第2話 木藤さんはコンプラ違反を気にしない

 パチパチパチと、何かがぜる音がする。


「は~」


 今日も木藤きとうさんは温まっていた。180度の油の上に手を出して、あったかそうにさすっていた。


 コンビニにはほぼ必ずあると言っていいホット商品。ファ〇チキ、なな〇キ、Lチ〇。学校帰りの高校生には大人気なそいつらをげているのが、このフライヤーだ。 

 たっぷりの油が注がれた箱に、金網のカゴが引っ掛けられている。


 そんなフライヤーの前で、木藤さんは何かを揚げながら、ついでに暖を取っていた。


「木藤さん、何揚げてるの?」


「からあげちゃんです~」


 こっちを振り向いた木藤さんは、なぜか口元を緩ませて、「へへへ」と悪そうな笑みを浮かべていた。


「からあげちゃん? まだいっぱいあるから揚げなくていいよ?」


 FF(名作RPGのことではない。ファーストフードの略らしい)はいくらでも作ればいいというわけではない。

 揚げてから何時間経ったら廃棄はいき、というルールが商品ごとにあるので、作りすぎて売れないと、そいつらを捨てることになってしまうのだ。


「ちーっちっちー」


 木藤さんは違う違うと指をふる。


「これ、もう廃棄したやつですから~」


「じゃあなんで揚げてるの?」


「二度揚げですっ!」


 今度はピースを作ってみせて……違うか、二度揚げの2ってことか。なるほどな……じゃなくて。


「……なんで揚げてるの?」


「おいしくなるからです!」


 違う違うそうじゃない。俺が聞きたいのはそういうことじゃないんだよ……。


「なんで廃棄になったからあげちゃんを、美味しく揚げようとしてるの?」


「そんなの決まってるじゃないですか~。食べるためですよぉ」


 ……パチパチパチと、唐揚げに残っていた水分が爆ぜる音が聞こえる。ふんわりと、揚げ物のいい匂いが漂ってくる。


 まあ……だいたい予想はついてたけどさ。


「先輩も食べますか?」


 純粋な善意であふれてそうな視線を送ってくる木藤さんを目の前にすると、つい「じゃあ遠慮なく」と言ってしまいそうになるが、ここは真面目な先輩として注意してやらなければならない。


「食べないよ。廃棄は持ち帰っちゃだめって教わらなかった?」


「食べちゃだめとは言われてません~」


「そういう問題じゃなくて……とにかくだめなものはだめだから。コンプライアンス違反とかになっちゃうから」


「え~」


 と、お菓子を買ってもらえない子どものように駄々をこねる木藤さん。


 ダメよ! 甘やかしちゃダメ! ここで甘やかしたらお母さんに「お父さんはいつもそうやってー」って言われるんだから! 

 いくら娘が可愛くてもしつけはちゃんとしたいと思っています。……娘ほしい。


「え~じゃない。はい、それ止めて捨てるからね」


 俺が少々強引にフライヤーのスイッチに手を伸ばそうとすると、パシッと右手が握られて、グイッと体を引き寄せられた。


「でも~、もったいなくないですか~? ほら~、言うじゃないですか~? フードロック? みたいなー。えすでぃーじーず?」


 近い! 近いよ木藤さん! もうその息が首元にかかって、ほんのり香りがして……童貞にはキツすぎますからぁ! ザンネンッ!

 あとロックじゃなくてフードロスね! 野菜が楽器にでもなるのかな? 魚の骨とかなんかギターっぽいね! ピックはうろこでよろしく。


「だめなもんはだめだから」


「ぶ~」


 ぶすっとむくれた木藤さんは、やっと俺の腕を放してくれた。


「も~。先輩ってそういうところ、いちいちまじめですよね~。だから友達できないんですよぉ~」


「ぬ……っ」


 核心を突かれた気がして、精神的にダメージを受ける。

 そうか……だから友達出来ないんだ、俺。


「……先輩?」


「なに?」


「レジ」


 そう言われて振り返ると、いつの間にかレジの前には一人の高校生らしきお客さんが立っていた。


「いらっしゃいませ! お待たせしました」


「からあげちゃん1つ」


「はい! からあげちゃんですね。かしこまりました!」


 接客用の少し明るめの声で注文を復唱し、手を消毒してケースを開ける。


 友達……か。


 俺はケースの中のからあげちゃんを取り出しながら、木藤さんと出会って間もない頃のことを思い出していた――。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「高梨さんって、どこの大学行ってるですか~?」


 この時はまだ、『先輩』とは呼ばれていなかった。


「……北大」


「えっ! 北大!? すごいじゃないですか~! そっか~北大かぁ」


 予想以上の反応だった。そしてなぜか木藤さんは、自分事のように嬉しそうな顔をしていた。


 言っておくが、俺は天才でもなければ、そこまで勉強ができるわけでもない。

 謙遜けんそんではなく、少なくとも世間一般北海道で想像される「北大生」のイメージよりは、一回りも二回りも劣っている。平均よりはちょっと成績がいいくらいの男だ。

 そんな俺が北大に入れたのは、学歴ロンダリングという闇ルート……とか言ったら怒られそうだけどな、とにかくせこいやり方でいい大学に入ったのだ。

 俺は多少勉強ができるだけの凡人だ。


「北大ってことは~、きっといいとこ入れますよね! ニ〇リとかイ〇アとか、〇じるしとかっ!」


 ほくほく笑顔で大企業の名前を次々あげる木藤さん。

 すごく楽しそうだけど……、なんで家具の店ばかりなんだ……?


「いいな~。将来安泰あんたいじゃないですか~。高梨先輩……先輩は、どんなところに就職するんですか~?」


 その呼び方に、ドキッとした。


「まだ決めてない、かな……」


「そうなんですね~! でもでも~、どんな仕事やりたいとかないんですか~?」


 俺はさっさとこの話題から逃れたいと思っていたのだが、逆に木藤さんは俺の目を見据えてグイグイ迫ってきた。

 早くお客さんでも来い……! と願ってみるが、そんなときに限ってドアは開かずチャイムは鳴らず、俺はレジの端まで追い詰められてしまう。


「ちょっと~、なんで逃げるんですか~! 答えてくださいよ~!」


 木藤さんは眉間にしわを寄せながら、鼻息をふんふん言わせている。


 なんでそんなに俺の将来を気にしてるんだろう、この子。もしかして、俺との結婚生活を考えてどんな仕事に就くか……それはないか。


「フリーランス……みたいな」


「ふりーらんす?」


 ぽかんと口を開ける木藤さん。かわいい。


「自営業みたいなもんだよ」


「自営業……ですか」


 木藤さんはあきれたようにため息をついた。


 別に自営業のことを馬鹿にしているわけではないのだろうが、きっと木藤さんの想像するエリート北大生の将来とはかけ離れていたのだろう。


 だってしょうがないじゃん! 就職せずにプロのラノベ作家として生きていきたいなんて言えないじゃん!


「先輩……ちゃんと就活とかしてるんですか?」


「……まあまあ」


「してないんですね」


「……まあまあ」


「ちゃんと働く気、あるんですか?」


「……まあまあ」


「はぁー」


「…………」


「はぁーーー!」


 今度は大きくため息をつかれてしまった。二回も。


 わかってるよ! 23にもなっていつまでもばかげた夢追いかけてるんじゃねえって思うよ! 


 自分の書いたラノベが本になってアニメになって……そんでもってヒロインの声優さんと仲良くなって、いつかは結婚する。


 俺は、自分が凡人だということはわかっていたはずなのに、凡人らしい人生を送るのが嫌だった。会社員になんてなりたくなかった。

 だからこんな風に呆れられても、仕方のないことだった。


「まあいいです。じゃあ、周りでニ〇リにいきそうな友達とかいないんですか?」


「ともだち……?」


 それはあれですか、マンガやアニメに登場する主人公とヒロインの間を取り持ってくれるめっちゃいいやつのことですか……? 

 でもあれは空想上の存在ですよね? 伝説のポ〇モンですよね?

 なのに、なんでそんな「いて当たり前」みたいな顔してるんですか……? 

 もしかしてマスターボール10個くらい持ってたりします?


「もしかして、いないんですか……?」


「……別に友達とかいなくても生きていけるし」


「はぁ……」


 最後のため息は小さく……もはや呆れを通り越して、慈悲の思いを送られているような気さえした。


 木藤さんは聖母マリアだった。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 ピーッと音が鳴る。


「できたできた~」


 木藤さんは紙を敷いたバットを左手に持ち、トングを使って油の海からうち上げられたからあげちゃんを丁寧に取り上げていた。


「木藤さん」


 後ろから呼びかけると、彼女はフライヤーの方を向いたまま、めんどくさそうに答えた。


「だから~、そんな細かいこと言ってると友達できないですよ~。先輩には早くいいお友達を紹介して……あ~いいにおい~」


「なんで木藤さんはそんなに俺に友達を紹介してほしいの?」


「なんでって、決まってるじゃないですか~」


 こんがりきつね色に揚がった唐揚げを取り終えた木藤さんは、やっとこっちを向いて、にやりといやらしい顔になっていた。


「北大生と付き合ったら~、将来安泰じゃないですかー」


 …………絶句。

 マジか……この子……マジか……。


 木藤さんは恐ろしい子だった。


「だからちゃんと北大生紹介してくださいね~♪ あ、できればイケメンで」


「無理です」


「え~、頑張ってくださいよ~」


「無理なもんは無理」


「も~」


 牛のような不満の声を上げながらバットを置き、横に立ててあったつまようじの束から一本を取り出して、プスッとチキンに刺す。


「困るんですよ~。先輩がちゃんとしてくれないと、わたしの人生設計が崩れちゃうんですよ~」


 知らんがな。


「なんで木藤さんの人生設計に俺が登場してる――」


「そんなのいいですから~。口開けてください」


 言われたままに口を開ける。


「いや、ここは歯医者ぐわぁ!?」


「えいっ♪」


 ――香ばしい匂いのそれが、口の中に詰め込まれていた。

 一口噛むと、熱々の脂が口の中に広がって、肉の旨味が脳まで突き抜ける。


「どうですか?」


「……うまい」


 へへ~と嬉しそうな顔をする木藤さん。

 本当にちょうどいい揚げ具合いだったし、案外この子は家庭に入ったらいいお嫁さんになるのかもしれない。


 ……なんて思っていると。


「あ~、おいし~」


 木藤さんはさっきのようじをそのまま別の唐揚げに刺して、ぱくっと口に運んでいた。


 ……あざとい……というより、天然なのか?


「あ、これって間接キスですね~」


 ……木藤さんはやっぱりあざとかった。


「よかったですね~先輩。わたしみたいな女の子とキスできて~」


 その一言が余計なんだよなぁ……。


 そして木藤さんはまたようじを刺して、俺の口の前にそれを差し出してくる。


「これあげるので、ちゃんとイケメン北大生紹介してくださいねっ!」


 言葉とは裏腹に、子どものように無邪気な笑顔を見せる木藤さん。


 残念ながら、それって元々木藤さんのものじゃないんだよな……ただの廃棄なんだよな……コンプラ違反なんだよな……。


「ねっ!」


「……善処します」


 ――今日もからあげちゃんは美味しかった。

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