第4話 佐原さんは木藤さんの天敵

「ん? 何してるんだろ?」


 三十路みそじ間近の佐原さんはしばらくいじけていたが、やっと体を起こすと、何かに気づいたようだった。


 見ると、佐原さんは机の横にある大きなモニターを見つめていた。

 画面には監視カメラの映像が4分割で映し出されていて、そのうちの1つにはレジ奥のフライヤーの前に立っている木藤さんが映っている。


「からあげちゃん……? もう揚げなくていいんだけどな」


 時刻は既に7時を過ぎている。閉店まで1時間ちょい。普通なら売れ残りのリスクを考えて、この時間から揚げ物を作ることはない。

 ただ、木藤さんは……。


「あれたぶん、廃棄ですよ」


「え?」


「ほら、見ててください」


 こっちを向いた佐原さんは言葉の意味がわかっていないようだったが、「まあまあ」と促すとモニターの方に目を戻す。

 画面の中の木藤さんは、フライヤーから唐揚げを取り上げ、バットに乗せて油を切る。そしてつまようじを取り……。


「あ、食べた」


「やっぱり」


 角度的に見えないが、彼女はきっと肉汁あふれるからあげちゃんを頬張って、幸せそうな顔をしているのだろう。


「あの子……いつもこんなことやってるの?」


 そう聞かれて、一瞬木藤さんのことをかばおうかどうか考えたが、俺にそんなことをしてやる義理はなかった。


「まあ、お客さんがいない時はだいたいあんなことやってますよ。彼女は」


「そうなんだ……」


 佐原さんは眉間をおさえ、「あの子は……」とため息を漏らす。


「ちょっと注意してくるよ」


 さっきまでのだだっ子娘(娘って歳でもないが)はどこへやら。真面目モードの佐原さんはスッと立ち上がって、レジの方に向かっていった。


「俺も行きます」


 休憩時間はまだ残っていたが、俺も佐原さんについていくことにした。

 なんか、面白いことになりそうだしね。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「さ、佐原さん……? どうしたんですか?」


 いきなり現れた佐原さんを目にした木藤さんは、明らかにキョドっていた。サツに見つかった犯罪者のそれである。


「木藤さーん? さっきは何を揚げてたのかな? かな?」


 佐原さんは首を左右に傾げながら、一歩ずつ木藤さんに近づいていく。

 こえぇ……。


「な、なにも揚げてないですよぉ?」


 木藤さんの声は上ずっている。


「ふーん、そうなんだぁ。じゃあこれは何?」


 佐原さんの視線の先には、バットの上にポツンと置かれた1つの唐揚げがあった。

 どうやら、証拠隠滅は間に合わなかったようだ。


「そ、それは……」


「それは?」


「からあげちゃんです……」


「ねえ、そういうことを聞いてるんじゃないってわかるよね? ふざけてないで、ちゃんと答えてくれるかな?」


 こ、怖すぎるだろこの人……。やけに優しい声なのが余計に怖いんだよ。


 うるうると目を潤ませながらも、徐々に後退して距離を取っていた木藤さんだったが、ついにレジの端まで到達してしまい、佐原さんが目の前まで来てしまう。

 すると木藤さんは、佐原さんの後にいた俺に目線を向けて、


「せ、先輩にやれって言われたんです! 俺が食べたいから揚げておけって!」


 おい。じゃあなんであと1個しか残ってないんだよ。佐原さんが来なかったら一人でおいしく頂いてたでしょ、キミ。


「ふーん、そうなんだぁ」


 俺の方を振り向いた佐原さんは、不気味なくらいに優しそうな微笑みで、何か無言の圧を掛けてくる。

 だから怖いって。


「言ってましたよね? 先輩!」


 何か懇願するような声が聞こえてくる気もするが、俺はもちろん保身に走るわけで、


「いや、全然」


「裏切りものぉー!!!」


「木藤さ~ん?」


「ひぃぃ! あ、捨てないで! もったいないじゃないですか~!」


 問答無用。佐原さんは残っていた唐揚げを取ってゴミ箱に捨てる。


 MOTTAINAI。彼女の心掛けは殊勝なものだが、社会っていうのは世知辛い。

 まあ、木藤さんの場合はただ食べたいだけなんだろうけど。


「廃棄はちゃんと捨てなきゃダメって研修で教わったよね? やっちゃダメってわかるよね?」


「で、でも」


「でもじゃないよ? もう今度からはこんなことしちゃだめだからね? わかった?」


「うぅ……」


 なんか……ここまで追い詰められてくるとかわいそうに見えてくるな。

 悪いのはどう考えても木藤さんなんだけど、もし自分もあんな風に説教されたらと思うと、いたたまれない気分になってきてしまう。

 佐原ママ、その辺にしておいてあげてもいいんじゃないですか?


「返事は?」


 はい、と答えればそれで済んだのだろうが、木藤さんにもプライドがある。

 彼女はまるで、母親に叱られてばかりでイジけた子どものように、涙目で、


「だ、だから佐原さんは結婚できないんですよ! ばーかばーか!」


 捨て台詞を吐いて、


「な……」


 自分でもその真面目で細かい性格を気にしていたのか、一瞬ひるんだ佐原さんの横を抜けて、木藤さんは俺の背後に隠れる。


「……高梨くんも、そう思う?」


 今度は佐原さんが目を潤ませ、そう尋ねてくる。

 まあ……そんなことを思わなくもないが、今はこう答えよう。


「いや、全然」


「裏切りものぉ!!!」


 ぽすこーん! と、背中を殴られた。

 ふん、甘いな。こんなのむしろ痛気持ちいいくらいだ。


「き・と・う・さ~ん?」


「ひぃぃぃ!!!」


 ガシッと制服の裾を握られる。助けてくれということだろう。

 よしわかった。じゃあ俺は、


「ごみ投げてきまーす」


「逃げるなぁ!!」


 店から出ても、背後からは誰かに助けを求めるような悲鳴が聞こえてくるような気もしたが、たぶん気のせいだ。

 俺は気にせず、連絡通路を渡ってゴミ置き場に向かった。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「も~、大変だったんですよぉ!」


 バイトが終わると、俺は木藤さんに駅の待合室まで強制連行され、佐原さんへの愚痴をたらたらと聞かされていた。

 拒否権はなかった。木藤さんの乗る電車が来るまでという約束だったが、既に1本の電車を逃していた。


 ……ねえ、いつになったら帰れんの? これ。


「――なんか反省してるならケーキ予約しろとか言われるし……って、聞いてますか先輩?」


「ああうん。聞いてる聞いてる」


 むぅ、と不満げな顔で俺を睨む木藤さん。

 彼女の将来の旦那さんは、毎日こんな感じで愚痴を聞かされるんでしょうか。大変そうですね……頑張ってください。


「はぁ……今度からはあの人がいないときにやらないと……」


 この子全然反省してなかったわ。もう罰としてケーキもチキンも予約しなさいよ。そうしたら佐原さんも少しは優しくなるかもよ。


 ……あ、ケーキと言えば、


「そういや、クリスマスパーティーだっけ? 何すんの?」


「はい? 普通に大学の友達と集まって~、ケーキとか食べて~、プレゼント交換したり?」


「ほーん。友達ってのは、男もいるの?」


「普通にいますけど?」


 マジか。普通にいるんだ……。

 俺、一応男なんだけど、そういうのに一回も呼ばれたことないんだよね。なんでだろうね。おかしいな。

 というか、聖夜に男女が集まってやることって言ったら、朝までらんk――パーティー……なわけないか。

 でも、木藤さんがえっちぃミニスカサンタのコスプレをして……むふぉ! なにそれ俺も行きたいんだけど……なんてね。冗談だよ? クリスマスはただの平日だよ?


「うわ……なんかにやにやしてるんですけど……。なに想像してるんですか?」


 我に返ると、いつの間にか木藤さんが人をさげすむ目をしていた。


「べべべ別に! なーんにも変なことなんか!」


「……そうですか」


「ねえ? なんでちょっと離れるの? あ、わかった。ソーシャルディスタンスってやつだ。最近インフルも流行り始めたらしいからね!」


「いえ。普通に先輩からイヤらしい視線を感じたので」


「ああ……そう……」


 普通にイヤらしいことを考えていたので、何も反論できない。今度からそういうことは木藤さんのいないところで考えるようにしよう。

 ……って、全然反省してねぇなおい!


「ていうか~、先輩はなにか予定とかないんですかぁ? まぁないですよね~。先輩に限って~」


 あれれ? おかしいな。疑問文のはずなのにもう答えが出ちゃってるよ?

 まあなんにも予定なんてないんですけどね! どうせバイトでもして寂しさを紛らわすんじゃないですか!


「ま、まだ先だし……」


「ぷぷっ。かわいそうですね~、先輩?」


 木藤さんはここぞとばかり俺のことをあおってくる。イヤらしく口角を吊り上げ、とても楽しそうで性格が悪そうだ。


「あ、でも~、わたし~、イブならあいてるんですよね~。たぶん家族と過ごすんですけど~、予定はないんですよね~」


 ふむふむ。ということは木藤さんに彼氏はいないのか。

 それならワンチャン……っておい! ここで誘いに乗ったら木藤さんの思う壺だろうが! 

 大体この子が本気で俺のことなんか誘うわけないだろ! 木藤さんはただ俺みたいな童貞のことをからかって、反応を楽しみたいだけなんだよ!


「ねぇ、先輩? いいんですか?」


 彼女はスッと俺の横に近づいて、耳元でそっとささやいた。温かい吐息が耳に触れて、思わず身体がブルッと震えてしまう。


 だめだ恵実めぐみ! ここで甘い誘いに乗ったら負けだ! 木藤さんに一生馬鹿にされるに違いない!

 いや一生ってなんだよ! それじゃあまるで俺と木藤さんが一生一緒に――ってもういいわ!


「あ、思い出した。やっぱ俺予定あったわ」


「……へ?」


 木藤さんは、豆鉄砲をくらった鳩のような顔をしていた。


「イブはちょっと用事があってね。だからごめんね?」


「うそ……先輩が……? なんで……?」


 悔しさと悲しさをまぜこぜにしたような表情で見つめてくる木藤さんを見て、俺は思った。


 やべぇ……やっちまった。


 どどどどうすんだよこれ! 勢いに任せて変な見栄張っちゃったけど、ほんとはなんにも予定なんてないんだって! 嘘でもいいからなんか考えないと、絶対木藤さんに馬鹿にされるって! バレたらめっちゃ怒られるって!

 いや待てよ……! 最悪佐原さんでも誘えば、一緒に食事くらいはしてくれるんじゃ……。

 て、だめだだめだ! そんなことしたらいよいよ佐原さんルートに突入しちゃうだろうが!

 あの人ただでさえ男に飢えてるんだから、そんな勘違いされるようなことしちゃだめ!

 俺もさすがに三十路間近は守備範囲外ですよ! 誰か代わりにもらってくれ!


 ……お、落ち着け。とにかく、俺がやらなきゃならないことはただ一つだ。

 クリスマスの予定を作ること。ただそれだけだ。

 ……無理ゲーじゃね? これ。……いや、やるしかないんだけどね。


 ――こうして、俺の平凡なコンビニバイトの日常が、ちょっとだけ波乱の予感がするクリスマスに向けて、少し変わり始めた。


 そうだな……えー、彼女募集中です。クリスマスだけでもいいので、一緒に夜を過ごしてくれる方、ご連絡ください。一緒にケーキを食べましょう。

 また、当店ではケーキの予約も受付開始します。高梨の予約と合わせていかがでしょうか?

 あと誰か……佐原さんをオシャレなホテルの高級ディナーにでも誘ってあげてください……。

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あざとかわいい木藤さんは、今日も仕事をサボりたい。 とある田舎の創作者 @rural-novelist

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