第5話 喧騒と興奮の錬成所

 すると、大尉は不意に、ニヤリとした。

 何か、面白いいたずらでも思い付いたような、そんな顔だ。

「……あるじゃないか、簡単な方法が。」


「……!?」


 そんな方法が…?!

 あるなら教えてほしい。

 そうすればこんな鬱陶しい問題とも決別できる。


「……君、私の午後の予定はどうなっていたかね?」

 大尉は側に控えていた女性下士官に尋ねた。

 聞かれた下士官は小声で何事か話している。


「ふむ、……予定は全てキャンセルしてくれたまえ。」

 そう言って立ち上がった。

 つられてリヒトも立ち上がる。


 大尉は自信に満ちた顔で、言った。

「付き合ってくれるかな?……面白い余興を思い付いた。」


 ……………


 またしても、錬成所中に、噂が駆け巡る───。


 感動的な大演説のあと、なんとその人物が、今度はお祭りを企画してきたのである…!。


 それは───、

 シミュレーター訓練機を使った、試験審査記録会の再現コースを利用してのレースである。



 ──盲点であった。


 飛ばし屋の能力は、実機体に対して影響を及ぼすものである。

 つまり、仮想空間であるシミュレーターの結果には何ら影響を及ぼすことは無いのである。

 これを使って記録を測定すれば、飛ばし屋だろうが一般兵だろうが一律の結果が出るのである。


 リヒト自身は、あまりシミュレーターが好きではなかった。

 筐体が密閉型ではなく、外の雰囲気が駄々漏れであることと、実機と違い身体にかかる重圧の再現が不十分なのである。

 もちろん苦手ではないが、ほとんど使ったことがなかった。

 そのため、意識からは完全に抜け落ちていたのである。


 兵士たちにはお馴染みの訓練風景であり、実機が空いていない場合や空き時間、天候の悪い日など、その利用方法は様々である。

 中には実機よりこちらの方に長く乗っているという変わり者までいるほどだ。


『まもなく、レースが開催されます!手空きの者は是非観戦を…!!』


 そんな放送まで流れ出した。

 錬成所内は午前中までのギスギスした空気などなかったかのような解放感と熱気に包まれていた。


 レイノルズ大尉と訓練兵No.9821による一騎討ち、

 ………でもよかったのだろうが、大尉の計らいで他に下士官3人を含めた5人によるレースとなった。


 しかも、企画はそれだけではなかった。

 なんと、大尉の無礼講発動で、出場者に対する賭けレースとなったのである。


 これには、兵士たちも大興奮である。


 わだかまった空気を、企画一つでここまでガラリと変える、大尉の人心掌握術の巧みさに、リヒトは感心しきりであった。

 飛ばし屋に起因する鬱憤も、賭けに勝って晴らしてほしい、という大尉のいきな計らいだ。


 お祭り好きの兵士たちによってギャラリーが集められ、賭け金が山のように集まり、倍率が逐一変化していく。

 シミュレーター室に入りきらないほどの兵士が詰めかけ、大モニターを見ている。


 気の利いた兵士が、シミュレーターの映像を中継し、食堂や娯楽室の大モニターにも放送するという手の込んだ状況だ。


 ……………


「あくまで…余興だよ?私の腕では、君には到底敵わないだろうからね。」

 そう笑って、大尉は筐体に乗り込んだ。


 リヒトは、大尉の斜め後ろの筐体に乗り込む。

 他にも、3人の下士官が大尉を囲むように筐体に乗り込んだ。


 仮想空間の通信回線が繋がる。

「諸君、聞こえるかね?」

 筐体の通信スピーカーから声が聞こえる。

 大尉だ。


「こちら9821、聞こえます、感度良好」

 他の出場者からも、良好の声が上がる。


「今回は、公式審査モードに複数参加機能を追加して行う。他機への接触判定は無しだ、存分に飛び回ってくれたまえ。」

 そう言って全員の顔をモニター越しに見て異論のないのを確認する。その後、


「さて、これは提案だが……」

 と言って大尉はニヤリとする。


「機体は…なんでもいいかね?私は6式試5型の試験も任されていて、この機体が一番慣れている。」


 そう言って意味ありげにモニターのリヒトを見た。

「君たちは現役だが、私は実戦を離れたロートルだ、ハンデをくれると…嬉しいのだが?」

 そう言って笑った。


 試5型は3型の正常進化という位置付けを目指して試験中の機体だ。

 実機の試作型も乗ったことがあるが、非常に素直な操縦性で、2型で見られた主翼の癖もない。推進機の出力もアップしている。

 まさに正常進化と呼べる名機になるであろう。


「どうぞ、そちらにお任せします。」

 リヒトがいうと、

「はっはっは、感謝するよ。」

 と言ってまた笑った、上機嫌だ。


 真面目で、実直な人物かと思っていたが、存外お祭り好きらしかった。


 リヒトは通信を切り替えて、大尉だけに声が届くようにする。

「…大尉」

「何かね?」

「感謝いたします。」

「何をだね?」

 大尉は、筐体の外の大モニターをちらりと見つつ、答える。


 外のモニターには、エントリーされた5機の名前とその機体、そして画面外のワイプに賭け倍率が映し出されていた。


「……このような、計らいをいただき、……私の立場も救ってくださいました。」

「ふふふ、それならば……私も感謝するよ。近頃の錬成所の空気は…本当に酷かった。それを一掃するアイデアをもたらしてくれたのだからね。」


「ありがとうございます。」

「礼はいらんよ……。」

 そう言って、外の大モニターを見ながら愉快そうに続ける。


「……やれやれ、やはり一番人気は君のようだ。なんのかんのと文句を言っていても、いざとなれば誰もが君の実力を信じて疑わない…。これだけでも充分証明になったような気がするがねぇ。」

 モニターの倍率を見ながらにやにやとする大尉。


 確かに本命はリヒトで2.4倍、大尉が二番人気で12倍ほど、残りの下士官は皆、80倍を超えるという有り様だ。


『開始1分前』


 誰かが即席で始めた実況が告げる。


「では諸君、ゴール後に会おう。」


 通信が切れた。

 ふーっと息を吐く…。


 筐体の外は喧騒の渦だ。

 大勢の人間に囲まれているため、正直なところリヒトの身体の不調と不快感は結構重い。

 しかし、これで心配ごとも無くなる、そう思うと気が抜けたような安心感も同時に感じていた。


 そしてこの勝負、──勝っても負けても誰も困らない。


 この間の、絶望的な前提の勝負からすれば、安楽なこと、この上ないのだ。


 気楽に回ってこよう。


 だが、この大尉との勝負も内心楽しみにしていた。

 飛行舟乗りは、共に飛ぶことでお互いをわかり合うことができる。

 どうしても、あと一歩が踏み込めず、この大尉の人柄を計りかねていたが、この勝負で何かが見えてくるだろう。

 わずかに残る、この違和感もきれいに消してくれるに違いない。


『開始30秒前』


 周囲を囲む仮想空間モニターに景色が映し出される。

 実物と見分けがつかないほどだ。

 左右を見ると、対戦者の機体も映っている。

 右隣にいるのが大尉だ。


 推進機のレバーをじわっと倒していく。

 機体の推進機音が(仮想とはいえ)身体に伝わってくる。


『5秒前───3、2、1…』


 ぐんっ、と推進機レバーを倒す。

 圧倒的な加速が身体を押さえつける……事はなかったが、筐体が振動しながら傾いて、擬似的な重圧を身体に伝えてくる。


 全機一斉に滑走し出した。


 一瞬早く、大尉の機体が浮かび上がる。

 続いてリヒト、下士官連中の順に地面を離れ、加速していく。


 モニターには前方左に第一指標の丸い輪が映し出されている。

 加速しながら緩やかに左旋回で通過するライン取り。

 ここは加速を緩めず全開で機体任せで通過するところだ。

 スタート直後は旋回性より加速を重視して主翼は閉じたまま推進力だけで機体を操る。


 速度計がぐんぐん上昇する。


 さすが新型機、2型よりも一回り太い力と、その再現性の高いシミュレーターにも感心する。


 わずかに機体を左に傾ける。

 加速を損なわないギリギリのバンクで駆け抜けようとする。

 しかし視界に別な機体の機影が映り込み始める。

 右隣の大尉の機体だ。


 ……?

 わずかにこちらより速い。


 外側を回っているにも関わらず、鼻の先が前に出ている。

 二機並んで第一指標を通過する。


 ポポン

 軽快な効果音が鳴る。

「1番機、第一指標通過」

「2番機、第一指標通過」

 機体から女性審査官を模した音声で、指標の通過を知らせてくる。


 一番機が大尉、二番機がリヒトだ。

 わずかに向こうが早かったようだ。


 「……」


 そのまま機体を戻し、緩やかに上昇しながら直進する。

 機体はぴったり並んだままだ。


 前方に第二指標が見える。

 第二指標の真ん中に大文字で「速度制限400knots以上」

 と表示されている。

 そして、ちらりと目をやったコースマップには、通過後に大きく右旋回160度回頭してから向かう第三指標が表示されている。


 400knots「以上」である。


 つまり、旋回を見越して速度を落としすぎると、この指標は通過扱いとならないのである。

 二機はピタリと並んだまま加速を続け、ほぼ同時に主翼を開き減速に入る。

 機体が重なるように同時に傾く。


 ポポン

「2番機、第二指標通過」

「1番機、第二指標通過」


 それぞれの機の全面には、それぞれの指標通過タイムと通過速度が表示されている。


 2番機406knots

 1番機413knots


 今度の通過は、わずかにリヒトが早かったようだ。


 おおおぉーー!

 観衆がどよめく。


 空力限界ギリギリの線を捉え深いバンク角で旋回、

 その旋回出口でぐっと推進機レバーを倒す。

 推進機が唸り機体をぐぐっと前に押し出す。

 右隣の機体がまたも前に出る。


 (……?)


 他の3機は既に3機体分以上の差をつけられ、早々と勝負から脱落の気配を見せていた。


 さらに機体は上昇しながら第三指標を回るコースをたどる。

 ここの第三指標は通過だけでその他の制限はないのだが、次の第四指標が地表すれすれに設置されているので、あらかじめ高めの高度を取って、次の指標に向けた姿勢を作ってから通過する。


 すうっ、と僅かに引いてからぐっと押す。

 機体が真下を向く少し前に主翼を全閉にする。


 ポンポン

「一番機、第三指標を通過」

「二番機、第三指標を通過」


 効果音が少し離れて知らせる。

 一機分ほど前に行かれているようだ。


「……」


 ───違和感を感じる。


 次の指標は急降下の後、縦長の大きな指標を通過するのだが、ここは地面に近ければ近いほど、加点が得られる指標だ。


 このようなポイントで、上手く点数を稼がないと、上位には入れないのだ。

 前方を行く、大尉の機体の背中を見ながら、どうしたものか…と考える。


 大尉は安全マージンを残した高度で水平飛行に入るようだ。

 対してリヒトは、いつものようにギリギリを攻める。


 だが、疑念が生まれてしまった。

 飛行舟乗りの性か、それとも今までの筋書きに、か。


 リヒトは一瞬の思考のあと、違和感の正体を確かめることにした。


 大尉は指標を通過したあと上昇に転じて全開加速に入るはずだ。

 リヒトも同じコース取りがセオリーだ。


 だがリヒトは、敢えて大尉と同じタイミングで上昇に転じ、同じタイミングで全開加速を加えた。


 ポンポン

「一番機、第四指標通過」

「二番機、第四指標通過」


 全く同じ操作、同じ主翼開度……!


 だが、大尉の機体はリヒトの加速を上回り、さらにぐぐぐっ、と前に出たのである。


 …速い。

 大尉の方が、ではない。

 大尉のの方が速いのである。


 だが、まだだ……


 急上昇した先にある第五指標の、高速旋回通過…

 そこでもリヒトは、大尉と全く同じ操作で指標を通過する。


 ポン

「一番機、第五指標通過」

 ポン

「二番機、第五指標通過」


 旋回中にも離される。

 ……疑惑は確信に変わった。


 機体の性能データが、いじられている……!

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