セーラー服の葬式屋

蒼樹里緒

本文

 わたしが高校生になって初めて迎えた秋、母の地元で祖母の葬儀が済んだ。

 祖母が暮らした日本家屋には、線香の匂いが漂う。畳のいぐさのそれと混ざり合って、煙が縁側から夜の空気にとけていく。

 先にこの世を去った祖父も、今頃あの世で祖母を出迎えてくれているかもしれない。

「疲れたでしょ。着替えたら?」

「うん。でも、もうちょっとだけこのままで」

 暗い庭の風景を眺めながら、わたしは母に答える。

 居間の縁側に座って涼しい夜風に当たると、心が落ち着く。今回の喪服で高校の制服でもある紺色のセーラー服も、自分の長い黒髪も、夜の色に紛れるようだった。

 百日紅さるすべりの木の枝で、細長い何かが動いた気がした。和室の電気の光で、輪郭がぼんやりと見える。

 ――蛇……?

 田舎には、野生動物も多い。この家には夏休みやお正月にもよく遊びに来ていて、蛇も嫌いじゃないし怖くはない。毒を持っている種類だったら嫌だから、安易に近づきはしないけど。

 蛇は枝に巻きついたまま、首だけをこっちに向けて、わたしをじっと見ているようだった。

「お母さん」

「んー?」

「あそこに蛇がいるっぽいんだけど」

「あぁ、もしかしてあの子かな」

「あの子?」

「あんた、おぼえてないの?」

「え?」

 そう言われても、すぐには思い出せない。

 私の横に立って木を見つめながら、母は語る。目の周りには、涙の痕がまだ残っていた。

「小学生の頃、この庭で遊んでたら白蛇が出てね。あんたはびっくりしたけど、おばあちゃんが笑って説明したよ。『白蛇は家の神様で、棲む家を守ってくれるから怖くないよ』って」

「その蛇は、どうなったの?」

「さあ? あそこにいるのが同じ子なら、おばあちゃんが亡くなったから様子を見に来たのかもね」

「白蛇って、何年くらい生きるのかな」

「野生だと十年、飼育すると十五年くらいって言われてるけど、まあ個体差もあるだろうね」

 小学生の頃も、この家には夏休みとお正月には毎年来ていたし、確かに白蛇の寿命の範囲ではある。

 今は、白蛇を見ても不思議と怖くはない。

「お風呂沸かしてくるから、布団敷いといてくれる? お父さんも、もうすぐ戻ってくるだろうし」

「わかった」

 母が去ってから、縁側の雨戸と客間の障子を閉めて、押し入れから布団を引っ張り出して三人分敷いた。

 あの白蛇は、これから別の家の庭に引っ越すだろうか。それとも、山へ行くだろうか。どっちにしても、祖母とこの家をずっと守ってくれていたなら、残りの一生も元気に過ごして欲しい。

 温かいお風呂に入って淋しさを紛らわせてから、布団に潜り込んだ。


   ◎


 その夜、不意に目が覚めると、白蛇がいた。

 でも、その体は庭の木に巻きついていた時よりも、ずっと大きく長くなっていて。胴体と尻尾が、客間の畳をぐるりと一周囲んでいるみたいだった。

 青い夜の薄明かりの中でもわかるくらい、真っ赤な両目がわたしを見下ろしている。

 障子は、開いても破れてもいない。いつ入ってきたんだろう。

 スヤスヤとした両親の寝息とは逆に、自分の呼吸は止まりかけた。

「おまえに頼みたいことがある」

 白蛇の声が、頭の中に響いた。祖母と同じくらいの年齢を感じさせる、老いた女の声。でも、脅すんじゃなくて上品に依頼するみたいな雰囲気だ。

「頼み……?」

 ゆっくりと上半身を起こして、わたしは小声で聞いた。

 掛け布団の下で、こっそり太ももをつねってみたけど、ちゃんと痛い。夢じゃない。

「我が同胞を、土に還して欲しい」

「どうほう……仲間ってこと?」

「そうだ」

「朝になってからじゃだめ?」

「ほかの人間に見られても良いならば、止めはせぬが」

「目立つのはまずいか……わかった、行くよ。着替えるから、待ってて」

 白蛇は、音も立てないで客間から出ていく。壁も障子も、スゥッとすり抜けて。実は、もうこの世にはいない幽霊なんだろうか。

 断ったら何をされるかわからないっていうのも理由の一つだけど、祖母が親しんでいた白蛇に興味があって引き受けた。のこのこ付いていった先で喰われるなら、その時はその時だ。

 両親を起こさないように、制服に着替えて紺色のコートも羽織って、客間を出る。こんな時間に黙って出かける悪い娘でごめん。

 玄関の引き戸を開けると、白蛇がもう回り込んで待っていた。

 非常用懐中電灯と、祖母が園芸に使っていたシャベルを借りて、先を進む白蛇に付いていく。土に還すってことは、つまり埋葬して欲しいんだろうから。

 誰もいない真夜中の畦道あぜみちは静かで、空気も肌寒い。田んぼにいる生き物たちも、ほとんど寝ているのかもしれない。土や水、草木の匂いが、昼間よりもずっと濃く感じた。

「あの家の女は、生き物を好いていた」

「おばあちゃんのこと? うん、確かにそうだね」

「寝たきりになってもなお、庭から様子を見る我に笑いかけていた」

「そうなんだ……」

「ゆえに、おまえにならば頼んでも良いと思えたのだ」

 父でも母でもなくて、わたし。祖母の家に遊びに来た時も、この辺の生き物たちを傷つけることはなかったからだろうか。

「たとえ言葉が通じなくても、虫も動物も、この豊かな自然を一緒に作ってくれる友達なんだよ。だからひどいことは絶対にしないし、できるだけ仲良くしたい」

 祖母が昔しみじみと言っていた言葉も、しっかり憶えている。

 白蛇も、もしかしたらほかの生き物も、祖母には恩や感謝があるのかもしれない。

「着いたぞ。ここに同胞の亡骸なきがらがある」

 目的地は、祖母の家からそう遠くない雑木林ぞうきばやしの入口だった。

 高く伸びた木の根元に、蛇が一匹横たわっている。わたしが近寄っても、ぴくりともしない。体が黄褐色で四本の縦線が入っているから、シマヘビか。

「この子がそう?」

「うむ。放っておくと、熊や猪に喰われる。埋めてやって欲しい」

「わかった。穴、深いほうがいいかな」

「おまえに任せる」

 まだ霜が張らない時期でよかった。

 周りに積もった枯れ葉をシャベルである程度払って、わたしはその場の土を掘っていく。木の根を傷つけないように気をつけながら。

 ――きみは、ここでどんな生活をしてたのかな。最期まで楽しかったかな。

 鶴は千年、亀は万年なんてことわざもあるけど、動物は人間より早く寿命を迎えるケースがほとんどだ。この地域の生き物たちも、ずっと祖母たち住民の姿を見て育ってきたんだろう。私の知らない祖母の表情かおも想いも、知っていたのかもしれない。

「あなたは、人間が好き?」

 シャベルをせっせと動かしながら、わたしは何となく白蛇に聞いた。

何故なにゆえ、そのようなことを知りたがる」

「おばあちゃんが、白蛇は家の神様だって言ってたから」

「確かに我は人間の家に居着くが、神ではない。あの家と女の在り方が、心地かっただけのことだ」

「そうなんだ」

 田舎の民家には庭や縁の下があるところも多いし、白蛇もほかの生き物も暮らしやすいんだろう。

「ありがとね、おばあちゃんのそばにいてくれて。おじいちゃんが亡くなってからは淋しかっただろうし、わたしも両親もたまーにしか来られなかったからさ」

「礼を言われるようなことはしておらぬ」

「おばあちゃんも、死んだ蛇をこうやって埋めてあげてたの?」

「あの家の庭に亡骸があったときはな」

「そっか」

 祖母は蛇とも友達で、彼らの葬式屋でもあったのかもしれない。それなら、今の私もそうなるのか。セーラー服だし、なんか微妙にかっこつかないけど。

 白蛇としゃべるうちに、ちょうどいい深さの穴ができた。

 雑木林もしんと静まり返っているけど、白蛇が言う通り、懐中電灯の光につられて本当に熊や猪も出てきそうな雰囲気だ。急ごう。

 シマヘビの死体を、頭のほうからそっと持ち上げる。ぱっと見でも一メートル近くもあるせいか、それなりに重い。蛇には触った経験がなかったけど、元々冷たいらしいとは聞いていたから驚かなかった。

 シマヘビを頭からゆっくり穴に沈めていって、また土をシャベルでかけ直していく。

 その時、背後から低いうなり声が聞こえて、思わずびくっと肩が跳ねた。

 白蛇が、冷静に告げる。

「熊だ。下手に動くと喰われるぞ」

「ど、どうすればいい……?」

「我が奴を払う。おまえは墓作りを続けよ」

「わかった」

 白蛇は音も立てず、くねくねと斜面を素早く登っていく。

 熊にも白蛇が見えているのか、敵意全開の鳴き声もするけど、わたしのほうには近づきそうにない。

 動物バトルが繰り広げられる中、どうにか穴を埋め終わった。

 いつの間にか、熊の鳴き声も足音も消えていた。

 戻ってきた白蛇が、即席のお墓を赤い眼で名残惜しそうに見つめる。

「これで、同胞も安らかに眠れるであろう。感謝する」

 無言でうなずいて、わたしは目を閉じてお墓に手を合わせた。シマヘビの魂が浮かばれるように。

 土を掘ったのなんて、小中学生の時にやった芋掘り以来の気がする。


 ――おばあちゃん、おじいちゃん。わたしも、白蛇としゃべれたよ。


 祖父も祖母も、あの世で見守ってくれているだろうか。

 緩やかに吹く涼しい夜風が、周りの木々の葉をさわさわと揺らした。


   ◎


 気がつくと、私は祖母の家の客間で布団に横たわっていた。障子越しに射し込む朝の光が眩しい。

「あんた、なんで制服着て寝てるの? しわくちゃじゃん」

「あー、えっと……夜中にトイレに行って、寝ぼけてたから、かなぁ」

 我ながら下手な嘘をついたけど、父も母もあきれ気味に笑った。

 真夜中の出来事は、ちゃんと憶えている。

 縁側に出ても、百日紅の木に白蛇はいないけど。あの林か山に帰ったのかもしれない。

 顔を洗って祖父と祖母の仏壇にお線香を上げようと、わたしは歩き出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

セーラー服の葬式屋 蒼樹里緒 @aokirio

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説