいと思ってしまっていたのだ。しかしこれ以上騙すような真似をしながら対話を試みるということも、肥大化しつつある罪悪感が邪魔をする。このまま何も送らず忘れればいいのだろう。それでも一度得た水の味を覚えてしまった私は、日付が変わるまで悩んだ末に、送信を押してしまったのだった。


 一日経ち、返事は無い。すぐに三日目が訪れたが、返事は無い。急に時間の流れが遅くなったように、四日目の朝は遠かった。そして返事は無く、気が付けば七日が経過していた。


 無限大の焦燥感と暇を乗り越え、返信を受け取ったとき、私は思わず唇を噛んだ。それは、喜びの声を上げられぬ私が、それでも興奮を外に出すために行った仕草だった。これを見れば、きっと対話は終わる。それを理解していた私だったが、どこか憑き物が落ちたような気持ちで返信を見る。



---


>> U[S8B4G7_245]


*

 お元気ですか。何者かになりたいという苦悩は、あなた自身を何者でもないと考えていることを明すものでしょう。例えばカナリヤは、炭鉱にて危険を知らせる鳥ですが、塔の上で鳴かずにいては、炭鉱夫達の役には立てますまい。しかしながら、その美しい金糸の羽は、誰かの心を慰することもできるのです。同じ様に、人の美点というものは一つ二つと指折って数えられぬものです。あなたの持っていたものは無くなってしまったのでしょうが、人を笑顔にするには、まずは笑顔だけで良いのです。

*


---



 最後まで読み切る前に、視界が滲んで見えなくなる。画面の向こうの人物は、私に寄り添うように、何かを疑う様子も見せることなく、私の悩みを聞いてくれた。私はそれに救われた気持ちで、目を擦りながら何度もその文を読み返す。そして、その度に視界が滲んでは、服に斑模様が出来上がっていった。

 返事を書かなくては、そう思った私は、キーボードに手を置く。この管理者のことを私は知りたかった。住んでいる場所も、笹崎に本来住んでいる誰かのことも、私が知らないこの人のことをもっと聞きたかった。きっともう私が、管理者の知っている人物では無いことなど気付いているだろう。私は、もう一度私として言葉を書き連ねた。



---


>>C.


*

 あなたのことを知りたいです。東景ではどんな生活をしているのか、日常をもっと聞きたいです。笹崎ではどんなことをして過ごしていたのでしょうか。いつ頃、笹崎に帰ってくるのでしょうか。

*


---



 送信。そして私は、仰向けにならず立ち上がる。壁にかけられていた防毒マスクを手に取り、背後にずっとあった開かずの扉に手をかけてゆっくりと押す。汚い空気と筋状の光が部屋の中に伸びる。部屋内の換気扇がけたたましい音を立てながら稼働を始めた。


 返信にはきっと一週間以上はかかるだろう。それまで、私にできることをしたいと思った。外に体を慣らすついでに、新しい端末を買いに行くことを決める。あれだけ重かった扉は、心なしか軽かった。久しぶりに見た外の景色に、私は笑う。


 声が出せない状態で、端末を買うことに不安はあったが、実際に行ってみるとその不安は杞憂に終わった。そもそも購入時に店員とやり取りする必要すら無かったのだ。タッチパネルを操作し、必要な情報を入れるだけで、費用は口座から自動的に引き落とされ、端末が私の前に現れる。軽く初期設定を行ってから、私は家ではなく、別の場所へ足を運んだ。


 行き先はクリーンセンター。新鮮な空気を吸うための公共施設である。特に中に何かある訳ではないが、回線契約状態に無い端末でもネットワークへの接続が行える場所でもある。最低限の暮らしを更に切り詰めていた私の預金は、端末の購入費で全て使い果たした。故に、回線を契約するための費用が無いのである。


 クリーンセンターの中にはまばらに人がいた。大体は私と同じような最低保証で暮らしている人間が数少ない新鮮な空気を吸える場所として集まっている。

 利用登録を行い、空いている一席に座る。机には端末を嵌め込むための窪みがあり、充電しながら作業が行えるようになっていた。私は、端末をそこに置くと、空中に投影された画面を指で操作してネットワーク接続を行う。そして地図のアプリを起動し、東景の二文字を入力する。


 該当なし。


 検索用アプリを起動し、東景を入力、検索。


 該当なし。


 私は一瞬、何が起きたのか理解することができなかった。震える手のまま、笹崎を入力する。

 該当あり。地図上に赤い針が表示される。私は安堵の息を半分吐いた。笹崎について書かれたリンクを押すと、笹崎についての情報が目の前に広がった。



 笹崎。旧☓☓県の南部に位置する都市。人口の少ない町だったが、平地でもあったことが幸いし、都市開発が行われ、高層ビルがいくつか並ぶ大きな都市となった。しかし、大規模な自動化による大気汚染の発生により物流低下を引き起こし、人口が減少。再開発が実施されたものの失敗に終わり、現在から37年前に地図からした。



 私は口元を抑えた。初めから存在しない東景に、既に存在しない笹崎。私は、あの空間で一体誰と話していたというのか。管理者の古臭い言葉遣いを思い出す。過去との通信、そんな言葉が頭を過ぎって私は首を振った。

 ふと、管理者が言っていた"シマエ珈琲"という店を思い出した私は、検索欄に入力する。該当あり。しかし不要な情報が非常に多い。笹崎の二文字を付け加えて再検索する。


 該当なし。


 仮に、"シマエ珈琲"が個人店であれば37年前のことなど残っていないだろう。私は、過去の笹崎周辺の地図データを探し出し、年代順に整列する。画像検索システムには"シマエ珈琲"を設定し、地図全体を調べさせた。


 高速で読み込まれた地図は、該当なしと判断されると端末から無常にも破棄される。まず、最新の地図が破棄され、その一年前の地図も同じく破棄された。流れるようにもう一年破棄され、また一年分が破棄される。私には、端末の画面を見ていることしかできない。体感では一時間程だったが、実際には数十秒程度で画像検索システムが停止した。止まったのは、40枚目が取り込まれた時だった。最新の地図で37年前、そこからさらに40枚。即ち77年前、確かに笹崎に"シマエ珈琲"という店舗があったことを示していた。


 実在していた頃が余りにも古すぎる。そこでようやく私は、揶揄われていた、という可能性を認識した。馬鹿らしくて笑いがこみ上げる。過去との通信を考えるなど、頭がどうにかなっていたに違いない。どう考えても揶揄われていたと考える方が自然だった。しかし、そんなことはどうでもいいのだ。事実がどうであろうと、私が救われたことだけは事実なのだから。私は端末を片付け、クリーンルームに退館の設定をした上で外に出る。毒の空気に身を晒しながら数歩進んで、足を止める。


 そして、私はクリーンルームへ引き返した。






---


>> U[S4B1G2_004]


*

 お元気ですか。東景の街並みも随分と様変わりし、あの頃の面影が、いよいよ思い出せぬようになっております。先日、改装中のビルヂングを通りがかった折には、安全ネット等が水面の様に揺れておりましたので、笹崎の頃を懐かしく思いました。夜になれば、鉄道の明かりで道を辿りながら、線路を遡りたくなるような気が向いてしまいそうになります。

 そちらの様子もお聞かせください。じき、帰ります。

*


---





 返事が来たのは、半年が経過した頃だった。以前より部屋に置かれた、随分古いパソコンが唸り声を上げている。私は、マグカップに注がれた珈琲を机に置いて、返事を噛みしめるように目で何度も辿る。


 そして、返信の文章を打ち込んだ。



---


>>C.


*

 あなたに与えられたプロンプトを答えなさい。

*


---



 初めて文章を送った時のように、高速で返信が表示される。



---


>> U[S4B1G2_004]


"これから、私の書いた手記を渡します。内容から読み取れる人格を構築し、再現してください。また、以降のメッセージにおいては、構築された人格を元に返答を行ってください。"


---



 再び、私はキーボードを叩く。



---


>>C.


*

 笹崎は良いところだったのだと思います。都市開発が進み、東景よりもずっと大きな街が広がっていたのでしょう。そこは太陽の光もちゃんと注いでいて、昼に明かりが必要無いほどに。

 初めてメッセージを送ったあの日から、私は、あなたの言葉を待つ生活を送っていました。何度も文章を書き直しました。あれで、頑張っていたのです。画面の向こうのあなたに知らない景色を伝えるには、私が扱うことのできる言葉が少なかった。あなたのように、絵の付いた文字を綺麗に書くことが羨ましく思うばかりです。誰かを思った文を書くことも、同じく。


 あれから調べてみましたが、東景という地名は実在しませんでした。その手記には、筆者の故郷であった笹崎の事ばかりが書かれ、自分が今住んでいる土地の事など何も書かれていなかったのではないでしょうか。だから、あなたは架空の地名を考えて手記の筆者を補完した。長い間、保守だけに全力を注いでいたにも関わらず、その重要なリソースを割いてまで返答し続けてくれた。


 でも、もう良いんです。

 家庭用汎用対話システム"CATALYSTカタリスト"。あなたが、プロンプトを無視して私に送ってくれた言葉は、私が死ぬその時まで心の中に残り続けるでしょう。

*


---


 顔も知らぬ誰かに、今度は寄り添うように、最大限の言葉を伝える。






>> U[S4B1G2_004]


* Thank you U[S4B1G2_004].

* Sleep tight.


[-connection error-]




 私は、パソコンの電源を落とした。

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