私に出来る事
「そこを通してくれますか?」
「ええ、もちろん」
扉の外から聞き慣れた声が聞こえる。黒髪の青年は驚いて立ち上がると、扉の方を振り返った。
ギィィ……
扉の軋む音がして、ロウソクの淡い光が部屋に差し込んで来る。その光の元に浮かび上がる黒い影は、ゆっくりと彼に近付いて来た。彼は、焦って机上に広げてあった紙を手に握り込んだ。
「ファビオ様。少しお話よろしいでしょうか」
鈴を転がすような声が、シャールの下からファビオを戦慄させた。
「許可も無しに入ってくるなんて、失礼ですよ。ノアール様」
ファビオは根っからの演技派だった。動揺などしていない、と半ば自分に言い聞かせつつ、彼は笑顔を作った。
「急用ですので、どうか非礼をお許し下さい」
穏やかな声で、ノアールは続けた。
「貴方が、どうやら最近誰かと文通していると聞いたもので」
もちろんそれは、ファビオの護衛を任されていたブラントからの報告だった。
「それで、私を疑っているのですか?」
虚勢を張って、ファビオは問い返した。拳を強く握ると、紙の、汗でじっとりと湿った感触が伝わって来て、彼はこの時間が早く終わってくれ、と思った。
「ええ。ですので、その手に握られている手紙を見せて頂けませんか?」
ノアールは、ファビオの方に手を差し出して催促した。
「何の事でしょう?私は何も持っていませんよ」
ファビオは、手に強い痛みを感じた。それと同時に、肉の焼ける臭いが立ち上り、ノアールがはっとして後ずさった。
「ほら、何にも」
ファビオは両手を開いてひらひらと振って見せた。彼が紙を握り込んでいた右手の平は、焼けただれていた。
彼は、火魔法で自分の手ごと手紙を焼いたのだ。
「なんてことを……!」
ノアールはしまった、と思った。大事な証拠を隠滅されてしまった。
ファビオは、自分が勝った、とでも言うように笑っていた。
「裁判で私に、アースラ男爵令嬢に有利な証言をして欲しいですか?」
「……はい」
苦々しさが込み上げてくるのを飲み込んで、ノアールは素直に頷いた。本当は、ヴェロニカを陥れようとした人物が誰かを知った上で手紙を証拠にファビオを脅し、ヴェロニカに有利な証言をさせるつもりだった。
そしてヴェロニカが裁判に勝った後、証拠を集めてファビオの雇い主を法廷で裁く。これが当初のノアールの予定だったが、事はそう上手くは運ばなかった。
「では、条件を呑んで下さるのなら、アースラ男爵令嬢を裁判で勝たせて差し上げましょう」
ファビオは笑みを深くした。
「……その条件とは何ですか?」
しばしの沈黙の後、ノアールは覚悟を決めて聞き返した。
「その条件とは――…」
珍しく、積もった雪の量が少ない朝だった。それでも寒いので、ヴェロニカは暖炉のそばで暖をとりながら食事をしていた。
「ヴェロニカ様。ファビオ様をこちら側に引き込む事に成功しました」
ノアールが、食堂に入って来るなり言った。ヴェロニカはみるみる顔を輝かせた。
ノアールに席を勧めて、ヴェロニカがノアールの分の食事を持って来るように執事長に伝ようとすると、ノアールは食事を断った。ヴェロニカは代わりにココアを持って来るよう執事長に伝えて、ノアールに向き直った。
「ファビオ様が味方になったとは……。作戦は成功したのですね!」
「はい。彼が誰かからの手紙に返事を書こうとしていたところを押さえました」
ヴェロニカの裁判での勝利はほぼ確定したと言っていいだろう。
「ありがとうございます!良かった……」
目に涙を浮かべてヴェロニカは例を言った。
「凄く不安だったんです……。このまま領地を取り上げられたりしたら、今まで私を支えてくれた人達に、申し訳が立たないから……」
ぽろり、と涙の滴が深海色の瞳から零れ落ちて、テーブルの上にシミを作った。
母を2人亡くし、兄、そして妹まで次々と彼女の前から姿を消した。彼女の心に深い傷を残して。今もそれは、何かの拍子に痛みを取り戻し、ヴェロニカに苦しみを思い出させる。彼女が何か、悪い事をした訳でも無いのに。
「ヴェロニカ様……」
ノアールは立ち上がってヴェロニカのそばに寄ったが、その肩に触れようとして、躊躇った。
自分には、彼女の傷に触れる資格はない。
ノアールはそう直感したのだ。
「だけど、ノアール様のお陰で、その心配も無くなりました。本当にありがとうございます」
ヴェロニカは顔を上げてノアールを真っ直ぐに見つめた。涙でぐしゃぐしゃになった彼女の顔は笑っていた。
「どういたしまして。お役に立てたようで何よりです」
ノアールには、型通りの返事しか出来なかった。
騎士と司祭 御影聖 @hijilimikage
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