第3話 だから佐原さんは結婚できない

「高梨くん、11月からケーキの予約が始まるんだけど、どうかな?」


 休憩時間、事務所のパイプ椅子に座ってだらだらしていると、パソコンの前でカタカタと作業をしていた佐原さんに話しかけられた。


 佐原さんは俺の先輩だ。俺よりもずっと長くここで働いていて、今日のように店長がいない日は、時間帯責任者として事務作業なんかをやっている。

 そして、長い黒髪が綺麗なおねえさんだ。


「予約ですか? 俺はどうせ一人なんで……さすがに」


「そっか。安心したよ」


「何を安心してるんですか……?」


「ん? ああ……なんでもないよ。こっちの話」


 佐原さんは画面の方を向いたまま、聞いているんだかいないんだかわからないような声で返事をする。

 あんたから振ってきたくせに……とも思うが、佐原さんも仕事中なのだ。深く突っ込むのはやめてこう。


 しかし……安心したってマジでなんだよ? 一日中漏れ安心の超薄型ナプキンじゃあるまいし。


「木藤さんは、どうかな?」


 予約のノルマでもあるのだろうか、佐原さんは続けて聞いてくる。


 この人だって社員でもないんだから、売れ残りは自腹買取ってことにはならないんだろうけどな……。

 ただ真面目に売り上げに貢献しようと思っているのだろう。


「ああ……なんか、クリスマスはお友達とパーティーやるかもって言ってましたよ。まだ先なんでわからないですけど」


 まだ先なのにクリぼっちってわかってる俺。不思議だね!


「おお! そうなんだ。後で聞いてみよう」


 今日は俺と佐原さんと木藤さんが夕勤で、木藤さんは今レジに立っている。


「佐原さんは、どうなんですか?」


「どうって、なにが?」


「クリスマスですよ」


 会話の流れで何気なく聞いてみたのだが、佐原さんはだらんと机にうなだれて、やる気のなさそうな声で、


「家族と過ごすけど……」


「へぇ……」


 そして沈黙が流れる。


 ……気まずい。ただの世間話のはずなのに……なんか空気が重いぞ。


 俺はこれ以上触れない方がいいような気がして、適当にスマホでもいじっていようと画面を見たのだが……


「去年はお姉ちゃんがおいっ子を連れてきてくれたんだけどね……もうすぐ2人目が生まれるから今年は行けないって……」


「……はあ」


「今年で20代最後のクリスマスなんだけどな……実家で親とクリスマスかぁ……」


「……はあ」


 別にそれはそれでいいと思いますけどね。

 むしろご両親からしたら自分の子供が大人になっても一緒に暮らしてくれて、一緒にパーティーしてくれて……嬉しいと思うけどなぁ。


「あんたも早く彼氏連れてこいって、今年も言われるんだろうなぁ……」


 ……ああ、そうですか。


「ねえ知ってる?」


 佐原さんはくるっとデスクチェアを回転させてこっちを向き、今の若い子は知らない〇しばのような声で聞いてきた。

 つやのある髪がさらりとたなびいて、胸元に着地する。


「なんですか?」


「私のお母さんの時代はさ、クリスマス過ぎたら売れ残りって言われてたらしいんだよね」


「売れ残り?」


「そうそう。クリスマス、つまり25歳を過ぎたらだめってこと。だから女は大学なんて行かないで早く会社に入って、すぐにいい人見つけてやめてたんだって」


「へえ」


 いわゆる寿ことぶき退社というやつだろう。今の時代じゃ考えられないが、まあ、そういう時代もあったのだろう。


「ケーキも25日過ぎたら売れなくなるでしょ? だから女とケーキは一緒ってこと」


 佐原さんは得意そうにうんちくを語るが、その笑顔にはどこか哀愁を感じてしまう。


 自虐じぎゃくなのか……? 俺はどう反応すればいいんだよ? 笑えばいいのか?

 俺は佐原さんの悲しげなまなざしを受けながら、どう会話をつげばいいのかを考えた。


「あ。でもあれですよね。ケーキも売れ残ったら半額シールとか貼りますよね」


「おお! じゃあ私も半額にすれば買ってもらえるのかな? ね? どう?」


 なんか……余計なことを言っちまったな……。


 佐原さんはなぜかノリノリで椅子から身を乗り出し、自分でほっぺをつついたりしてアピールしてくる。

 いったい何をアピってるんだこの人は? 肌の柔らかさか……? 

 それとも「こんなにキャピキャピできる私まだまだ若いですよ」アピールなのか……?

 そういうのはあと5年早くやってくださいよ……。


「もしもーし。高梨くーん?」


 気づくと、佐原さんは目の前で手をブンブン振っていた。

 可愛い女の子……っていうより、意識を確認する救急隊員だなこれは。


「じゃあ、元値はいくらですか?」


 かわいそうなので話に乗ってあげた。


「うーん、そうだなぁ……」


 佐原さんは天井を見上げ、腕を組んで考え込む。


 ほら、そういう仕草が可愛くないんですよ。

 こういう時は両手を握ってあごに当てて、『う~ん、もとねってなぁに? わたしばかだからわかんなぁい!』とか言っておかないと。


「家は2LDKのマンションでー、あ、もちろん私の部屋もちゃんとあってー、掃除洗濯食事付きでー、あとは……お小遣いは月十万はほしいかなぁ」


 なんて、笑顔で語る佐原さん。


 こいつ……全然働く気ねぇ! というか、掃除洗濯食事付きってなんだよ! 家事もする気ねえのかよ!


「半額だから……1LDKのマンションでいいよ! でも月十万は譲れないかなぁ……」


「高すぎますね。学生には手が出せません」


「お! 値切り交渉かい? いいよ! 掃除だけはしてあげる!」


「佐原さんの価値はルンバ1台分ですか?」


「なっ……生意気な」


 ぐぬぬと闘志を燃やす佐原さん。


 いや買わないけどね? 安いからって買いまくる主婦って、結局賞味期限切れとかで損してるんだからね。

 だから俺は多少値が張っても若い子を……ておい。これじゃあまるで俺が女性を金で見てる最低な男みたいじゃないか。

 違うよ? 例えだからね。例え。


「じゃああれだ! 先行予約ってことで!」


「はい?」


「高梨くんが就職したら買ってよ! それまではちゃんと取り置きしておくからさ」


「それじゃあ30過ぎちゃうじゃないですか」


「それは、そうだけど……ていうか! 別に30過ぎてもいいでしょ! ふーん、そっか。高梨くんはそういう子なんだ。木藤さんみたいに若くて可愛い女の子がいいんだ」


 あー、めんどくせえなこの人……だから結婚できないんだと思いますよ。


「いや、腐ってて食中毒でも起こしたら嫌なんで」


「くさ……!? 私って腐った女だと思われてるの……?」


「いや、ものの例えですから」


 と、一応フォローしたつもりだったのだが、佐原さんはしゅんとすぼまって、そのまま腰を下ろしてしまった。キィと椅子を回転させ、元いた机に顔を伏せる。


「あの、佐原さん?」


「いいんだ。どうせ私なんて売れ残りの腐ったケーキなんだ。高梨くんにイジメられたって店長に言いつけてやる」


「どこぞの小学生ですか……」


 この人のめんどくささは幼い頃のままなんだろうな……。

 だから結婚できないんだって、ほんと。


 こんな子ですが、根は真面目でいい子なんです。誰か……財力が合って家事もできて面倒くさい会話でも嫌にならない人、もらってやってください。養ってあげてください。


 ……いねえよ。そんな仏みたいな男。

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