最終話

「我々に被害を悟らせず、危機感を持たせないままで、人間をむさぼり喰う。その為に、犬神は毎度毎度こんな権能を使って人間の存在をいたんですよ」


 土御門の言葉を最後に、その場にはしばらく静寂が走った。

 この推理が正しかった場合、表面上に現れなかった被害は文字通り未知数ということになる。

 その事実の重みを、三人は簡単に咀嚼しきれずにいたのだった。


 十数秒して、沈黙を切り裂いたのは蘆屋だった。


「土御門さんの推理が正しいとしたら―――ここ数百年、日柱村と猿山市からは誰も気付かないうちに大量の人間が消えていたってことになりますよね」

「人が消えていたのは日柱村だけだとは思いますけどね。その証拠に、犬神の伝承が残っているのは日柱村だけな訳ですし」


 自分の言葉に首をかしげていた蘆屋を見て、土御門は慌てて言葉を足した。


「ほら、人間を攫っていたのは犬神な訳でしょう? これだけの年数が経っていて、その目撃情報や伝承が日柱村しかないというのもおかしな話じゃないですか」

「でもそれは出会った奴の記憶を消せばいい話じゃ―――ああ、消すのは存在だからそんな都合良くいかないのか」


「はい、それに日柱村ができたきっかけを考えても、猿神がわざわざ猿山市から人間を攫うとも考えにくいですし―――第一、祠があるのが日柱村なんですから、きっと彼らの中では、人間は犬神が攫ってきた奴だけを喰うってことになってたんだと思いますよ」


 その方が、いざということがあっても信仰に傷がつく危険が少ない、土御門がそう言わずとも二人はその真意に気付いていた。

 再び言葉を失いかける二人を前に、土御門は話をまとめにかかった。


「大体出揃いましたかね―――お二人とも、私の考えを納得とまではいかないまでも、理解はしていただけましたでしょうか」

 二人は黙って頷いた。納得はできている、だが受け止められない。それが本意だった。


「それならよかったです、正直私も考えがまとまりきっていなかった部分があったので、不安はありましたが、なんとか形になって安心しました。それじゃ―――」

「俺たち、これからどうすればいいんですかね」


 ふと、阿久津は土御門の話に割り込むように呟いた。それは無気力のようでありながらも、溢れんばかりのやるせなさを含んでいた。


「人知を越えた存在がいる、それが分かったところで、俺たちは何ができるんですかね」

「そりゃあ―――祠を直しちゃいけない、とかだろ。権能を渡しちゃいけない存在な訳だし」蘆屋はたしなめるように阿久津に詰め寄る。


「でもそれって解決にならなくないですか。目に見えなかった被害が今回みたいに目に見えるようになるだけで、被害自体は減らないように思えますけど」


「確かに、それでは数百年前に戻るだけだろうね」

「ちょっと土御門さん、加勢しないでくださいよお―――」

 眉を曲げるて阿久津に賛成する土御門に、蘆屋は縋るようにすり寄った。


「やっぱり、俺ら人間にはどうにもできないんですかね―――」

 

 阿久津は脇腹を押さえた。


 できることならこのまま山頂を目指して、そこらにいるという二匹の神とやらを追い払ってやりたい。今まで見知らぬ所で被害に遭ってきた人達―――特にあの少女の無念を晴らしてやりたい。

 その思いは留まることを知らなかった。


 しかし―――阿久津はあの瞬間のことを頭に思い描いた。

 一瞬で切り裂かれた脇腹、かさを増していく血溜まり、空気の抜けた風船のように力を失っていく身体。思い出すだけで身の毛がよだつ。


 矛盾する感情に顔を歪めている阿久津の肩を、暖かい感触が包み込んだ。叩かれた肩から、力強さのようなものが流れ込んでくる。

 どこかで感じたような、既視感のある感覚だった。


「阿久津君、悲観するのはまだ早いよ」

 その安心感の正体は、土御門だった。


「思い出してごらん、数百年前の伝承のこと。被害が表面化して人間達が恐怖に包まれたとき、猿神はどういう対応を取った? そして現代、犬神はどうしてわざわざ被害を我々に見えないように隠し続けたんだっけ?」


 土御門はゆっくりとした口調で阿久津に問いかけた。

 それに精一杯答えるように、阿久津も口から思いついた言葉を絞り出す。


「猿神は―――人質の村、日柱村の存在を受け入れました。犬神は―――僕らに被害を悟らせないために―――」

「私が聞いているのは、その目的だよ。この二つの事象に共通する、目的だ」


 首を捻っていた阿久津に代わって、隣で二人を心配そうに見つめていた蘆屋が満を持して口を開いた。


「人間が過度に自分らのことを恐れ、この村から出て行かないようにするため、ですか」 


 土御門はにたりと笑った。その後で「その通りだよ」と呟く様からは、何かのデスゲームの主催者のような狂気が垣間見えていた。


「つまりね、彼らは僕らに"いつも通り"暮らしていて欲しいんだよ。自分らの捕食という行為を、できる限り気に留めないでいて欲しいんだ」


 土御門は顎を引き、目を細めた。その姿は誰が見ても捕食される側ではなく、捕食する側の雰囲気を纏っていた。


「これが分かれば、私たちはどうにだってできるさ。分かるかい、阿久津君―――」

 土御門は一呼吸置いて、再び口角を上げた。


「ここからは、私たちの番だということだ」

 



「ただいま戻りましたあー」


 額に汗を滲ませていた阿久津は、駐在所に戻ったと同時に自分の席に直行した。阿久津の席は空調の真下だということもあり、阿久津はどかっと椅子に座った後で「ふぅー」と息を吐ききった。

 

「ご苦労様、最近はめっきり暑くなったねえ」

 土御門は顔も出さずにパソコンとにらめっこしながらそう言った。

「ホントですよ、もう怜治さんのところ行くだけで汗だくで―――話聞くまでしばらく涼ませてもらってましたもん、俺」

「それは君があんな場所まで自転車で行くからでしょ―――おとなしく車で行けばって何度も言ってるのに」


 そう土御門が呆れ混じりにいうと、阿久津はその場で急に立ち上がった。その勢いに土御門は驚きを隠しきれずに、ついキーボードを打つ手を止めてしまっていた。


「なあに言ってるんですか、俺は自分を追い込んでるんです。あいつらみたいな化け物が俺たちの村をいつ襲ってきてもいいように、最強の身体を作って準備してるんですよ」


 そう言って袖をまくった阿久津の腕は、二ヶ月前より更に太くなっていた。浮かび上がる血管が脈打っている様は、阿久津の強靱な生命力の表れのようだった。


「そうだったね―――一番良いのは二度とあんなことが起こらないことだけど―――まあ、準備はする分にはなんの損にもならないからね」


 土御門はそう言いながらも、日に日に筋骨隆々になっていく青年を前に目を丸くしていた。

 

 ある程度アピールが終わって満足した阿久津は再び席に座り、風を全身に浴び始めた。表出した肌に風が触れる度、皮膚から内部に冷気が伝わるのがわかる。

 

「それで、怜治さんはどうだって?」土御門は話を本題に戻した。

「ああ―――あれから変わりないみたいですよ。幻聴も無くなって、至って健康優良児って感じでした」

「児童では無いと思うけどね―――お婆さんはどうだった?」

「それも問題ないっす。当時のショックも収まって、怜治さんとの関係も良好だそうですし。万事おーけーでしたよ」


 土御門は伸びをしながら軽々しく報告する阿久津を見て、漏らすように「そうか」と呟いた。

 

 今となってはもう過去のことか―――土御門は全てが明らかになったあの日のことを思い出していた。




 あの日の午後。土御門の指示により、警察署にて三十名ほどの部隊が編成された。その名も"森林開拓部隊"。猿手山の木々を伐採することで、必要以上に生い茂った木々を間引くという名目で作られた部隊だった。

 

 彼らは当日から早速猿手山に出向き、鑑識らの仕事のフォローを進めた。それは手早く森林伐採に移るためであり、普段することのない死体の処理すらもためらいなく行っていった。

 

 彼らの努力もあり、伐採は次の日から非常に速いペースで進められた。専門家も目を見張る程の進捗で切り開かれていく山は、まるでバリカンで刈られている頭部のようにみるみるうちに山肌を露わにしていくのだった。

 その部隊には阿久津も配属されており、彼を中心に若い衆が大声を発しながら木々を伐採していく様は、何かの儀式のようだったと伝えられている。


―――出て行け! お前達のことは市民、村人、全員が知っている。やれるものならやってみろ! お前らはもう詰んでいる! 分かったら出て行け! 出て行け!!!


 そのようなことを洗脳されたように叫びながら、彼らは山の頂上を目指してチェーンソーなどを振るっていたという。その様は傍から見たら相当怖かったことだろう。


 言葉の勢いのままに、彼らは異常な速度で頂上を目指して木々を間引いていった。

 そう、彼らの目標はあくまで"自分らの存在を神々に知らせ、彼らを別の場所に追いやること"だったのだ。

 

「具体的にどうするんですか、土御門さん」当時阿久津が聞いたことだった。


「言っただろう、彼らは我々に過度に認知されることを恐れている。それは自分らの脅威に恐れおののいた人間が、ここらから離れることを危惧しているからだろう。しかし、既に住んでいる市民や村人にここらを離れてもらうのは忍びない。


 そこで、我々の方から神々の住処に出向いてやるのはどうだろうか、と思ったんだ」


「そんなん殺されにいっているようなものじゃないですか、集団自殺みたいなもんですよ」蘆屋はかたくなに反対していた。


「蘆屋警部、今は祠が壊れているんですよ? つまり、彼らは我々の存在を消すことができないんです。そこで我々は森林伐採をするということを猿山市と日柱村に大々的に公表します。勿論、賛否が出ないように伐採はあくまで間引きのみだということも強調しましょう。


 その後で我々が帰らぬ人となったりしたら、村人や市民はどう思うでしょうか。山で何かあったんだ、と考えるのが自然じゃないですか。それに拍車をかけるように、この事実を知っている人間が彼らの存在を公表する手筈も整えておきましょう。


 そこまでの準備をして、我々が山に出向くとします。蘆屋警部が二匹の神なら、どうしますか」


 一度貶める側に回った土御門を止められるものなど、ここらには存在しなかった。

 土御門は言ったとおりの手続きを半日で終了させ、宣伝すらも半日足らずで村と市全体に行き渡らせてしまったのだった。


 その行動力と効率には、警察署の人間達も阿久津も目を見張っていたという。


 森林伐採部隊の狂気の行進は、ものの二週間で幕を閉じた。

 

 阿久津を含めた部隊の中には、正直半信半疑のままに伐採を続けていた者もいたという。本当にそんな存在がいるのだろうか。いたとして、自分たちは無事で済むのだろうか。

 中には自分を覆い尽くそうとする恐怖を、大声で吹き飛ばしていた者もいたという話だ。


 そんな彼らが否が応でも神の存在を知ることになったのは、阿久津がを目にしたからだった。

 大量の動物の死体が積み上げられた、岩まみれのあの空間。

 怜治に聞いたとおりのその空間は、しばらくいるだけで気が狂いそうになったという。


「まーじで怖かったっす。でもあそこに俺たちが土足で踏み込めてるって時点で、多分二匹の神は既にどっかに消えてたんだろうなって思いますね」


 これは後になって阿久津から聞いた話だった。その考えには土御門ももっぱら同意だった。


 森林伐採が終わり、その空間の調査も一段落がついた頃。調査開始からは約一ヶ月が経っていた。

 丁度その頃、怜治を襲う幻聴がパタリと無くなったという報告が日柱駐在所に入った。それを聞いた土御門と阿久津は、堪えきれない喜びをそのままにガッツポーズを交わしたのだった。




 あれから更に一ヶ月、不審死の報告は一切入っていない。

 土御門は大きくため息をついた。


「なんですか、どうしたんですか」


 久々の土御門のため息に、阿久津は過剰に反応した。

 それに申し訳なさを感じた土御門は慌てて顔を起こす。


「いや、そんな悪いため息じゃなくってさ。安堵のため息だよ。ほら、一応今のところは一件落着ってことになってるでしょ」

「ああそういう―――てか、なんでそんなに含みを持たせた言い方するんですか。縁起悪いですよ」

「あはは―――ごめん」


 土御門は控えめに笑った。そして独り言のように呟いた。


「でもさ、色々と考えちゃうんだよね。この世には人を喰うような奴がいるってことを知っちゃうとさ」

「なんですか、怖いってことすか」

「それはそうなんだけど―――なんというか、我々は喰われても文句を言える立場なのかなーとかさ」


 阿久津は背もたれに体重をかけながら天を仰いでいた。唸りながら首を振っているが、土御門の言葉にはピンときていないようだった。


「私たちもさ、ありがたいことに多くの命をいただいて生きてるわけじゃんか。その種の多さといったら、自分らでも覚えてないレベルでしょ?」

「何が言いたいんですか」阿久津は核心の突けない話に顔をしかめた。


「うーん、私たちが頂点捕食者とは限らない、となると、この世はどこまでも弱肉強食なんだなあって思うというか―――なんだろうね、上手く言語化できないや」

「珍しいですね、土御門さんにしては―――疲れてるんじゃないですか? 出発の時間まで休んだらどうです」

「出発―――?」


 渋い顔をしている土御門を見て、阿久津は怪訝な表情を浮かべた。そのまま呆れた、といった口調で土御門を軽く咎めた。


「やっぱり、疲れてるじゃないですか。お・墓・参・り。今日巡回ついでに一緒に行くって話だったでしょ」

「ああ、そうか。そのことね―――ごめん、すっかり抜けてたや」

「全く、ここ最近まで肉体労働だらけだった俺より疲れててどうするんですか。ほら、仮眠室行ってください」


 いや、まだ書類が―――と言葉だけで抗う土御門を、阿久津は半ば強引に仮眠室へと連行した。

 

「俺らが、あの惨劇を終わらせたんだって。もう大丈夫だよって。定期的に彼らに伝えて天国で安心してもらうのも、れっきとした俺らの大事な仕事ですよ。そんなふらふらの状態で行ったら、安心させるどころか不安がられちゃうでしょ」

「そう―――だね。ありがとう」

「いえいえ、書類は俺やっとくんで。おやすみなさい」


 そう言って電気を消した阿久津は、すたすたと自分の机まで戻っていった。暗闇の中で土御門は、物理的にも精神的にも大きくなった阿久津の背中を思い出して、安心感に浸っていた。


 天国の彼らに定期連絡、か―――土御門はベッドに横たわって被害者らに思いを馳せた。


 これだけ時間が経っても、土御門を含めた生存者らの記憶に彼らの記憶が戻ることはなかった。やはり土御門の推測が正しかったのだろうか、二ヶ月という時間は消えた存在がもう金輪際戻ってこないことを残された者達に悟らせていた。


 あの少女―――十中八九、あの日ミサンガと共に倒れていた少女が本人なんだろうけれど―――土御門は目を閉じた。

 考えないことにしよう。どのみち、墓参りの時に挨拶すればいい話だ。


 土御門は薄れていく意識の中で、遠くから鳴り響く電話の音を耳に入れた。しかしその音は仮眠室に届く頃には鳥のさえずりのようにか細くなっており、土御門の眠りを妨げるほどの力を持っていなかった。


「はいはい、なんでしょうーっと」


 阿久津は土御門を起こさないように、急いで受話器まで向かった。


「はい、こちら日柱駐在所の阿久津です。どうされましたかー」

「あの―――すいません、ちょっと信じていただけないことかもしれないんですけど―――その―――」


 電話口では、大人の女性が言葉に詰まりながらも必死で言葉を綴っていた。

 阿久津は咳払いと共にできる限り自分の声色を柔らかくし、物腰の柔らかい男性を意識した。


「大丈夫ですよ、ゆっくりでいいです。一つ一つ、教えていただけますか」

「はい、すいません、ありがとうございます―――その―――」


 阿久津の言葉を受けて深呼吸したその女性は、覚悟を決めたように要件を言い切った。


「うちの娘、理彩りさっていうんですけど、最近見ないなと思って―――祖父の家にいるものだと思っていたんですけど、昨日確認したらそうじゃないらしくて心配で―――」

「分かりました、大体は行方不明の少女の捜索ということでよろしかったですかね」

「はい、そう―――ですね。はい、それでお願いします」


 阿久津は無理矢理笑みを作って電話の先にいる女性に声をかけた。

 犬神と猿神、この一連の事件は、間違いなく阿久津という一人の警官を強くしていたのだった。


「分かりました、任せてください。私阿久津が、その少女を助けてみせます!」

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ぐーるぐる さら坊 @ikatyan

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