第6話 女神の教義…その力
旋回中にも離される。
……疑惑は確信に変わった。
機体の性能データが、
その後も指標を通過する度に差は開き、
背中を追っていたはずの機体はどんどん離れ、
気がつけば3秒ほどの差にまでなっていったのである。
観客は大興奮だ。
圧倒的有利と思われていたリヒトが、ジリジリと差を広げられているのである。
こうなると、大尉に賭けていた連中は俄然盛り上がる。
うおおおぉぉぉーーー!!!
大尉ーー!!
という黄色い声援まで上がる始末だ。
三割ほどリヒトを応援していた層もいたようだが、それらは皆、焦りと落胆の色を隠せないでいた。
一方、
観客の大興奮とは裏腹に、
リヒトは、…完全に気持ちが沈んでいた。
違和感は…ずっとあった。
もしかしたら、これは大尉ではなく別な誰かの仕込みなのかもしれない。
先ほどまでの大尉との会話を思い出すと、疑うことにも躊躇はある。
だが、それ以前の筋書きは……、
あまりに出来すぎていた。
正規兵の難癖、
見計らったかのような大尉の登場。
模擬空戦、
異質な交戦設定、
圧倒的な勝利、
その後の混乱と見事な終息──。
………
正直なところ、
この勝負もほどほどのところで手心を加えて、
大尉の勝利で終わらせれば、
物語としては万事丸く収まるのかもしれない。
実際、始まるまではそうしようかと
半ば、本気で考えていた。
本気で手合わせし、本気で飛び、
相手の事を理解できれば……それでよかった。
そもそも、負けたところで損をすることなどなにもないのだ。
記録が剥奪されるわけでもない、
除籍などする必要もない。
四方丸く収まるのだ。
だが、ようやく見えた出口の前で、
偽りの出口だった、と知らされたような、
…そんな気持ちもある。
どんなに、全力で飛ぼうとも、決して届くことがない。
──ひょっとしたら、
飛ばし屋を追いながら飛んでいる一般兵は、
この改竄されたシミュレーターに向かっている
今の、僕の気持ちと同じだったのだろうか……。
──これは、その者達からの
責めを受けているのだろうか──
大興奮の観客
リヒトの勝利に賭け金を積みながら、
大尉の勝利を願い喜ぶ兵士たち。
世の有り様を、実によく表しているようにも思える。
本当は──
体質による不調よりも、勝利を願われていることに
喜びを感じている自分がいたのかもしれない。
大勢の観客の興奮を前に、
柄にもなく、喜んでいる自分がいたのかもしれない。
しかし、
それは騙され、裏切られた。
──いや、そうじゃない。
望まれていると、自分で勘違いしただけだ。
……人の世は、ずっとこうだったじゃないか。
だが──
なぜだろう?
理屈的な自分は説き伏せたはずなのに、
もう一人の自分
衝動的な自分が異を唱えてきた。
いや、
これは飛行士としての自分だ───。
先ほどから感じていた、もう一つの違和感の正体
後ろから大尉の挙動を見ていたからわかる。
この大尉は、間違いなく腕が良い。
それこそ、あの正規兵連中などとは比べ物にならないほど。
軍内でも上の中と言ったところだろう。
だが、…気に入らない。
気持ちが悪い。
本能的に相容れない品性の下劣さを感じるのだ。
腕の良い飛行舟乗りは、
機体の性能のギリギリを、綱渡りのように駆け抜ける。
限界は越えない。
機体と対話し、その境界線上を往くのだ。
だが、この男は、
機体の限界を敢えて一歩越えたところを好んで踏みつける。
その上で機体に要求する───
「そら、悲鳴あげて見せろよ…!」…と。
まるで、
脚の限界を訴えている馬に
わざと鞭を
まるで、
望まぬ女性に行為を強要し
これが気持ちいいんだろ──?
と
旋回のタイミングに、
推進機レバーを倒すその深さに、
主翼を広げる速度に、その開度に、
機体に指示するその端々に──
言い知れぬ、汚さを感じるのだ。
理屈と衝動──
自分の中で戦っているのを感じる。
今や、二機の差は6秒にも達している。
熟練者同士なら1秒も離されれば挽回は不可能だ。
絶望的な差。
残す指標はあと5つ……
時間の方が残り少ない
迷っていても、いずれ……時は来る
これは、そういう事を示しているのかもしれない。
いよいよ観客は勝利を確信する。
声援は大尉一色だ。
その時、声の奔流の中から
聞こえるはずのないはっきりとした一人の声が、
聞こえた
誰の声だろう…
まだだ、戦え、リヒト──、と
これまで生きてきた中で
何度も唱えてきた、女神の教義が甦る──
───運命を悟りたるなら
その剣を手に戦いなさい────
──操縦桿を握りタイミングを測る
第十八指標は速度制限つきだ
表示には800knots以上、と出ている
音速以上だ
……だがこれは布石だ
本命は次の第十九、二十指標
第十八と十九はかなり近く、必然的に相応の速度で通過することになる。
ところが、次の十九と二十は全く同じ位置に存在している。
つまり、十九でくぐった輪をもう一度くぐらなければならないのだ。
必然的に、十九をくぐった後は大きく旋回してきてもう一度同じところをくぐる、というコースを取ることになる。
この大旋回部分は単純に機体の限界性能で回ってくるだけになるので、十九をくぐった時点でほぼ結果が決まる、というのが一般的な理解だ。
ポン
「一番機、第十八指標通過」
通過速度928knots
その数秒後
ポン
「一番機、第十九指標通過」
通過速度941knots
うおおおぉおぉおおーー!!!!
勝利を確信した声が、
まさに勝鬨が観客から上がる。
更に遅れること数秒
ポン
「二番機、第十八指標通過」
通過速度805knots
既に一番機は大旋回の半分にも達しようとしている。
誰もが勝利に酔いしれようとしていた───
ポン
「二番機、第十九指標通過」
通過速度31knots
ポン
「二番機、第二十指標通過」
通過速度27knots
────!!??
順位表示の文字が、──瞬時に入れ替わる。
1st 9821
2nd Reynolds
なんだ──?!
何が起こった…!!??
さっきまで後ろを飛んでいた奴が──、
いつの間にか前にいる……!!!
気の利いた中継マンが、素早く数秒前の状況を再生する──
Replay ──
第十八指標をくぐる瞬間……、
2番機は推進機を戻しエアブレーキを展開。
速度が音速以下になると同時に、主翼全開…さらに
急激なピッチアップ動作で進行方向に対しほぼ垂直に機体を立て急減速、
なおも機体を後方に傾け殆ど後ろ向きになり、推進力まで利用して減速
慣性でなおも前進しながら第十九指標を通過
その時の通過速度、わずか31knots
ほぼ空中停止状態からくるりと後方に一回転
位置をやや後方に移し、そのままもう一度指標を通過してしまった。
そして、翼を全閉にして猛然と地上へ向けて急降下する───!!
おおおぉぉぉおおお!!!!
うわああぁあーーーーーー!!!!
えええぇぇええーーー?!?!
あり得ない大逆転に観客は大混乱に包まれる。
その中で、数少なかったリヒト応援者たちが、一斉に声をあげる──
行っけえぇえーーー!!!!
うぉ…ぉぉおーーー!!!!
ぐんぐん地表に接近するが、音速突破寸前で主翼を全開、地表スレスレで水平方向へ向き変える。
そのままゴール前最後の指標を通過しようとした時……。
再現性に優れたシミュレーターが、リヒトの背後で轟音を響かせた。
「あ、」
───────────────
数週間後──、
錬成所は、再びいつもと変わらない日常を送っていた。
基礎座学に向かう者、実機訓練に臨む者、体力作りに励む者など様々だ。
食堂では今日も会話に花を咲かせている兵士たちがいる。しかし、その話題も様々ではあるがどれも他愛の無いものだ。
訓練課程の教官が気に入らない、恋人にふられた、明日の天気が気になる、など──。
リヒトはいち早く訓練課程を終え、2、3日中にも、ここを卒業することになりそうである。
今は教官室で、これまでの思い出を語り合っているところだ。
……………
「左遷、……ですか。」
ため息をつく。
向かい側に座る男、ウォレス教官は昇進し、今は中尉となっている。
訓練中と違い、穏やかな表情をしている。
「まあ、……表向きは転属と言うことだが、実質そうだろう。降格にならなかっただけ、温情だと思った方がいい。」
この時、話の行き掛かり上聞いたのだが、ウォレス教官とレイノルズ大尉は、訓練兵時代からの知り合いだという。尤も、ウォレスはあまり関わらないようにしていたそうだが、どういうわけか人生の要所で関わりができてしまっていたそうだ。そのため、お互いの事は不本意ながらよく知っている、いわゆる腐れ縁だと言っていた。
そのため、他の人が聞いていないときには彼は、レイノルズ大尉の事を随分ぞんざいに呼んでいた。
──────
あの日、シミュレータ・レースの最終盤……。
最後の指標をくぐるため、音速からの急降下、その後の急減速により音速以下で主翼を展開して、地表スレスレで水平移行に成功したリヒトに対し……
レイノルズ機は同様の操作をしたが、主翼を展開した際の速度は音速を僅かに上回ったままだった。その為、衝撃波の負荷に主翼が耐えられず、破損。そのまま、墜落の判定となった。
第十九、二十指標をくぐった時点でリヒトは速度を殆ど殺していた。対するレイノルズは大回りをしたとはいえ速度を充分残している状態だった。最後のミスが起きなければ、結果はわからない、ぎりぎりのところだったように思う。
レースの結果は、リヒトの大逆転勝利──。
結果だけ見れば前評判通りなのだが、そのあまりにも劇的なレース展開に観客は大いに沸き、しばらくの間は、皆が何度もレース映像を見返していた。
払戻し金の受け渡しや、展開について熱く語り合うもの、その場で一杯やり始める者まで現れるなど、会場は興奮と混乱の
当然ながら、このレースで出したリヒトのコースタイムは新記録となり、シミュレーター限定ながら、またひとつNo.9821の名前が刻まれることになった。
……………
その喧騒の中で、静かに筐体を降りてきた二人、……リヒトとレイノルズ。
「……終盤までは、勝てるんじゃないかと思っていたが、……ははは、やはり敵わなかったねぇ。」
そう言って、清々しい顔でレイノルズは握手を求めてきた。
リヒトは、一瞬ためらったが、……その手を取って握手を返した。観ていた観客からは、二人への万感の想いと歓声、そして拍手が贈られた。
……そう、全てはこの瞬間を演出するためのものだったんだ。
リヒトは、あえてそう思うことにして、それ以上は思考を止め、そのまま会場を後にした。
予想外の事が起きたのはその数日後だった──。
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