最終話 その娘、話がド下手

 襲い来る鋭い爪。

 咄嗟にそれを持ち上げた大剣で受け止めたクリスティン。

 だがガードごと吹き飛ばされ彼女は瓦礫の山に突っ込む。

 轟音が轟いて聖殿の跡地が揺れる。

 周囲に散った石片がパラパラと降ってくる。


「いたたた……ひぃ、辛い……」


 ガラガラと瓦礫を押しのけて出てくるクリスの足元にぽつぽつと血の雫が落ちた。

 頭部から眉間を通って血の筋が垂れている。


「わかったでしょう……?」


 目を閉じたルクシオン。


「貴女にできる事はないわ。……諦めなさい。クリスティン」


 はぁっ、と大きく息を吐いたクリス。

 それは絶望の吐息でもなければ溜息でもない。

 彼女は気合を入れ直したのだ。


「……いえ、もうちょっと……粘りますね……」

「そう」


 短くそう返事をしてからカツカツと靴音を鳴らし無造作に前に出たルクシオン、

 そのまま放たれたハイキックをまたも大剣で受け止めるクリスティン。

 クリスの防御が巧みだというのではなくあえてルクシオンはガードの上から攻撃しているのだ。

 吹き飛ばされた彼女は僅かに残った聖殿の壁の残骸に叩きつけられそれを無数の破片に変えた。


「か……ハッ……!!」


 血を吐いたクリスティン。

 彼女は瓦礫の中に倒れ伏す。


「もう立ち上がらないで」


 その言葉は淡々としていて彼女がどんなつもりでそのセリフを口にしたのかは窺い知ることができない。

 ぐぐっと体を揺らしたクリスティンが床に手を突く。


「お言葉に……甘えたいところなのです……がっ」


 口の端の血を手の甲で乱暴に拭ってダメージに身体を揺らしながらゆっくりとクリスは立ち上がった。

 まだ2発……それもガードの上に当てた雑な攻撃だけでもう彼女は全身がガタガタだった。


「もやもや……するんです」

「?」


 怪訝そうに眉をひそめるルクシオン。


「胸の奥がなんかすっごくもやもやしてて……何とかこの気持ちを言葉にできないものかと」


 う~ん、と彼女は何やら悩んでいるようだ。

 殺し合いの最中だと理解しているのだろうか……? とルクシオンも追撃したものかどうか決め兼ねている。


「……私にも辛い過去があるんです」


 考えが纏まったのかぽつぽつと語りだしたクリスティン。


「昔、友達を庇ってイノシシを絞め殺したことがあるんですけど、そしたらあだ名が『イノシシ殺し』になっちゃって……皆悪意で言ってないので嫌だとも言えなくて辛かったです」

「………………………………」


 無言のルクシオン。

 何と返答してよいのかわからず、彼女は戸惑っている。


「……しょうもないでしょ?」

「え?」


 呆気にとられるルクシオンにクリスは肩をすくめている。


「しょうもないですよね。言ってて自分でも思います。あなたの辛い過去に比べたら私の心の傷はなんてショボいんだろうって」


 はふ、とため息を1つついてからクリスはルクシオンを見た。


「でも、私にももしあなたのようなとんでもない力があったら。このショボい心の傷の痛みを関係のない誰かにぶつけて晴らしてもいいんでしょうか……?」

「…………………」


 黙ったままのルクシオン。

 だが、彼女はクリスの言いたい事がなんなのか朧げに見えてきたような気がしていた。


「例えばですね。イノシシのいた山の持ち主の人とかに。……あの辺地主さんはいないので、この場合は国になるんでしょうかね。という事はですよ。私はイノシシ殺しと言われた腹いせにやっぱり王都にとんでもない物を落っことしてもいいという事に」


 得意げに言ってからフーッとため息をついてクリスは首を横に振った。


「……そうじゃないですよね」


 彼女の声のトーンが落ちる。


「力が強いからやっていいとか、悲しみが大きいからやっていいとか。そういうものではないんだと思います。つまり、私の言いたいのは……」


 そこで言葉が止まる。

 あれ? という表情で斜め上を見ているクリスティン。


「……ごめんなさい、この話私の言いたいことに上手く繋がってくれませんでした。聞かなかったことにしてください!」

「ええ……!!??」


 あちゃー、みたいな感じで照れ笑いしているクリスティン。

 両膝が脱力で揺れるルクシオン。


(……何てことなの……この娘……話が下手!!!)


 自分を説得して思い留まらせようとしていることはなんとなくわかるのだが……。


(……ド下手!!!)


 表情を凍て付かせて愕然としている竜の姫。


「ああもう……えーとですね……私の言いたいのは、そのー……」


 クリスティンは会話を修正しようと1人でわちゃわちゃしている。


「つまり、もう……許してあげたらいいんじゃないかなって」

「……ッ!!」


 その一言にルクシオンの瞳に冷たい炎が蘇った。

 ギリッと奥歯を鳴らし険しい表情でクリスティンを睨みつける。


「許せ……ですって?」


 握りしめた拳を微かに震わせる。

 彼女は絞り出すような声で言う。


「あの怒りを!! 絶望を!! 哀しみを……!!! 許して忘れろというの!!!!??」


 それは血を吐くような憤怒の感情の迸り。

 竜の姫の叫びがびりびりと大気を震わせる。


「あ、違いますよ。そっちは別に許さなくていいです」


 ……ところがあっさりとそれはクリスに否定された。

 カクンと力が抜けたルクシオンの肩が落ちる。


「許してあげるのは……自分自身ですよ」

「……っ」


 脳天を雷に打たれたかのような衝撃。


 ……その瞬間に、ルクシオンの脳裏に蘇った光景がある。


 それはヒルダリア女王と袂を分かったあの日、彼女の心臓を奪い取った時のことだ。

 彼女の心臓を手にカーライル王国との戦争を命じた自分に彼女はこう言った。


「……それが貴女の目的なのね、竜の国の姫ルクシオン」

「そうです」


 短く返答してルクシオンが頷く。

 空っぽの胸の穴からぶすぶすと黒い煙を吐きながら座っている女王は苦し気にルクシオンを見ている。


「ようやく自分の目的のために動き始めたと……そういう事なのよね?」

「……そうです」


 だったら……と女王は苦笑する。


「泣くのはおよしなさいな」

「…………………………」


 無言のルクシオン。

 その頬を伝って大粒の涙がポロポロと床に落ちていく。


 ………………………。


「そうしなきゃいけない、だとか。自分の役割だとか、とかそんな風に思っているなら……やめておきましょうよ」

「そ、そんなの……そんな事……!」


 微笑むクリスティンに動揺したルクシオンがよろめいて数歩後退った。

 歯を食いしばって彼女は何かに耐えている。


「私……最後の1人なのに……私だけ生き残っちゃったのに……!!」


 ダメだ、と泣いてはいけないと思いつつも熱を持つ瞳の奥をどうすることもできない。

 頬を熱い雫が伝っていく。


 角が……翼が……爪が……。

 彼女の竜の部分が灰色に崩れ落ちていく。


「私がやらなきゃ……もう他には誰もいないのに!!!」


 その声はもう半ば悲鳴に近かった。


「それが本当にルクシオンさんのやりたい事なら、やっちゃいましょう。ああ、でもでも、約束の時間までは待ってあげて下さい。その頃までには下の人たちが頑張って避難を完了させてくれると思うので」


 あっさり言うクリスティン。

 ……本気なのだ。

 彼女は本気でそう言っている。


「その時は私が共犯になりますよ。司祭様殺しに皇太子様殺しにプラスして女王様殺しの共犯ですからね私は。今更王都にとんでもないもの落っことしたとか罪状が1つ増えてもどんと来いです!」


 胸を張って、クリスはその胸をドンと拳で叩いた。


「……! ……!!」


 ガクンと糸が切れたように崩れ落ちたルクシオンが床にぺたんと座り込む。


「……いやよ。……私、できない……やりたくない……」


 遂に……ルクシオンが本当の気持ちを吐露した。

 ずっと重たい蓋をして閉じ込めてきた本心があふれ出てくる。


「だって……だって……こんな事をしても、誰も帰ってこないんだから……!!」


 滂沱の涙を流しながら彼女は天を仰ぐ。


「ごめんなさい……みんな! ごめんなさい、ジル!! 私……できない……できなかった……!!! 無理だった……!!」


 号泣する彼女を、その傍らでいつまでもクリスティンは見守っていた。


 ────────────────────


 浮遊大陸から何かがゆっくりと降下してくる。

 淡く輝くシャボン玉のような何かが……。


 まだ地上からはそれらは小さな光にしか見えていない。

 もう少し降りてくればそのシャボン玉の中にそれぞれ人影がある事がわかるだろう。


「どうやら……上手くいったようですね」


 見上げる妖精王は穏やかに微笑む。

 どうやら彼女は自分の期待に応えてくれたようだ。

 ……ルクシオンを、あの嘆きの竜の姫を止められるものがあるとするならそれは武力ではないと思っていた。

 それをあのクリスティンに託した。


 ……彼女の優しさと責任感に。


 そしてクリスティン自身もルクシオンを倒そうと思って天を目指したのではなく……。

 連れて帰ろう、と。

 そう決意して空を目指した。


 そして……それを彼女は現実のものとしたのだ。


 ゆっくりと優しい光は地上を目指している。


「……ひいいい、怖い! 下見れないです!! めちゃくちゃ怖い!!!」

「うるさいなあ」


 淡く光る魔力でできた球体に包まれたクリスティンは騒いでいた。

 隣のカエデがそんな彼女を半眼で見ている。

 球体はルクシオンが作ったものだ。

 それに入って今一行は地上への帰還の途中というわけである。


「……ええい、クソッ! 意識を無くしていて金目のものの物色ができなかったわい!! 何のために私はこんな所まで登ったんだ」


 球体の中で胡坐をかいて毒づいているメイヤー。

 その隣ではリューがいつもの鉄面皮のまま静かに流れる外の景色を見ている。


「はー……いててて、戻ったらまた鍛え直しだね」


 応急手当を受けた傷口を触って顔をしかめているキリエッタ。


「……それにしても凄いな、クリスティン」

「はい?」


 キョトンとカエデを見るクリス。


「なんか目覚ましたらお前勝ってるし。あいつ泣かしてるし……」


 そう言うカエデの視線の先には隣の球体が……そしてその中のルクシオンがいる。


「……泣いたわ。六百ウン十年分泣いた」


 ルクシオンはまだ鼻をすすっている。


「いいじゃないですか。泣きたい時は泣いていいんですよ」

「あ、ちょっとやめて、今やめて……また泣く。降下のコントロールおかしくなる」


 ルクシオンの言葉の通りに球体がぐらぐら揺れ始めた。


「うわっ! うわわわ! バカッ! やめろ2人とも!!!」


 怒鳴るカエデ。

 そんな彼女の腕の中で白猫がのん気にあくびをしている。


 空の上でぎゃあぎゃあ騒いでいる一行にゆっくりと地上が近づいてきていた。


 ────────────────────


 王都で竜が暴れ、天に巨大な島が現れる。

 そんな天変地異から半年が過ぎていた。


 結局その後、バルディオンは王国の存続が不可能という状態に陥っていた。

 有能な指導者たりえる者たちの多くが殺されたり逃げ去ってしまっていて1国をまとめ切れるだけの人物が残っていなかったのだ。

 オマケに、どこからか今回の一連の騒ぎは王家が過去に犯した過ちに起因するものであるという噂が民の間に流れて旧世代の権力者たちの再登板を拒否する流れができてしまったというのもある。


 バルディオンは妖精王の後見の下にいくつかの都市国家に分かれて再建を目指すこととなった。

 ちなみに、お隣カーライル王国は分裂こそしなかったものの王政は崩壊し共和制へと移行する事になった。


 そして……旧王都に新しくできた都市国家の初代都市長には……。


「は!? え!?? ……わ、私? 私が都市長です……???」


 自分を指さして動揺しているクリスティン。

 そんな彼女にジュピターが微笑んでうなずく。


「ええ。適任だと思いますよ。難しい話やややこしい事については優秀なサポートを複数手配していますから心配はいりません」


「いやぁ……でも私なんかが……」

「実際この街を救ったのは貴女ですよ。貴女ほど相応しい人物は他にいません」


 そう言われて照れ笑いしつつ後頭部を掻くクリスティンであった。


 そして今日は都市長の就任式典の日だ。

 晴れ上がった青い空にポンポンと花火が上がっている。

 街はすっかりお祭りムードだ。


 その様子を一望できる小高い丘の上に人影がある。

 吹き抜ける風が男の襟足の赤い編み込みを揺らしていく。

 大きな荷物を背負ったリューは静かに街を見下ろしていた。


「……頑張れよ、クリスティン」


 彼のその静かな一言もまた風に溶けて空へと消えていった。


「…………ぉーぃ」


 どこからか声が聞こえた。

 赤い髪の男がゆっくり振り向く。

 そちらを見ると何者かが彼に駆け寄ってくる。


「…………………」


 さしものリューの無表情もこの時ばかりは声を失ったが故のものであった。

 近付いてきたのは大きな荷物を背負った背の高い銀色の髪の女性である。


「リュー……ああよかった。追いつきました」


 膝を曲げてハアハアと呼吸を荒げてクリスティンは汗を拭っている。


「何をしている」

「何って……ほら、わかりません?」


 両手を広げて自分の格好を見せたクリスティン。

 彼女は旅装である。


「……都市長はどうした?」

「? ああ、あれですか。お断りしましたよ」


 あっけらかんと言うクリス。


「というか、そもそもお受けしたつもりもなかったんですが……。私どうも話が下手で上手く伝わってなかったっぽいんですよね。難しい話をしようとするとついヘンな例え話とかしちゃうのがいけないんでしょうかね……」


 苦笑いしながら彼女は指先で頬を搔いている。


「大体、司祭様とか皇太子様とか女王様をみんな殺しちゃった挙句に首都までブン取りましたじゃ私どっかの覇王様みたいじゃないですか」


 ナイナイ、と肩をすくめて首を横に振ったクリスティン。


「なら、式典は……」

「代わりの人が見つかったみたいですよ」


 うなずくクリス。

 眼下には喧騒。


 ……同時刻、広場の演台にて。


「え~……ブロッコリーです。皆さんブロッコリーを食べましょう。ブロッコリーを食べながら戦争はできません。ブロッコリーこそが平和への道なのです」


 金髪の痩せた男が……ジグラッドが聴衆へ向けて演説していた。


「……そんなわけなので、実家に戻ってもお仕事ないのがわかっていますから私もリューに付いていきますね」

「…………………………」


 なんと言ってよいのか言葉を選びかねているのか珍しく渋い顔をしているリュー。


「ほらいつか言ったじゃないですか。リューのお店で呼び込みしますよって」

「いつになるかわからない遠い先の話だ」


 目を閉じて拒否するように首を横に振ったリューであったが……。


「じゃあ、遠い先までずっと一緒ですね、私たち」


 輝く笑顔でそう言うクリスティンには通じていないのだった。

 はぁ、とため息を一つ残して男は背を向ける。


「……勝手にしろ」

「はーい。改めてよろしくお願いしますね!」


 歩き始めた2人の背後から呼びかける声が追いかけてくる。


「……ぉーぃ」


 どたばたと走ってくるのは鷲鼻に髭の中年男だ。


「おーい待て! お前ら! 水臭い奴らだ……黙って行ってしまいおって!! お前らにな、いい儲け話を持ってきてやったんだ! まぁ少々リスクはあるがな……我々なら問題はない! がははは!!」


 邪悪な笑みを見せながら何がしかの書類? のようなものを手に追ってくるメイヤー。

 彼が片手に持っている旅行鞄からは白い猫が顔を覗かせている。

 騒ぎを尻目にのんきに「ニャー」と鳴くアルゴールであった。


「待ちなよ2人で行かせるわけないだろ!! アタシを忘れてもらっちゃ困るんだよ!!」


 その隣を走っているのはキリエッタだ。


(……アタシはまだ諦めたわけじゃないよ!! 勝負はここからさ!!)


 追いかけるサソリの眼光は鋭かった。


「バカバカバカ! クリスティン!! 私を置いてくんじゃない!! ……それにお前が甘やかしてたせいでとんでもないダメ人間になっちゃったルクシオンこいつをどうにかしろ!!!」


 半泣きで走ってくるカエデはぐったりとしているルクシオンを半ば引きずるようにしている。


「……クリス……おやつ食べさせて……もうスプーン持つのも……めんどくさい……」


 カエデに覆いかぶさっているルクシオンは何やらぶつぶつと言っている。


「……あわわわ! 何やら大量の過去からの刺客が!!」


 クリスがリューの手を掴む。


「走りましょう……リュー! 捕まったらまたメイヤーさんの愉快で物騒な儲け話に巻き込まれちゃいますよ!!」

「お、おい……」


 リューを引っ張って走り出したクリスティン。


 その2人をドタバタと賑やかに大勢が追いかけていく。


 見上げればそこには青い空。

 眩しい陽光を遮るものはなにもない。


 そして、そこに1匹の巨大な生物が飛んでいる。

 地上からは遠すぎて、そこに暮らすものたちからは鳥のような何かとしか見えていないが……。


 それは1匹の白いドラゴンであった。

 下界の喧騒など素知らぬ風でその生き物は悠然と空を舞っている。

 彼の視線の先にはどこまでも続く青い世界だけが続いていた。


 遠く甲高い鳴き声が空に木霊する。


 カエデに寄り掛かるようにしてよたよたと走っていたルクシオンがふと、空を見上げた。


「……ご機嫌ねえ」


 瞳を細めてそう彼女は微笑むのであった。



 ─── 完 ───

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『司祭殺し』のシスターとラーメン屋による目指せ! 王国転覆!? な物語 八葉 @hachiyou1995

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