第49話 人間 vs 妖怪⑭

「ワシはやはりこの薬を使おうと思うよ」

「えっ?」


 たぬき先生との戦いが終わった後。

 妖怪達が眠っている子供達を背負い、いざみんなで地獄の底から這い上がろうとしていたその時、コックリさんはぼくにそう告げた。


 コックリさんは巫女姿へと戻っていた。ぼくより身長が高い。今は(いつぞやの夢で見た)大人の姿になっている。


「のう悠介。ワシは此処に来て、忘れられるのも悪くはないと思い始めてきたよ」

「でも……どうして?」

「お主が助けに来てくれたからじゃ」


 コックリさんがほほ笑んだ。たとえ明日には世界中全員に忘れられたって、今こうして無事でいられることがとても尊くて、愛おしいものだと思えたのじゃ。とは、口に出しては言わなかった。


「ありがとう、悠介。それだけでワシはもう十分幸せ者じゃ」

「コックリさん……?」

「あの子供達にも……いくら操られていたとはいえ、無益な記憶を残す必要はあるまい」


 コックリさんは眠っている生徒達を見て目を細めた。妖怪……とはいえ元は人間の魂を殺した記憶や、痛ましい戦争の記憶を背負わせるのは忍びない、とコックリさんはそう言うのである。狸伝膏ばけものこうを使えば、妖怪の記憶が消える……でもそれって。ぼくはその場に立ち尽くし、呆然とコックリさんを見つめた。


「……それにワシは、どうせならアイツはすごい奴だと、チヤホヤされたい。奉られたい。アイツは嫌な奴だったと、そんな風に覚えてもらいとうないんじゃ」

「そんな……えぇ?」

「この仔も……」

 腕の中で眠る小さな子たぬきを撫でながら、コックリさんがほほ笑んだ。 


「たまたま悪いたぬきじゃったが……どうかたぬきを恨まんでやってくれ。人間だって、良い奴と悪い奴がいるじゃろう。此奴もたぬきそのものを憎まれるのは本望ではないはずじゃ」

「でも、でもそれって……せっかく出会えたのに」

「泣くな、泣くな」


 俯くぼくを見て、コックリさんが呵呵かか、と笑った。


「もうここでお別れってこと? そんなのやだよ、せっかく助けに来たのに!」

「うむ、うむ」

「地獄の底まで来たんだよ? こんな……蜘蛛の姿になってまで。それなのに」

「分かった分かった」


 コックリさんがよしよしとぼくの頭を撫でた。ぼくは顔をくしゃくしゃにした。確かにそうすれば、みんなから妖怪の記憶は消える。地上で暴れている奴らもいなくなるだろう。だけど、そんなのってあまりにも、


「チッ……ウザってえな」

「なまはげさん!」

 ぼくの頭上でぼわ〜んと時空穴ポータルが開いた。「説明しよう!」の謎解説者みたいに、何処か別の地獄にいるなまはげさんが、札束を数えながらこちらを見下ろしていた。

「俺ァ映画でも何でも、最後の最後で泣き出す奴が一番嫌いなんだ!」


 湿っぽいのは苦手なんだよ。ちゃんと乾かさないと、ダメージがすごいだろうが。


「泣くんじゃねえ、禿げるぞ!」

「そうなの?」

「女が別れましょうって言ってんのに、メソメソしてる奴があるか。養育費かからないだけマシじゃねえかよ」

「そんな……なまなましいよ……なまはげだけに」

『安心しろ。テメーが忘れてようが、こっちは一生覚えてる』

 また別の窓が開いて、今度は花子さんがひひひ、と嗤った。


『この地獄を制圧したら、次は地上だ。全員死刑にしてやるから、震えて待ってろ!』

「えぇ……!?」

『ふふ……それにしても無事で何よりです』


 ただの神・こいしさんがほほ笑んだ。神特権を使って、やられそうになった瞬間に時間を止めたらしく、窓の向こうが静止画みたいになっている。


『私たちのことは忘れても……コンプライアンスはきちんと守ってくださいね』

「こいしさん……」

「おう。じゃあな。禿げには優しくしてやれよ」

『ちゃんとトイレ掃除するんだぞ』

「みんな……」


 なんだか良く分からない約束を色々とさせられ、ぼくは地獄を離れることとなった。


「では……達者でな。風邪引くでないぞ」

「コックリさん……」

「もしお主が……」


 コックリさんがしかとぼくを抱きしめながら言った。


「これから先、『自分は生きてても良いのか?』とか、『自分に生きる価値はあるのかな?』とか、そんなくだらないことを疑問に思ったら、安心せい。たとえ忘れてしまっていても、すぐにワシが飛んで行ってやる。誰かが何かに疑問を持った時、それがワシの領域じゃ」

「コックリさん……!」

「お主の存在意義など、ワシらが数えきれないほど知っておるよ」


 コックリさんが最後にとびきりの笑顔を見せた。それからぼくらは地獄を離れ、地上に戻った。地上に戻ると、次の日にはコックリさんのことも妖怪のことも、何もかも忘れていた。



「ユウちゃん、あなた、春休みの宿題は終わったの?」

「ん? まだ……」

「んまぁッどうするのよ!? 明日から学校じゃない!?」


 四畳半の部屋にお母さんの怒鳴り声が響き渡る。季節は巡り、もうすぐ新学期になろうとしていた。世間では春休みの宿題を出さない小学校の方が多いのに、田舎はこれだから困る。何が宿題だ。勉強ができない小学生には、存在意義がないとでも言うのだろうか!?


 まぁ別に、chatGPTに聞けばどんな問題も一発で答えてくれるのだが……どう言うわけか、それがどうにもやる気が起きないのである。


「アンタねえ……AIに聞くのすら面倒臭いって、じゃあ他に何ができるのよ!?」

「そんなこと言われても……やる気が起きないものは起きないんだよ。何だか胸がぽっかり空いてしまったような……アンニュイなんだよ」

「バカ言ってないで、さっさと宿題終わらせなさい!」


 お母さんはプリプリと怒って部屋を出て行った。アンニュイ小学生のぼくは、よろよろと机に向かおうとして……やっぱりベッドに横になって小さくため息をついた。最近はずっと、こんな調子だった。何だか壮大な夢を見て、起きた時にはさっぱり忘れているような、そんな気分が続いていた。


 家の外の畦道を、ダンプカーやショベルカーが走って行って、窓をガタガタ揺らした。、瓦礫の山だった街では復興が始まり、ようやく人々の活気も戻りつつある。なのにぼくはずっとゴロゴロして、無駄に怠惰な日々を過ごしていた。


 分かる。分かるけど、何だか乗り切れない。『地球のために』だとか『未来のために』だとか。そんなことを真顔で言われると無意識に警戒してしまう自分がいて、自分でも不思議だった。


「何かのきっかけでふと思い出すことってあるわよ」


 次の日。

 何かが気になって気になって、胸につっかえてるんだけど、それが何なのか分からない……と我ながらふわふわした悩みを相談すると、いるかちゃんは笑ってそう言ってくれた。


「匂いだったり、映像だったり。記憶ってそういうものよね。頭の中だけじゃないと思うの。街の記憶だったり、空の記憶だったり……記憶って色んなところに、こっそり隠れているものじゃないかしら」

「なるほどぉ」


 感嘆詞を上げるしか能のないぼくに、いるかちゃんは優しくほほ笑んでくれた。

 春が近づいて来ていた。空は晴れている。2人で田んぼ道をぶらぶらと歩きながら、何か記憶のとっかかりになるものはないか、と考えを巡らせた。最近気になっていることは……人参や大根は元々苦手だったが、最近何故か、蠍と蛇も恐怖の対象になってしまった。違う。


 どう言うわけか、夜中にトイレに行くのが怖い。これも違う。夜な夜な枕元で、歌っている奴がいる気がする、怖い。やっぱりこれも違う……。


「あ……待って」


 ふと、いるかちゃんが上を見上げて立ち止まった。ぼくも釣られて上を見上げた。頬に生暖かいものが落ちてくる。雨だ。ぱらぱらと雨が降って来ていた。不思議だ。空は晴れてるのに、雨なんて……。


「ね……これって」


 ぼくといるかちゃんは顔を見合わせた。

 遠くの方で、呵呵かか、と何だか妙に懐かしい笑い声が聞こえたような気がした。


《おしまい》

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

コックリさん vs chatGPT てこ/ひかり @light317

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ