十五日目(朝)/(晩)
■■■十五日目(朝)■■■
今日はやけに職場が騒がしい。第一課に所属する刑事が署内をウロウロしている。
「先輩、なにがあったんですか?」
「音海ちゃん、今日のニュース見てないの⁉」
「今日のニュース? 何かありましたっけ?」
「地下鉄の裏で起きた殺人事件よ」
「ええっと……、どこの地下鉄ですか?」
「終電の吸血鬼が出ると噂のあそこ」
「ウソ……」
昨夜未明。年齢性別不詳の変死体が見つかった。
現場はあの終点の駅裏。遺体の損傷は激しく、犯人は快楽犯の可能性が高いという。
「首筋、手首、胸の辺りに数十ヶ所咬み傷があったみたい。ハッキリ言って気味の悪い事件だわ。もしかして、終電の吸血鬼の仕業だったり?」
先輩は冗談めかしにそう言うが、私は笑えない。
ショックで膝が震える。壁に手を当て、なんとか自分の体を支える。
「今日、体調悪い?」
「いえ、大丈夫です」
「そう? しんどかったらすぐ言ってね。音海ちゃん、最近根詰め過ぎだから」
「はい……」
アイツが犯人じゃないと願いたい。
願いたいけど頭の中は不安で埋め尽くされ、とても仕事ができるメンタルじゃない。
■■■十五日目(晩)■■■
今晩は少し早めにいつもの地下鉄の駅に到着した。
ホームのベンチで一人頭を下げて瞑想する。
何かしようとするたびにアイツの顔が頭の中に浮かぶ。
故に今は敢えて頭の中を空っぽにし、思考を停止させた。
「あっ。この前のお姉さん」
瞑想の最中。聞き覚えのある声が聞こえ、パッと顔を上げる。
視界の正面には赤本を脇に抱えた女子高生が真顔で立っていた。
「受験生の女の子⁉」
女子高生は小さくコクンと頷き、私の隣に座る。
こちらの様子を窺うように顔を覗き込んできた。
「お姉さん、顔色悪い。死相が見える」
「今日はちょっと色々あったね……」
「身内の不幸?」
「ううん。知り合いのトラブル、かな」
自分から訊いてきたくせに「ふーん」と生返事。
特に何か励ますような言葉を送ることもなく赤本を開く。
「知り合いってあの女のこと?」
「そう」
“あの女”とは吸血鬼のこと。
女子高生は怪訝そうに息を吐く。
「あの女と友達?」
「友達……とまではいかないかな」
「じゃあ、一々悩まなくてもいいじゃん」
「そうだけど、でも……」
「なに。もしかして友達以上の関係?」
「ちがう、ちがう」
私の煮え切らない態度を見てイラッとしたのか、綺麗に整えられた眉が険しい。
貧乏ゆすりも酷い。
「友達以上なんか絶対有り得ないし、友達でもないと思う。だって、未だにアイツの名前分かんないし」
「教えてくれないの?」
「まだナイショだって」
「変なの」
ボソッとそう呟きつつ、心底退屈そうに赤本のページをめくり続ける。話を聞く人の態度には見えないが、文句を言える立場じゃない。
ここは黙っておこう。
「お姉さんはどうなの? その女のこと友達として見てる? それとも知人として見てる?」
「どう考えてもただの知人よ。アイツにとって私なんかどうでもいい存在でしょ?」
「質問に答えて。私が知りたいのはあの女の気持ちじゃなくて、お姉さんの正直な気持ち」
「私の正直な気持ち……?」
正直にと言われても分からない。
相手が人間なら別だが、彼女はイレギュラーだ。未知な部分が多く、腹の底が読めない。
多少なりとも親しくなっているはずだが、はたして彼女がどう思っているのか。
吸血鬼が浮かべる笑顔は胡散臭くて“義務”に見える。
「どっちかというと知人として見てる」
「あっそ」
必死に考えて答えを絞り出したのに、返された言葉は「あっそ」のみ。反応が薄過ぎて泣きそう。
女子高生は赤本を閉じ、徐に立ち上がる。私も続けて腰を上げた。
「お姉さん、あの人とあんま関わんない方がいいよ。なに考えてるか分かんないし」
「たしかに」
アイツが放つ異質なオーラは私以外にも感じるらしい。少し安心した。
「忘れ物思い出したから予備校に戻る。先に帰ってて」
「わかった。最近この辺物騒だから気を付けて」
「うん。お姉さんも気を付けて」
終電が到着する間際。女子高生は改札口の方へ走っていき、私に別れを告げた。
■■■
女子高生と別れたあと。私は終電に乗車し、知人の気配を探る。
「ほのか、こんばんは」
「なんですか、この状況は……?」
最後尾の車両に吸血鬼を発見。
どういう訳か、サラリーマンと正面から対峙している。しかも、そのサラリーマンは……。
「朝捕まえた痴漢野郎じゃないですか⁉」
吸血鬼の右腕には打撲のような青い痣ができていた。吸血衝動に駆られている隙に、酒瓶で殴られたらしい。
「オマエのせいで、オマエのせいで、オマエのせいで‼」
痴漢野郎はそう叫び、鬼の形相で吸血鬼を睨み続ける。目が血走っていて、明らかに不審者だ。
「ねぇねぇ、ほのか。こういうのを“無敵な人”って言うんでしょ?」
「そ、そうですね」
「はぁ~、ヤバい奴に逆恨みされるとか今日ついてないわ~」
不審者に睨まれ続けても、なお余裕な表情を見せる吸血鬼。
腰に手を当て、ポキポキと首を鳴らす。
「何をする気ですか?」
「コイツにお灸を据える」
「暴力は厳禁です」
「この場合はちゃんと正当防衛が適用されるはずよ」
この状況でも笑顔を絶やさない吸血鬼だが、全身を纏う殺気が凄まじい。不穏な空気が車内に充満する。
「コロしてやる!!」
彼女の舐め腐った態度に殺意を覚えた痴漢野郎。空になった酒瓶を振り上げ、猪突猛進でこちらへ突っ込んできた。
「あああああああああああっ……‼」
男の腕を頭上で掴み、バキバキと骨を軋ませる。男の顔は激痛で歪み、野太い断末魔を張り上げた。
「悪いことした罰として、この腕もらうね♡」
色素が薄く非力そうな腕から考えられない馬鹿力。
痴漢野郎の片腕をいとも簡単にへし折り、千切ってしまう。
「腕汚っ。毛むくじゃらじゃん。やっぱ要らないわ」
千切ったあと、すぐに捨ててしまった。血管の断面を晒す片腕はコロコロ床に転がり、倒れん込んだ痴漢野郎の手元へ返却される。
「メスに二度も制圧されるなんて惨めね」
「あああああああああああっ……‼」
「叫んでもムダムダ。頭が潰れる前に声が潰れちゃう」
血も涙もない。
吸血鬼は男の頭を鷲掴み。自慢の握力でゆっくり頭蓋骨にひびを入れていく。
「……」
男の断末魔が途絶えた。痙攣していた腕がだらんと垂れ下がり、だらしなく口から唾液を垂れ流す。
しかし彼女は一向に攻撃の手を緩めない。
何か弾けるような音とともに、彼の頭蓋骨は粉砕された。
「ざまぁ~」
満身創痍の男を窓に叩き付け、ようやく罰は終了した。
両手にベッタリ付いた死者の血を長い舌でしゃぶり尽くす。
人相は罪人そのもの。狂気に満ち満ちている。
「人殺し……」
真面な理性があるとは思えない所業。
今の彼女を見て、つい呟いてしまった。
「だから言ってるじゃん、これは正当防衛だって」
こんなの正当防衛の域を超えている。
罪悪感の欠片もない無垢な笑顔でこちらを振り返った。
「昨日、いつもの終点で起きた事件のこと知ってますか?」
「うん。朝のワイドショーで見た」
「遺体に数ヶ所の咬み傷があったことは?」
「それは初耳」
白々しく首を傾け、あざとく唇に手を当てる。軽快に鼻歌を口ずさみながら、私の元へ歩いてきた。
「もしかして、ウチのこと疑ってる?」
「ええ、疑っています。いや、今ので確信しました」
「へぇ~」
彼女が犯人だと信じたくない。でも、こんな残忍で卑劣な犯行を目にしたら嫌でも確信してしまう。
一度、大きく深呼吸。ここは一人の警察官として取り乱すことなく、必死に平静を装う。
「アンタは昨晩、どこにいましたか?」
「終電の車内でキミと過ごしていたよ」
「その後です」
「そのままバイクに乗って家に帰ったさ」
「それは本当ですか?」
「さあ、どうだろう」
「なんか事情聴取みたいでウケる」と幼気に白い歯を零す。この期に及んで、まだ何の焦りも感じられない。
「もし。ここで自白したら、キミはどうする?」
「迷わず逮捕します」
「泣いて喚いても?」
「大の大人が駄々をこねても通用しません」
否認もしなければ、認めることもしない。ひたすら答えをはぐらかし、私を弄んでいるように見受けられる。
私は懐から手錠と銃を用意する。
「結局やったの、やってないの? 早く“イエス”か“ノー”で答えて‼」
「ふふっ……。メチャクチャ焦ってて可愛いな~」
「クソ吸血鬼‼」
苛立ちが最高潮に達し、怒号を飛ばす。
これ以上、場を茶化すようなら問答無用で手錠をかけてやる。
ヤツは床に胡坐をかき、手錠を持つ手を優しく包み込むように握ってきた。
「三日月蒼衣(みかづきあおい)」
「は?」
「ウチの名前」
何故このタイミングで自己紹介?
吸血鬼——三日月蒼衣は依然、笑顔を絶やさない。手を握ったまま離そうとしない。
「フツー、人殺しが警察官に自分の名前教えると思う?」
「ええっと……それは、つまり」
「フフッ」
三日月蒼衣はまた不敵な笑みを浮かべ、私から手を離す。
そして床に転がっていた男の遺体に両手を添え、優しく唇を交わした。
「今度から気安く“蒼衣”って呼んで。“クソ吸血鬼”じゃないから」
口付けされた男はみるみるうちに傷が癒えていき、破壊された頭も腕も元通り。
彼女はそのまま男を抱え、終点で降りていった。
私は車内で暫く放心状態。手汗だらけの手錠を訳もなく見詰めていた。
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