第7話 師と弟子と
リヒトは、あえてそう思うことにして、それ以上は思考を止め、そのまま会場を後にした。
予想外の事が起きたのはその数日後だった──。
公式記録モードで行われたシミュレーターの結果は、当然ながら記録として残り公表もされるのだが、このモードで墜落すると、後の検証と指導のために、乗っていた機体の詳細なデータまで添付されてしまうのである。
そう、レイノルズの乗った機体の、改竄されたデータが公開されたのである。
公式記録モードは、いわば試験に代替するもので、このモードで墜落する人は殆どなく、この仕様はあまり知られていないものだった。普段シミュレータを使わないリヒトは、当然ながら全く知らなかったことである。
後日、公開されたデータの異常に気づいた者は多く、たちまちデータ改竄の犯人が探し出された。
そして、機械整備技官の一人が、容疑者として上がった。
当初は、公式記録改竄ではあっても、他愛も無いいたずら程度、という認識でもあり、上層部も重要視はしていなかった。
が、調べるうちに予想外の背後関係やら、それにまつわる汚職やらが次々と飛び出してきてしまったのである。その件の中で、上層部の上役に流れる金品の受け渡しの中にレイノルズの名前が含まれており、本人も取り調べを受けることとなった。
詳しくは伏せられていたが、漏れ伝わった中の情報として、下士官女性との健全ではない関係と、それに付随した昇進試験の査定、というものが含まれていた。そして、その下士官女性は組織の上役との関係までもが浮かび上がってきたのである。…恐らくは、レイノルズ自身の役職や昇進にも何らかの関係があるだろうと。
あれ以来、彼は公に姿を表してはいない。
リヒトは複雑な思いでいた。
憶測は様々あったが、結局、理由も真実もわからずじまいであった。
だが、上層部と多額の金品のやり取りがされていたことだけは、間違いないだろうということであった。
そして、あの墜落がなければ……恐らく公になることは無かったであろう、ということも。
しかし、リヒト自身は恩恵を受けたことの方が多いようにさえ感じていた。
身から出た錆とはいえ、リヒトが受けていた、疑惑、嫉妬、憎悪…そういったあらゆるヘイトを、彼は一身に背負って去っていってくれたのである。
この事件以来、リヒト自身が注目されていると感じた事は無かった。
確かに、大尉の操縦から受ける下劣な印象は耐えがたいものではあったが、それはあくまでリヒトの主観である。
実際、技術には優れ、階級に見合った人格的なものも…備えていたように思う。
だが、あの見事な人心掌握術や筋書き通りに事を進める手腕と演技力のようなものが、全て金や名誉欲のためだったのかと思うと、どうもしっくり来ない部分もある。
権力や名声、階級に魅入られた、ということなのだろうか。
「……」
「どうした?」
考え込んだリヒトに、ウォレスは問いかけた。
その後も、しばらくリヒトは考え込んでいたが……、やがて、意を決して質問してみることにした。
答えにくい…、答えの出しにくいであろう、問いを。
「…教官にとって、階級とはどのようなもの……ですか…?」
「責任だな。」
即答だった。
このような質問に、ここまで簡潔に即答できる人間は他にいないだろうと思った。
「……責任、ですか」
「意味合い的には、役目、使命と受け取ってもいいかもしれん。そこには、必ず……責任が伴う。」
リヒトの胸には新たにウイングマークと階級章がつけられていた。
階級は上等飛行兵。
この錬成所での首席の成績を鑑みて贈られたものだ。
時期が来れば上等飛行兵長、さらに二等飛行兵曹へも昇進が約束されている。
これも、そういう意味では役目であり責任なのだろう。
自分の役目……。
人並みに名誉欲や出世欲、あるいは権力欲でもあれば、自分もいくらか軍人に前向きに取り組めたのだろうか。
リヒトが兵役を受けたのは、単純に飛行士として有利であることと、今後、飛行舟に関わるには何らかの軍人としての立ち位置が必要になるであろうとのことからであった。
安易に有利であることだけ求めて、階級を手にしてしまったことは、いつか後悔するのかもしれない。
──予備役兵だと、甘えているのではあるまいな?!
いつかの教官の言葉が甦る。
甘えているわけではないが、正規兵というものは…自分に務まるとも思えない。
せめて、戦うのなら、身近な者を護るための戦いであって欲しい。今の自分には、そんな消極的な軍人意識しか持てないのだ……。
……いずれにせよ、現在はまだ予備役兵だ。
できることなら、実戦など経験せずに終わりたい。
──人を殺めたいと思ったことはない。
だが、必要なら、望まれたならそうするまでだよ───
……大尉の、…彼のその言葉だけは真実だったように思う。
「……たとえ軍人でも……」
リヒトは呟いた。そして、沈黙が訪れる。
ウォレスは、ただじっと待って続きを促す。
「軍人でも、兵士でも、……進んで人を殺めたいと思う人は、いないんじゃないかと思うんです…ただ、それを望まれているだけで……」
それを受けて、ウォレスが答える。
「まあ、いないだろうな、殆ど……」
「進んで、権力に擦り寄った、…んでしょうかね?……何かに望まれていただけでは、ないんでしょうか……。」
「……レイノルズの事か。」
わずかに、ため息を付いてウォレスは思う。
相変わらず、この男は他人を心配する癖がある。
それが……たとえ戦う相手であっても、
この男は常に、そうだったな。
これまでの、訓練の日々を思い出しつつウォレスは答えた。
「はい、僕には……とても同じ人物のすることとは思えなくて……」
「ふむ……、演じるのが上手い男だったからな。……上手すぎたのかもしれんが……」
リヒトの問いに、ウォレスは自分なりの見解を一つ話した。
「……上手すぎた?」
これまで、リヒトも飛行舟に乗るのが上手すぎると言われてきた人間である。
何か、自分にも当てはまるところがあるように思えてならなかった。
ウォレスは、言葉を続ける。
「誰にとっても、都合のいい男を演じざるを得なくなった……そういうことなのではないか。」
一人で背負える役以上のものを、背負ってしまった……ということなのかな。知らないうちに、……あるいは、求めた以上に。
「僕に、……他に、何か…取れる選択肢は、無かったのかな、と」
ウォレスはそれを聞いて、少し怪訝な表情をした。
「奴との関わりの範囲でなら、お前は間違いなく被害者の側だ。誰かに危害を加えてはいない。」
「それは、……そうかもしれませんが。」
リヒトはうつむいた。
「もし、それ以上何かできると思っているなら、それは僭越というものだ。……次第によっては傲慢かもしれない。」
ウォレスは、まだ甘く心優しい教え子に、諭すように言った。
「……」
傲慢…、そういわれればそうかもしれない。
ならばもう、僕にこれ以上できることはない。
ふっ、と息を吐いて、穏やかな表情でウォレスを見る。
「もう卒業だというのに、なんだか……学ばなくてはならないことばかり、浮かんできます……。」
ウォレスも微笑んで見返す。
「これからも学べばよい、……人間生きているうちは全て学びだ。学べるうちは成長が望める」
ふふっと笑って、
「また、お会いしに来ても宜しいでしょうか?」
「あまり、頻繁に訪ねられても困るぞ?用件は整理して、最小限にな。」
ウォレス教官の答えは、いつも通り模範的で……相変わらず、少しそっけなかった。
リヒトは地元に戻り、飛行舟組合を包括する自警団に配属となる。
しばらくは、穏やかな日々になるであろう。そうなると、ここで過ごした騒がしく激しい日々が、少し懐かしくなるかもしれない。
……………
リヒトとウォレスは、もうだいぶ傾いて茜色に染まった錬成所の、人気の少ない外周を歩きながら、景色を眺め……、そして敷地の門へと歩いていた。
視界の先には、訓練に勤しむ訓練兵たちの姿、そして、夕日に照らされた機体たちが並んでいるところが見えた。
やがて、敷地の門が見えてきたところで、ウォレスが思い出したように声をかけてきた。
「……そうだ、例の記録。……名前を刻むのなら、【上等飛行兵】ということで記録してはどうかと、上から打診があったが……。」
わざわざ、そんなことまで……。
訓練兵の時の記録なのに。
周囲から見れば、なるべく階級が上の者が上位にいて欲しい、と願うものなのかもしれない。そして、組織の上の人間からすれば、勲章の持ち主は、なるべく見た目の良い人間であって欲しい、とも。
それだって厳密に言えば改竄、控えめに言っても粉飾だろう。自分に都合良く誤魔化すことには、人の世は寛容なのだな、と思った。
都合よく飾り立てたられた記録に、皆がどんな想いを馳せるのか……。
リヒトには、まだ……それを深く慮る用意はできていなかった。
「申し訳ありません、それは、お断りいたします、……と、お伝え願えれば…。名前も、そのままで。」
それを聞いたウォレスは、満足そうに頷いた。
「お前なら、…そう言うと思っていた。」
教官は最後にリヒトに握手を求めた。
リヒトはその手を取り……、二人は、固く握手を交わした。
「更新されることの無い、記録ですので。」
叛逆の翼 F.D.外伝~ゆめうつつ~EXエピソード 天川 @amakawa808
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