第3話水蓮教徒
「しっかりしろ」
誰かが自分に呼びかけている。
史乃はその声で意識を取り戻す。
視界にはいるのは精悍な男の横顔であった。
「わ、私は……」
意識がはっきりしない。史乃はどこか夢心地であった。視界がぼんやりする。
「しっかりしろ、意識は保てるな」
この声は聞き覚えがある。ついさっき知り合った漆黒の軍服を着た男だ。たしか名前は渡辺司といったはず。
「大丈夫か? 気はたしかか?」
渡辺司は再度そう問いかける。
何度かまばたきすると視界がはっきりした。
渡辺司の精悍な顔が見える。紫水晶のような瞳で自分を心配そうに見つめている。
史乃はその問いかけに頷いて答える。
そこで彼女は気づいた。
渡辺司の太く、たくましい腕に抱かれているということを。
史乃はあわてて大丈夫ですと答える。
でも本当は大丈夫ではなかった。
うまく体に力がは入らない。それに頭がくらくらする。めまいに近い感覚だ。
「無理をするな」
渡辺司はそう言うと史乃を軽々と抱き上げた。
ついさっきであったばかりの男に抱き抱えられているのに、史乃は不思議と嫌な気持ちにはならなかった。
むしろ落ち着くというか安心する気持ちになった。そう言えば物心ついてからこうして誰かに抱きしめられるということはなかったかもしれないと史乃は思った。
史乃は渡辺司の腕に抱かれながら、周囲を見渡した。
そこは見知らぬ森であった。
うっそうとした木々がはえ、空気がどことなく湿っている。それに寒い。
吐く息が白い。手がかじかむ。でも渡辺司に抱き抱えられているので、そこまで寒いとは思わなかった。
だけど、どうして自分はこんなところにいるのだろうか?
疑問が史乃の頭を駆け巡る。もちろん、答えなど出るはずはない。
「強制転移させられたのだ。途中で私が介入したからこんな中途半端なところに落ちたのだ」
渡辺司は説明する。
わかったようなわからない、そんな説明であった。
でも今は無理にで理解するしかない。それだけは史乃にも理解できた。
「まったくとんだ邪魔が入ったよ。まさか
森の奥から誰かの声がする。
声の主はゆっくりと史乃たちの方に歩いてくる。
その人物はパーティー会場にいたボーイであった。目の細い、背が高く、痩せた体格の男であった。
細い目でじっと史乃を見ている。
「ねえ、ものは相談なんだけどその女の人をこちらに渡してくれないかな?」
白い指先を顎に絡めて、ボーイは言った。
「貴様は何者だ? 目的はなんだ?」
続けざまに渡辺司は言う。
「軍人さんは欲張りだなあ」
へらへらとボーイは笑っている。
人を馬鹿にした笑いかただと史乃は思った。
「まあいいや、教えてあげるよ。僕の名は
ふふっと意地の悪そうな笑みを浮かべ、水蓮明人を名乗る青年は言った。
「おとなしく渡してくれれば、あんたのことは見逃してあげるよ」
水蓮明人は余裕の笑みを浮かべている。
主導権は常に自分にあるとその視線はそうものがっているように史乃には見えた。
「水蓮教徒か…… 小野寺に聞いたことがある。最近帝都を騒がしている邪教徒たちだな」
渡辺司は言った。
邪教という単語にうっすらと史乃は恐怖を覚えた。
水蓮明人はなぜか自分の身柄を欲している。それは何故なのだろうか?
これもまたどんなに考えても史乃には答えをだすことができない。
しかし、水蓮という単語に聞き覚えがあるような気がする。
思いだそうとしても頭痛がして思いだせない。
「無理をするな。魔術の影響で君は疲労している」
まるで史乃のことを察したかのように渡辺司は言った。
「邪教だなんてひどいな。僕たちはただこの乱れた国に正義をひこうっていうのだよ。破滅の未来から救うためにね。未来にはあの帝都を襲った地震なんかかわいいほどの地獄がまっているんだよ」
水蓮明人の口調はどこか勉強のわからない子供に説明するようなものであった。
「その未来を変えるためには本城史乃さんたち依り代の君が必要なんだよ」
さらに水蓮明人は続けた。
まるで自分に酔っている演説者のようだと史乃は思った。
「そうか、そんな来るやも知れぬ未来のためにこの人を渡せぬな」
渡辺司はそう言いきる。
その言葉を聞き、史乃は心から安堵した。
「そうかい、軍人さんは頭が固いな。その頭の固さがこの国の未来を滅ぼすというのに。仕方ない、あんまり手荒な真似はしたくないんだけどね」
水蓮明人はそう言うとベストのポケットからビー玉を取り出した。
それをバラバラと地面にばらまく。
「三千世界の彼方より来たれ、我が友!!」
そう声をはりあげると地面にばらまかれたビー玉は瞬時に見たこともない怪物たちへと変化したのだった。
鬼が啼く刻 大正鬼婚譚 白鷺雨月 @sirasagiugethu
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