塗り

「……」

 カーテンの閉められた陽の届かない部屋で、私は一人項垂れていた。


 何のために働いて……自分がどうして生きているのか、分からなくなってしまった。動かなきゃ……何かはしなきゃ……そう考えるほど、身体は重くなっていく。


「♪―♪―♪」


「……なんだ、通知か」

 自分の端末から突如鳴り響いた音は、よく利用する通販サイトからのセール情報を知らせるものだった。


 最後にスマホを開いたのさえいつだったか分からない。そんな化石みたいになってしまった自分を少しでも奮い立たせるために両頬を思いっきり叩く。


「真海……」

 少しでも真海の声を聞きたいという思いから、私は彼女の足跡を辿ることにした。

 ホーム画面からSNSのアプリを選び、真海を音読みした「シンカイ」というペンネームのアカウントの投稿画面を開く。下へ遡ってみると、一つ私の知らない投稿があった。最近はチェックもまともにできていなかったからしょうがないのだが、問題はその内容。真海には珍しく画像の着いていない、文だけのものであった。



『超突然でフォロワーの皆には悪いんだけど、私今週末あたりに死ぬかも。次が最後のイラストになるかもだからみんないっぱいいいね押してね~』



「えっ……⁉」

 脳裏にとてつもない衝撃が走る。彼女は自身の死期を悟っていたのだ。

 その投稿はこれまでの力作を優に超えるほど拡散されており、200を超えるコメントがついていた。報告を最後にSNSは更新されていない。最終作を描き切る前に、力尽きたのだろうか。

 タブレットにアカウントを連携させてはおらず、真海は必ずイラストデータをスマホへ送ってから投稿する。なら私には……私にだけ確かめられることがあるじゃないか。


「……」

 何かあったときのために互いのパスワードは教え合っている。今度は持ち帰ってきた彼女のスマートフォンを開き、同じアプリを起動させる。


「!」

 絵は既に出来上がっていたようで、投稿文の作成画面で止まっていた。それを確認すると同時に、私が駆けつけた際、この端末が地へ放られていたのを思い出す。


「投稿する直前で……ってこと……⁉」

 スマホをあと一度タップするだけで、この投稿は全世界に放たれる。折り畳まれていて今は分からないが、「詳細を開く」ボタンを押しさえすれば、彼女が最後に描き上げた絵を、私は見ることができる。


 ……嫌だ。見たくない。


 見てしまったら、彼女がこの世を去った事実を本当に認めなければならない気がしたから。まだ悪い夢を見ていると錯覚させてほしくて、このままスマホを叩き割ってしまおうかとも考えた。


 それでも私の人差し指は、もう一つの強い気持ちのままに画面へ向かっていた。


 真海は私のいない病室で、何を思って過ごしてた?


 あいつが最後に描き上げた絵って……一体どんなの?


 指先が液晶に接した時、若干のロードを挟み、一枚の横長な絵が画面上に現れた。


「なにこれ……」


 二本の太い柱のようなものが空へ向かって伸びている。目を凝らしてみてみれば、それらは樹木だと分かる。でも、幹は何故か曲がりに曲がっていて、先端の達する領域はまるで宇宙。


「まさか……」

 全体像を理解した瞬間、猛烈な既視感が遅れてやってくる。


 真海の掘り返した……私が描いた絵。構図も色づかいも、あの二本の樹木に似ていた。代替テキストの部分に説明書きがある。


『投稿文で乗せちゃうのは恥ずかしいから、ここで言うね。


この最後の絵は、私の一番大切な人に向けたものです。


いつも気にかけてくれて、怒ってくれて、一緒にいてくれる。


そんな大好きな彼女へ向けた、私なりの“ファンアート”です』



「……」

 カバーがひび割れるくらい強く握っていた手から、スマホが地に落ちる。



 何だよ。


 何最後だけ格好つけてんだよ。


 私がいなかったらろくにご飯も食べないでだらだらしてるだけのくせに。


 何百万人が、あんたの新作を待ってたっていうのに。



 スマホの画面なんてぐちゃぐちゃになって見えなくて、自分がどこを向いているのかさえ定かじゃなくて。


 もう、何もかも分からない。



「なんで最後の絵が……これなんだよ」



 一つだけ確かに覚えているのはその直後、私は大声で泣き喚いていたこと、くらいだ。



────────────────



 半ば無理やりに気持ちの整理をつけて彼女の葬儀に出席する中、私はあの絵のことを思い出していた。元絵についてはともかくクオリティは間違いなく過去最高であり、先日の投稿も相まってアップしたなら二十万いいねは下らなかっただろう。


 けど……


「ごめん。真海」


 彼女のアカウントはあれから何も弄らず、スマホをタブレット、ペンと一緒に彼女の眠る棺桶の中へ添えた。もしかしたら未発表の絵や描きかけのイラストもあったのかもしれない。だとしたらそれらは日の目を見ないまま焼かれて跡形もなく消えてしまうだろう。


 それでも私は、こうしたかった。




「これだけは、独り占めさせて」




 来る訳もない返答を待ちながら、私は彼女の寝床をそっと閉じた。

 そこからは恐ろしいほど早く時間が進み、真海の火葬も終わった。親族に軽く挨拶して、私は火葬場を出る。

 見上げた空にはぼんやりとした乱層雲が広がっていて、予報にはなかった小雨がしとしとと降り始めている。そんな中、行きにも利用したバス停へ辿り着き、私は時刻を確認するついでで久しく使っていなかったフォルダアプリをスマホから開いた。



 残っていたのは、下手すぎて見るに堪えない木の絵と、ずっと見ていたい木の絵。


 その二枚だけだった。

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