第2話天才奇術師

史乃はその軍人の瞳に魅入られた。人の目がこんなに美しいものなのかと息を吸うのも忘れるほどであった。


「どうしましたか?」

微笑みながら、渡辺司は自分のことを見つめる史乃にきいた。

声をかけられて、史乃は我に返った。

「すいません、つい……」

史乃はしどろもどろに答える。

思わず見惚れてしまったとは言えず、史乃は語尾をにごした。


「渡辺君はね、先週満州から帰ってきたばかりなんだよ。でも、もうすぐ大阪に赴任されるんだよ」

椿原宗次郎はそう言った。

「そうなんですね……」

興味無さそうに加代は言った。

加代は宗次郎の端正で理知的な顔だけを見ていた。

「そんなことより、宗次郎さん。どうやら見せ物が始まりますよ」

加代は宗次郎の手をにぎり、舞台を指差す。

そこにはスリットの深い中国服チャイナドレスを着た女性が両手を広げて、大声でこの場にいる皆に声をかける。


「トザーイトーザイ‼️」

その声は良く通り、会場に響き渡る。

会場にいる皆が一斉に舞台の女性に注目した。史乃も舞台に視線を送る。

その声はどんなものを振り向かせる魅力があると史乃は思った。


「この場にお集まりの紳士淑女の皆様がたにはまことにご機嫌麗しうことと存じます。今宵この時、皆皆様方に松旭斎天勝の芸にお付きあいいただければ幸いでございます」

舞台の女性はそう言うと深くお辞儀をした。

頭をあげ、にこやかに微笑むとその口元がキラリと光った。どうやらその白い歯にはなんと宝石が埋め込まれていたのだ。


「どうやらメインイベントの天勝の奇術がまじまるようですよ」

宗次郎が加代に耳打ちする言葉が史乃にも聞こえた。

松旭斎天勝は世情にうとい史乃でも知っている名であった。

最近帝都で話題の奇術師である。その美貌と天才的な奇術により、人気を博している。

「まあ素晴らしいですわ、私、一度天勝の奇術を見て見たかったのですわ」

文字通り目をキラキラさせ、上目遣いで加代は宗次郎に言う。これを機会とばかりに腕をからませる。

あからさまなアプローチに宗次郎は簡単に鼻の下をのばす。

史乃はその様子を一歩下がって見ていた。


加代が宗次郎に夢中になっている間、私は自由だと思った。

渡辺司は史乃の横に立ち、舞台をその紫の瞳で眺めている。


楽団が音楽を流しだす。

天勝がゆっくりと舞台を歩く。

スリットの隙間から見える長く、しなやかな足にこの場の男性たちは視線を奪われていた。

派手な音楽と共に天勝は数々の奇術をくりひろげる。

天勝が手をパンパンと叩くとどこからともなく鳩があらわれ、会場内を所狭しと飛び回る。またパンパンと天勝が拍手すると鳩が戻り、これまたどこかから取り出したシルクハットの中に吸い込まれる。

次に台にのせられた棺が舞台に運ばれる。

楽団がオリーブの首飾りを派手にかき鳴らす。

この場にいる皆が固唾を飲んで舞台を見ている。もちろん史乃もその一人であった。

この時ばかりは史乃も楽しんでいたのだ。


助手の一人が棺の蓋をあける。

天勝は手をふりながら棺には入り、笑顔で寝転がる。

そして助手が蓋をする。

助手は手にサーベルを持っていた。

別の助手から大根を受けとると試し切りする。スパスパと大根が切られる。

サーベルが本物である証拠だ。

次に助手はサーベルを一振し、あろうことか天勝が横たわる棺に突き刺した。

「きゃっ!!」

と加代は手を口に小さな悲鳴を上げる。

その様子を宗次郎はどこか愛おしそうに眺めている。

史乃はその加代の行動がわざとらしく見えた。

そんなことよりも舞台を見ようと視線を戻す。


助手は何度も何度も棺を突き刺す。

普通ならば絶対に死んでいると思われた。

助手がサーベルを鞘に戻す。

音楽がピタリとやんだ。

会場の皆が固唾を飲んで見守る。

助手がゆっくりと棺の蓋を開ける。

そこからはにこやかな笑みを浮かべた天勝がたちあがる。ひらりと舞い降りると再び楽団が音楽を奏で出した。

パーティー会場は拍手喝采の嵐である。


史乃も思わず拍手をする。

つらい屋敷での生活をひとときは忘れることができた。それだけで史乃は幸せであった。

彼女は気づかなかった。

背後に人が立っていた。

それは飲み物を配っていたボーイであった。

「お迎えに参りました。依り代の君よ」

ボーイはそう言うと耳元でごにゅごにょと唱え出した。

その言葉を聞いた瞬間、史乃は意識を失った。

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