十六日目(昼)

「ちょっと、音海ちゃん‼ 大丈夫⁉」

「すみません。急に眩暈が……」


ある商店街を巡回していた最中。急な頭痛に襲われ、座り込んでしまう。

珍しく過呼吸を引き起こし、頭の中は大混乱。朝から絶不調だ。


「救急車呼んだ方がいい?」

「それは別に……」

「今から呼ぶね!」


一緒に巡回していた先輩が焦って「119」の番号を押してしまう。

五分もしないうちに遠くの方からサイレンが聞こえてきた。

救急搬送されるなんて生まれて初めてだ。救急隊員の顔が全員ぼやけて見える。


■■■


あれは高校時代、元カノの家にお邪魔した時に起きた事件だった。

近くのコンビニでジュースを買いに行くといい、私は一人残された——。

違う。あの場にもう一人いた。

元カノとよく似た顔の女性。彼女は自分を“母親”と名乗った。


「少しお邪魔するね」


元カノの自室に見知らぬ人と二人きり。

私は床に。母親を名乗る女はベッドに腰を下ろす。


「もしかして、貴方が娘のカノジョさん?」


「はい、そうです」と私は短く答えた。

女性は嬉しそうに口角を吊り上げる。


「いつも家で話を聞いています。将来、警察官になるんですって?」

「はい」

「女の子にしては珍しいね。なろうと思ったキッカケは?」

「父親が警察官なので」

「へぇ~。お父さん、警察官なんだ」


“警察官”というワードを口に出した刹那、女の声色が少し低くなる。彼女は全身から不穏な空気を放出し、据わった瞳で私の顔を凝視する。


「顔に何か付いてます?」

「ううん。綺麗な顔立ちしてるなって見惚れてた。こんな可愛い子の心を射止めるなんてウチの娘は中々やるねぇ~」

「あ、ありがとうございます……」


急に私の容姿をベタ褒め。頭のてっぺんから足の爪先まで値踏みするように熱視線を送ってくる。

褒め馴れていない私は困惑した。どう反応すればいいか分からず、取り敢えず愛想笑いを浮かべる。


「貴方のような子が警察官なんて勿体無い。他にもっと良いお仕事があるはずよ」

「ええっと……もっと良い仕事とは?」

「さぁ、なんだろうね?」


女はこちらに近寄り、至近距離で下顎に手を当ててきた。このまま取って食われそうな勢いで。


「手、離してください」

「イヤだと言ったら?」

「電話します」


コイツは正気じゃない、危ないと心の奥底で何かが警鐘を鳴らす。

手に握っていたスマホを操作し、元カノの電話番号を表示させた。


「バカね。今更助けを呼んでもムダよ」


女の手は下顎から首筋に移る。彼女は目の色を変え、トンデモ握力で私の気道を締め上げてきた。


「助けが来る前にお義母さんが殺してあげる」


堂々とした殺意表明。

手足でなんとか抵抗しようとするも無駄な足搔きだった。

上手く気道を確保できず、視界が白飛びする。


「バイバイ、ほのかさん♡」


■■■


「はっ⁉」


目を覚ますや否や、ベッドから上体を起こして辺りをキョロキョロ見渡す。

自分の首筋に触れ、異常がないか確認した。


「さっきのは夢か……」


縁起でもない夢。記憶にない過去。

久しぶりに殺される系のヤツを見た。

おかげさまで背中が冷や汗でぐっしょり。

涙のせいか、汗のせいか。枕が少し湿っている。


「ここは……病院?」


消毒液の匂いが漂う無菌室。すぐ横には点滴らしき棒と腕に管が刺さっていた。


「やっとお目覚めですか?」


個室のドアが開いた。看護服を身に纏う女性が穏やかな足取りで歩いてくる。


「まさか過労と寝不足で倒れるとは。なんともキミらしい」

「アンタもしかして……」


看護師の顔を見て背筋が凍る。


「どうも、ここの病院の看護師をやっています。三日月蒼衣です♡」


首から吊り下げた名札には“三日月蒼衣”という文字が記されている。どうやら仮名ではなく、本当の名前だったようだ。



「この病院に連れて来られるなんてウチらは運命の糸で……」

「気持ち悪いこと言わないで。寒気する」

「そこまで嫌がらなくてもいいじゃんか」


おかしなテンションは変わらずだが、格好がいつもと違うため少しドギマギする。看護服を着ているだけで知的に見えるのは顔面偏差値の高さ故か。


「あらら、ちょっと顔が赤い?」

「気のせいです‼」

「もしかして熱かしら?」

「違います‼」


こっちに近づこうとするな。この状況で彼女の体温を感じると、頭がおかしくなりそう……。


「おい、吸血鬼!」

「“蒼衣”ね」

「み、み……、三日月蒼衣さん」

「はい、なんでしょう?」

「失神している間。私の血、吸ってませんよね?」

「きゃはははっ。いくら吸血鬼でも患者の血なんか吸わないよ」


口ではそう言うがコイツは何をしでかすか分からない。

薄気味悪い笑顔を浮かべる限り、完全には信用できない。


「人の目を盗んで患者を襲ったりとかしてません?」

「してたら絶対誰かにバレる。今頃クビになってるわ」

「アンタの言葉一応信じます」

「一応かい」


蒼衣は点滴の調子を見に来たらしい。私の横で随分こなれた感じで作業を行う。


「今何時ですか?」

「夕方の三時」

「もうそんな時間ですか……。早く仕事に戻らないと……」

「ダメよ。一日ここで安静にしてなさい」

「ですが……」

「さっき同僚の方が言ってたよ。人手は足りてるって」


ベッドから降りようとしたが片腕を掴まれた。この病室から逃げるなと。


「明日の朝には退院できるんだから我慢して」

「えっ。今日は入院ですか⁉」

「当たり前でしょ。失神してたこと忘れてない?」


どうやら救急車に運ばれる直前で気を失ったらしい。

どれだけ若くても日々の疲労が積み重なると限界を迎える。今一度生活リズムを正さないと次が危ないかもしれない。


「一日の睡眠時間はだいたいどのくらい?」

「ここ最近は三時間か、四時間」

「ちなみに一日の勤務時間は?」

「怖過ぎて時計を見ないようにしています」

「もう警察辞めちゃえば?」

「ごもっともです」


仕事もプライベートもほぼ拘束状態。休日出勤も厭わず、街の安全を守る“社畜”だ。


「そりゃあ、恋人もできないわけだー」

「なぜ恋人がいないことを知って……⁉」

「だいたい雰囲気で分かるもん。全然色気が感じられなーい」

「そりゃあアンタと比べたら、色気の欠片もないですよ……」


渡されたポカリを豪快に飲み干し、無気力にベッドの上で大の字になる。

蒼衣は慈愛に満ちた眼差しで私を見詰めてくる。


「もしや、終電に乗る時間が本来の睡眠時間を邪魔しているのでは?」

「そうかもですね」

「じゃあ今度からウチの膝枕で仮眠を取ろう」

「今後、終電に乗らないという選択肢は?」

「ダメ。ウチが寂しくなっちゃう」


スカートの裾を捲し上げ、白く色っぽい太股を見せつけてきた。私はゆっくり手を伸ばし、その太股の皮を抓んでやる。


「どうよ。自慢の柔らかいクッションは?」

「このまま爪立てていいですか?」

「乙女の柔肌を傷つけようとするなんてヒドーイ」


こうやってガッツリ彼女の肌に触れるのは珍しい……というか初めてかも。太ももから中々手を離すことができず、筋肉が硬直する。


「三日月さん、そこに居られましたか……」


ガラガラとドアが開き、別の看護師が現れた。額に汗を浮かべ、酷く焦っている様子だ。


「他の患者さんが待ってます。早く行きますよ」

「あ、そうだった……」


勤務中に私とじゃれ合っている余裕などない。残念そうに息を吐き、ドアノブに手を掛ける。


「また夜会いに来るから」


そう約束して部屋から立ち去る。

しかし結局その日、彼女が戻って来ることはなかった。

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終電の吸血鬼 石油王 @ryohei0801

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